美貌の貧乏男爵、犬扱いしていた隣国の王子に求婚される

muku

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6、夕食と犬

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 * * *

 無様に気絶して醜態を晒すのは回避したノエルだったが、いっそ気を失いたかったと思った。
 レオフェリスは冗談ではなく本当に、男爵邸に滞在するつもりらしいのだ。今の男爵家は、誰かをもてなせるような状況にない。それが王族ならなおさらだった。

 食事も、急いで準備しようとしたところでもう日が暮れている。老僕達を外へ走らせるわけにはいかないし、主人であるノエルが客を置いてひとっ走り出かけるのもマナー違反だ。というか、この田舎のどこを駆けずり回ったところで、王子へ供するに相応しい料理の食材など手に入らない。

 男爵邸などではなく、別のところに移った方がよいのではとすすめたかったが、領地で一番大きな邸宅は、ここなのである。となると、ここに泊めるしかない。
 ノエルは、夕食の支度をするメイベルに耳打ちした。

「銀食器は残ってないんだったか?」
「今年の春に全て手放したではないですか」

 こう返されて、ノエルはがっくりと肩を落とす。知ってはいたが、尋ねずにはいられなかった。
 現在男爵邸に住むのは三人だけで、よそからの来客などまずないため、高価な食器は売り払ってしまったのである。最低限必要な木の器や陶器のものがあるだけで、それも質が良くなかったり、欠けていたりする。王子に出していいものではない。

「ないものはないですから、ノエル様。一番ましなもので殿下にお出ししましょう」

 とさすがにメイベルは肝が据わっていた。
 食事の内容もこれまた質素である。ライ麦パンと、豆を煮込んだスープ。それからニシンの塩漬け。あとは砂糖が高価なので蜂蜜で代用した、リンゴのコンポート。そしてワインの代わりのリンゴ酒だ。

 これはノエルにとってはいつもの食事内容で、何の不満もない。濃厚なスープはハーブや塩漬けキャベツが入っていて、味が良いのだ。ノエルは気に入って食べている。
 だが、客に出すとなると話が変わってくるのである。
 食堂で席についたノエルは、こんなものしかなくて大変申し訳ない、ともごもごと謝った。レオフェリスの方は「お構いなく」と笑顔である。

 食堂の椅子は壊れかけてガタガタしている上に数が足りないので、王子の護衛にも席についてもらうわけにはいかなかった。
 ノエルは途方に暮れながら食事を始めた。二人とも黙って食べていたが、そのうちレオフェリスが口を開いた。

「ノエル様は、私のことがお嫌いですか?」
「えっ?!」

 むせそうになりながらノエルはレオフェリスに聞き返す。

「何故、そう仰るのですか、殿下……」
「そのような堅苦しい口調で私とお話になるからです。昔はもっとくだけた様子で話しかけてくださったので」
「いやいや、だってそれは、お前が犬って設定だったし、孤児か何かだと思ったから……」

 ノエルはとっさに自分の口を押さえて顔を背けた。
 また犬と言ってしまった。しかも「お前」。王子への侮辱で、死罪になってもおかしくはない!
 思ったことがすぐに口から飛び出してしまうところを直さなければ、この先とんでもないことになりそうである。

「今も犬ですよ。そしてずっと、これからも」

 またよくわからないことを言うと、レオフェリスはスプーンを置いて続けた。

「ノエル様。私がミラリア男爵領に来た理由はいくつかありますが、その一つは、もう一度ここの景色が見たかったからです。ここは私にとって、安らぎの象徴でもあります。安らぎを与えてくれたのはあなただ。あの時のような気持ちになりたいのです。どうか、身分のことは抜きで私と接していただけませんか」

 無理があるなぁ、とノエルは顔を歪めた。隣国の王子に馴れ馴れしい口のきき方ができるほど、神経は図太くない。沈黙によって渋っていることを相手に伝えようとするノエルだが、レオフェリスは引かなかった。

「先程、使用人から聞きましたが、あなたはご友人の侯爵とはかなり気安い口調で会話をなされるようですね。侯爵と男爵も、家格は相当違うのでは?」

 そうだ。本来であれば、ノエルはオズヴィンをお前呼ばわりしていい立場ではない。しかし、とにかく付き合いが長いのである。

「エヴァルテス侯は、私が生まれて歩き始めた頃からの付き合いなので」

 ノエルにとってオズヴィンは、友人であり、兄のような存在なのだ。

「私とあなたは、二ヵ月とはいえ、毎晩抱きしめあって眠る間柄でしたよね? 私の方が親しいのでは?」

 問われて、ノエルは両腕を組みながら真剣に悩み始めた。はて、親密度合いとは体の接触時間で決まるのだったか?
 考えてみたがわからず、首を傾げるばかりである。

「私はまた、あなたと楽しくお話がしたいのです。身分など忘れてほしい」

 レオフェリスは熱っぽい視線を向けており、顔は真剣そのものだ。ノエルはふと思った。彼はこの後、大国の頂点に立つ男となる。こうして、自由に何かをするなど、これが最後になるのかもしれない。だとしたら、望みをきいてやる方がいいのだろう。満足なもてなしもできない自分が、唯一してやれることだ。

 本人の希望であるし、他人の目のないところならいい。
 わかった、と言いかけたノエルに、レオフェリスが言う。

「レオと呼んでくれますか? お前は私の大切な犬だと仰ってください」

 ノエルは頷いた。

「レオ、お前は私の大切な友人だよ」

 犬の部分は聞かなかったことにする。

「ではレオ、お前も私にそんな丁寧な口調で話しかけるのはやめてもらおうか。ノエル様ではなく、ノエルと呼んでくれ。この場では身分差などない友人同士だものな」
「お断りします。ノエル様はノエル様です。私はあなたの犬ですから、敬って当然です」

 犬、犬、犬、犬! どうしてこの男はそれほど「犬」に固執するのだ! 絶対におかしいぞ!

 ノエルは頭をかきむしりたくなった。レオフェリスの言動で唯一説明がつかないのがこの「自称犬」の部分なのだ。本当は子供の頃犬呼ばわりされたことを恨みに思っていて、わざと強調してプレッシャーをかけようとしているのではないか?
 だが、レオフェリスはそんな意地悪な人間にも見えなかった。

 なんとなくだが、この王子は頑固そうである。どちらかが引くとしたら、ノエルの方だろう。かなり気まずいが、レオフェリスの口調については諦めることに決めた。
 食事の時間はなるべく楽しく過ごしたいものだ、とノエルは気持ちを切り替えた。

「ところでまだ聞いてなかったが、レオはいくつなんだ?」
「二十歳です」
「つまり、私の一つ下か。あの時は小さかったから、三つか四つくらいは下かと思ったよ」

 逃避行が過酷だったからかやせ細っていて、だから幼く見えたのかもしれない。彼は少女に見間違えるような可愛らしい顔をしていた。それがいまや、精悍な若者に成長しているから感動を覚える。

 物腰は穏やかだが、独特の貫禄があった。月光のような銀の髪は美しく、高貴な血筋を思わせる。

「私より若いのに、随分と苦労をしたのだな。立派だ。私には想像もつかない苦しみを乗り越えのだろう」
「あなたの優しさがあったからこそ、私は生きていられたのですよ」

 レオフェリスはリンゴ酒に口をつけた。

「懐かしい香りだ」
「あの時お前が飲んだのは、酒ではなくて蜂蜜入りのリンゴ湯だったんだ。薬湯のようなものだよ」

 水の質が悪ければ発酵させた酒の方がかえって安全だからと、希釈した酒を子供に飲ませる地域もあるが、この辺りでは避けられている。寒い時期に子供の体をあたためるのは、リンゴ湯なのだ。

「ミラリア領のリンゴ酒は先程初めて飲みましたが、爽やかだし、とても味が良いですね。酸味が絶妙だ。他の地域のものは甘みがぼんやりした印象ですが、ミラリアのものは違う」
「そうなんだよ!」

 レオフェリスの言葉が嬉しくて、頬を紅潮させたノエルはつい立ち上がった。

「わかってくれるか。寒冷地だから、霜が降りる頃まで熟させた遅摘みリンゴを使っているんだ。この土地でのリンゴ酒の歴史は古い。リンゴ酒の製造はミラリア領の冬の副業となっていて、私が力を入れているものの一つなんだ。味には絶対の自信がある。ただ、生産量が少ないのと、どうも商人に舐められて安く買い叩かれ、稼ぎが少なく……」

 早口で話すノエルだったが、途中で勢いを失った。金の話をすると、どうしても借金の問題が頭をよぎる。ため息をつきそうになるが、大事な客の前なのでこらえた。

 給仕のために近寄ってきたジェフリーとメイベルが、目つきでノエルをたしなめる。彼と彼女の目は「食事中に立ち上がるなど、お行儀が悪いですよ、坊ちゃん」と言っていた。彼らは一生、ミラリア男爵家当主を子供扱いする気でいるのかもしれない。孫を見るような目である。

 ノエルは咳払いをして「失礼」と椅子に座り直した。ぎい、と木製の椅子が危うい音を立てる。

「お世辞ではありません。本当に美味ですよ」
「ありがとう」

 レオフェリスは酒を飲み干した。
 オズヴィンのところへも持って行って飲んでもらったことがあり、味は褒めてもらったが、「で、儲けはいかほどだ?」と聞かれて沈黙してしまった。
 いいさ、王子に気に入ってもらえたんだから、とノエルは自分を慰め、金の問題はひとまず忘れた。

 こんな粗末な食事は王子の口に合わないだろうと心配したが、レオフェリスは、潜伏生活が長かったために野宿も珍しくなく、木の実で空腹をしのいだりもしていたので全く問題はないと話した。彼が城で優雅に暮らしていたのは十歳までで、戻れたのはつい最近というからそれはそうなのだろう。

 穏やかに談笑し、夜は更けていく。ノエルは適応能力が高い男で、貧困のために生活の質が落ちても苦ではなく、質素な生活にも即慣れた。なので、王子に友のように振る舞ってくれと言われて、初めは抵抗があったがこれにもあっさり慣れたのだった。
 そろそろ部屋に引き取る時間だが、と思ったノエルは、はたと動きを止めた。

(そうだ、うちには余分な寝具がない!)

 売れるものは徹底的に売ったため、寝台すらないのである。使用人には止められたが、どうせ客なんて来ないから、とノエルは来客用の家財も売り払ってしまった。
 オズヴィンはあれでも忙しくて、ミラリア男爵領にやって来て男爵邸に泊まる機会などまずない。オズヴィン以外は領地の外にノエルの知り合いはいないも同然だ。だから客は来ないし、寝台もいらない。これがノエルの理屈である。

 王子が訪問するなど、夢にも思わない。というか、仮に売らなかったとしても寝かせられる質のものではないのだが。

「レオ、実はその、お前達の寝るところが……」

 とノエルが事情を説明すると、レオフェリスは頷いた。

「私が連れてきた者達は、長椅子で寝かせてもらいます。私はあなたの寝台で一緒に寝ますから、大丈夫ですよ」
「長椅子か……しかし、それではあまりに……。え、一緒に?」

 ノエルもそこそこ非常識なことを言う男なのだが、レオフェリスはそれを上回る非常識な発言をしてくるので、ノエルの理解が追いつかなかった。

「昔は一緒に寝たでしょう?」

 ね? とレオフェリスは首を傾げて見せる。それほど大柄ではなく、細く見えるレオフェリスだが、仕草のせいかどことなく人なつっこい犬のように見える時があった。
 襟足の長い銀の髪。ノエルは金髪碧眼だが、レオフェリスの青い瞳は、ノエルのそれよりやや薄い。

 涼やかな目元。上品な鼻梁。
 頭が回らなくなったノエルは「綺麗な顔だな」と場違いな感想を抱いていた。
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