【16話完結】スパダリになりたいので、幼馴染に弟子入りしました!

キノア9g

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第2章 スパダリ修行は夜も忙しい!?〜嫉妬と媚薬と婚約騒動〜

第14話:媚薬ととろける理性(後編)

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 世界が、熱で溶けていくようだった。

 公爵邸の主寝室。
 キングサイズの天蓋付きベッドの上で、俺――リアン・アークライトは、荒い息を吐いていた。

「はぁ、ぁ……あつ、い……」

 体内を巡る血液が、沸騰したマグマに変わったかのようだ。
 指先一つ動かすのも億劫なのに、体の奥底が疼いて仕方がない。
 誰かに触れてほしい。強く抱きしめて、このどうしようもない渇きを埋めてほしい。
 そんな本能的な衝動が、理性を容赦なく塗り潰していく。

「リアン、大丈夫か」

 心配そうな声と共に、額にひんやりとしたものが触れた。
 濡れたタオルだ。
 薄目を開けると、すぐ目の前にシリル様の顔があった。
 いつもは完璧に整えられているプラチナブロンドが乱れ、ネクタイは解かれ、シャツのボタンも大きく開いている。
 その乱れた姿が、今の俺には猛毒だった。

(かっこいい……)

 ぼんやりした頭で、そんな場違いなことを思う。
 汗ばんだ首筋、憂いを帯びたアイスブルーの瞳。
 彼が動くたびに漂う、冷たいミントと大人の男の色気を含んだ香り。
 それら全てが俺の神経を逆撫でし、もっと「欲しい」と煽ってくる。

「し、しょお……」
「今、水を飲ませてやる。口を開けて」

 シリル様がサイドテーブルの水差しを手に取り、グラスを俺の口元に運んでくれた。
 冷たい水が喉を通る。
 一瞬だけ心地よかったが、焼け石に水だ。すぐにまた熱がぶり返す。

「うぅ……だめ、たりない……」

 俺は首を振り、水を拒んだ。
 グラスから溢れた水が、俺の顎から首筋へと伝い落ちる。
 シリル様の視線が、その水滴を追うように動き、俺の鎖骨のあたりで止まった。
 彼の瞳が、ゆらりと暗く揺らぐ。

「……リアン。君は今、自分がどんな顔をしているか分かっているのか」

 低く、掠れた声。
 シリル様の手が、俺の濡れた首筋を指でなぞった。
 ゾクリ、と背筋に電流が走る。

「ひゃっ……!」
「そんな声を出して……。私を試しているのか?」

 試す? 違う。
 俺はただ、苦しくて、寂しくて、どうしようもないだけだ。
 ここ数日、ずっと無視されていたから。
 「消えろ」と言われて、突き放されて、心が凍えていたから。
 だから今、こうして彼が触れてくれていることが、夢のように嬉しくて、離したくない。

 薬のせいで麻痺した頭から、心の奥底に封じ込めていた「本音」がポロポロと零れ落ちていく。

「……師匠」
「なんだ」
「俺、のこと……きらい、ですか……?」

 俺が問いかけると、シリル様は目を見開いた。

「嫌い? 私が、君を?」
「だって……出ていけって、言った……」
「それは……」
「俺、がんばって、離れようとしたのに……でも、やっぱり、いやだ……」

 涙が溢れてきた。
 一度口に出してしまうと、もう止まらなかった。
 今まで「スパダリの美学」や「補佐官の矜持」で蓋をしていた、ドロドロとした独占欲が噴出する。

「他の人と、結婚しないで……」

 俺はシリル様のシャツをぎゅっと握りしめた。

「エリス様とお似合いだなんて、嘘です。本当は、見てるだけで胸が痛かった」
「リアン……」
「膝枕も、マッサージも、下手くそなお茶も……俺だけの役目じゃなきゃ、やだ……」

 子供のようなワガママ。
 みっともない嫉妬。
 でも、それが俺の全部だった。
 俺はシリル様のためにスパダリになりたかったんじゃない。シリル様の「一番」でいたかっただけなんだ。

「俺のこと、捨てないでください……師匠ぉ……」

 泣きじゃくりながら訴えると、シリル様は痛ましげに顔を歪めた。
 そして、俺の手を優しく包み込み、指先に口づけた。

「……馬鹿な子だ」

 その声は、泣きたくなるほど優しかった。

「捨てるわけがないだろう。君がいないと生きていけないと言ったのは、嘘だと思っていたのか?」
「だって……」
「愛しているんだ、リアン。……君が思っているより、ずっと深く、汚い意味で」

 シリル様が、覆いかぶさってきた。
 彼の体の重みが、心地よい。
 アイスブルーの瞳が、至近距離で俺を射抜く。そこにはもう、理性という名の枷は存在しなかった。

「もう我慢しない。……君が泣いて頼んでも、離してはやらない」

 宣言と共に、唇が塞がれた。

「んっ……!」

 それは、今までで一番深く、熱い口づけだった。
 俺の全てを確かめるように、そして逃がさないように、何度も角度を変えて唇が重ねられる。
 息ができない。頭が真っ白になる。
 でも、嫌じゃない。むしろ、もっと欲しい。

「は、ぁ……シリル、さま……」

 唇が離れた瞬間、酸素を求めて喘ぐと、シリル様は満足げに喉を鳴らした。

「名前で呼んでくれたね。……いい子だ」

 彼の手が、俺の背中に回される。
 熱い掌がシャツ越しに触れる感触に、俺はビクンと体を跳ねさせた。

「あ、っ……」
「熱いな。薬のせいか? それとも……」

 シリル様は意地悪く笑い、俺を強く抱きしめた。
 俺の体は彼の指先一つで操られる楽器のようだ。
 恥ずかしい。でも、気持ちいい。
 薬の熱と、彼が与える熱が混ざり合い、俺を溶かしていく。

「り、せい……とぶ……」
「飛ばせばいい。全部私に委ねて」

 シリル様は俺の耳元に唇を寄せ、甘く囁いた。

「この薬は、対象への『従属心』を植え付けるものらしいが……そんなものは必要ないな」
「え……?」
「君はもう、とっくに私のものだ。心も、体も」

 ちゅ、と首筋に吸い付かれる。
 鋭い痛みと、熱い痺れ。
 キスマークだ。
 貴族の嗜みとして知識では知っていたが、まさか自分が、しかも男相手につけられるなんて。

「あ、あとがついちゃう……!」
「つけてるんだよ。誰が見ても分かるように」

 シリル様は独占欲を隠そうともせず、鎖骨、胸元へと赤い印を刻んでいく。

「これで君は、もうハイネックの服しか着られないね」
「鬼……っ」
「なんとでも言いなさい。……君を他の誰にも渡さないためなら、私は鬼にも悪魔にもなる」

 シリル様の瞳が、妖しく輝いた。
 ああ、この人は本気だ。
 俺を一生鳥籠に閉じ込めておくつもりだ。
 普通なら恐怖を感じる場面かもしれない。
 でも、今の俺には、その重い執着がどうしようもなく心地よかった。

 必要とされている。
 愛されている。
 俺という存在が、この完璧な男をここまで狂わせている。

(……俺も、共犯だな)

 俺は震える腕を上げ、シリル様の首に回した。
 そして、自分から彼の唇を求めた。

「……シリル様」
「なんだ」
「俺を……ひとりにしないでください」

 それが、理性の切れ端が最後に紡いだ言葉だった。
 シリル様の目が大きく見開かれ、次の瞬間、とろけるような愛おしさを湛えた目に変わった。

「……ああ。約束する」

 再び唇が重なる。
 薬の熱なのか、愛の熱なのか、もう区別がつかなかった。
 ただ確かなのは、俺たちはこの夜、名実ともに「主従」の一線を越え、決して後戻りできないほど深く繋がり合ったということだ。


 ◇◇◇

 深夜。
 静寂の中、俺はシリル様の腕の中でまどろんでいた。
 体中が気だるい。
 でも、不快ではなかった。
 シリル様が背中から俺を抱きしめ、定期的に俺の肩や髪にキスを落としているからだ。

「……起きてるか、リアン」
「……んぅ……半分くらい……」

 掠れた声で答えると、シリル様がクスクスと笑った。
 その振動が背中に伝わってくる。

「水は飲むか?」
「……ほしいです」

 シリル様が体を起こし、サイドテーブルから水を取ってくれた。
 俺が身を起こそうとすると、「そのままでいい」と口移しで飲ませてくれた。
 過保護にも程がある。でも、今はそれに甘えたい気分だった。

「……薬の効果は、どうだ」
「まだ、少し熱いですけど……だいぶ楽になりました」
「そうか。……私の『治療』が効いたようだな」

 シリル様は満足げに言った。
 治療って……まあ、確かに熱は発散された気がするけれど。
 俺はカッと顔が熱くなった。

「あの、師匠……」
「なんだ」
「俺、変なこと言いませんでしたか? 泣いたり、わめいたり……」

 記憶が曖昧だ。
 何か、恥ずかしいことを口走ったような気がする。「結婚しないで」とか言ったような……。

 シリル様は意地悪く目を細めた。

「言っていたな。すごく可愛いことを」
「うわぁぁ! 忘れてください! 全部薬のせいです!」
「お断りだ。あれは私の生涯の宝物にする。録音しておけばよかったくらいだ」
「最悪だ……」

 俺が枕に顔を埋めると、シリル様は俺の髪を優しく撫でた。

「リアン。君が薬のせいだと言い張っても、事実は変わらない」
「事実?」
「君は私を求めたし、私は君に応えた。……もう、ただの『補佐官』には戻れないよ」

 その言葉は、優しく、けれど断固とした「囲い込み」の宣告だった。
 俺は顔を上げ、シリル様を見た。
 月明かりに照らされた彼の顔は、憑き物が落ちたように穏やかで、そして見たこともないほど幸せそうだった。

(……ああ、そうか)

 俺は観念した。
 俺はスパダリになりたかった。
 でも、結果として俺が手に入れたのは、「スパダリに溺愛される未来」だった。
 計画とは随分違ってしまったけれど、この人のこんな顔が見られるなら、それも悪くないかもしれない。

「……戻りませんよ」

 俺は小さな声で答えた。

「俺は師匠のものですから。……責任、取ってくださいね?」
「ああ。死ぬまで離さない」

 シリル様は俺の額に誓いのキスを落とし、強く抱きしめた。
 その腕の中で、俺は深い眠りへと落ちていった。

 翌朝、俺の首筋に刻まれた無数のキスマークを見て絶叫することになるのだが、それはまた別の話だ。
 ひとまず今は、この甘く温かい鳥籠の中で、幸せな夢を見ることにしよう。
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