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5、結婚
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陽が沈みかけている。
のどかな領地のあちこちが夕暮れに染まる景色はノエルが好んでいるものだったが、今は目に入らなかった。
レオフェリス王子がどうか帰ってくれていますようにと祈りながら屋敷に到着したのだが、そこに変わらず王家の馬車があるのを見た瞬間、脱力して馬から落ちそうになった。
(外にいないということは、中にいるのか? ああ、どうしよう。何と言って謝ろう。もし謝っても許してもらえなかったらその時は……)
玄関前で立ち尽くしていたノエルはしばらく悩んでいたが、首を振った。
(その時はその時でなんとかするか……。なんとかなるだろう、たぶん……)
お前はそういうところがダメだ、というオズヴィンの説教を思い出しかけたが、気にしないことにした。
ここに来るまでにろくに頭が回らなかった理由の一つは、オズヴィンに第二夫人だの抱くだの言われてどぎまぎしたせいでもあった。あの時は強気で言い返したが、内心かなり動揺していたのだ。
あいつのせいだ、と唇を突き出して拗ねながら、ノエルはそっと扉を開けて中に入った。
奥から何やら話し声が聞こえてくる。わっと声があがったのを耳にして、ノエルは慌てて走り出した。
(ジェフリー、メイベル!)
もしや彼らは、旦那様の居場所を吐けと、暴行を受けているのでは?
「――そうなのですよ。ノエル坊ちゃんは、見た目も中身も、まるで天使のように美しく清らかな方でして……。あの方は領民達の誇りでございます」
「わかるよ。私にも大変良くしてくださったから」
「まあまあ、王子様にまで褒めていただいて、恐縮です。我々も鼻が高いですよ」
ははは、うふふ、と笑い声が響いている。
部屋に飛び込んだノエルは硬直した。長椅子にレオフェリス王子が腰かけ、ジェフリーとメイベルは楽しそうに談笑していた。王子の付き人は、部屋の隅でおとなしく控えている。
皆がノエルの方へと視線を向け、レオフェリスが笑みを浮かべた。
「おかえりなさい、ノエル様」
「坊ちゃん、遅かったではないですか。いけませんよ、王子様をこんなに長い間放っておいて……」
ジェフリーも様子を見たところ、無事らしく見える。
ノエルは強ばった顔でへらりと笑い、「どうも、殿下……」と声をかけてから、ジェフリー達を壁際に引っ張っていった。
「まず先に言っておくことがある。坊ちゃんはやめてくれ。一日一回は注意しているはずだが、ちっとも改めないではないか。それでレオフェリス殿下だが、どうしていた? お前達は何もされなかったか?」
「はあ。あなたがお戻りになるのを待つと仰られるので、屋敷に入っていただく他はないでしょう。王子様だそうですから、立ちっぱなしではあんまり失礼ですよ。殿下はノエル様についての思い出話をお聞きになりたいと仰いましたから、我々が話していたところです。とても穏やかな方で、何もされやしませんよ」
ノエル達は、声を潜めて話をした。ちらりと目をやると、レオフェリスの前の卓に置かれているのはリンゴ酒であった。王子をもてなすのならばもっと高級なものを出すべきだろう……と思うのだが、ジェフリーとメイベルにはわからないだろう。田舎者の彼らは、他国の王族と聞いてもぴんとこないはずだ。
ノエルだって、王族に会ったのはレオフェリスが初めてだった。田舎貴族の男爵は、自国の王族にすら面会する機会がない。
――そうだ、王子なんだ、レオは。しかも、あの、リューネフェルトの……。
考えただけで腹が痛くなってきそうだった。
「殿下、その、私、あの時のことを謝罪させていただきたくて……」
「あの時のこととは、何です?」
きょとんとするレオフェリスと、彼の付き人にちらちら視線を投げながら、ノエルは言葉を押し出した。本人の前で改めて口にするのは、大変に勇気のいることだった。
「わ、わ、私が、あなたを……、い、犬扱い、したことです……」
王子殿下を犬扱いした不敬罪。自分で自分の罪を言葉にするのはつらいものがあり、これだけで拷問に近い。
訪問者達は武装しておらず、武器は持っていないようだが、まず殴られたり蹴られたりするのだろうか。そのまま引きずられて、馬に繋がれて隣国まで引きずられる?
そうなりそうになったらまず、ジェフリーとメイベルの助命を願わなければ……。
眉目秀麗な王子であるレオフェリスは、ぱちぱちとまばたきを繰り返していたが、すぐに笑顔を浮かべた。
「なんだ、そんなこと! よいのですよ、ノエル様。だって私は、あなたの犬ですから」
ぞっとしてノエルは自分の身を抱きしめる。
どういう意味だ?! 何故笑っている?!
この場合、怒鳴られるより笑われる方が余程怖い。情けなくもおろおろしているノエルの手を引っ張って、レオフェリスは自分の隣に座らせた。
「あの時は身分を明かさずに、申し訳ありませんでした。追われている身でしたので、誰にも正体について知られない方がいいと判断したのです」
「それは、もちろん、そうでしょう」
「あなたのご厚意に甘えて、男爵邸に長く滞在させていただいたことは反省しております。あなた方の身を危険にさらしたかもしれなかった」
「結果的に、何もありませんでしたから」
匿っていた期間も、その後も、レオフェリスを追っている怪しい人間は領地に現れなかったため、ノエル達は問題なく過ごしていたのだ。
ワケアリだとは察したが、まさかそれほど大変なことに巻き込まれていたとは夢にも思わない。ノエルはレオフェリスの手を思わず強く握った。
「生きていてくれてよかった、本当に……。さぞつらかっただろう。そうと知っていたら、もっともっと、優しくしたのに……」
ノエルは歳の近い子供とただただ楽しく遊んでいるような気持ちでいたのだ。あのくらいの年頃は、秘密というものを持つと有頂天になりがちである。自分と彼の気持ちにかなりの差があったことが悔やまれた。
そこでノエルは自分の言動にぎょっとする。いけない、相手は王子だった。いや、次期国王だ。それも来月国王になるというお方だ。また無礼な口のきき方をしてしまって、どうして自分はこうもうっかり者なのか。
だが、レオフェリスは怒らなかった。
「あなたは十分優しかったですよ。ノエル様に出会って、私の心は救われたのです」
うつむいていたノエルだったが、そろりと目をあげてレオフェリスの表情をうかがった。
(もしかして……私を罰する気はないのか?)
感謝の言葉を述べているし、顔つきも声音も終始穏やかである。
許されているかもしれないという考えは、ノエルを励ました。レオフェリスは大国の王となる男で、器も大きいのだろう。だから自分を犬呼ばわりした貧乏男爵も大目に見てくれるのだ。
「私を許してくださるのですか?」
「恩人のあなたに、腹を立てるわけがないでしょう」
それを聞いて、ノエルはやっと緊張をといた。
まだ少々引っかかる点はあるものの――お互い身分がわかっているのに何故こちらを敬うような口調で話すのか? 初めは嫌みかと思ったが、そうでもないようだし――窮地は脱したようである。
「わざわざ足をお運びいただいてまで礼など、よろしかったのに!」
ノエルが笑顔を向けると、レオフェリスも嬉しそうな顔のまま目を細める。
「用事はそれだけではありませんから」
「他に何か?」
「あなたに求婚しに来たのです」
「ああ、求婚! ……、きゅう、何て?」
「ノエル様、私と結婚してください」
互いに手を取り合って見つめていたのだが、ノエルはそこで固まった。内容が内容だけに、言葉の意味を理解するのにやたらと時間がかかる。
「おやおや」とジェフリーが目を丸くする。
「まあまあ」とメイベルも口を押さえて驚いていた。
ようやく何を言われているかわかったノエルは、驚愕のあまりのけぞった。
「け、けっこ、けこ、ん、けっこ、け! っこ、こけ、こけ……」
ニワトリの鳴き声を思わせる情けない声を出して狼狽するノエルを、レオフェリスは変わらず穏やかに眺めている。
どういうことだこれは、リューネフェルトではこういうジョークがあるのか? と王子の付き人の方を確認するが、彼らは真顔で立ったままで、にこりともしていない。
ロマリス国とは違い、リューネフェルトは同性婚が認められている。よって、リューネフェルトの国王になるレオフェリスが、男を伴侶として迎えるのは可能である。
だが、しかし。ノエルは隣国の小領主。釣り合わないにもほどがある。たとえ美貌は国内一(と本人と周囲は思っている)だとしても、莫大な借金の他は何も持たない下級貴族なのだ。
「ノエル様。私と結婚して、リューネフェルトで暮らしてくださいますか?」
けこ、こけ、とまだ鳴き声をあげていたノエルだが、レオフェリスに顔を近づけられ、本心が口から飛び出した。
「い、いきなり、そんなことを言われても……っ」
これ以外にどういう感想があるというのか。わけもわからず、人生の今後を決定するような決断を迫られているのだ。受けるも断るもない。意味がわからない。
目を白黒させているノエルに対し、レオフェリスはすまなさそうに眉を下げて頷いた。
「確かに、そうですね。あなたが混乱されるのも無理はない。よく考えていただきたいですから、時間が必要でしょう」
レオフェリスは名残惜しそうにノエルの手を離した。
ということは、これで訪問は終わりだろうか。礼と、謎の求婚が今回の目的なら、もう済んだことになる。ならば帰るのか。帰ってくれるのか。
正直に言うと、そうしてもらいたい。レオフェリス達がどうこうというより、あらゆる衝撃が強すぎて、もうノエルの精神がもたないのである。
彼らが帰ったら、リンゴ酒を飲んで落ち着こう。そして、寝込もう。疲労感が強すぎて、足もとがふらふらなのだ。第二夫人とか結婚とか、考えるべき事柄は山とあるが、それはひとまず、寝てからだ!
「ここに一ヵ月近く滞在する予定ですから、私が国へ戻るまでに答えを聞かせていただけたらと思います」
さらりとレオフェリスが言った言葉に、ノエルは凍りつく。
「ここって?」
「ミラリア男爵邸です」
「ミラリア男爵邸とは、ここのことか?」
「ええ」
限界を超えた。気が遠くなり、ノエルは長椅子に倒れ込みそうになる。「あっノエル様」とレオフェリスが腕で支えてくれたので、肘掛けに頭を打ち付けずには済んだ。
ノエルは目をつぶったまま声をあげる。
「父上、何が起きているのですか。どうしてこんなことになるのですか? どうか、愚かな私をお助けください、父上。私をお守りください! 何がなんだか……全くわからん!」
レオフェリスは心配そうに声をかけながら、ノエルの体をさすっている。
年寄り二人は顔を見合わせ、ジェフリーが肩をすくめた。
「いやぁ、長く生きていると、いろいろな経験をするもんだなぁ。おったまげたわい」
場にそぐわないのんきなジェフリー老人の声が、家財を売り払ってがらんとした部屋に響いたのだった。
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