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第1話:再会の遺跡にて
しおりを挟む風が吹き抜けるたび、崩れかけた石柱の影が静かに揺れた。
乾いた土の香りとともに、ほんのわずかに混じる魔力の気配が鼻先をかすめる。
アッシュ・レイフォードは、剣の柄に手を置いたまま、広がる古代神殿跡を見下ろしていた。
王都から東へ三日。渓谷を越えた先に眠る古代遺跡。
今回の任務は、王立魔法学会からの依頼による調査隊の護衛だ。
──よくある仕事のはずだった。
けれど、今日に限って、妙に胸がざわついて仕方がない。
「……ここを最後に、しばらく休むか」
ふと漏れた呟きに、自分でも驚いた。
旅を続けて三年。どの町にも腰を落とさず、寝床と剣を担いであちこちを流れてきた。
それが、ごく当たり前の暮らしになっていたはずなのに。
けれど──最近になって、不意に“拠点”という言葉が脳裏をよぎるようになった。
たぶん、どこかで心が疲れているのだ。
振り切ったはずの記憶が、季節の変わり目にふと顔を出す。
三年前のあの決断は、本当に正しかったのかと。
王子である彼を手放したあの日、自分なりに彼の未来を守ったつもりだった。
それでも、いまもなお──
心の奥では、彼の名を呼び続けている。
「……未練がましいな、俺」
自嘲する声をかき消すように、荷馬車の車輪が鳴った。
下の道に目をやると、調査隊を乗せた馬車が、ちょうど到着したところだった。
そのとき──
馬車の扉が開く。
最初に降り立った男の姿に、アッシュの視線が凍りついた。
陽に透ける銀金の髪。
真っ直ぐに伸びた背筋。
無駄のない動作と、抑制された気配。
「……まさか」
その名を口にするよりも早く、彼はアッシュに気づき、歩み寄ってくる。
白い外套が風に翻り、靴音が石を打つ。軽やかで、迷いがなかった。
「ご無沙汰している、アッシュ・レイフォード殿」
声音は柔らかだった。けれど──そこには確かに、距離があった。
王子としての節度。護られるべき立場としての威厳。
かつて夜毎に寄り添い、同じ名を囁き合ったはずの声が、今はずいぶんと遠く聞こえる。
アッシュは、思わず右手を拳のように握った。
「……カイル殿下。まさか、調査隊にご同行とは聞いていませんでした」
「急な決定で、失礼した。……本来は別の者が赴く予定だったが、私の希望で同行を願い出た。今回の神殿は、王室にも関わりの深い場所でね」
その言葉に含まれた真意を、アッシュは読み取らないふりをするしかなかった。
目の前の男は今や国の未来を担う王太子。
──そして、自分とは釣り合わなかった人間だ。
かつての関係がどれほど深かったとしても、それはもう、何の意味も持たない。
「護衛としての任務は果たします。……それ以上の干渉は、避けるつもりです」
静かに口にすると、カイルは一瞬だけ目を細めた。
「そのように接してもらえると、助かる」
それきり、カイルは背を向ける。
白の外套を揺らしながら、他の学者たちへと歩み寄っていった。
振り返らなかった。
けれど──その背中が、何よりも雄弁に語っていた。
今はもう、他人だと。
◇◇◇
神殿内の探索は、翌朝から本格的に始まった。調査隊は魔力の痕跡を辿りながら、慎重に崩れかけた石の回廊を進んでいく。
アッシュは先頭を歩きながらも、無意識に後方を振り返る癖が抜けなかった。そこにいるはずの人影を、確認せずにはいられない。
三年経っても、それだけは変わらなかったらしい。
けれど、カイルはこちらを一度も見なかった。言葉も交わさない。まるで、必要以上に関わることを避けるかのように。
──それが、彼の選んだ距離なのだろう。
過去を引きずらないこと。今は互いに別の道を歩んでいること。王子として、かつての恋人に希望を抱かせないように。
「……随分、律儀になられたな」
誰にも聞こえぬほどの声で、ふと呟いた。
自分から身を引いたはずなのに、今さら傷つくとは思わなかった。いや、思わないふりをしていただけかもしれない。
「アッシュ殿。王子殿下と旧知と伺いましたが……お話はなさらないのですか?」
調査隊の一人が、気軽な調子で声をかけてきた。
アッシュは表情を崩さず、淡く微笑んで首を振る。
「昔、ほんの少しだけ縁があっただけです。今は……ただの護衛ですから」
それ以上の言葉は、喉の奥で飲み込んだ。
◇◇◇
夜。焚き火の灯りが、神殿の壁に揺れる影を映している。
アッシュは、神殿の入口近くで一人、警戒を続けていた。手元の剣を磨きながら、炎の中に過去の残像を見ていた──そんな時だった。
足音が近づく。静かで、それでいてどこか躊躇いの混じった歩み。
「失礼する」
低く抑えられた声。振り向けば、カイルがそこにいた。
昼間と変わらぬ白い外套。けれど、その瞳だけが、揺れていた。
「……何か、御用ですか」
「少しだけ、話がしたい。……それとも、今はその資格すら、私にはないか?」
その問いに、アッシュは目を伏せた。
あの頃のように名前を呼ばれないことに、驚きはなかった。けれど、まるで許しを乞うようなその口ぶりが、胸の奥を鋭く抉った。
「話すことなど、残っていたかどうか……」
「三年前。君が理由を告げずに別れを選んだ夜のことだ。あの時、私はただ君を責めることしかできなかった。だが──あれは、本心ではなかったのだろう?」
アッシュは眉を寄せ、火の粉を払うように顔を逸らした。
「殿下。……それは、今さら問うべき話ではありません」
「そうかもしれない。だが……君を見て、どうしても聞かずにはいられなかった」
その言葉に、アッシュは手元の剣をそっと鞘に収めた。
「……俺は、あなたの未来を邪魔したくなかった。ただ、それだけのことです」
「それでも、君と生きる未来を──私は、今でも選びたかったと、思ってしまう」
静かな痛みを帯びた声。けれどアッシュは、それに応えることはなかった。
「……その未来は、もう来ません。俺たちは、選ばなかった。それだけのことです」
長い沈黙が落ちた。
やがて、カイルはゆっくりと一礼し、何も言わずに背を向ける。
その背は、焚き火の灯りが届かぬ神殿の奥へと、音もなく消えていった。
アッシュは一人、揺れる火を見つめたまま動かない。
たった数語の再会が、過去を容赦なく暴き出す。
終えたはずの想いが、未練が、躊躇いが、静かに心の奥に灯を点す。
──あの選択は、本当に正しかったのか。
答えはまだ、暗がりの向こうに沈んでいた。
遺跡の夜は、あまりに長く、そして、静かだった。
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