【8話完結】どんな姿でも、あなたを愛している。

キノア9g

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第5話「誓いのサイン」

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 凍えるような風が、洞窟の外から乾いた枯葉を一枚、音もなく運び入れてきた。まるで、外界の冷酷な現実を、この聖域に突きつけるかのようだ。

 レオンハルトは、薄い封筒を手に、焚き火のそばに佇んでいた。王都から届けられた命令書──兄、アルバス王直筆の冷酷な命令。封蝋を割って内容を目にした瞬間から、胸の奥に凍えるような痛みが走り、全身の血が引いていくようだった。

「……再封印の儀式、か」

 静かに漏れた声は、焚き火のはぜる音に紛れて消えた。まるで、イグニスが”何かを起こした”と、そう決めつけられているかのようだった。けれど彼は──何もしていない。声も出さず、力を振るわず、ただ”ほんの少し応えた”だけなのに。その微かな奇跡が、兄王には「脅威の兆候」と映ったというのか。

 レオンは指先で命令書を折り畳むと、ゆっくりとイグニスの石の前に戻った。そこに在るのは、静かに佇む、確かな存在。だが、その存在は、手を触れることも、声を聞くことも叶わない。その事実が、レオンハルトの心を締め付けた。

「……あなたを、もう一度闇の中に封じるなんて、できるはずがない」

 崩れるように石の前に膝をつき、息を吐く。その白い吐息が、焚き火の光の中に揺れながら、夜の空気に溶けていく。

「何も変わっていないようで、……私は、あなたに会ってから、すべてが変わってしまったのです。あなたが、そこに”いる”とわかってしまった以上……私はもう、ただ見守るだけではいられない」

 震える声で、だが確かに告げる。

 レオンハルトは静かに鞄から封筒を取り出した。中には、数日前からずっと隠していた一枚の書面がある。折り目一つない、上質な羊皮紙でできた、厳かな契約書。

 ──伴侶契約書。

 上質な羊皮紙に記されたそれは、能力の共有を前提とした魂の契約。この王国で最も神聖で、そして最も重い誓い。人の生涯をかけて交わすに足る、たった一度の選択。

 契約には、互いの同意と署名が必要だ。それが正式な成立条件。だが、今のイグニスには、名を記すことすらできない。だからこそ、これはレオンハルトの片想い──一方的で、どこまでも切実な、孤独な祈りだった。

 彼は石の前に契約書を広げ、静かに、まるで儀式のように膝をつく。その動きに、迷いはなかった。

「……あなたが応えてくれなくても構いません。これは、私の一方的な願いです」

 彼の声は、洞窟の静寂に吸い込まれていく。

「私は、あなたの伴侶になりたい。ただの形式でも、独りよがりでも……それでも構わない。私は、あなたの隣にいたいのです。どんな姿でも、どんな状況でも、あなたのそばに」

 その言葉に続けて、レオンハルトはペンを取り、自らの名を静かに記した。

 ──レオンハルト・リュゼルアーク。

 名前と共に、魔力が紙面へと流れ込む。契約術式が淡い青白い光を帯び、羊皮紙の片側が柔らかく輝いた。魔術が発動し、誓いが”片方だけ”成立したことを告げる神聖な光だった。

「これで、私だけの”片想い”でも……儀式としての誓いは、確かに果たされました」

 その声には、わずかな震えと、強い意志が混じっていた。

「あなたのサインがなければ、この契約は完全には成立しません。それでも──私は、あなたに見てほしかった。この手で、あなたを選んだ証を、この世界に残しておきたかったのです」

 彼は契約書を丁寧に額装し、石の前に飾る。まるで、いつかイグニスが解き放たれ、そのサインを手にする日を、心から願い、信じているかのように。

 ──その瞬間、石の内側で、確かな気配が揺れた。

 イグニスは、息を呑んでいた。言葉にはならずとも、胸の奥に鋭く差し込む何かを感じていた。レオンハルトの祈りが、まるで声のように、魔力を通じて届いてきたのだ。

(……ほんとに、やりやがったよ……)

 伴侶契約。それがどれだけ神聖な誓いで、どれだけ重たい覚悟を意味するか、イグニスも嫌というほど知っている。王位継承権を捨てたレオンハルトが、その上今の地位までも捨てて、自分を選んだという事実。

 それも、何も言えない、ただの石になったイグニスに向かって、彼は”先に”差し出してきたのだ。

 それは紛れもなく、愛に満ちたプロポーズそのものだった。切なく、純粋で、そして何よりも真摯な。

(……そこまで、俺のことを……想ってくれてたのか)

 動けない身体の中で、震えるように魔力が滲む。それは、戸惑いと、混乱と、そして、今まで感じたことのない、途方もない喜びの感情が混ざり合ったものだった。

(……嬉しい。本当に……涙が出そうになるほど、嬉しい)

 けれど、声は出せない。手も届かない。

(声が出せたら、真っ先に……そう伝えるのに)

 思いだけが、溢れていく。動けない体の奥で、魔力が震える。驚きと、喜びと、少しの怖さと。全部が混ざり合って、涙の代わりのように滲んでいく。

 夜が深まり、焚き火が静かに音を立てる。洞窟の闇が、二人の心を包むように、濃く、深く、降りてくる。

 レオンは、眠る前に石の前でそっと囁く。その声は、昼間よりもずっと甘く、そして深い愛情に満ちていた。

「私はあなたを愛しています。ずっと、変わらずに」

「たとえ応えてもらえなくても、この想いを誇りに思っています」

 そして、彼は静かに微笑む。その微笑みは、凍える洞窟に、確かな温もりをもたらす。

「……だから、明日も、明後日も。私はあなたに『おはよう』と『おやすみ』を伝えます」

「それが、私の”伴侶”としての毎日ですから」

 石の中で、イグニスはそっと魔力を震わせた。レオンハルトの気持ちがあまりに温かくて、あまりにまっすぐで──だからこそ、今は怖いくらいで、それでも。彼の言葉が、イグニスの心を深く、深く揺さぶる。

(……お前が怖ぇよ、こんなにもまっすぐで、温かくて……)

(……でも、それでも)

(俺も、お前を伴侶に選びたい。お前の隣で──生きたい)

 静かに、魔力が封印の中で流れ始める。ごくわずかに、けれど確かに。契約書へ向かって、小さな、小さな光が滲んだ。

 “イ”の最初の一画。それは、まだ誰にも見えない──だが、確かに始まった、想いの返歌だった。
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