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第4話|小さな約束
しおりを挟む春の光が、王城の石畳に柔らかな模様を描いていた。
白い花が咲き誇る中庭には、祝いの日にふさわしい、やわらかな光があふれていた。
彩られた回廊には絹の旗が風にはためき、陽の光を反射してきらめくその様子は、まるでこの場全体が、勇者の旅立ちを讃えているかのようだった。
その祝福された場所を、勇者様が歩いていく。
深い青と銀を基調とした特注の旅装束は、彼の凛々しさを際立たせていた。
肩に刺繍された王国の紋章が、陽光を反射して微かに煌めいている。
真新しいブーツが石畳を踏みしめる音が、静かに響くたび──
まるで、その一歩一歩が、伝説の始まりを告げているようだった。
そして──その対照のように。
私は、華やかな祝賀の影に、静かに立ち尽くしていた。
今日、勇者様は旅立つ。
魔王討伐という、果てしない使命を背負って。
誰もが、その背を讃え、未来を託す。
けれど私だけは、笑うことができなかった。
嬉しいはずだった。誇らしく思えるはずだった。
でも、胸の奥には、ひどく静かな孤独が沈んでいる。
賛美と歓声が、彼の背を押している。
無数の期待と、賞賛と、希望とが、彼を囲んでいる。
それなのに──あの横顔は、不思議なほど静かだった。
誰の言葉にも頷きながら、どこか遠くを見ているようなその瞳に、私は言いようのない痛みを覚えた。
「……勇者様」
呼びかけた声は、自分でも驚くほど小さかった。
私は、前の晩にこっそり作った小さなお守りを、手に握りしめていた。
白銀の糸で一針一針、祈るように縫った。
どうか、彼が無事でありますように。
どうか、あの優しい笑顔が消えませんように。
それを──この手で、渡したかった。
けれど。
人々の輪が、大きく立ちはだかっていた。
近づこうとした私の前に、またあの侍女が立ちふさがる。
表情には笑みを浮かべていたけれど、その目は、冷ややかに告げていた。
「これ以上、近づくな」と。
ああ、まただ。
彼の隣に立つことさえ、許されないのだと──
思い知らされる。
悔しさに、手のひらがじんと熱くなる。
それでも視線を落とせずにいた、そのとき──
「……リュシアン殿」
静かな声が、騒がしさの中で不思議とはっきりと耳に届いた。
人々をかき分けるようにして、勇者様が、私の方へと歩いてきてくれていた。
周囲が一瞬どよめいた。
侍女が戸惑ったように下がる。
「それは……?」
私は、握っていたお守りをそっと差し出した。
「……旅のお供に、どうぞ」
私の手は、ほんのすこし震えていた。
わがままを言うつもりはなかった。
ただ、これだけは、どうしても渡したかった。
ありがとう、気をつけて、寂しい──
伝えたい言葉が溢れてくる。
けれど私は、結局そのどれも言えなかった。
私は、そんな言葉を口にできる立場じゃないと、知っていたから。
それでも、彼が両手でお守りを包み込む姿に、胸がきゅうっと締めつけられる。
「……必ず、帰ってきます」
その声は、静かで、けれど確かだった。
冗談でも社交辞令でもない、本当に心からの言葉だとわかった。
私は、ぐっと唇を噛んだ。
それでも、目元が熱くなる。
こぼれ落ちる寸前の涙を押しとどめるように、まばたきを一つ、深くする。
目の前の彼は、ただ真っ直ぐに私を見つめていた。
まるで、この瞬間を心に刻むように、逃さぬように。
強さの奥にある静けさが、その瞳の奥に宿っていた。
陽光が揺れるなか、風が旗を鳴らす。
あのきらめきの只中で、たったふたりの時間だけが、密やかに流れていた。
そのまなざしに、ああ──この人は、私とのこの約束を、ちゃんと心に留めてくれているのだと。
そう思っただけで、胸の奥が、じんわりと温かくなった。
◇◇◇
城門の前には、見送りの人々がずらりと列をなし、その視線がひとつの背を追っていた。
王族たちが整然と並び、騎士団の紋章が陽光に光る。撒かれた花々が道を彩り、騎馬のたづなを取る兵たちの顔にも、どこか神聖な緊張が浮かんでいた。
澄んだ青い空に白い旗が高く掲げられ、その風景はまるで、英雄譚の一頁のようだった。
──けれど私は、その列には加われなかった。
さっきのやりとりのあと、あの侍女が、静かな声で言ったのだ。
「これ以上は、ご遠慮くださいませ」と。
私は、門前の花壇の陰へと、ただ静かに身を引いた。
仕方のないことだ。
私は、称号も、才もない。ただ“第三王子”という名だけの、空っぽな肩書き。
人目を引くような力もなければ、誰かの盾となる腕もない。
あの人の隣に並ぶには──何もかもが、決定的に足りなかった。
春の光が、白い石畳を柔らかく照らしている。
その中を、勇者様が馬に乗り、ゆっくりと前へ進んでいく。
旅装束の裾が風に揺れていた。
勇者様は、振り返らない。
当然だ。
今、彼が見つめているのは──遥かな未来なのだから。
私は、胸の奥にぽっかりと空いた静けさを、そっと自分で覆い隠すようにして、瞳を細めた。
あの人に言葉を届けられたこと。
手作りのお守りを、この手で渡せたこと。
それだけで、胸の奥に、小さなあたたかさが灯っている。
「……いってらっしゃいませ、勇者様」
誰に聞かれるでもない小さな声が、春の風にさらわれていった。
不安は、確かにある。
命を賭ける旅なのだ。どれほど願っても、未来の約束などどこにもない。
けれど、それでも。
私は、胸を張って送り出したい。
誰よりも優しく、誰よりも強く、この世界のために歩み出そうとしてくれる──たった一人の、私たちの勇者様を。
どうか、無事に。
どうか、また──あの笑顔を。
そんな祈りを抱えながら、私は──ただ、空を見つめた。
空は、どこまでも、澄みわたっていた。
まるで、世界そのものが──あの人の一歩を祝福しているようだった。
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