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第7話:卒業と選択の時、あるいは鳥籠の閉鎖
しおりを挟む十八歳。
王立学園の卒業式を数日後に控えた春の日。
俺――リアン・アークライトは、寮の自室で荷造りをしながら、感慨に浸っていた。
「早かったなぁ……」
積み上げられた段ボール箱を見渡す。
ここには、俺とシリル様――我が敬愛する師匠との、三年間(正確には幼児期からの十三年間)の思い出が詰まっている。
厳しいマナー講座、地獄のダンス特訓、夜通しの魔法制御訓練。
全ては、俺が「スパダリ」になるための血と汗の結晶だ。
「お、これは……」
箱の隅から、古びたノートが出てきた。
『スパダリへの道 ~師匠観察日記~』と表紙に書いてある。
パラパラとめくると、当時の俺の奮闘ぶりが蘇る。
『○月×日。師匠は紅茶を淹れる際、手首の角度を三十度に保つ。真似したら筋肉痛になった』
『△月☆日。師匠に「君は存在するだけで癒やしだ」と褒められた。もっと癒やしスキルを磨いて、未来の奥さんを癒やすぞ!』
俺はノートを胸に抱きしめた。
やりきった。俺はもう、以前の「ポヤッとした凡庸な次男」ではない。
シリル様という最高のお手本を間近で見続け、その技術を(お世話係として)叩き込まれた、立派な紳士だ。
コンコン、と窓ガラスが叩かれる音がした。
見ると、実家の使いのフクロウだ。足に手紙を結んでいる。
「父さんから?」
俺は窓を開け、手紙を受け取った。
封蝋を割り、便箋を開く。
そこに書かれていた内容を読んだ瞬間、俺は天にも昇るような気持ちになった。
『リアンへ。卒業おめでとう。お前も十八歳、そろそろ身を固める時期だろう。隣領の男爵家の御令嬢との見合い話が来ている。可憐で家庭的な、お前にぴったりの女性だ。卒業式の翌週に席を設けたので、そのつもりで帰省しなさい』
――来た。
ついに、来た!
「よっしゃあぁぁぁ!」
俺は思わずガッツポーズをした。
見合い! 結婚! 可愛い奥さん!
前世からの悲願、二十八年と十八年の時を超えて、ついに「温かい家庭」を手にするチャンスが巡ってきたのだ。
男爵令嬢。身分も釣り合う。
俺のスパダリ修行の成果を、いよいよ実践で発揮する時が来たのだ。
「師匠に報告しなきゃ! 絶対に喜んでくれるぞ!」
俺は手紙を握りしめ、部屋を飛び出した。
シリル様は今、生徒会室で最後の引き継ぎ業務をしているはずだ。
「よくやった、リアン。君を立派に育て上げた甲斐があったよ」と、涙ながらに送り出してくれる師匠の姿が目に浮かぶ。
俺は足取り軽く、生徒会室へと向かった。
それが、虎の尾を踏みに行く行為だとは露知らずに。
◇◇◇
放課後の生徒会室は、静まり返っていた。
夕日が差し込む部屋の奥、執務机にシリル様が座っていた。
書類にサインをする横顔は、神々しいほどに美しい。十八歳になり、その美貌はもはや「兵器」の領域に達している。
「失礼します、師匠!」
「リアンか。どうした、そんなに慌てて」
シリル様は手を止め、優雅に微笑んだ。
その笑顔を見るだけで、一日の疲れが吹き飛ぶようだ。さすが師匠、ヒーリング効果も完備している。
「実は、父から手紙が届いたんです! 見てください!」
俺は興奮気味に、見合いの話が書かれた便箋を机の上に置いた。
シリル様がそれを手に取る。
視線が文字を追う。
「……見合い?」
声の温度が、ふっと下がった気がした。
いや、気のせいだろう。夕方の冷え込みのせいだ。
「はい! 男爵家の令嬢だそうです! ついに俺も、師匠の教えを活かして家庭を持つ時が来ました!」
「ほう」
「今までご指導ありがとうございました! 俺、絶対に彼女を幸せにして、師匠みたいにかっこいい旦那様になってみせます!」
俺は胸を張って宣言した。
さあ、褒めてくれ。愛弟子が巣立つ時だ。
しかし、返ってきたのは沈黙だった。
重く、苦しい、息が詰まるような沈黙。
カサッ。
乾いた音がした。
見ると、シリル様の手の中で、父からの手紙がくしゃりと握りつぶされていた。
さらに、彼の手から漏れ出した冷気が、紙を一瞬で凍りつかせ、粉々の氷屑に変えてしまった。
「あ」
「……誰が、許可した?」
低い声。
地獄の底から響いてくるような、ドス黒い声音だった。
俺は恐る恐るシリル様の顔を見た。
笑顔だ。
完璧な、美しい笑顔だ。
けれど、その瞳は笑っていないどころか、ハイライトが完全に消滅していた。アイスブルーの瞳孔が、針のように細く収縮している。
「し、師匠? 手紙が……」
「リアン。君は、私から離れるつもりなのか?」
「え? いえ、離れるというか、卒業して実家に帰るわけで……」
「帰って、どうする。見知らぬ女と家庭ごっこか?」
「家庭ごっこ」。
その冷ややかな響きに、俺は少しムッとした。
「ごっこじゃありません。俺は本気です。そのために今まで努力してきたんですから」
「努力? ……ああ、そうだな。君は努力した」
シリル様がゆっくりと立ち上がった。
ゆらり、と近づいてくる。
俺は本能的な恐怖を感じて後ずさったが、背中がすぐにドアにぶつかった。
逃げ場がない。
「君は誰のために美味しい紅茶を淹れられるようになった?」
「それは、将来の奥さんのために……」
「違う。私のためだ」
「君は誰のために癒やしの魔法を極めた?」
「疲れた奥さんを……」
「違う。私の安眠のためだ」
ドンッ!
シリル様の両手が、俺の顔の左右のドアに叩きつけられた。
いわゆる「壁ドン」だ。
だが、恋愛漫画などのような甘いものではない。これは「捕獲」だ。
「君のスキルは、全て私好みにカスタマイズされている。君の淹れるぬるめの紅茶も、力の弱いマッサージも、不格好なクッキーも、私以外の人間が満足できるはずがない」
「そ、そんなこと……」
「ある。断言する。君を受け入れられるのは、この世界で私だけだ」
シリル様の顔が近づく。
洗脳のような言葉が、甘い毒のように俺の耳に注ぎ込まれる。
「君を誰よりも理解しているのは誰だ?」
「……師匠、です」
「君が辛い時、一番近くにいたのは?」
「……師匠、です」
「なら、答えは一つだろう」
シリル様の手が、俺の左手首――あの「契約のブレスレット」を掴み上げた。
「君の就職先は、もう決まっている」
「へ?」
「卒業後は、オルディス公爵家に入りなさい。私の『筆頭補佐官』として」
筆頭補佐官。
それは公爵家当主の最側近であり、文字通り「影」として一生を共にするポジションだ。
名誉職だが、それはつまり……。
「で、でも、実家の父さんが……」
「ああ、子爵には既に話をつけた」
シリル様は事もなげに言った。
「アークライト家への資金援助と、新しい領地経営権の譲渡。それと引き換えに、君を公爵家で引き取ると契約を交わした。……今朝ね」
「け、今朝!?」
「君の見合い相手の男爵家にも、丁重にお断りの使者を出しておいたよ。『彼は公爵家にとって不可欠な人材なので、諦めてほしい』とね」
俺は開いた口が塞がらなかった。
根回しが早すぎる。
俺が手紙を受け取る前に、全てが終わっていたなんて。
父さん、息子を売ったな!?(いや、公爵家の援助があるなら喜んで売ったに違いない)
「そんな……俺の婚活が、始まる前に終わった……」
「嘆くことはない。君にはもっと素晴らしい仕事を与える」
シリル様は俺の腰を抱き寄せ、密着した。
彼の体温が、シャツ越しに伝わってくる。
鼓動が速い。彼も、興奮しているのか。それとも怒っているのか。
「リアン。君はずっと『スパダリになりたい』と言っていたね」
「はい……」
「なら、私のそばにいればいい。私が公爵としてこの国を動かす様を、一番近くで見て学ぶんだ」
「……学ぶ?」
「そう。一生かけて修行だ。君はまだ未熟だからね、私が手放すわけにはいかない」
シリル様の瞳に、昏い光が戻っていた。
それは獲物を鳥籠に閉じ込めた所有者の、歪んだ安堵と歓喜の色だった。
「それに……君がいなくなったら、私は誰に癒やされればいいんだ?」
不意に、シリル様が弱々しい声を出した。
俺の肩に額を押し付け、震えている。
「知っているだろう? 私が気を許せるのは君だけだ。君がいなければ、私は過労と孤独で壊れてしまうかもしれない」
「えっ、そ、それは困ります!」
「だろう? 私を助けてくれるね、リアン?」
上目遣い。
あの「氷の貴公子」が、俺にだけ見せる弱さ。
俺の「お世話スイッチ」がカチリと入る音がした。
(そうだ……この人は、俺がいないとダメなんだ)
あの嵐の夜から、俺はずっと彼の支えだった。
もし俺が見知らぬ女性と結婚して、地方で暮らすことになったら、シリル様はどうなる?
また一人で、冷たい部屋で凍えてしまうのか?
そんなことはさせられない。
俺が目指す「スパダリ」とは、困っている人を放っておかない包容力のある男のことだ。
ましてや、相手は恩ある師匠。ここで「自分の婚活優先なんで」と見捨てるようでは、スパダリ失格だろう。
「……わかりました」
俺はため息交じりに、しかし力強く答えた。
「俺が師匠を支えます。筆頭補佐官でも鞄持ちでもやりますよ。あなたが壊れるなんて、俺が許しませんから」
「……ありがとう、リアン」
シリル様が顔を上げた。
そこにあったのは、勝利の笑み――ではなく、とろけるような愛おしさに満ちた表情だった。
彼は俺の頬を両手で包み込み、宝物のように扱う。
「約束だ。……もう二度と、私以外の誰かを見ようなんて思わないでくれ」
誓いの言葉のように囁かれ、俺は反射的にコクンと頷いた。
外堀どころか、内堀まで埋められ、城門を固く閉ざされた瞬間だった。
こうして俺の「可愛いお嫁さんをもらう」という野望は、儚くも散った。
代わりに手に入れたのは、「公爵家次期当主の筆頭補佐官」という、王国のエリート街道ど真ん中のポジションだった。
俺はまだ気づいていない。
これが「就職」ではなく、「永久就職(嫁入り)」と同義であるということに。
そして、これから待っている公爵邸での生活が、甘やかされ、愛され、外の世界へ一歩も出してもらえない「軟禁溺愛ライフ」になるということに。
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