侯爵様の愛人ですが、その息子にも愛されてます

muku

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16、家族だ

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 * * *

 平常心でいることが何より大切だとフィアリスは自分に言い聞かせた。
 エヴァンが積極的に接してきたとしても、取り合わないようにしなければならない。いろんな意味で動揺してしまってはいるが、それで彼を勘違いさせてしまうわけにはいかないのだ。
 だからいつも涼しい顔で、エヴァンの言うことを聞き流そう。

「フィアリス、おはようございます。私があなたを好きだということについて、よく考えてくれましたか」
「君ね……」

 フィアリスはこめかみをおさえた。頭痛がしそうだ。
「朝の廊下で、そういうことを言うのはやめなさい」

 朝一番、廊下で顔を合わせるなりこれだ。聞き流せなかった。
 エヴァンは何が悪いのかという顔つきだ。

 彼は人の心の機微に疎くもないし、常識もわきまえている。そして強引な性格でもなかったはずだ。我を通して周囲を困らせたことなどない。
 だというのに怒濤の進撃とも言えるこの迫り方。あえてやっているのだろう。思うところがあって圧をかけているとしか考えられない。

「私は真剣だと言ったじゃないですか。朝だろうが昼だろうが夜だろうが、わかってもらえるまで何度でも言いますよ」
「あのねぇ、困るんだよ。そうやって君が迫るのを見たら、周りはどう思う? 私が教え子をたぶらかす悪い男だと後ろ指を指されるじゃないか……」
「この家でそんなことを言う者は誰もいませんよ」

 だが一般世間ではそう捉えられるのだ。どこからどう伝わるかわからない。
 自分のことはいいとして、エヴァンまで悪い噂を立てられてはたまらなかった。リトスロード家の大事な三男だ。

 自分の評判を気にしていると言えば、エヴァンは優しい子なので控えてくれるかもしれない。

「だから、誰が聞いているかわからないところで危ないことを言うのはやめてくれないか」
「わかりました」

 むっとしながら何故かエヴァンは顔を近づけてくる。そして耳元で囁いた。柔らかい吐息が耳朶にかかる。

「好きです」
「な…………っ」

 顔を赤らめてフィアリスはエヴァンの襟元をつかんだ。低い声にぞくりとして、肌が粟だった。
 本当に、からかわれているのではないだろうか。

「そういうことじゃない」
「聞こえないようにすればいいんでしょう? 私はあなたにさえ聞こえればいい」
「だから……」
「おいお前ら、廊下のど真ん中で仲良くすんな!」

 至近距離で二人ひそひそ話していると、前と同じようにレーヴェが現れる。
「よけて通ればいいじゃないか」とエヴァンは不機嫌だ。

「なんで俺がお前らに遠慮しなくちゃなんねーんだよ」

 狭い廊下ではないから横に寄れば通れなくはない。が、レーヴェも気をつかってよけて行くのが嫌なのだろう。彼は体が大きいから大股で歩くし、確かに行く手は多少塞がれている。

「ほらほら、エヴァン……」

 エヴァンを引き寄せて場所を空けると、レーヴェは肩をすくめて通って行った。

(時間が経てば少しはおさまるかと思ったけど……)

 エヴァンの背中を押して歩かせ、廊下を進む。もたもたしていると朝食が冷めてしまう。リトスロード家の朝食は早い。貴族でありながら肉体労働の多い仕事をこなしているし、仕事量も多いため、皆で集まってさっさと済ます習わしだ。

「おはようございます」

 廊下の途中でノアが階上に向かって礼をするのが見えた。
 視線を上げると、ジュードが階段を下りてくるところだった。朝でも昼でも、彼の顔つきは変わらない。寝起きでも変化がないから、はたして寝ていたのかどうか様子を見ても判断がつかなかった。いつも、髪の毛一筋乱れていないのだ。

「おはようございます」

 フィアリスも微笑みながら朝の挨拶をする。
 エヴァンは父に目礼をしただけで、声を出そうとはしなかった。

(さっきのやりとり、聞かれてなければいいんだけど……)

 はっきり言って泥沼である。
 フィアリスは相手にしないつもりだし、エヴァンだって一時の気の迷いだろう。けれど現在の関係は簡単に言えば、自分はジュードの愛人でありながらその息子のエヴァンに迫られているのだ。

 せめてエヴァンとの関係だけはまともな状態に戻したいフィアリスだった。そうしなければ、安息は得られそうにない。

 * * *

「父上」

 食事が終わって席を立とうとするジュードをエヴァンが呼び止める。ジュードはエヴァンに何事かと目顔で問うた。
 近頃ではエヴァンがジュードに声をかけるのは珍しい。

「今夜の駆除ですが、フィアリスを休ませてもらいたいのです」
「え?」

 突然自分の名前が出たことに驚いて、フィアリスはぱちぱちと目をまたたかせた。

「いいだろう」

 短い返事を残して、ジュードはさっさと部屋を出て行ってしまう。フィアリスが口をはさむ隙もなかった。

「何を言い出すの、エヴァン」

 今夜の仕事に関して、フィアリスは相談ごとなど何一つエヴァンにしていないし、当然出るつもりでいた。

「あなたは今日、休んで下さい」
「だからどうして」
「休んでほしいからです。大体、戻って来てからちっとも体を休めようとしないじゃないですか。私には早く寝ろと言いますが、あなたは遅くまで調べ物をしていて睡眠だってろくにとらない。王都から戻ってきたばかりなんですよ? 休んで下さい。休まなくちゃ駄目だ」

 どんどんエヴァンは強情になっていくようだ。フィアリスは腕を組んで教え子を見つめた。
 一方レーヴェは、「ノア、茶ぁくれ」と完全に他人事である。仕事の割り当ての確認で食堂に来ているノアは、レーヴェの要求を黙殺している。給仕は彼の役目ではない。

「君は私の仕事まで取り上げようって言うの? 私は今や、君の師として教えることもほとんどないんだ。魔物の駆除くらいしか仕事がないじゃないか。それすらしなかったら、ただの穀潰しになっちゃうよ」
「少しも休めないって言うんですか?」
「休まなくても動ける時は動くものだ。私はね、リトスロード侯爵家に仕えている魔術師なんだよ。お客さんじゃない」

 言うべきことは言わなくてはいけない。いつもより声の調子を低くして、真面目な調子で諭す。
 エヴァンの方も真剣な顔はそのままだ。

「わかっています。あなたはお客さんではない。私の師であり、」

 言葉を切り、とても大事そうに、エヴァンは次の言葉に力をこめた。

「私の家族だ」

 それは、フィアリスの胸を優しく抉った。
 息が一瞬詰まるほどだった。

 ――家族。

(違う)

 家族ではない。エヴァンは貴族で、自分は下賤な人間だ。本来ならこの館に住まうことなど許されない。力があるから幸運にも置いてもらえているだけだ。
 けれど、否定の言葉は声にならなかった。

 心優しいエヴァン。君の言うことは間違っているけれど、気持ちだけは受け取ってもいいだろうか。
 そうやってエヴァンから貰ったいくつもの言葉は、心の奥に大事にしまい込まれていて、フィアリスの生きる糧となっている。

「師匠はもう一人いるけどなー。俺のことはどう思ってくれてんだろうなー」

 ぼそりと呟くレーヴェを、エヴァンは完全に無視している。

「いいですかフィアリス。私の気持ちを少しでいいので汲んで下さいませんか。あなたは私には一言も告げずに王都へ行ってしまった。それで重傷の報を聞いた私の心配は、どれほどのものだったと思います? あなたを休ませたいというのは私の我が儘ということでいいです。これしきの希望も聞いてくれないんですか?」

 それについては悪かったと思わないでもない。子供扱いしているので、説明は不要だと判断したのだ。
 状況が変わった後はレーヴェやノア辺りが適当に取り繕ってくれると丸投げしていたが、師として不誠実だったかもしれない。
 フィアリスはため息をもらした。

「……わかったよ。君の言うこともたまには聞こう。ジュード様の許可も出たし、休ませていただこうか」

 本音を言えば駆除でもしていた方が余程気が安まるのだが、エヴァンは納得しないだろう。
 フィアリスが引き下がると、エヴァンは口元をわずかにほころばせた。そこにあどけなさを見つけて、フィアリスはこそばゆい気持ちになる。

 純真そうな笑みは、なんとも言えず可愛らしい。普段へらへらしていないから、余計に特別なものに見えた。

「では、私があなたを甘やかすことを許可してもらえるんですね」
「うん、甘やか……、え? なんて?」

 エヴァンはフィアリスの手をとった。
 仕事を一日休むという話ではなかっただろうか。ちょっと嫌な予感がして、フィアリスは自分の発言を後悔し始めた。
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