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32、ご無沙汰
しおりを挟む「どこの者だ」
エヴァンは尋ねる。十中八九、公爵家か、公爵家に与する貴族の手合いだろうが。
手応えがないので、エヴァンもフィアリスも少し気を抜いていたかもしれない。
突然、相手のうちの一人が目くらましの術を使った。一瞬視界が白く燃え上がる。
数秒目をつぶっていた間に、三人が走り出していた。魔法を使って壁を駆け上がり、屋根をつたっていく。
「追います」
「エヴァン! ほうっておけ!」
「すぐに戻りますから、あなたはここに」
ああいうのは深追いするとろくなことがないのだが、と教える暇もなくエヴァンは行ってしまった。すぐに気が立つのは彼の悪いところだ。血気盛んなせいでもあるが。
自分も追うべきか悩んだ。エヴァンの実力を知ってはいるから人間相手の心配はしていないが、嫌な予感がするのだ。
エヴァンに危害を加えようと差し向けられたのだとしたら明らかに力不足であり、必死さも感じなかった。ということはごく単純に考えればこれは――陽動作戦。
フィアリスはそこで、素早く身をかがめた。
今まで頭があった場所に、ひゅっと音を立てて剣の刃がひらめく。
すぐに杖を出現させ、襲いかかる刃を弾く。一度防いだだけで、相手が小物でないことを悟る。つい最前仕かけてきた輩とは格が違うらしく、やはりあれは囮だったのだろう。
香りが鼻先をかすめるように、強い魔力を肌で感じる。
腕力に自信があるとはいえないフィアリスではあったが、そこは魔力で強化して対処できるのだ。
あちらは剣、こちらは杖で何度か打ち合い、距離をとった。
「ご無沙汰」
襲撃者はフードをとって素顔をさらした。
こんな路地裏に現れるには不似合いな身分の男である。
「……ギリネアス様」
まさか疑惑の子息が自らお出ましになるとはフィアリスも思わない。貴族は保身を考え、大概自分の手を汚さずに暗い仕事をする。
この男は予想以上に危険な人物なのかもしれなかった。
「あの時の弱々しい姿はどこへやら、だな。お前のことをよく知らなかったばかりに、俺もまんまと引っかかったというわけだ。猫かぶりが上手だなぁ」
「何の御用でしょう?」
「お前達が来ているというから、挨拶に来ただけさ」
「随分物騒なご挨拶をなさいますね」
「いい顔だ、そういう顔もそそるな、フィアリス」
ウェイブルフェンがちょっかいを出してくるかもしれないという想像はしていたが、まさかギリネアスが出てくるとは。
この男は単純なようでいて狡猾、そして慎重であると同時に大胆という厄介者だ。考えが読みにくい。
ただからかいに来ただけか、それとももっと大それたことをしでかすつもりか。
「用がお済みでしたら、私は帰らせていただきたいのですが」
「そう言うな、もう少し遊ぼうぜ」
最初はフィアリスもこの男を少々あなどっていたのだが、案外実力はありそうなのだ。それを上手く隠していたに過ぎない。
ざり、とギリネアスが地面を踏みしめる。そのままフィアリスの方へと飛び出し、剣が振り回された。放蕩息子にしては腕が確からしい。お遊び程度で習った剣ではなさそうだ。
「弟子は心配じゃないのか? あいつを呼び戻さないのかよ」
「あの子は優秀ですから」
もうフィアリスの護衛など必要のないくらい、強くなった。自分の身は自分で守れるほどに。
ギリネアスが空いた片手で動きを封じる術を放つが、フィアリスは弾いていく。
「それで、もうあいつとは寝たか。弟子のものをくわえて、毎日腰を振って、手取り足取り夜の授業をしてやってるんだろう?」
ギリネアスは貴族とは思えない下品な笑みを浮かべながら攻撃を続ける。
違う、と否定の言葉が喉元まで出かかったが、何も律儀に返す必要はないのだ。それに、ギリネアスは信じないだろう。淫らな魔術師の姿をよく知っているのだから。
よくわからない焦りのようなものが、気を散らせる。
「俺が呼んでやろうか、エヴァン・リトスロードを」
このまま打ち合っていても埒が明かない。フィアリスは貴族である彼を傷つけるわけにはいかないし、この場を離脱するしかなかった。
しかし、なかなか隙がない。狭い路地の中を、じりじりと移動しながら攻撃を防ぐ。
「また犯してやる、フィアリス。弟子の前でっていうのはどうだ? 興奮するだろ? お前はあいつのことが大好きなんだよな」
大好きって、どういう意味だ。私があの子にどういう気持ちを抱いていると思われているのだろう。
深い意味はない? それとも劣情だと解釈されている?
――嫌だ、それは。私はいいけれど、エヴァンまで汚いものに見られてしまうのは……。
どうしてこんなに、集中できないのだろう。
胸がざわざわする。
一瞬、バランスを崩しかけた。ギリネアスはそこを見逃さない。
剣をどうにかかわしたものの、右手首をとらえられてしまった。
自制心を失って、フィアリスは強い魔法を放とうとした。杖の先にはまっている二級石が一気に光り始める。
「俺に少しでも傷をつけてみろ」
ぐいっ、とギリネアスがフィアリスを自分の方に引き寄せた。
何度も交わった男の顔が、暗がりの中でまた間近に迫る。整っているが、下劣な品性は隠しようのない顔。欲望を隠そうともしない、歪んだその表情。
「エヴァン・リトスロードにお前を犯した時のことを詳しく聞かせてやる。お前がどんな風に股を開いて喘ぐか、どこを突けば喜ぶか。いつも清らかそうに笑うお前がどれほどの淫乱野郎か知って、あいつはどう思うだろうな?」
フィアリスは絶句して、動きを止めた。
さらに体を引き寄せられ、抱きしめられるような格好になる。
ギリネアスがフィアリスのうなじに指を当てる。焼かれるような、猛烈な熱を感じてフィアリスは痛みにのけぞった。
「……ぐっ……!」
全身に熱がかけ巡って、それが一気に悪寒に変わる。
――呪術だ。
と、ギリネアスが飛びすさってフィアリスから離れた。
屋根の上から降ってきたのはエヴァンで、そのままギリネアスに斬りかかろうとする。
(いけない……!)
全身から殺気が漲っている。エヴァンは本気でギリネアスを殺すつもりだ。
「だめ……、やめなさいっ、エヴァン!」
よろけながらも、フィアリスはエヴァンを後ろから抱き締める。
「離して下さい、殺してやる」
「いけないったら!」
本気になったエヴァンならやりかねない。殺さないまでも刃傷沙汰になればそれだけ相手を有利にさせてしまう。
襲われたなんて訴えても、いくらそれが真実だとしたってねじ曲げられる。権力を持つ者には可能なのだ。言ってみればリトスロードは無骨だ。力はあるが、上流社会での立ち振る舞いはウェイブルフェンに劣っている。
自分絡みであればフィアリスもどうとでも始末をつけられるが、エヴァンはまずい。ギリネアスを傷つけさせるわけにはいかない。
「いずれまた会おうぜ、リトスロードの三男よ。ああ、お前の師匠は無傷だから安心しろ。俺をからかったのが気に食わないんで、軽いお仕置きをしただけだ」
笑って、ギリネアスは走り出す。
エヴァンもフィアリスを振り切っては追いかけられず、ウェイブルフェン公爵子息は闇の中へと消えていった。
(よかった……なんとか、何事もなく済んだ……)
ここであっさり引いたのを見ると、おふざけ程度のことだったのかもしれない。
後戻りの出来ないいざこざが起きてしまえば、ジュードに顔向けができなかった。
崩れ落ちそうになるフィアリスを、エヴァンが支える。
「何をされたんですか」
「……」
見ていなくても察しはついているが、言葉には出来なかった。知られたくない。
身体中が熱っぽくなっていた。鼓動は速く、呼吸も乱れ始める。
フィアリスが答えないので、エヴァンはうなじの辺りを確認した。
「これは……」
おそらく首には、呪術の陣が浮かび上がっているだろう。全く、あの男の好きそうな術である。
呪術には、相手の尊厳を奪い、意のままに操るものが多く存在する。古の時代には多くの不幸を生み、今もなお一部では使われている淫術だ。
この反応を見る限り、エヴァンは術が何であるのか知っているのだろう。
フィアリスはこの辺のことはさらっとしか教えず、後は必要と思うなら自分で学ぶようにと逃げた。書物はたくさんあるから、目にはしただろう。
「……歩けますか、フィアリス。とりあえず、宿に帰りましょう」
「すまない……」
エヴァンに支えられながら、フィアリスは宿を目指した。身体の火照りは酷くなる一方だ。
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