(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。

キノア9g

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2章

13.5話 エリオット視点

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 冒険者ギルドを出て、夕闇に沈みゆく街を歩く。
 隣を歩く陽貴の歩幅に合わせてゆっくりと進みながら、俺は彼の手を痛いくらいに強く握りしめていた。
 この手のひらの温もりが、今にも消えてなくなってしまうのではないかという、得体の知れない恐怖が拭えなかったからだ。

 ――『お前は今、この子の命を吸い上げ続けてる状態なんだよ』

 ギルドマスター・ガガンの言葉が、呪詛のように脳裏で繰り返される。

 俺の体には今、かつてないほどの力が満ち溢れている。
 騎士団本部での業務中も感じていたことだ。疲れを知らず、魔力は枯渇せず、感覚は研ぎ澄まされている。全盛期などとうに超えた、人間という種族の限界を突破したような万能感。
 その正体が、まさか陽貴の命そのものだったとは。

 俺は、自分が恐ろしくなった。
 愛する者を守るために交わしたはずの『騎士の誓い』。
 それが、愛する者を食い物にする『捕食の契約』だったなんて。

 俺は化け物だ。
 陽貴という、清らかで無垢な存在に寄生し、その命を啜って生き永らえる吸血鬼と変わらない。

 応接室で真実を突きつけられた時、俺は絶望で目の前が真っ暗になった。
 自分の心臓をえぐり出してしまいたいほどの自己嫌悪に襲われた。
 けれど、陽貴は笑ったのだ。

 『僕の命、いくらでも持っていっていいよ!』

 あどけない笑顔で、こともなげにそう言った。
 千年、万年という悠久の時を生きる『神の愛し子』。
 彼にとって俺の人生など、瞬きするほどの刹那でしかない。だからこそ、その命を分け与えることで、長く共にいられるなら本望だと。

 その慈愛の深さに、俺は打ちのめされた。
 彼は俺を許すどころか、自分の命を俺に捧げることを喜んでいる。
 なんて……なんて愛おしい生き物なのだろう。
 この世界に、これほどまでに純粋で、献身的な魂が存在していいのだろうか。

 俺は誓った。
 彼が俺に命をくれると言うのなら、俺はその命の一滴たりとも無駄にはしない。
 この身に宿る力のすべてを、彼を守るためだけに使おう。
 彼を害するあらゆるもの――魔物だろうが、人間だろうが、たとえ神であろうが――この身を盾にしてでも彼を守り抜こう。

 だが、ガガンの口から語られたもう一つの真実は、俺の心を再び冷たい氷のように凍てつかせた。

 ――『妖精の涙』の正体。

 母の病を治すために、俺が必死に探し求めていた秘薬。
 それが、妖精を拷問し、恐怖と激痛を与えて搾り取る『生命の結晶』だったとは。

 俺は、陽貴と出会ったあの日のことを鮮明に思い出した。
 森の中で見つけた、小さく砕け散りそうな体。
 無惨にむしり取られた背中の傷。
 雑に切り落とされた金色の髪。
 そして、俺が近づいただけで怯え、ガタガタと震えていた彼の姿。

 点と点が繋がり、おぞましい絵を描き出す。
 あの時、彼をあそこまで傷つけた「誰か」がいたのだ。
 俺が彼を見つけた時、すでにその姿はなかったが、あの傷跡は雄弁に物語っていた。陽貴は、誰かの悪意によって「材料」として扱われたのだと。
 泣かせ、叫ばせ、絶望させることで、高価な『涙』を精製するために。

 胃の奥から、焼けるような怒りが込み上げてくる。
 顔も知らないその人物に対し、かつてないほどの激しい憤りを感じた。
 もしあの時、俺がもっと早く森に着いていれば。彼が傷つけられる前に、その悪意から彼を救い出せていれば。
 後悔しても仕方のないことだとわかっていても、想像するだけで胸が張り裂けそうになる。陽貴が味わった苦しみを思うと、呼吸すら苦しい。

「(……ッ)」

 ギリリ、と奥歯を噛み締める。
 陽貴の手を握る力が無意識に強まってしまったようで、彼が不思議そうにこちらを見上げた。
 フードの奥で輝く青い瞳。
 あんな惨劇を経験したにも関わらず、彼は今、俺を信じ、俺に笑顔を向けてくれている。
 その奇跡に、俺は涙が出そうになった。

 ガガンは警告した。
 『一つ目の男』という密猟者が、この街をうろついていると。
 そいつが探している獲物が何なのかはわからないが、もし陽貴のような『神の愛し子』の存在を嗅ぎつけたら、ハイエナのように群がってくるだろう。

 陽貴は、歩く奇跡だ。
 その体は万病を癒し、不老不死をもたらす。
 欲に塗れた人間たちが、彼を放っておくはずがない。

 俺は、恐怖した。
 彼を失うことへの恐怖ではない。
 彼が再び、あのような穢らわしい欲望の目に晒され、傷つけられることへの恐怖だ。

 誰にも見せたくない。
 誰にも知られたくない。
 いっそ、誰もいない森の奥深くや、堅牢な城の地下深くに彼を閉じ込めて、俺だけが彼を愛でていられたら、どれほど安心だろうか。

 街の灯りが少ない、静かな通りに差し掛かった。
 俺の心の中の昏い情動が、抑えきれなくなる。
 俺は陽貴の腕を引き、路地裏の暗がりへと連れ込んだ。

「(エリオット?)」

 彼がキョトンとして俺の名前を呼ぶ。
 その無防備さが、たまらなく愛おしく、そして危うい。
 俺は彼を壁に押し付け、その体に覆いかぶさるようにして抱きしめた。
 彼の匂いを吸い込む。甘く、清浄な、生命の香り。
 これが、密猟者たちを引き寄せる香りなのか。

「(……怖かった)」

 俺は震える念話を彼に送った。
 騎士としてあるまじき弱音。だが、彼に対してだけは、嘘がつけない。

「(君が……あんな残酷な目に遭っていたなんて。そして、俺が探していた“薬”が、君を傷つけるものだったなんて……俺は、君を救ったつもりで、君を苦しめる原因を探していたんだ)」

 その罪の意識が、俺を苛む。
 だが、陽貴は優しい手つきで俺の背中を撫でてくれた。

「(エリオットは知らなかったんだから、仕方ないよ。それに、君は僕を助けてくれた。それが全てでしょ?)」

 彼は全てを許し、受け入れてくれる。
 その慈悲深さに、俺の心は救われると同時に、より一層の執着へと駆り立てられる。

 もう、手放せない。
 彼なしの世界など考えられない。
 俺は誓いによって彼と命を繋いだが、たとえその契約がなくとも、俺の魂は彼に縛り付けられていただろう。

「(……愛している、陽貴。誰にも、指一本触れさせない。君の涙一粒だって、誰にも渡さない)」

 俺は顔を上げ、彼の瞳を見つめた。
 暗い路地裏でも、彼だけが発光しているかのように美しく見える。

 俺は、彼を守るためなら鬼にでもなろう。
 もし『一つ目の男』とやらが彼の前に現れたら、俺はこの身に溢れる陽貴の命を使って、徹底的に彼を守り抜く。
 彼を害する可能性のある全てを排除し、彼が笑って過ごせる世界を作る。それが、彼の命を吸って生きる俺にできる、唯一の償いであり、愛の証だ。

「(うん。僕はエリオットだけのものだよ)」

 彼が、俺が最も欲しかった言葉をくれた。
 理性のタガが外れる音がした。
 俺は飢えた獣のように、彼の唇を塞いだ。

 柔らかく、温かい唇。
 そこから流れ込んでくる甘い息遣い。
 口づけを交わすたびに、体内の魔力が脈動し、歓喜の声を上げるのがわかる。
 ああ、俺はやはり彼を食っているのだ。
 彼の愛を、彼の命を、貪り食って生きている。

 だが、もう止まれない。
 俺は彼を抱く腕に力を込め、その存在を自らの肉体に刻み込むように、深く、長く口づけを続けた。

 路地裏の闇が俺たちを包み込む。
 誰にも見せない。誰にも渡さない。
 彼は俺の『神』であり、俺の『生贄』であり、そして俺の最愛の『伴侶』なのだから。

 その時、俺の研ぎ澄まされた感覚が、遠くからこちらを窺う不穏な視線を捉えた気がした。
 ねっとりとした、粘着質な気配。
 ……見られている?

 俺は陽貴の唇から離れることなく、視線だけで闇の奥を睨みつけた。
 来い。
 俺の宝に手を出そうとする愚か者め。
 お前たちが求めている『神の愛し子』は、狂犬が守っていると教えてやる。

 俺は陽貴をさらに深く抱き寄せ、闇に向かって無言の圧を放った。
 彼に近づく者は、俺が許さない。
 戦いは、もう始まっているのかもしれない。
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