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17、いつかの涙
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エヴァンはフィアリスに何一つまともなことをさせようとしなかった。
フィアリスはうんざりを通り越して呆然としている。
なんだか甘い菓子だとか滋養のある変わった飲み物だとかを与えられ、自室にある椅子から動かないように指示されるのだ。
腕の傷の具合も心配され、いいと言うのに包帯をかえてくれる。
どちらが使用人だかわかったものではない。と言うと、「別にさせられてるわけじゃないからいいではないですか。弟子が師の世話をするのはおかしいことじゃない」と反論される。
彼の思いをむげにできなかった。包帯を巻く手つきがあまりにも――優しすぎて。
しかも事前にいろいろと準備までしていたようだから、それを見たらいらないとも言えず、されるがままになってしまった。
「覚えてますか。私が幼い頃に怪我をした時、あなたがよくこうして私を甘やかしてくれた」
フィアリスは魔法を教える時、危ないことにならないよう細心の注意を払っていたのだが、レーヴェの稽古は厳しかった。
それこそ生傷がたえなかったし、レーヴェは自分で手当をしろと言って放置したが、こっそりエヴァン包帯を巻いてやっていたのはフィアリスだった。
レーヴェは歴戦の剣士だから厳しくて当然だ。戦場を経験しているから甘いことは言わない。甘さは命取りになるから。
わかってはいたのだが、すすり泣いている少年を見ていると、フィアリスはどうしてもほうっておけなかったのだ。
厳しさをレーヴェが引き受けてくれるのなら、せめて自分は甘やかそう。そうやって均衡を保つのが、まだ必要だと感じた。可愛さ余って、レーヴェに反発しているのではない。
エヴァンは必ず強くなるけれど、成長はとてもゆっくりしている。焦らなくたっていい。まだ、よりかかるところがあるべきだ。
――いい子だね、私のエヴァン。頑張ったね、エヴァン。
手をとってさすってやった。少しずつ大きくなるにつれ、エヴァンが流す涙の量は減っていった。
「小さな子だったから甘やかしたんだよ。私は小さくないじゃないか」
「大きくなったら甘やかしてはいけないんですか」
「そうだよ。笑われる」
エヴァンはフィアリスの手に触れる。手当てをした包帯の上を指でそっとなぞった。
「あなたは誰かに甘えたことは?」
「…………」
フィアリスは曖昧な笑みを浮かべて、首を傾げる。
「私はあなたが甘えさせてくれて、すごく救われたんですよ。だからあなたにもお返しがしたい」
「君がいてくれるだけで、十分お返しになっているよ。私だって君が、君の存在が救いになっていたんだから。わざわざ何かをしてくれなくても大丈夫」
フィアリスの笑みを見て、エヴァンは何かをこらえるように眉をしかめる。
言い方がまずかっただろうか? 拒絶ととらえられてしまっただろうか。でも、本当に何もいらない。エヴァンがいればフィアリスはそれで幸せなのだ。
エヴァンはフィアリスの宝物で、宝物がそばにあれば嬉しくて、目に入るだけで幸福だ。
「さあ、もういいだろうエヴァン。私は少し馬の世話をしてくるよ。世話くらいはいいだろう? 私はあの子達が好きなんだからね。怪我だって初めてしたわけじゃないじゃないか」
長年魔物を相手にしていれば、もう少し酷い負傷だって経験はある。戦いの中に身を投じる者は慣れっこになるのだ。
「……あなたとの付き合いは長い。確かに幾度も怪我をしてきましたね」
「お互いにね」
「でも、そういえばあなたが涙を流すのは見たことがないな」
「涙……」
呟いて、フィアリスは立ち上がった。
「案外、気が強いからかもしれないな」
指摘されて気がついた。あまり泣いたことはないかもしれない。怒りや悔しさや、悲しさなどで。誰かとの行為の最中に涙が流れることはたまにあったが、あれは生理現象だろう。
幼い頃はよく泣いていた。泣き叫んでいた。泣いても泣いても涙は流れて、尽きることなんてないかと思っていたのに、ある時から一滴も出なくなってしまった。
涙って、涸れるものなんだ。ぼんやりと当時のフィアリスはそう思っていた。
当時のことを思い出すと、心の中が空っぽになる。どんな風に状況を受け止めて、何を感じていたのか、忘れてしまっていた。痛みも苦しみも、全ての光景と共に褪色している。
あの時の涙と一緒にこぼれ出ていったものは、一体何だったのだろうと考えることがあった。それは二度と戻ってこないものなのだろうか?
廊下に出て歩いて行こうとする。
と、フィアリスは足を止めた。止めざるをえなかった。
後ろから抱きすくめられたのだ。
「エヴァン」
「フィアリス……」
くぐもった声がする。エヴァンはフィアリスの肩に顔を埋めていた。
きつくはないが、容易には緩められそうにない包容だった。
「わかって下さい。あなたがこの世から消えてしまうんじゃないかって思うと怖かったんです。すごく……」
これほどまで心配をかけてしまうのは不本意だった。彼がどれだけ繊細なのか、知っていたはずなのに。
何かを壊しては数日気に病んで、母のことを思い出しては泣いて。感受性が豊かだったからか、よく不安に苛まれていた。
「悪かった。でも、帰ってきたでしょう? だから安心して」
「いなくならないで下さい、フィアリス。私の前から消えないで。ずっとそばにいてくれなくちゃ……いやだ」
大人だ大人だと言い張っていたのに、やっぱり子供じゃないか。これでは駄々っ子だ。
でも、こうして抱きしめられていると体はしっかり成長していると実感する。もうフィアリスをすっぽりと包みこめるくらいに大きくなっていた。
(私が守ってやらなくちゃいけないエヴァンはいなくなってしまったんだな……)
この逞しさに、かえってこちらが身を預けたくなってしまう。
何と言って慰めよう。どう言ったら落ち着くだろう。そんなことを考えていたら、誰かが廊下に現れた。
そうだ。失念していたがここは廊下なのである。
どうして自分達はいつも廊下でこういうことになってしまうのか。まるで誰かに見てくれと言っているようなものではないか。
顔を見せたのはノアだった。
「あの……ノア」
「……」
どこかへ行こうとしていたノアは立ち止まり、しっかりと抱きしめられているフィアリスを見つめている。
フィアリスは慌ててもがき始めた。うかつだった。されるがままになるにもほどがある。
「ノア、これは違……、エヴァン、離れなさい」
「いやです」
「違うんだよ、ノア。エヴァンは私のことを心配してくれて……エヴァンったら!」
ノアは咳払いをした。
「私は何も見ていませんから」
「誤解してるね? 見られても困ることはしてないんだよ! ノア!」
「失礼します」
表情筋をほとんど動かさず、用事があるのか二人の横をすり抜けてノアは足早に去っていった。
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