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第6話:学園の鳥籠
しおりを挟む十六歳。王立学園高等部への入学。
それは青春の代名詞であり、新たな出会いの宝庫だ。
地方貴族や平民の特待生も集まるこの場所で、俺――リアン・アークライトは、今度こそ運命の恋人を見つけるつもりだった。
……つもりだったのだが。
「リアン、ネクタイが曲がっているよ」
「あ、すみません師匠」
「じっとして。……よし、綺麗だ」
朝の柔らかな陽光が差し込む部屋。
目の前には、制服を完璧に着こなしたシリル様がいる。
俺たちは今、学園の男子寮にいた。
それも、二人部屋だ。
本来、公爵家の嫡男であるシリル様は「特別室(スイート)」に入るはずだし、一介の子爵令息である俺は「一般室(四人部屋)」に入るはずだった。
しかし、なぜか俺たちは「二人用の特室」に押し込まれていた。
「偶然とは恐ろしいですね、師匠。まさか同室になるなんて」
「ああ、全くだ。運命を感じるね」
シリル様は白々しく微笑んだ。
偶然なわけがない。絶対裏で手を回したに決まっている。
入学手続きの書類に、シリル様の筆跡で『※アークライト子息と同室でなければ寄付金を全額引き揚げる』という走り書きがあったのを、俺は見逃していない。
だが、俺はこの状況もポジティブに捉えていた。
二十四時間、スパダリ(師匠)と一緒。つまり、修行し放題ということだ。
現に、今のネクタイ直しの手際も見事だった。俺もいつか未来の妻にやってあげたい。
「さて、行こうか。遅刻は紳士の恥だ」
「はい!」
俺たちは並んで寮を出た。
シリル様が俺の歩幅に合わせて歩いてくれる。
その自然な気遣いに、俺は「さすが師匠」と感心し、同時に胸の奥がほんのりと温かくなるのを感じていた。
……これが「鳥籠」の入り口だとは知らずに。
◇◇◇
学園生活は、予想以上に「静か」だった。
いや、正確には「俺の半径五メートル以内だけ無人地帯」だった。
昼休み。食堂にて。
俺はトレイを持って、空いている席を探していた。
視線の先に、優しそうな女子生徒のグループがいる。「ここ空いてますか?」と声をかけようとした、その瞬間。
「――リアン。こっちだ」
背後から肩を抱かれた。
シリル様だ。
彼が現れた瞬間、女子生徒たちは「ひっ」と息を呑み、蜘蛛の子を散らすように去っていった。
「あれ? みんな急にどうしたんだろう」
「急用だろう。さあ、座って。君の好きなハンバーグを確保しておいたよ」
「わあ! さすが師匠、準備がいい!」
俺は喜んでシリル様の向かいに座った。
周りを見渡すと、他の生徒たちは俺たちから半径五メートル以上の距離を取って食事をしている。
まるで結界が張られているようだ。
(シリル様のオーラが凄すぎるんだな……)
俺は呑気にハンバーグを頬張った。
実際は違う。
入学式の日、シリル様は全校生徒に向けて、無言の圧力(笑顔)でこう宣言していたのだ。
『私の所有物に手を出した者は、社会的抹殺を覚悟するように』と。
リアンに近づこうとする者は、男女問わず、シリル様の氷の視線で射殺され、翌日にはなぜか転校したり、部活を辞めたりするという噂がまことしやかに囁かれていた。
当然、鈍感な俺はそんなことは知らない。
俺が知っているのは、シリル様の優しさだけだ。
「口元にソースがついているよ」
「んぐ、すみません」
「動かないで」
シリル様がテーブル越しに身を乗り出し、親指で俺の唇の端を拭った。
そして、その指を自分の口元へ運び、ペロリと舐め取った。
「ん……デミグラスソース、悪くない味だ」
「し、師匠!? 汚いですよ!」
「君のものだ。汚いわけがない」
平然と言い放つシリル様に、俺は顔が熱くなるのを感じた。
最近、師匠のスキンシップが過激だ。
幼少期から距離感はおかしかったが、最近は妙に「ねっとり」しているというか、触れられるたびに背筋がゾクゾクする。
(これも欧米……いや、異世界のスキンシップなのか? スパダリってここまでやるのか?)
混乱する俺を見て、シリル様は楽しそうに目を細めていた。
◇◇◇
放課後。図書室。
俺たちは並んで自習をしていた。
西日が差し込む図書室は、黄金色の埃が舞い、静謐な空気に包まれている。
俺は歴史の課題に取り組んでいたが、連日のスパルタ教育の疲れが出て、次第に瞼が重くなっていった。
「……ふあ」
カクン、と頭が落ちる。
ダメだ、寝ちゃダメだ。スパダリは勤勉でなければ。
そう思うのに、意識は泥の中に沈んでいく。
薄れゆく意識の中で、隣に座っていたシリル様が本を閉じ、こちらを見た気配がした。
◇◇◇
目が覚めたとき、世界はオレンジ色に染まっていた。
夕暮れだ。完全に寝過ごした。
俺は慌てて起き上がろうとしたが、体が動かなかった。
誰かが、俺を抱きしめている。
「……起きたか?」
耳元で、甘いバリトンボイスが響いた。
すぐ隣に、シリル様の顔があった。
俺は彼の肩にもたれかかって眠っていたらしい。そして彼は、俺の肩を抱き寄せ、もう片方の手で俺の髪を弄んでいた。
「す、すみません! 俺、爆睡してました!」
「いいよ。君の寝顔を見ているのは、悪くない時間の使い方だ」
「二時間も!? 師匠、そんなにお暇じゃないでしょう!?」
「君限定の暇人だ」
シリル様はクスクスと笑い、抱き寄せた腕を解こうとしない。
むしろ、さらに強く引き寄せられ、俺たちの距離はゼロになった。
太ももが密着し、体温が伝わってくる。
誰もいない図書室。
本棚の影。
逃げ場のない密室。
「し、師匠、近いです。……っ、顔が良すぎて直視できません」
「リアン。……君は無防備すぎる」
シリル様の声のトーンが、ふっと下がった。
空気が変わる。
さっきまでの穏やかな師弟の空気が消え、ピリピリとした緊張感が肌を刺す。
「無防備って、寝てただけですよ」
「そうだ。ここで誰に襲われても、文句は言えない」
「いやいや、ほぼ男子校みたいなもんだし、襲う人なんて……」
「いるかもしれない」
シリル様の手が、俺の頬を滑り落ち、顎をすくい上げた。
強制的に上を向かされる。
逆光で表情が見えにくいが、アイスブルーの瞳だけが、暗闇の中で怪しく光っていた。
「例えば、私とか」
ドキリ、と心臓が鳴った。
冗談だ。いつものからかいだ。
そう思うのに、本能が「捕食される」と警鐘を鳴らしている。
シリル様の顔が近づいてくる。
長い睫毛の一本一本まで見える距離。
彼の視線は、俺の目から、鼻筋、そして唇へとゆっくり這うように移動した。
まるで、どこから味わおうかと品定めするように。
「し、師匠……?」
「リアン。君は誰のためにスパダリになりたいんだ?」
「え? それは、将来の可愛いお嫁さんのために……」
「……まだそんなことを言っているのか」
不機嫌そうに眉を寄せ、シリル様は俺の唇を親指で強く擦った。
痛い。でも、熱い。
「君のお世話ができるのは、私だけだ。君の寝顔を見ていいのも、君の作った歪なクッキーを食べるのも、私だけの特権だ」
「そ、それは、俺が師匠の一番弟子だから……」
「弟子? ……フッ、まだそう思っているなら、それでもいい」
シリル様は諦めたように、しかしどこか愉悦を含んだ溜息をついた。
そして。
ちゅ、と音を立てて、俺の耳元に口づけた。
「ひゃっ!?」
唇ではない。耳たぶだ。
けれど、その感触はあまりにも生々しく、俺の背筋に電流を走らせた。
「これ以上、他の人間に隙を見せるな。……次に無防備な顔を晒したら、耳だけじゃ済ませないよ」
低く囁かれた警告は、呪いのように俺の鼓膜にこびりついた。
シリル様はパッと身を離し、何事もなかったかのように立ち上がった。
「さあ、帰ろうか。寮監の見回りが来る」
「は、はい……」
俺はふらふらと立ち上がった。
足に力が入らない。
心臓が早鐘を打っている。
顔が熱い。耳が熱い。
(なんだ今の……?)
ただのスキンシップ? 警告?
わからない。俺の知っている「友情」の範疇を遥かに超えている気がする。
でも、怖くはなかった。
むしろ、シリル様に「お前は俺のものだ」と言外に告げられたことに、奇妙な安堵感を覚えてしまった自分がいる。
俺は、自分の感情に名前をつけることができなかった。
ただ、シリル様の背中を見つめながら、思ったのだ。
「ああ、俺はこの人には一生敵わないし、一生この人のそばにいるんだろうな」と。
それが「愛」と呼ばれる感情の、もっとも深く歪んだ形であることを、俺はまだ知らない。
◇◇◇
寮の部屋に戻ると、シリル様はいつもの「良き師匠」に戻っていた。
だが、消灯後。
ベッドに入ってからも、俺は眠れなかった。
暗闇の中、隣のベッドから規則正しい寝息が聞こえてくる。
シリル様は、もう夢の中だ。
俺たちは繋がっている。
手首のブレスレットと、見えない鎖で。
端から見れば、この環境は「鳥籠」なのかもしれない。
けれど、俺にとってはVIP待遇の快適空間だ。こんなに甘い餌(愛)を与えられてしまっては、正直、逃げ出す気なんて微塵も起きないのだった。
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