【16話完結】スパダリになりたいので、幼馴染に弟子入りしました!

キノア9g

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第3話:嵐の夜と秘密の魔法

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 俺と師匠が出会ってから、五年が経った。
 俺たちは十二歳になった。
 身長も伸び、声変わりも始まり、周囲の環境は少しずつ、だが確実に変化していた。特にシリル様を取り巻く環境は、加速度的に厳しさを増していた。

 公爵家の次期当主としての英才教育は、もはや虐待の域に達していた。
 高度な魔法制御、複雑怪奇な政治学、剣術、社交……。完璧超人であるシリル様は、そのすべてを涼しい顔でこなしているように見えた。
 だが、俺は知っている。
 彼が時折、ふと遠くを見るような、虚無的な瞳をすることを。

 そして、その歪みは、季節外れの激しい嵐の夜に決壊した。


 ◇◇◇

 その日、俺は「スパダリ合宿」と称して(実際はただのお泊まり会だ)、公爵家に滞在していた。
 夜半過ぎ。
 窓を叩く激しい雨風の音で目が覚めた。
 なんとなく胸がざわつく。隣のベッドを見る。
 ――いない。
 シリル様の姿がなかった。

 嫌な予感がして、俺は廊下に出た。
 屋敷の中が騒がしい。使用人たちが青ざめた顔で走り回っている。
 俺は近くにいたメイドを捕まえた。

「何があったの?」
「り、リアン様! お部屋にいらしてください! 若様が……魔力暴走を!」

 血の気が引いた。
 魔力暴走。それは、体内の魔力回路が制御を失い、あふれ出した魔力が肉体を蝕む現象だ。最悪の場合、命に関わる。
 原因は主に、過度なストレスや疲労。

「シリル様!」

 俺は制止する声を振り切って走った。
 目指すは、屋敷の最奥にある、魔力遮断壁で囲まれた「静養室」だ。

 部屋の前には、執事長と数人の治癒術師が立ち尽くしていた。

「中に入らないんですか!?」
「入れないのです……!」

 執事長が悲痛な声を上げた。
 見れば、重厚な扉の隙間から、冷気が漏れ出していた。廊下の床がバリバリと音を立てて凍りついている。
 シリル様の属性は氷。暴走した魔力が、周囲を無差別に拒絶し、凍てつかせているのだ。

「治癒魔法をかけようにも、近づくことさえできません。このままでは、ご自身の冷気で心臓が止まってしまう……!」
「開けてください」
「なっ、危険です! 貴方まで凍ってしまいます!」
「いいから開けて! 俺なら大丈夫です!」

 根拠はなかった。
 だが、確信はあった。
 シリル様が俺を拒絶するはずがない。だって俺は、彼の「一番弟子」なのだから。
 俺の気迫に押されたのか、あるいは他に手立てがなかったのか、執事長が震える手で結界を解いた。

 轟ッ、と吹雪のような冷気が吹き荒れる。
 俺は腕で顔を庇いながら、その極寒の嵐の中へと飛び込んだ。


 ◇◇◇

 部屋の中は、死の世界だった。
 家具も、カーテンも、すべてが氷に覆われている。吐く息が白く濁り、睫毛が凍りつくほどの寒さ。
 その中心にあるベッドの上で、シリル様はガタガタと震えながら膝を抱えていた。

「……来る、な……」

 掠れた声が聞こえた。
 拒絶の言葉。だが、その声は「助けて」と泣いているように聞こえた。
 俺は構わず進んだ。皮膚が冷気で焼けるように痛い。
 けれど、そんな痛みはどうでもよかった。シリル様が一人で泣いていることのほうが、よっぽど痛い。

「師匠!」

 俺はベッドに駆け寄り、氷のように冷たいその体を抱きしめた。

「馬鹿、か……離れろ……殺して、しまう……」
「殺されません! 俺はしぶといのが取り柄ですから!」

 接触した部分から、容赦ない冷気が俺の体温を奪っていく。
 だが、俺は離さなかった。むしろ、さらに強く抱きしめ、自分の魔力を全開にした。

 俺の魔力は、戦闘には使えない弱小なものだ。
 だが、特性がある。【生活魔法・適温維持】と【安眠支援】。
 前世で言えば、湯たんぽと精神安定剤のようなものだ。
 強大な氷の嵐に対して、俺の魔法はあまりにもささやかだった。蝋燭の火のようなものだ。
 それでも、俺は必死にイメージした。
 温かい暖炉。柔らかい毛布。甘いココア。シリル様が安心して眠れる場所。

「大丈夫、大丈夫です。俺がいます」

 呪文のように繰り返しながら、こわばった背中をさすり続ける。
 俺の体温と魔力が、少しずつ、本当に少しずつだが、彼の分厚い氷の殻を溶かしていく。
 しばらくすると、暴れ狂っていた冷気が凪ぎ始めた。
 シリル様が、俺のシャツを握りしめる。その手は震えていた。

「……怖いんだ」

 シリル様の口から、初めて聞く言葉が漏れた。
 あの完璧な、何一つ恐れるもののない天才が。

「期待されるのが、怖い。失敗するのが、怖い。誰も私を見ていない……みんな、私の『能力』しか見ていない……」

 それは、十二歳の子供が抱えるにはあまりに重すぎる、孤独の吐露だった。
 もし俺がここで「次期公爵なんだからしっかりしろ」と言えば、彼は壊れてしまうだろう。
 「君ならできる」という励ましも、今の彼には呪いでしかない。

 だから、俺は「スパダリ」を目指す者として、最高の回答を選んだ。
 俺は彼の頭を胸に抱き寄せ、耳元で囁いた。

「聞かなかったことにします」

 シリル様が、ビクリと肩を揺らす。

「今の言葉は、俺が全部聞いて、そして全部忘れてあげます。ゴミ箱にポイです。だから、シリル様は弱いままでいいし、泣いたっていいです」
「……忘れる、のか」
「はい。俺の記憶力はザルですから。明日の朝には『昨日は寒かったですねえ』くらいしか覚えてません」

 嘘だ。きっと忘れられない。
 彼の弱さを、痛みを知っているのは、世界で俺だけでいい。俺だけが、彼の人間らしい部分を知っていればいい。

「だから安心してください。俺はずっと、あなたの味方です。あなたが公爵じゃなくなっても、魔法が使えなくなっても、ただのシリルになっても、俺はずっとあなたの弟子です」

 それは、恋愛感情というよりは、信仰に近い決意だった。
 俺の言葉に、シリル様はしばらく沈黙し、それから――。
 堰を切ったように、俺の胸に顔を埋めて、声を殺して泣き出した。

 冷たかった彼の体が、次第に熱を帯びていく。
 俺はずっと、彼が泣き止むまで、その背中を撫で続けた。
 背中を撫でるリズムは、前世で母親にされたのを思い出しながら。
 これは「お母さん」の役割かもしれない。スパダリ修行とは違うかもしれない。
 でも、今、シリル様を救えるなら、俺はお母さんでも犬でも何にだってなってやる。


 ◇◇◇

 翌朝。
 小鳥のさえずりで目が覚めた。
 目を開けると、目の前に美しい彫刻のような顔があった。
 シリル様だ。
 同じベッドで、至近距離で向かい合って寝ていたらしい。

(うわ、近っ! 睫毛ながっ!)

 俺は飛び起きそうになったが、腰に回された腕が強すぎて動けなかった。
 完全にホールドされている。抱き枕状態だ。

「……おはよう、リアン」

 頭上から降ってきた声は、まだ少し眠そうで、とてつもなく甘かった。
 恐る恐る見上げると、シリル様が薄目を開けてこちらを見ていた。
 その瞳を見て、俺はドキリとした。
 昨夜の嵐のような混乱は消え失せ、いつもの静かなアイスブルーに戻っている。
 けれど、何かが違う。
 氷の奥に、昏い、ねっとりとした熱のような光が灯っている。

「体調は、大丈夫ですか?」
「ああ。嘘のように軽い。……君のおかげだ」
「よかったです! 俺の微弱な『湯たんぽ魔法』も役に立つんですね!」

 俺がへらりと笑うと、シリル様は愛おしそうに目を細め、俺の頬にかかった髪を指で梳いた。
 その仕草が妙に色っぽくて、俺は思わず赤面する。

「リアン」
「はい」
「昨夜のこと、覚えているか?」

 試すような問いかけ。
 俺はニカッと笑って、約束通り答えた。

「いいえ? 何も覚えてませんよ。昨日は急に冷え込んで、二人で毛布にくるまって寝ただけですよね?」

 シリル様は一瞬きょとんとして、それからふっと吹き出した。
 心からの、楽しそうな笑い声。

「……ふふ、そうか。君は本当に……私の『共犯者』だな」
「共犯者? いえ、俺は弟子です」
「いいや、君はもう逃げられないよ」

 シリル様は俺の額に、こつんと自分の額を当てた。
 熱の残滓が伝わってくる。

「私には君が必要だ。他の誰でもない、君だけが」
「ええ、もちろんです! スパダリになるまでは、師匠のそばで修行しますから!」
「……フッ、一生かかっても卒業させないつもりだがね」

 シリル様がボソリと呟いた言葉は、俺の耳には届かなかった。
 ただ、彼が俺を抱きしめる腕の力が、痛いほど強くなったことだけは感じた。

 この夜を境に、シリル様の態度は変わった。
 以前のような「可愛がる」距離感ではない。
 どこへ行くにも俺を同行させ、俺が他の誰かと話していると、無言で背後に立って威圧するようになった。
 視線が常に俺を追っている。
 まるで、飢えた獣がようやく見つけた獲物を、決して逃がさないと見張っているような。

 けれど、危機感のない俺はこう解釈した。

「やった! 師匠との絆が深まったぞ! これでまた一歩、スパダリに近づいたな!」

 ――二人の認識のズレは決定的になった。
 シリルにとってリアンは「唯一無二の精神安定剤(依存先)」となり、リアンにとってシリルは「守るべき師匠」となった。
 この依存の歯車は、もう誰にも止められない。
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