【16話完結】スパダリになりたいので、幼馴染に弟子入りしました!

キノア9g

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第5話:デビュタントの攻防

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 十五歳。それは貴族の子弟にとって、特別な意味を持つ年齢だ。
 デビュタント。社交界デビュー。
 それは大人の仲間入りを果たす儀式であり、将来の伴侶を見つけるための戦場への第一歩でもある。

 王宮の大広間。煌びやかなシャンデリアの下、俺――リアン・アークライトは、緊張と興奮で掌に汗を握っていた。

(ついに来た……この日が!)

 俺は鏡に映った自分の姿を確認した。
 仕立て下ろしの紺色の燕尾服。首元には丁寧に結んだクラバット。髪はワックスで少しだけ流して、大人っぽさを演出している(つもりだ)。
 今日の俺は、いつもの「シリル様の金魚のフン」ではない。
 一人の男として、レディをエスコートし、そのハートを射止めるハンターなのだ。

「よし、いける。今日の俺はイケてる。スパダリのオーラ出てる」

 自己暗示は完璧だ。
 俺の目標は一つ。壁際で退屈そうにしている可憐な令嬢を見つけ、颯爽と声をかけ、ダンスを踊ること。
 そして「まあ、なんて素敵な殿方なの!」と思わせることだ。
 師匠であるシリル様直伝の、「角度四十五度の微笑み」と「腰に手を回すスマートな所作」を実践する時が来たのだ。

 しかし、その野望は開始早々に暗雲が立ち込めることになった。


 ◇◇◇

 ファンファーレが鳴り響き、主役たちの入場がアナウンスされる。
 会場のざわめきが、一瞬にして静寂に変わり、そして熱狂的な溜息へと変わった。

 現れたのは、シリル・ヴァン・オルディス。
 我が師匠にして、この国の「至宝」と呼ばれる男だ。

 今日の彼は、純白の礼服に身を包んでいた。
 白という色は、着る人を選ぶ。下手をすれば肌がくすんで見えるし、膨張して見える。
 だが、シリル様はどうだ。
 雪のようなプラチナブロンドと、陶器のような白い肌が、礼服の白と完全に調和している。アイスブルーの瞳は宝石のように輝き、その佇まいは、天上から舞い降りた天使か、あるいは冷酷な氷の精霊のようだった。

「キャアアアアッ! シリル様よ!」
「こっちを向いてくださったわ!」
「息が、息ができない……!」

 令嬢たちがドミノ倒しのように頬を染めていく。
 すごい。これが「王者の覇気」か。
 俺は群衆の隅で、感動に震えていた。

(さすが師匠! レベルが違う! 会場全体が彼の支配下だ!)

 シリル様は優雅に手袋を嵌めた手を振り、貴族たちに挨拶をしている。
 その隙がない動き。計算され尽くした微笑み。
 俺はメモを取りたい衝動を抑えながら、自分のミッションを思い出した。

(見とれている場合じゃない。俺も実践だ!)

 シリル様がああして注目を集めている今は、逆にチャンスだ。
 皆の視線が彼に釘付けになっている間に、俺はひっそりとデビュー戦を飾るのだ。
 俺は会場を見渡した。
 いた。
 柱の陰で、扇で口元を隠しながら所在なげにしている、桃色のドレスの令嬢。
 小柄で可愛らしい。俺の好みのタイプだ。

(ターゲットロックオン。……よし、行くぞリアン!)

 俺は深呼吸をして、背筋を伸ばした。
 シリル様から教わった通り、足音を立てずに、しかし堂々と歩み寄る。
 彼女の前に立ち、片手を胸に当て、もう片方の手を差し出す。

「こんばんは、美しいお嬢さん。もしよろしければ、私と……」

 言いかけた、その時だった。

 ゾワリ。

 背筋に、氷柱を突き立てられたような悪寒が走った。
 生物としての本能が警鐘を鳴らす。
 『逃げろ』と。

「――リアン?」

 背後から聞こえた声は、低く、滑らかで、そして絶対零度の冷気を帯びていた。
 俺はギギギと錆びついたブリキのおもちゃのように振り返った。
 そこには、先ほどまで会場の中央にいたはずの、白き貴公子が立っていた。
 シリル様だ。
 美しい。死ぬほど美しい。
 だが、その目は笑っていなかった。
 アイスブルーの瞳孔が、獲物を前にした猛獣のように細められている。

「し、師匠……? どうしてここに? さっきまで挨拶回りを……」
「君が見当たらなかったからね。探していたんだ」
「え、あ、すみません。俺もちょっと、その、実践練習をしようかと」

 俺は引きつった笑みを浮かべた。
 シリル様の視線が、俺の背後にいる桃色ドレスの令嬢へとスライドする。
 ただ一瞥。
 それだけで、令嬢は「ひっ」と短い悲鳴を上げ、顔を真っ青にして後ずさった。

「あ、待って……」
「……おや、逃げられてしまったね」

 シリル様は残念そうに(全く残念そうではない声で)言った。
 明らかに威圧しただろ今! 公爵家の「貴族覇気」で一般市民を威嚇射撃しただろ!

「どういうことですか師匠! 俺の記念すべき初エスコートが!」
「リアン。君にはまだ早い」
「早くないです! 十五歳です! 立派なレディキラーになるために、経験を積まないと」
「経験?」

 シリル様が一歩踏み出す。俺は反射的に半歩下がる。
 彼の纏う空気が、濃密に変わる。

「未熟なエスコートで恥をかくのは、君のパートナーになる女性だ。スパダリを目指すなら、完璧になるまで人前に出るべきではない」
「うぐっ……それは、正論ですけど……でも、やってみなきゃ上手くならないじゃないですか」
「だから、私がいる」

 シリル様は、俺の左手首を掴んだ。
 そこには、彼から贈られた「契約のブレスレット」が銀色の光を放っている。
 彼は俺の手を引き寄せ、強引に自分の腰に回させた。

「え?」
「実践練習が必要なんだろう? 私が相手をしてあげる」
「は!? いや、男同士ですよ!? おかしいでしょ!」
「おかしくない。主君が従者のダンスを確認するのは、よくあることだ」

 嘘だ。聞いたことない。
 だが、シリル様は有無を言わせぬ力で、俺の右手を取り、指を絡ませた。
 いわゆる「恋人繋ぎ」だ。
 白い手袋越しでも、彼の手の熱さが伝わってくる。

「音楽が始まる。……足を踏んだら、明日からの課題を倍にするよ」
「鬼! スパルタ!」
「ほら、ステップ」

 優雅なワルツの調べと共に、俺の体は強制的に動かされた。


 ◇◇◇

 会場がどよめいた。
 当然だ。
 今をときめくオルディス公爵令息が、女性たちを差し置いて、男――しかも凡庸な子爵家の次男と踊り始めたのだから。

「あれは誰?」
「アークライト家の子息よ」
「シリル様があんなに楽しそうに……」
「なんてお似合いなの……」

 最後の方の幻聴は聞かなかったことにする。
 俺は必死だった。
 シリル様のリードは完璧すぎた。
 俺が男役(リード)のつもりで動こうとすると、絶妙な力加減で封じられ、気づけば彼の意のままに回されている。
 彼は俺の背中に手を回し、ぐい、と体を引き寄せた。
 近い。
 吐息がかかる距離だ。

「近い! 近いです師匠!」
「これくらい密着しないと、人混みでははぐれてしまうよ」
「ここはダンスフロアです! はぐれません!」
「黙って。……私を見ろ」

 低い声で命令され、俺はパッと顔を上げた。
 シリル様と目が合う。
 その瞳の中に、俺の姿だけが映っている。
 周囲の景色も、煌びやかな照明も、すべてがぼやけて消え失せ、世界には彼と俺しかいないような錯覚に陥る。

「リアン。君の瞳は、私だけを見ていればいい」
「……はい?」
「他の有象無象に愛想を振りまく必要はない。君の『修行』の成果を評価できるのは、私だけだ」

 それは、まるで愛の告白のように聞こえた。
 甘く、重く、逃げ場のない言葉。
 俺の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
 これは、吊り橋効果だ。衆人環視の中で男と踊っている緊張感と、シリル様の圧倒的な美貌による視覚的暴力のせいだ。決して、彼にときめいているわけではない。

「……師匠のリード、すごいです」
「そうか?」
「はい。俺、体が勝手に動きます。……なるほど、これが『委ねさせる』技術か。勉強になります!」

 俺が感動して目を輝かせると、シリル様はふっと表情を緩めた。
 先ほどの冷たい仮面が嘘のような、蕩けるような笑顔。
 それを見た令嬢たちが、バタバタと音を立てて倒れる気配がした。

「素直な生徒は嫌いじゃないよ。……ご褒美に、もっと教えてあげる」

 シリル様の手が、俺の腰をさらに強く抱きしめる。
 回転(ターン)。
 景色が回る。
 遠心力で振り落とされないよう、俺は必死に彼の肩にしがみついた。
 その瞬間、彼の香りが鼻腔をくすぐった。冷たいミントと、ムスクのような大人の香り。
 俺は頭がくらくらした。

(ああ、負けた。完敗だ)

 俺は悟った。
 俺が目指していた「スパダリ」の頂点は、目の前にいる。
 こんな凄い男が近くにいて、俺が勝てるわけがない。
 俺は一生、この人の背中を追いかけていくしかないんだ。

 曲が終わるまで、俺たちは踊り続けた。
 会場中の視線が、痛いほど俺たちに突き刺さっていた。
 それは「シリル様を独占する不届き者」への嫉妬の視線であり、同時に「誰も入り込めない二人の世界」への畏怖の視線でもあった。


 ◇◇◇

 ダンスが終わると、シリル様は満足げに俺をバルコニーへと連れ出した。
 夜風が火照った頬に心地よい。
 俺はぜえぜえと息を切らしていたが、シリル様は涼しい顔だ。

「はぁ、はぁ……死ぬかと思いました……」
「大袈裟だな。ステップは悪くなかったよ」
「本当ですか!?」
「ああ。……ただし、他の誰かと踊ろうなんて考えないことだ」

 シリル様は、夜空を見上げながら呟いた。

「君のステップに合わせて動けるのは、世界で私一人だ。他の誰かと踊れば、君は必ず転んで怪我をする」
「そんなに俺って癖が強いですか?」
「強いね。私以外には制御不能だ」

 シリル様は楽しそうに笑い、俺の髪を指で梳いた。
 その言葉が、「お前は俺以外の人間とは生きていけないように躾けた」という意味だとは、夢にも思わずに。

「わかりました! じゃあ、もっと練習して、誰とでも合わせられるようになります!」
「…………」

 シリル様の笑顔が一瞬で凍りついたように見えた。
 あれ? 何か地雷踏んだ?

「……リアン。寮の部屋に戻ったら、反省会だ」
「ええー! なんでですか!」
「君の向上心の方向性が間違っているからだ。徹底的に、朝まで教えてやる」

 シリル様は俺の手首を掴み、会場を後にした。
 その背中は怒っているようにも見えたが、繋いだ手は痛いほど強く、決して離そうとしなかった。

 こうして俺のデビュタントは、「令嬢とのロマンス」ではなく、「魔王(師匠)との公開処刑ダンス」という形で幕を閉じた。
 だが不思議と、嫌な気分ではなかった。
 彼にリードされ、彼の手のひらで踊らされる感覚が、どこか心地よかったのだ。

 来年は、いよいよ王立学園への入学が待っている。
 俺とシリル様の「共犯関係」は、場所を学園に移し、さらに深く絡み合っていくことになる。
 俺はまだ知らない。
 その学園生活が、師匠による「完璧な囲い込み」の最終仕上げの場になることを。
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