侯爵様の愛人ですが、その息子にも愛されてます

muku

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10、どうかしている

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 * * *

 駆除が長引いているのか、ジュードは夜になっても帰ってこなかった。夜は出現する魔物の数が増える。近頃の様子を見ても、朝に加えて昼も倒しに出かけなくてはならなさそうだ。
 館の周辺の駆除はレーヴェが引き受けて出て行っていた。

 しかしフィアリスもこっそり館から脱出して、別方向の駆除を始める。エヴァンには気づかれないように、だ。
 駆除の割り当てを決めたり、魔物の出現状況を把握しているのは家令のノアである。ノアには確認と許可を取っていたので無断外出ではない。

 今夜は夜気に当たって頭を冷やしたかった。
 馬で駆けながら上空でレーヴェと合流する。

「お前は休んでた方がいいと思うがなぁ」

 手綱をつかむレーヴェはじろじろとフィアリスを眺めていた。瞳には確かに気遣う色が滲んでいる。
 具合はもういいと言っているはずなのに、レーヴェまで過保護になってしまったのだろうか。

「どうして。どこも悪くないのに」
「身体の調子は悪くないだろうが、どうも疲れてるように見えるぞ。注意力が散漫だ」
「それはあなたの気のせいだよ」
「悪いことは言わん。帰れ」

 リトスロード家に仕えたのはフィアリスの方が早いから先輩になるが、レーヴェは年上なので年下のフィアリスにはよくこんな風に意見する。
 だが、フィアリスは聞き入れなかった。精神的な疲れを感じているのは事実だが、だからこそ仕事をして気持ちを入れ替えたかったのだ。

 細く冷たい三日月が夜天に飾られている。月光が乏しいと、荒れ地はいつも以上に暗く闇に染まってしまう。瞬く星は地上からの瘴気のせいで揺らぎ、その光は弱々しい。
 やはり数が多かった。大地から数多の陰鬱とした気のうねりを感じる。

 馬を走らせながらフィアリスは術を発動させた。低く高く、光が迸る。暗闇と同化した魔物は叫び声をあげながら消滅していった。
 魔物の体表は大抵の場合黒い。だから夜闇にまぎれやすく、夜の魔物駆除は困難を極める。フィアリスやレーヴェにとってはさほど問題になるほどではないのだが。

 神経さえ研ぎ澄ませていれば、魔物の気配は容易に感じ取れるのだ。隙さえ作らなければいい。

(私だってあの子のことを愛している。でも、愛してるって、そういう愛じゃないんだよ。どうしたらわかってもらえるのかな……)

 冷たい風の中に、不気味なうめき声が混じっている。身を低くして、フィアリスはさらに馬の速度をあげた。
 黒いたてがみがなびき、フィアリスの金色の髪も風に流れる。

『消滅せよ!』

 杖をかかげると魔石から光が溢れ、手元が明るく浮き上がった。
 指先が、目に入る。

 今日、あの子の唇に触れた指先が。

 エヴァンの体温、わずかにかかった吐息。そういったものを、ありありと思い出してしまった。
 かっ、と頬が熱くなる。

 ――違う。これは、そういうのじゃなくて。驚いたから。動揺したから。幼いとばかり思っていたあの子に迫られて、困惑しただけで……。

 気づいた時には遅かった。高度を下げすぎていたのだ。

「!」

 ぎらりと闇の中で、禍々しいものが、悪意が動く気配がした。

 術を発動させる時間もなく、杖で防ぐこともできなかった。左腕を魔物の爪がかすめる。馬上でバランスを崩したところに、背中にも一撃。
 たまらずフィアリスは落馬した。それなりの速度で移動していたため、激しく地面を転がる。それも魔物の集団の真ん中に。

(やってしまった……)

 離さなかった杖を地面に突き立て、急いで立ち上がろうとする。魔物の凶猛な赤い瞳がこちらを見下ろしていた。
 黒い憎悪が渦巻いて、自分を取り囲んでいる。肌に感じるのは、獲物を引き裂きたいというおぞましい欲求。そのオーラは圧倒的で、慣れてない者であれば気を抜くと精神を蝕まれる。

 ――どうしよう、まず杖の先で目を突いた方が早いだろうか、後ろにも飛びかかりそうなのがいるみたいだけど。
 などと悩んでいたら、一気に魔物達は横に真っ二つになって、一斉に崩れていった。

「なあ、言ったろ?」

 そう言いながら登場したのはレーヴェである。魔法で出現させた光の玉をそばに浮かび上がらせ、明かりの代わりにしている。
 当然だがその顔は呆れていた。
 フィアリスはフィアリスで、己の失態が信じられなくて呆然とする。

「これほどのドジを踏んだのは初めてかもしれない……」

 いつだって余裕綽々というわけではなく、それなりの強敵と対峙した経験はある。切羽詰まった戦闘で、負傷することもあった。
 けれどこんな、毎日行っているちょっとした掃除で、襲われて馬から落ちるなどというしくじりはしたことがない。

 あってはならないし、あるはずもないことだった。

「らしくねー失敗するんだよ、そういう、気が散ってる時は」

 左腕を見下ろすと、腕から流れた血が滴っている。
 いつも通り集中出来ているとは言い難かったが、へまをするほど注意力が散漫になっている自覚はなかった。

「頼むぜ、凄腕の魔術師さんよ」
「……すまない」

 またもや魔物の群れが襲いかかって来たので、フィアリスが強力な術を使って一帯を掃除した。これでかなり時間が稼げる。
 その間にレーヴェはフィアリスの怪我の具合を確認した。

 ローブも服も裂けて血が滲んでいるが、傷はそれほど派手ではない。止血すれば、じきに血も止まるだろう。

「腕は大したことなさそうだが、背中がどうだかな。見てみないとわからん」
「いや、こっちもかすり傷だ」

 レーヴェが目をすがめる。

「そう言い張るならあまり世話は焼かないぞ。お前も子供じゃないし、頑固だからな。これを塗っておけ。で、もう帰れ」
「そうする。迷惑をかけたね」

 苦笑して、フィアリスは投げられた傷薬を素直に受け取った。
 背を向けて去っていくレーヴェを見送るしかない。
 申し訳なくて挽回したいところだったが、これ以上足を引っ張るようなことにならないとも限らなかった。

 今夜は、どうかしている。
 動揺しているという事実に動揺していたのかもしれない。フィアリスは髪をかきあげて大きくため息をついた。

 金色の髪が、暗闇の中でさらさらこぼれて肩にかかる。腕や背中の傷は、徐々に脈打つような痛みを感じ始めていた。
 これでは先が思いやられる。
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