【16話完結】スパダリになりたいので、幼馴染に弟子入りしました!

キノア9g

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第4話:唯一無二の契約

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 十四歳になったある朝、俺は鏡の前で絶望していた。

「……なんでだ」

 鏡に映っているのは、細身で、色素が薄く、華奢な少年だった。
 肌は白く、髪はふわふわ。目は大きく垂れ気味。
 可愛い。悔しいけれど、客観的に見て美少年だ。
 だが、俺が求めているのはこれじゃない。

 俺はシャツを捲り上げ、腹筋を確認した。
 ……うっすらと割れてはいる。毎日の筋トレの成果だ。だが、理想とは程遠い。
 俺が目指していたのは、弾丸も跳ね返しそうな「鋼の鎧」のような腹筋だ。
 しかし現実は、ただうっすらと縦線が入っただけの「薄いベニヤ板」だ。頼りない。あまりにも頼りない。

「俺の予定では、今頃身長百七十センチを超えて、低音ボイスが似合うワイルドな男になっているはずだったのに……」

 現実とは非情なものだ。
 俺、リアン・アークライトの成長は、完全に「守られる側」……いや、下手すると「ヒロイン枠」の方向に全振りされていた。
 これではスパダリになれない。守るつもりが守られてしまう。

 一方、俺の師匠であるシリル・ヴァン・オルディス様はといえば。

「――リアン。そこで何をしている?」

 背後からかけられた声に、俺はビクリと肩を跳ねさせた。
 振り返ると、そこには「完成された美」が立っていた。

 十四歳のシリル様は、神が最高傑作として造形したかのような美しさだった。
 背は俺より頭一つ分高い。手足は長く、騎士団の訓練で培われた筋肉が、仕立ての良いシャツの下にしなやかに付いている。
 そして何より、声だ。
 かつての高いボーイソプラノは失われ、チェロの音色のように低く、甘く、腹の底に響くようなバリトンボイスへと変化していた。

(くそう、イケボすぎる……!)

 俺は内心でハンカチを噛んだ。
 変声期を迎えたシリル様の色気は破壊的だ。ただ名前を呼ばれただけで、鼓膜が喜んでいるのがわかる。

「また身長を気にしているのか?」
「気にしますよ! 師匠ばっかりずるいです。牛乳飲んでる量は俺の方が多いのに!」
「フッ……君はそのままでいい」

 シリル様は皮肉っぽく笑いながら、俺の頭に手を置いた。
 その手が大きい。以前は同じくらいの大きさだったのに、今では俺の頭がすっぽりと収まってしまう。

 俺たちは、子供と大人の狭間にいた。
 そしてその変化は、俺たちの関係にも影を落とし始めていた。


 ◇◇◇

 事件の発端は、ある園遊会での立ち聞きだった。
 その日、俺はシリル様の「おまけ」として、王主催の園遊会に参加していた。
 シリル様が国王陛下に挨拶に行っている間、俺は目立たないように壁際で背景の一部になりきっていた。
 その時、植え込みの向こうからヒソヒソと話し声が聞こえてきたのだ。

「……あれがアークライト家の子爵令息か」
「いつもオルディス公爵令息にくっついているな」
「あんな凡庸な男を側近気取りで置いているとは、シリル様も甘いな」
「全くだ。私情で無能な幼馴染を切り捨てられないようでは、将来の宰相としての資質が疑われるぞ」

 胸が、ズキンと痛んだ。
 凡庸。無能。
 前世でブラック企業にいた頃、陰口には慣れていたはずだ。
 でも、今回は違った。
 矛先が、俺を通じて「シリル様」に向いている。
 俺が近くにいるせいで、完璧であるはずのシリル様の評価に傷がついているのだ。「人を見る目がない」「甘い」と。

(……そうか。俺はもう、子供じゃないんだ)

 五歳や七歳の頃なら、「仲良しな幼馴染」で済まされた。
 けれど、十四歳は社交界において大人の入り口だ。
 次期宰相候補と目される超エリートのシリル様と、何の特徴もない貧乏子爵家の俺。
 俺がそばにいることは、もはや彼の汚点にしかならないのかもしれない。

 俺の中の「スパダリ美学」が警鐘を鳴らした。
 『本物のイイ男は、パートナーの足を引っ張らない。時には身を引く潔さも必要だ』

(……修行、休もうかな)

 シリル様のためだ。彼がこれ以上舐められないようにするには、俺が離れるしかない。
 俺は拳を握りしめ、その場を静かに立ち去った。


 ◇◇◇

 それから一週間。
 俺は仮病を使って、公爵家に行くのを避けていた。
 「風邪気味です」「家の手伝いがあります」「実家の温室のサボテンが今夜咲きそうなんです(サボテンなんて育てていない)」。
 苦しい言い訳を並べ立てて、シリル様からの誘いを断り続けた。

 会いたい。
 あの完璧な紅茶の淹れ方を見たいし、厳しい指導の声を聞きたい。
 でも、今は我慢だ。俺が立派な男になって、誰からも文句を言われない実力をつけるまでは。

 部屋で一人、素振りをしていた時だった。

 ドン、ドン、ドン!

 玄関の扉が乱暴に叩かれる音が響いた。
 使用人の慌てた声が聞こえる。

「お、お待ちください! 今、取次ぎを……!」
「退け。案内は要らない」

 聞いたことのない、地を這うような低い声。
 心臓が跳ね上がった。
 まさか。
 俺は剣を放り出し、部屋のドアを開けた。

 そこにいたのは、般若のような――いや、氷の彫像のように無表情なシリル様だった。

「し、師匠……?」
「…………」

 シリル様は何も言わず、俺の部屋に入り込み、背手でバタンとドアを閉めた。
 カチャリ、と鍵をかける音がやけに大きく響いた。

「えっと、どうしたんですか? 連絡もなしに……」
「連絡ならした。手紙を五通送ったが、返事はなかったな」
「あ、それは、その……体調が悪くて……」
「体調?」

 シリル様が一歩近づく。俺は一歩下がる。
 逃げ場のない壁際まで追い詰められた。

「素振りができるほど元気そうに見えるが?」
「これは、その、リハビリ的な……」

 嘘だ。バレている。
 シリル様の目は笑っていない。アイスブルーの瞳が、怒りで暗く濁っている。
 怖い。でも、それ以上に胸が苦しい。
 俺は観念して、視線を落とした。

「……ごめんなさい。避けてました」
「理由は?」
「俺がいると、師匠の迷惑になるから」

 俺は、園遊会で聞いた陰口のことを正直に話した。
 家格が違うこと。俺のせいで、シリル様が「甘い」「資質がない」と悪く言われていたこと。
 だから、俺がもっと立派な男になるまで、少し距離を置いた方がいいと思ったこと。

 話し終えると、重い沈黙が降りた。
 シリル様は呆れたようにため息をつき、それから――。

 ダンッ!

 俺の耳元で、壁を叩いた。

「ひぇっ」
「……馬鹿なのか、君は」

 顔が近い。整いすぎた顔が、目の前数センチにある。
 怒っているはずなのに、その吐息が甘い。

「誰が何を言おうと関係ない。私の価値を決めるのは私だ。そして、私の隣に誰を置くかを決めるのも、私だ」
「で、でも……」
「君は私を『師匠』と呼んだな。弟子入りを志願したのは君だ」

 シリル様の手が、俺の顎をすくい上げた。
 強制的に視線を合わされる。
 吸い込まれそうな瞳に、俺の情けない顔が映っている。

「一度飼った……いや、弟子にしたものを、私が途中で手放すとでも? 私の教育が未熟だと言われたくないんだ」
「そ、それは……師匠のプライドに関わりますね」
「そうだ。だから、勝手に離れることは許さない」

 ああ、なんて俺は馬鹿だったんだろう。
 この人は、周囲の雑音なんて気にするような小さな器じゃなかった。
 「私の隣はお前でいい」と、そう言ってくれているのだ(たぶん)。
 スパダリを目指すなら、俺も堂々としているべきだった。

「……すみません。俺が弱気でした」
「わかればいい」

 シリル様の手が、顎から首筋へと滑り落ちる。
 親指が、俺の喉仏をゆっくりと撫でた。
 ゾクリ、と背筋が震えた。
 変だ。ただの仲直りのはずなのに、空気が熱い。

「リアン。口だけの謝罪はいらない。……契約をしよう」
「契約、ですか?」
「ああ。君が二度と、くだらない理由で私から離れないように」

 シリル様は、ポケットから細い銀の鎖を取り出した。
 先端には、公爵家の紋章である『氷狼』を象った小さなチャームがついている。
 彼はそれを、俺の左手首に巻き付けた。
 カチリ、と留め具が噛み合う音がした。

「これは?」
「魔道具だ。私の魔力が込められている。君が危険な目に遭えばすぐにわかるし、……君がどこにいるかもわかる」
「え、GPS機能付きですか? すごい!」

 俺は感動して手首を見つめた。
 これがあれば、もし誘拐されても師匠が助けに来てくれるわけだ。さすが師匠、セキュリティ意識が高い。

「これで君は、私の監視下だ。逃げようとしても無駄だよ」
「逃げませんよ。俺、師匠についていくって決めたんですから」
「……言質は取った」

 シリル様は満足げに目を細め、俺の手首――銀の鎖が巻かれたその場所に、恭しく口づけを落とした。
 唇の感触。熱くて、柔らかい。
 それは騎士が主君にするような忠誠の儀式に見えて、どこか「所有印」を押すような背徳的な色が混じっていた。

「誓いなさい、リアン。君の全てを私に預けると」
「はい、誓います! 師匠のスパダリ技術、全部盗むまでは死んでも離れません!」

 俺が元気よく答えると、シリル様は苦笑し、それから俺を強く抱きしめた。
 俺の顔が、彼の硬い胸板に押し付けられる。
 ドクン、ドクンと、彼の心臓が激しく脈打っているのが聞こえた。

「ああ、離さない。……もう、私のものだ」

 耳元で囁かれたその声は、低く、甘く、そして底知れない独占欲に満ちていた。
 けれど、俺はこう解釈した。
 『弟子への愛が重い! さすが師匠、面倒見が良すぎる!』と。

 こうして俺たちは、「共犯者」から一歩進んで、「運命共同体」のような関係になった。
 手首のブレスレットは外れない。魔法的な意味でも、物理的な意味でも。
 俺はこの鎖が「首輪」と同じ意味を持つことに気づかないまま、嬉々としてそれを身につけた。

 やがて来る、十五歳のデビュタント。
 そして十六歳の学園生活。
 大人への階段を登る俺の側には、常にこの「重すぎる」師匠がいることが確定した瞬間だった。
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