4 / 16
第4話:唯一無二の契約
しおりを挟む十四歳になったある朝、俺は鏡の前で絶望していた。
「……なんでだ」
鏡に映っているのは、細身で、色素が薄く、華奢な少年だった。
肌は白く、髪はふわふわ。目は大きく垂れ気味。
可愛い。悔しいけれど、客観的に見て美少年だ。
だが、俺が求めているのはこれじゃない。
俺はシャツを捲り上げ、腹筋を確認した。
……うっすらと割れてはいる。毎日の筋トレの成果だ。だが、理想とは程遠い。
俺が目指していたのは、弾丸も跳ね返しそうな「鋼の鎧」のような腹筋だ。
しかし現実は、ただうっすらと縦線が入っただけの「薄いベニヤ板」だ。頼りない。あまりにも頼りない。
「俺の予定では、今頃身長百七十センチを超えて、低音ボイスが似合うワイルドな男になっているはずだったのに……」
現実とは非情なものだ。
俺、リアン・アークライトの成長は、完全に「守られる側」……いや、下手すると「ヒロイン枠」の方向に全振りされていた。
これではスパダリになれない。守るつもりが守られてしまう。
一方、俺の師匠であるシリル・ヴァン・オルディス様はといえば。
「――リアン。そこで何をしている?」
背後からかけられた声に、俺はビクリと肩を跳ねさせた。
振り返ると、そこには「完成された美」が立っていた。
十四歳のシリル様は、神が最高傑作として造形したかのような美しさだった。
背は俺より頭一つ分高い。手足は長く、騎士団の訓練で培われた筋肉が、仕立ての良いシャツの下にしなやかに付いている。
そして何より、声だ。
かつての高いボーイソプラノは失われ、チェロの音色のように低く、甘く、腹の底に響くようなバリトンボイスへと変化していた。
(くそう、イケボすぎる……!)
俺は内心でハンカチを噛んだ。
変声期を迎えたシリル様の色気は破壊的だ。ただ名前を呼ばれただけで、鼓膜が喜んでいるのがわかる。
「また身長を気にしているのか?」
「気にしますよ! 師匠ばっかりずるいです。牛乳飲んでる量は俺の方が多いのに!」
「フッ……君はそのままでいい」
シリル様は皮肉っぽく笑いながら、俺の頭に手を置いた。
その手が大きい。以前は同じくらいの大きさだったのに、今では俺の頭がすっぽりと収まってしまう。
俺たちは、子供と大人の狭間にいた。
そしてその変化は、俺たちの関係にも影を落とし始めていた。
◇◇◇
事件の発端は、ある園遊会での立ち聞きだった。
その日、俺はシリル様の「おまけ」として、王主催の園遊会に参加していた。
シリル様が国王陛下に挨拶に行っている間、俺は目立たないように壁際で背景の一部になりきっていた。
その時、植え込みの向こうからヒソヒソと話し声が聞こえてきたのだ。
「……あれがアークライト家の子爵令息か」
「いつもオルディス公爵令息にくっついているな」
「あんな凡庸な男を側近気取りで置いているとは、シリル様も甘いな」
「全くだ。私情で無能な幼馴染を切り捨てられないようでは、将来の宰相としての資質が疑われるぞ」
胸が、ズキンと痛んだ。
凡庸。無能。
前世でブラック企業にいた頃、陰口には慣れていたはずだ。
でも、今回は違った。
矛先が、俺を通じて「シリル様」に向いている。
俺が近くにいるせいで、完璧であるはずのシリル様の評価に傷がついているのだ。「人を見る目がない」「甘い」と。
(……そうか。俺はもう、子供じゃないんだ)
五歳や七歳の頃なら、「仲良しな幼馴染」で済まされた。
けれど、十四歳は社交界において大人の入り口だ。
次期宰相候補と目される超エリートのシリル様と、何の特徴もない貧乏子爵家の俺。
俺がそばにいることは、もはや彼の汚点にしかならないのかもしれない。
俺の中の「スパダリ美学」が警鐘を鳴らした。
『本物のイイ男は、パートナーの足を引っ張らない。時には身を引く潔さも必要だ』
(……修行、休もうかな)
シリル様のためだ。彼がこれ以上舐められないようにするには、俺が離れるしかない。
俺は拳を握りしめ、その場を静かに立ち去った。
◇◇◇
それから一週間。
俺は仮病を使って、公爵家に行くのを避けていた。
「風邪気味です」「家の手伝いがあります」「実家の温室のサボテンが今夜咲きそうなんです(サボテンなんて育てていない)」。
苦しい言い訳を並べ立てて、シリル様からの誘いを断り続けた。
会いたい。
あの完璧な紅茶の淹れ方を見たいし、厳しい指導の声を聞きたい。
でも、今は我慢だ。俺が立派な男になって、誰からも文句を言われない実力をつけるまでは。
部屋で一人、素振りをしていた時だった。
ドン、ドン、ドン!
玄関の扉が乱暴に叩かれる音が響いた。
使用人の慌てた声が聞こえる。
「お、お待ちください! 今、取次ぎを……!」
「退け。案内は要らない」
聞いたことのない、地を這うような低い声。
心臓が跳ね上がった。
まさか。
俺は剣を放り出し、部屋のドアを開けた。
そこにいたのは、般若のような――いや、氷の彫像のように無表情なシリル様だった。
「し、師匠……?」
「…………」
シリル様は何も言わず、俺の部屋に入り込み、背手でバタンとドアを閉めた。
カチャリ、と鍵をかける音がやけに大きく響いた。
「えっと、どうしたんですか? 連絡もなしに……」
「連絡ならした。手紙を五通送ったが、返事はなかったな」
「あ、それは、その……体調が悪くて……」
「体調?」
シリル様が一歩近づく。俺は一歩下がる。
逃げ場のない壁際まで追い詰められた。
「素振りができるほど元気そうに見えるが?」
「これは、その、リハビリ的な……」
嘘だ。バレている。
シリル様の目は笑っていない。アイスブルーの瞳が、怒りで暗く濁っている。
怖い。でも、それ以上に胸が苦しい。
俺は観念して、視線を落とした。
「……ごめんなさい。避けてました」
「理由は?」
「俺がいると、師匠の迷惑になるから」
俺は、園遊会で聞いた陰口のことを正直に話した。
家格が違うこと。俺のせいで、シリル様が「甘い」「資質がない」と悪く言われていたこと。
だから、俺がもっと立派な男になるまで、少し距離を置いた方がいいと思ったこと。
話し終えると、重い沈黙が降りた。
シリル様は呆れたようにため息をつき、それから――。
ダンッ!
俺の耳元で、壁を叩いた。
「ひぇっ」
「……馬鹿なのか、君は」
顔が近い。整いすぎた顔が、目の前数センチにある。
怒っているはずなのに、その吐息が甘い。
「誰が何を言おうと関係ない。私の価値を決めるのは私だ。そして、私の隣に誰を置くかを決めるのも、私だ」
「で、でも……」
「君は私を『師匠』と呼んだな。弟子入りを志願したのは君だ」
シリル様の手が、俺の顎をすくい上げた。
強制的に視線を合わされる。
吸い込まれそうな瞳に、俺の情けない顔が映っている。
「一度飼った……いや、弟子にしたものを、私が途中で手放すとでも? 私の教育が未熟だと言われたくないんだ」
「そ、それは……師匠のプライドに関わりますね」
「そうだ。だから、勝手に離れることは許さない」
ああ、なんて俺は馬鹿だったんだろう。
この人は、周囲の雑音なんて気にするような小さな器じゃなかった。
「私の隣はお前でいい」と、そう言ってくれているのだ(たぶん)。
スパダリを目指すなら、俺も堂々としているべきだった。
「……すみません。俺が弱気でした」
「わかればいい」
シリル様の手が、顎から首筋へと滑り落ちる。
親指が、俺の喉仏をゆっくりと撫でた。
ゾクリ、と背筋が震えた。
変だ。ただの仲直りのはずなのに、空気が熱い。
「リアン。口だけの謝罪はいらない。……契約をしよう」
「契約、ですか?」
「ああ。君が二度と、くだらない理由で私から離れないように」
シリル様は、ポケットから細い銀の鎖を取り出した。
先端には、公爵家の紋章である『氷狼』を象った小さなチャームがついている。
彼はそれを、俺の左手首に巻き付けた。
カチリ、と留め具が噛み合う音がした。
「これは?」
「魔道具だ。私の魔力が込められている。君が危険な目に遭えばすぐにわかるし、……君がどこにいるかもわかる」
「え、GPS機能付きですか? すごい!」
俺は感動して手首を見つめた。
これがあれば、もし誘拐されても師匠が助けに来てくれるわけだ。さすが師匠、セキュリティ意識が高い。
「これで君は、私の監視下だ。逃げようとしても無駄だよ」
「逃げませんよ。俺、師匠についていくって決めたんですから」
「……言質は取った」
シリル様は満足げに目を細め、俺の手首――銀の鎖が巻かれたその場所に、恭しく口づけを落とした。
唇の感触。熱くて、柔らかい。
それは騎士が主君にするような忠誠の儀式に見えて、どこか「所有印」を押すような背徳的な色が混じっていた。
「誓いなさい、リアン。君の全てを私に預けると」
「はい、誓います! 師匠のスパダリ技術、全部盗むまでは死んでも離れません!」
俺が元気よく答えると、シリル様は苦笑し、それから俺を強く抱きしめた。
俺の顔が、彼の硬い胸板に押し付けられる。
ドクン、ドクンと、彼の心臓が激しく脈打っているのが聞こえた。
「ああ、離さない。……もう、私のものだ」
耳元で囁かれたその声は、低く、甘く、そして底知れない独占欲に満ちていた。
けれど、俺はこう解釈した。
『弟子への愛が重い! さすが師匠、面倒見が良すぎる!』と。
こうして俺たちは、「共犯者」から一歩進んで、「運命共同体」のような関係になった。
手首のブレスレットは外れない。魔法的な意味でも、物理的な意味でも。
俺はこの鎖が「首輪」と同じ意味を持つことに気づかないまま、嬉々としてそれを身につけた。
やがて来る、十五歳のデビュタント。
そして十六歳の学園生活。
大人への階段を登る俺の側には、常にこの「重すぎる」師匠がいることが確定した瞬間だった。
395
あなたにおすすめの小説
魔王を倒した勇者の凱旋に、親友の俺だけが行かなかった理由
スノウマン(ユッキー)
BL
スラム育ちの二人は、スキルを得た事で魔王討伐に旅立つ勇者と彼の帰還を待つだけのただの親友となる。
勇者と親友の無自覚両片想いのじれったい恋愛の物語。
呪われた辺境伯は、異世界転生者を手放さない
波崎 亨璃
BL
ーーー呪われた辺境伯に捕まったのは、俺の方だった。
異世界に迷い込んだ駆真は「呪われた辺境伯」と呼ばれるレオニスの領地に落ちてしまう。
強すぎる魔力のせいで、人を近づけることができないレオニス。
彼に触れれば衰弱し、最悪の場合、命を落とす。
しかしカルマだけはなぜかその影響を一切受けなかった。その事実に気づいたレオニスは次第にカルマを手放さなくなっていく。
「俺に触れられるのは、お前だけだ」
呪いよりも重い執着と孤独から始まる、救済BL。
となります。
異世界オークションで売られた俺、落札したのは昔助けた狼でした
うんとこどっこいしょ
BL
異世界の闇オークションで商品として目覚めた青年・アキラ。
獣人族たちに値踏みされ、競りにかけられる恐怖の中、彼を千枚の金貨で落札したのは、銀灰色の髪を持つ狼の獣人・ロウだった。
怯えるアキラに、ロウは思いがけない言葉を告げる。
「やっと会えた。お前は俺の命の恩人だ」
戸惑うアキラの脳裏に蘇るのは、かつて雨の日に助けた一匹の子狼との記憶。
獣人世界を舞台に、命の恩人であるアキラと、一途に想い続けた狼獣人が紡ぐ、執着と溺愛の異世界BLロマンス。
第一章 完結
第二章 完結
ある日、人気俳優の弟になりました。
雪 いつき
BL
母の再婚を期に、立花優斗は人気若手俳優、橘直柾の弟になった。顔良し性格良し真面目で穏やかで王子様のような人。そんな評判だったはずが……。
「俺の命は、君のものだよ」
初顔合わせの日、兄になる人はそう言って綺麗に笑った。とんでもない人が兄になってしまった……と思ったら、何故か大学の先輩も優斗を可愛いと言い出して……?
平凡に生きたい19歳大学生と、24歳人気若手俳優、21歳文武両道大学生の三角関係のお話。
ある日、人気俳優の弟になりました。2
雪 いつき
BL
母の再婚を期に、立花優斗は人気若手俳優、橘直柾の弟になった。穏やかで真面目で王子様のような人……と噂の直柾は「俺の命は、君のものだよ」と蕩けるような笑顔で言い出し、大学の先輩である隆晴も優斗を好きだと言い出して……。
平凡に生きたい(のに無理だった)19歳大学生と、24歳人気若手俳優、21歳文武両道大学生の、更に溺愛生活が始まる――。
陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
まったり書いていきます。
2024.05.14
閲覧ありがとうございます。
午後4時に更新します。
よろしくお願いします。
栞、お気に入り嬉しいです。
いつもありがとうございます。
2024.05.29
閲覧ありがとうございます。
m(_ _)m
明日のおまけで完結します。
反応ありがとうございます。
とても嬉しいです。
明後日より新作が始まります。
良かったら覗いてみてください。
(^O^)
平凡な男子高校生が、素敵な、ある意味必然的な運命をつかむお話。
しゅ
BL
平凡な男子高校生が、非凡な男子高校生にベタベタで甘々に可愛がられて、ただただ幸せになる話です。
基本主人公目線で進行しますが、1部友人達の目線になることがあります。
一部ファンタジー。基本ありきたりな話です。
それでも宜しければどうぞ。
泣き虫で小柄だった幼馴染が、メンタルつよめの大型犬になっていた話。
雪 いつき
BL
凰太朗と理央は、家が隣同士の幼馴染だった。
二つ年下で小柄で泣き虫だった理央を、凰太朗は、本当の弟のように可愛がっていた。だが凰太朗が中学に上がった頃、理央は親の都合で引っ越してしまう。
それから五年が経った頃、理央から同じ高校に入学するという連絡を受ける。変わらず可愛い姿を想像していたものの、再会した理央は、モデルのように背の高いイケメンに成長していた。
「凰ちゃんのこと大好きな俺も、他の奴らはどうでもいい俺も、どっちも本当の俺だから」
人前でそんな発言をして爽やかに笑う。
発言はともかく、今も変わらず懐いてくれて嬉しい。そのはずなのに、昔とは違う成長した理央に、だんだんとドキドキし始めて……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる