侯爵様の愛人ですが、その息子にも愛されてます

muku

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24、君の舌

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 * * *

 腕の傷はもうかなり回復しているのだが、背中がいまいち治らない。というのも、薬が塗りにくいからだった。
 レーヴェから渡された薬はよく効いた。問題は傷の位置で、そもそも薬を塗ろうと腕を回すとその傷が痛む。

 そのうち治るからいいか、と億劫で放置していたら思いの外長引いてしまっていた。おそらく魔物の爪に含まれる毒が入ってしまったのだろう。
 ジュードと夜の行為をするとこの痛みが鬱陶しく感じた。

 ジュードは傷口に指で触れて、「どうした」と尋ねてきた。

「魔物に引っかかれました」
「珍しいな。痛むのか」
「いいえ、全然」

 だから構わずやってくれとお願いはしたのだが。
 上の服を脱いだフィアリスは、鏡に背中を映してどうにか上手く塗ろうと悪戦苦闘した。
 もう少し塗った方が良さそうだが疲れてしまい、これでいいかとため息をつく。

「手伝いますよ」

 自分しかいない部屋に別の人間の声が聞こえて、フィアリスは目を見張りそちらに顔を向けた。
 エヴァンが壁にもたれかかって立っている。暗がりの中、少しだけ彼の顔が明かりに照らされている。
 油断していた。

「……他人の部屋に入る時はノックをしなくちゃ駄目じゃないか」
「ノックをするとあなたが傷を隠すだろうと思ったもので。こうして誤魔化しようがない時を狙って現れたんですよ」
「背中のこと、気づいていたの?」
「当たり前でしょう。いつもあなたのこと、見てるんですから」

 エヴァンは遠慮なく近づいてきて、薬の入った瓶を取り上げる。

「塗ってあげますから」
「いいよ」

 断っても聞く耳を持たないエヴァンは、フィアリスを椅子に座らせて自分はその後ろに立った。観念するしかないようだ。
 薬は軟膏だ。エヴァンが指先でそれをすくって、背中に塗りつける。
 ひやりとした冷たいものが触れた。

「あ……」
「冷たいですか」
「いや、平気……」

 たっぷりと薬を塗っていく。指がゆっくりと肌の上を移動するのを感じる。
 滅多にエヴァンに触れられない場所だ。そう考えると、何故か頬が熱くなってきた。上半身が裸というのが落ち着かない。さっさと塗り終わってもらって、服を着たかった。

「痛いですか、フィアリス」

 エヴァンが耳元で囁いた。

「痛くないよ」
「本当に?」
「うん」

 どうして鼓動が早まるのだろう。ただ薬を塗ってもらってるだけだというのに。
 触れられたところが熱を帯びている感じがするのは、やはり毒が残っているからなのか?
 布をあて、包帯が巻かれる。エヴァンの手が前に回ってくると緊張した。

(私、今夜はおかしいな……)

 そそくさと上着を着ると、フィアリスは笑みを浮かべて振り向いた。こんなことはすぐに済ませて、エヴァンには出て行ってもらおう。
 何か調子が狂ってしまっているのだ。明日になれば元通りになる。

 だが、振り向いて教え子の顔を仰いだフィアリスは動きを止めた。
 暗がりの中に浮かぶエヴァンの表情が、いつもと違っているようだったからだ。

「フィアリス。私のことをどう思っていますか」
「……可愛い教え子だよ」
「私と口づけをした感想は?」
「……」

 中途半端にしか服の前のボタンをとめていない。かなり開いて露わにしまっている胸元の辺りを、フィアリスは握った。

「何とも、思わないな、別に」

 年下から受けた悪戯のようなものだ。それについてあれこれ思いを巡らせたりはしない。
 エヴァンが望んでいる答えは何だろう? きっと、好きかもしれない、とか、意識をしてしまった、とか、そういうものだ。

 エヴァンは若いからいろんな感情を持て余して、フィアリスに対する好意を早とちりして恋情だと思いこんでしまったのだ。

「エヴァン、私が望んでいることが何か、言ってもいいかな」
「どうぞ」
「君が幸せになることなんだよ。君は私なんかよりもっと素敵な女性に出会って、結ばれてほしいんだ。私のことが好きだなんて、気のせいなんだから」
「……」

 どこか傷ついたような顔を見るのは居たたまれなかった。それでも目を離すわけにはいかない。しっかりと諭して、わかってもらわなければならない。気の迷いだとしても、ここで道を誤れば大変なことになってしまう。

「私と口づけしたところで、あなたの方は私のことを何とも思わなかった、ということですよね?」
「まあね」
「口づけですよ?」

 眉間に皺が寄っている。どうも怒っているらしい。

「ただ口と口を触れ合わせるだけだもの。どうってことないでしょ? 男同士だし。何の感情も生まれたりしないよ」

 エヴァンは視線を外して、しばらく黙っていた。
 怒るなら怒るでいい。そのまま出て行ってもらって、一人頭を冷やしてよく考えてもらいたかった。賢い子なのだから、きっとわかってくれるはずだ。
 だが、エヴァンは一向に動こうとしない。

「私がどこかの令嬢を迎えるにあたって、一つあなたにご教授願いたいことがあるんですが、いいですか?」

 ぶっきらぼうな言い方だが、やっと風向きが変わってきたことにフィアリスは内心ほっとしていた。エヴァンも考え直してくれたのだろうか。

「いいよ、私は君の家庭教師だもの。教えられることなら教え……」
「では、舌を入れた口づけというやつを教えて下さい」
「え……」

 フィアリスは硬直した。また何か、まずい方にエヴァンは舵を切っている。
 正さなければ、方向を。自分は彼の師であり、年長者で、人生経験もあるのだし……。多少は。

「女性と付き合うにあたって、口づけの一つもろくにできなければ恥をかくではないですか。予行練習をしいておかなければ」
「待って、エヴァン」

 エヴァンのこんな顔を見るのは初めてだ。苛立ちと怒りと切望。抑えがきかなくなっている。

「いけませんか?」
「いけないに決まってるじゃないか」
「だってあなたは、私と口づけしたところで何も感じないんだから、問題ないはずだ。口と口を触れ合わせるだけの行為で、そこにあなたは何の感情もないんでしょう?」
「待っ……」

 いつだかと同じように、襟をつかんで引き寄せられる。
 エヴァンは無理矢理唇を重ねてきた。
 こじあけられ、舌が入りこむ。ぬるりと温かい感触。

「……ん、ぅ」

 吐息が混じり合い、角度を変えて何度もエヴァンは舌を絡めてきた。唾液がこぼれそうになる。
 全て知っていたようで、エヴァンの知らないところはまだたくさんあるのだ。今初めて知った、この感触、体温、舌の形。きっと他にも多くある。触れたことのない、この子のいろんな場所。

 ――いけない。駄目だ、こんなこと……。

 頭ではわかっているのに、抵抗する手に力が入らない。
 瞬時に理性が飛んで、痺れるような快楽に溺れてしまいそうになる。
 実際、こんなに気持ちの良い口づけは初めてだった。これまで経験してきたどれよりも。

 必死に自分を求めて絡んでくる舌が愛おしい。もっと、もっと、とこちらも求めてしまって、息が苦しくなる。
 体の芯が、下半身が熱くなる。

 いっそ体を許そうか?
 どうしていけないんだろう。エヴァンはこんなにも私を求めている。

 性交なんて、ただ性器を出し入れするだけだ。それほど罪なことなのだろうか。罪かどうかは知らないが、大したことではないはずだ。そうやって自分に言い聞かせて生きてきた。

 何が損なわれる? 私は何かそれで、損なわれただろうか。
 誰にも知られなければそれでいいではないか。
 それでエヴァンが満足するなら、私は……――。

「っ、エヴァン!」

 フィアリスは両手でエヴァンを突き放した。
 素直に離れたエヴァンは、やや息を乱して、頬も上気していた。艶っぽい顔である。

 危ういところで理性を取り戻すことが出来た。ふと心が傾いで、転がり落ちそうになったのを自覚して肝が冷える。
 どうせ私は道徳的でない人間だから、どこまで落ちても同じことだと魔が差した。自分はどれほど堕落しても結構だが、この子は連れて行けない。

 フィアリスは首元を押さえて呼吸を整えた。

「……どうでしたか」
「言ってるじゃないか、何とも思わないって」

 しっかりと目を合わせてフィアリスは言う。弱々しいが笑顔は作れた。
 これでいいんだ。これでいい。
 だってエヴァンと繋がってしまったら、もう戻れなくなってしまう。きっとエヴァンを汚してしまう。

 自分と間違った関係などに陥らず、エヴァンには清らか人生を歩んでほしいのだ。

「そうですか」

 エヴァンは部屋を出て行った。怒りはおさまらないはずだが、扉を乱暴に閉めることはない。ごく静かに出ていく。あの子はそういう、細やかな配慮の出来る子だった。誰も傷つけたがらないし、物に当たったりもしない。

「……エヴァン」

 一人になったフィアリスは、教え子の名を呟いた。
 体の疼きが、なかなか収まりそうになかった。
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