【8話完結】帰ってきた勇者様が褒美に私を所望している件について。

キノア9g

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第6話|誤解、崩れる心

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 勇者様と共に過ごす日々は、まるで陽だまりの中を歩いているようだった。
 日が昇るたびに、私の胸には静かに幸福の水面が広がっていき、それにそっと指先を触れさせるような、そんな慎ましい喜びがあった。

 彼は、魔王を討ち果たし、英雄として凱旋してからというもの、国の象徴としてあらゆる場に引っ張り出されている。
 王族との公式行事、各国の使者との会談、華やかな宴や儀礼の報告会──姿を求められる機会は後を絶たない。

 それでも彼は、私のもとに来てくれた。

 束の間の休息を縫うようにして、庭を歩きながら他愛もない話に耳を傾けてくれる。私の好物を覚えていて、さりげなく差し出してくれたこともあった。
 ほんの短い時間でも、彼と過ごすそれらのひとときは、私にとって何よりも特別で、かけがえのないものだった。

 それだけで、私には十分だった。
 ただ、彼のそばにいられるだけで幸せ──

 そう、思っていた。



 その日も、変わらない穏やかな朝だった。

 朝靄が少しずつ晴れて、陽光が庭の草花をやさしく照らし出した頃。
 王城の庭では、勇者様を称える祝宴の準備が進められていた。
 騎士たちが長卓を運び込み、侍女たちは花を編んで飾りつけている。

 その様子を、私は悠真様と並んで見守っていた。

 風に乗って漂う草花の香り、春の光に透ける彼の横顔。
 あまりにも穏やかで、愛おしい光景だった。

 そんな中、ふいに彼がこちらを向いて、微笑んだ。

「姫様も、疲れてませんか?」

 ──姫様?

「無理しないでくださいね。姫様はお体が細く華奢だから、風邪を引かれないか心配です。体を冷やすのはよくないと聞きますし」

 私は笑顔を保ったまま、思考が真っ白に凍りついた。

 姫様。
 確かにそう言った。彼は、私をそう呼んだのだ。

 咄嗟に浮かんだのは、嘲笑混じりに私を呼ぶ、あの蔑んだ声たち。かつて私に向けられた侮蔑の眼差し。
 華奢で、力も魔力もなく──“王子”とは名ばかりの私に、人々はひそひそと“姫様“と呼び捨てた、あの忌まわしい記憶。

 けれど、彼がそんなことを思うはずがない。

(……まさか、私を女だと思っている?)

 そう気づいた途端、胸の奥にひやりとした冷水が流れ込んだ。
 心臓が凍えたようにざわめき、背筋がうっすらと粟立つ。

 まさか、そんなはずはない。
 私は出会ってすぐ、自分が王子であると自己紹介をしている。
 悠真様だって、普段私を「リュシアン殿」と──そう、呼んでいた。

 もしかしたら、冗談か、あるいはあだ名という異世界の風習なのかもしれない。

 けれど、不安は静かに、私の中に根を張り始めていた。


「……あの。悠真様。ひとつ、確認をよろしいでしょうか」

「はい?」

 彼は屈託のない笑顔で振り向いた。

 その目は相変わらずまっすぐで、まるで疑うことを知らない子どものようだった。
 悪意のかけらも感じられないその優しさが、少し残酷に思えた。

 胸の奥がひりつきながらも、私はなんとか声を整えて、問いかけた。

「──私が、男であることをご存知ですよね?」

 その瞬間、悠真様の瞳が大きく見開かれた。

「え……」

 目に見えて、彼の血の気が引いていく。まるで時間が止まったかのように、動きが消えた。

 彼の視線が、確かめるように、怯えるように、私をまっすぐ捉える。


 ──知らなかったんだ。

 胸の奥で、何かが音もなく崩れていく。

 彼が求めたのは、王子ではなかった。
 女性──姫だと思ったから、私を望んだのだ。

 男の私では、なかった。

 その現実が、静かに、けれど確実に、私の心を冷たく浸していく。

 
 彼はいつも優しかった。
 まっすぐで、強くて、どこまでも誠実で。
 王家の陰に隠れるようにして生きてきた私の存在にすら、そっと光を注いでくれた。

 そんな彼に、惹かれないわけがなかった。
 気づけば、私は誰よりも深く彼を……。

 なのに。
 私では、彼の望む存在にはなれない。


「……誤解させてしまい、申し訳ありません。私の責任です」

 その言葉は、彼への詫びであると同時に、自分自身を責める声でもあった。
 彼の真っ直ぐな想いに、知らず知らずのうちに泥を塗ってしまった。
 その罪悪感が、何よりも胸に重くのしかかる。

 私は、必死に笑みを装いながら、静かに頭を垂れた。

「……褒美の件ですが、変更をお願いできますでしょうか」

「ま、待ってください、リュシアン殿! 俺はそんなこと──!」

 彼が慌てて手を伸ばしてきた気配が、視界の端に揺れる。
 けれど、私はゆるやかに首を横に振った。
 その言葉が届く前に、そっと幕を引くように。

「悠真様のご希望に添えず、申し訳ありませんでした」

 これ以上、私がどれほど彼に心を寄せていたかを、知られてしまうのが怖かった。

 彼の笑顔に浮かされて、温もりに縋って、勝手に希望を膨らませていた、そんな自分を──もう、見せたくなかった。

「……勇者様の幸福を、願っております」

 その言葉だけは、偽りのない本心だった。たとえ、その隣にいるのが私でなかったとしても。

 彼が何かを言いかけた気配がした。
 でも、もう振り返る勇気は残っていなかった。

 私は足早に廊下の角を曲がり、誰もいない石畳の陰に身を滑り込ませる。

 そっと胸に手を当てると、焼けつくような鼓動が、まだ痛みの余韻を刻んでいた。

 ──こんなにも、苦しいなんて。

 けれど、涙は流せない。
 私は、勇者様の幸せを願っているのだから。

 そう、自分に言い聞かせてながら、微かに震える吐息を、深く、ひとつだけ吐き出した。



 ◇◇◇

 その頃。
 部屋の隅に身を潜めていた従者は、ただ黙って勇者を見つめていた。

 ──愚かしい。
 そう心のどこかで思いながらも、目が離せなかった。

「お……おとこ……?」

 勇者が掠れた声で呟いた。
 その声音に滲む困惑と動揺は、あまりにもあからさまだ。

 顔を赤らめたかと思えば、すぐに青ざめて。
 彼は頭を抱え、まるで出口のない迷路を彷徨うように、部屋の中を何度も何度もぐるぐると歩き回っていた。

 ──どうしたらいい?
 ──何が正しかった? 何が間違いだった?

 声には出さずとも、彼の仕草がそう訴えていた。
 滑稽なほどに混乱し、答えを見失っている。
 ──その姿を見て、私は薄く笑みを浮かべた。

「……やはり、第三王子は余計なことしかしない」

 呟きは吐息のようにかすかで、自分だけが聞き取れるほどの小ささだった。
 けれど、そこにこもる感情は、冷たく確かなものだった。

 リュシアン様。
 あの方がこのまま勇者の傍にいれば、いずれ必ず“歪み”が生まれる。
 どれほど美しく、どれほど純粋でも──人の心は、理では縛れない。

「……早くこのことを、陛下に報告しなければ」

 そう呟きながら、私は静かにその場を後にした。

 音ひとつ立てずに、まるで影のように。

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