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5.Take it easy(佑樹)
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姉貴との通話アプリの接続が切れ、一人になった僕は速度を上げ、50km/hぐらいのスピードをキープしながら県道22号を西へ西へと駆け抜けていく。
信号で停まったタイミングでスマホを操作してミュージックプレイヤーを再生し、周囲に人がいない田舎道であることをいいことにワイヤレスイヤホンから流れてくるお気に入りの古い洋楽に合わせて歌詞を口ずさむ。
「……Take it easy Take it easy Don't let the sound of your own wheels Drive you crazy」
梅雨入り前の六月の気候はバイクで走るのに最適で、朝の湿気を含んだ新鮮な空気の中で僕は風になる。
紀伊半島の東側で伊勢湾に面する伊勢市から、日本一の清流としてそこそこ知名度のある宮川沿いの県道22号を上流である西に向かって走っていけば、やがて隣町である度会町に入る。
伊勢市と度会町の境目である川口の交差点で県道22号を離れ、宮川に掛かる内城田大橋を渡り、度会町の中心部を通っている県道38号に入り、今度はその道を走っていく。
度会町は宮川の河岸段丘沿いに発展した縦に長い人口1万人弱の田舎町だ。木材とお茶と米に支えられているこの町の風景は、そのまんま植林された山と茶畑と田んぼとその中に点在する集落であり、まさに古き良き日本の田舎といった趣のある長閑な町だ。
僕はこの町をバイクで走るのが好きだ。
一日ごとに微妙に表情を変える空や山の景色。初夏の田んぼを渡ってくる風に雑じる土の匂い。茶工場の横を通る時の茶の葉を蒸す匂い。山裾の製材所の杉材やヒノキ材の上品な匂い。
これらはバイク乗りしか味わえない特権だ。
車と違って体がむき出しのバイクは、もし事故ったらその危険性は車とは比べ物にならない。でも、体がむき出しだからこそ、走っている時は周りの風景や空気を視覚だけじゃなく五感すべてで感じ取ることができる。この、自然と一体化しているような感覚はバイク以外の乗り物では決して味わうことができないと思う。
県道38号をしばらく走り、度会町と多気町との町境である女鬼峠を上り、トンネルを抜けて多気町に入る。
峠を下り五桂、油夫を経由して国道42号に出てそのまま北に向かってしばらく走り、櫛田川を渡ればブランド和牛で有名な松阪市に入るが、僕の通う高校──三重県立相鹿高等学校は櫛田川の南側、多気町側にある。
相鹿高校はいわゆる総合学科の高校で、A、B、C、F、G、Hの一学年六クラス。A~Cの三クラスが普通科、Fが生産経済科、Gが土木科、Hが食物調理科となっている。ちなみにこの食物調理科は文部科学省ではなく厚生労働省の管轄下の調理師養成施設という位置付けにあり、高校卒業と同時に調理師免許が取得できる人気学科で、姉貴もここの卒業生だ。本当は僕も志望していたが、あまりの人気に倍率が高すぎて断念した。
普通科も、Aの特別進学組、B、Cの就職もしくは進学組、に分かれていて授業の内容も違う。僕は高卒就職希望なので一年C組だ。
高校の敷地は道路を挟んで北側と南側に分かれており、北側に校舎が四棟、南側に体育館とグラウンドと武道館と部室棟がある。自転車置き場は北側の校舎のすぐ近くにあるのだが、バイク置き場は南側の体育館裏だ。おそらく、徒歩や自転車通学の生徒の安全に配慮してのことだろう。
[しるばー]をバイク置き場に停めて、道を渡って校舎に向かう。バイク置き場に並んでいる原付は7割がスクーター、2割がスーパーカブ、1割がモンキー、ゴリラ、ダックス、エイプといった自分で言うのもなんだがちょっと趣味に走ったミニバイク。
朝錬を終えた運動部連中や僕と同じく今登校してきた生徒たちに混じって昇降口に着いた僕は、そこでクラスメイトの大倉香奈に会った。一応、同小同中のそれなりに付き合いの長い相手ではあるが、高校に入るまではほとんど接点のない顔見知り程度の間柄だった。
「お、大倉さん。おはよう」
声を掛けるとすでに上履きに履き替えていた彼女が、ちょっと癖のある肩までの髪を揺らして振り向く。顔立ちは整っているのだが、残念ながら彼女はいつも不機嫌そうな仏頂面で、いつも一人でいて、人との会話も必要最低限しかしないので、近寄りがたい雰囲気を醸し出していてクラスでも浮いている。
「……ん。宮本君か。おはよ」
次の瞬間、彼女が怪訝な顔をする。
「……なんなんその手?」
「手?」
自分の手のひらを見て、大倉さんの表情の意味を悟る。
「……ああこれなー、バイクのオイルやな。朝、家を出るちょっと前までバイクをいじっとったからさ。一応洗ったんやけど爪とか指紋の中まで入ってるやつはお湯で温めんと取れんのよな」
指の爪がバイクのオイルでかなり目立つぐらい汚れている。石鹸の手洗いではおおざっぱな汚れは落ちるのだが、指紋の凹凸の隙間に入り込んだ奴が結構頑固で、湯を使い、爪ブラシとかを使って丁寧にこすらないと落ちてくれないのだ。今朝はそこまで丁寧に洗う時間がなかった。まあどうせ風呂に入ったらキレイになるしな。
「ああ、宮本君ってバイク通学に切り換えたんや。それで最近電車で見やんかったんやな」
「お、一応認知はされとったんやな」
「……あたしをなんやと。伊勢から同じ電車で通ってた同級生が急に行き帰りで被らんくなったら気にはなるやろ。でも伊勢から多気までバイクってえらない? 片道30kmぐらいあるやろ」
「そら雨の日とかはえらいけどな。晴れとったらぜんぜん気にならんに。むしろ今の時期やったらバイクで走ると最高なんやで」
「そうなんや。てか宮本君って自分でもバイクいじれるんやな」
「そやな。そういうんに詳しい知り合いもおるし、色々教えてもらいながら整備は基本的に自分でするな」
「はー。好きなんやな」
「うん。うちの姉貴もバイク通学しとったから、俺も中坊の頃から姉貴のバイクをいじっとったんさ。十六になるんが待ち遠しかったわ」
「あーバイクの免許は十六で取れるんやっけ。誕生日いつやったん?」
「四月十日。大倉さんは?」
「来週。六月二十二日」
「ああ、じゃあもうすぐやん。免許取る気は?」
「……興味ないなー」
「そっかー」
まだ右足で軽くびっこを引いてる大倉さんに歩調を合わせ、他愛のないやりとりをしながら、なんとなく一緒に教室に向かう。この通り、会話をしてみれば案外話しやすくはあるし、こうして話している時は表情も柔らかくなるのだが、デフォルトが仏頂面なのが正直もったいないと思う。まぁ、事情を知っている身としてはそれもしゃあないなとも思うが。
中学時代の彼女は、中学女子100メートル走の日本記録保持者という学校一の有名人で、いつも人の輪の中心にいて、明るく溌剌としていて、僕にとっては違う世界の住人だった。
将来の夢は? と聞かれれば、オリンピックに出てメダルを取ること、と冗談抜きに答えていた彼女は去年、競技中の怪我で選手生命が絶たれた。
決まっていたスポーツ推薦も取り消され、誰よりも早く自分の将来を決めていたはずの彼女は一般入試でこの高校に入り、皮肉なことに普通科の中でも進学か就職か決めかねている生徒が集まるC組に在籍している。
当時の彼女の取り巻きたちは一人もこの高校には来ていない。……というか同じ中学出身者とはなるべく距離を取りたくてあえて伊勢からは遠いこの学校を選んだんだろう。中三の夏以降の彼女の落ち込みようはすさまじく、誰もが同情しつつも掛ける言葉が見つからずに遠巻きに見ているような状態だった。
中学時代は話す間柄ではなかったとはいえ、昔からの知り合いである僕が高校でまたクラスメイトになったと知った時の彼女のめっちゃ嫌そうな顔はなかなか印象深かった。それが今では普通に話す間柄になっているのだから世の中わからんものである。
話すようになってから知った情報だが、大倉さんはうちの弱小陸上部から、アドバイザーとかコーチ的な役割のマネージャーとして熱心に勧誘されたらしいが、そういうのを一切断って、今は帰宅部らしい。
「ほなな」
「おー、またな」
教室の入り口で別れてそれぞれの席に向かう。教室内の席順は、まだ席替えをしていないので名簿順であり、出席番号六番の大倉さんは窓際の一番後ろの席で、二十番の僕は真ん中の列の真ん中だ。
自分の席から大倉さんを見ると、彼女はいつものように頬杖をついてつまらなそうに窓の外を眺めていた。
【作者コメント】
ようやくヒロイン再登場。通学時に佑樹が聴いているのはイーグルスの1972年発表のデビュー曲『Take It Easy』意味は、気楽に行こうぜとか気ままにのんびりとかそんな感じ。曲の疾走感がバイクにぴったりでめっちゃ好き。
ちなみに作者の実家は度会町にあり、祐樹の通学ルートはまんま高校時代の通学ルートだったりします。高校名はさすがにちょっと変えてますがそれ以外は概ねリアル準拠です。
信号で停まったタイミングでスマホを操作してミュージックプレイヤーを再生し、周囲に人がいない田舎道であることをいいことにワイヤレスイヤホンから流れてくるお気に入りの古い洋楽に合わせて歌詞を口ずさむ。
「……Take it easy Take it easy Don't let the sound of your own wheels Drive you crazy」
梅雨入り前の六月の気候はバイクで走るのに最適で、朝の湿気を含んだ新鮮な空気の中で僕は風になる。
紀伊半島の東側で伊勢湾に面する伊勢市から、日本一の清流としてそこそこ知名度のある宮川沿いの県道22号を上流である西に向かって走っていけば、やがて隣町である度会町に入る。
伊勢市と度会町の境目である川口の交差点で県道22号を離れ、宮川に掛かる内城田大橋を渡り、度会町の中心部を通っている県道38号に入り、今度はその道を走っていく。
度会町は宮川の河岸段丘沿いに発展した縦に長い人口1万人弱の田舎町だ。木材とお茶と米に支えられているこの町の風景は、そのまんま植林された山と茶畑と田んぼとその中に点在する集落であり、まさに古き良き日本の田舎といった趣のある長閑な町だ。
僕はこの町をバイクで走るのが好きだ。
一日ごとに微妙に表情を変える空や山の景色。初夏の田んぼを渡ってくる風に雑じる土の匂い。茶工場の横を通る時の茶の葉を蒸す匂い。山裾の製材所の杉材やヒノキ材の上品な匂い。
これらはバイク乗りしか味わえない特権だ。
車と違って体がむき出しのバイクは、もし事故ったらその危険性は車とは比べ物にならない。でも、体がむき出しだからこそ、走っている時は周りの風景や空気を視覚だけじゃなく五感すべてで感じ取ることができる。この、自然と一体化しているような感覚はバイク以外の乗り物では決して味わうことができないと思う。
県道38号をしばらく走り、度会町と多気町との町境である女鬼峠を上り、トンネルを抜けて多気町に入る。
峠を下り五桂、油夫を経由して国道42号に出てそのまま北に向かってしばらく走り、櫛田川を渡ればブランド和牛で有名な松阪市に入るが、僕の通う高校──三重県立相鹿高等学校は櫛田川の南側、多気町側にある。
相鹿高校はいわゆる総合学科の高校で、A、B、C、F、G、Hの一学年六クラス。A~Cの三クラスが普通科、Fが生産経済科、Gが土木科、Hが食物調理科となっている。ちなみにこの食物調理科は文部科学省ではなく厚生労働省の管轄下の調理師養成施設という位置付けにあり、高校卒業と同時に調理師免許が取得できる人気学科で、姉貴もここの卒業生だ。本当は僕も志望していたが、あまりの人気に倍率が高すぎて断念した。
普通科も、Aの特別進学組、B、Cの就職もしくは進学組、に分かれていて授業の内容も違う。僕は高卒就職希望なので一年C組だ。
高校の敷地は道路を挟んで北側と南側に分かれており、北側に校舎が四棟、南側に体育館とグラウンドと武道館と部室棟がある。自転車置き場は北側の校舎のすぐ近くにあるのだが、バイク置き場は南側の体育館裏だ。おそらく、徒歩や自転車通学の生徒の安全に配慮してのことだろう。
[しるばー]をバイク置き場に停めて、道を渡って校舎に向かう。バイク置き場に並んでいる原付は7割がスクーター、2割がスーパーカブ、1割がモンキー、ゴリラ、ダックス、エイプといった自分で言うのもなんだがちょっと趣味に走ったミニバイク。
朝錬を終えた運動部連中や僕と同じく今登校してきた生徒たちに混じって昇降口に着いた僕は、そこでクラスメイトの大倉香奈に会った。一応、同小同中のそれなりに付き合いの長い相手ではあるが、高校に入るまではほとんど接点のない顔見知り程度の間柄だった。
「お、大倉さん。おはよう」
声を掛けるとすでに上履きに履き替えていた彼女が、ちょっと癖のある肩までの髪を揺らして振り向く。顔立ちは整っているのだが、残念ながら彼女はいつも不機嫌そうな仏頂面で、いつも一人でいて、人との会話も必要最低限しかしないので、近寄りがたい雰囲気を醸し出していてクラスでも浮いている。
「……ん。宮本君か。おはよ」
次の瞬間、彼女が怪訝な顔をする。
「……なんなんその手?」
「手?」
自分の手のひらを見て、大倉さんの表情の意味を悟る。
「……ああこれなー、バイクのオイルやな。朝、家を出るちょっと前までバイクをいじっとったからさ。一応洗ったんやけど爪とか指紋の中まで入ってるやつはお湯で温めんと取れんのよな」
指の爪がバイクのオイルでかなり目立つぐらい汚れている。石鹸の手洗いではおおざっぱな汚れは落ちるのだが、指紋の凹凸の隙間に入り込んだ奴が結構頑固で、湯を使い、爪ブラシとかを使って丁寧にこすらないと落ちてくれないのだ。今朝はそこまで丁寧に洗う時間がなかった。まあどうせ風呂に入ったらキレイになるしな。
「ああ、宮本君ってバイク通学に切り換えたんや。それで最近電車で見やんかったんやな」
「お、一応認知はされとったんやな」
「……あたしをなんやと。伊勢から同じ電車で通ってた同級生が急に行き帰りで被らんくなったら気にはなるやろ。でも伊勢から多気までバイクってえらない? 片道30kmぐらいあるやろ」
「そら雨の日とかはえらいけどな。晴れとったらぜんぜん気にならんに。むしろ今の時期やったらバイクで走ると最高なんやで」
「そうなんや。てか宮本君って自分でもバイクいじれるんやな」
「そやな。そういうんに詳しい知り合いもおるし、色々教えてもらいながら整備は基本的に自分でするな」
「はー。好きなんやな」
「うん。うちの姉貴もバイク通学しとったから、俺も中坊の頃から姉貴のバイクをいじっとったんさ。十六になるんが待ち遠しかったわ」
「あーバイクの免許は十六で取れるんやっけ。誕生日いつやったん?」
「四月十日。大倉さんは?」
「来週。六月二十二日」
「ああ、じゃあもうすぐやん。免許取る気は?」
「……興味ないなー」
「そっかー」
まだ右足で軽くびっこを引いてる大倉さんに歩調を合わせ、他愛のないやりとりをしながら、なんとなく一緒に教室に向かう。この通り、会話をしてみれば案外話しやすくはあるし、こうして話している時は表情も柔らかくなるのだが、デフォルトが仏頂面なのが正直もったいないと思う。まぁ、事情を知っている身としてはそれもしゃあないなとも思うが。
中学時代の彼女は、中学女子100メートル走の日本記録保持者という学校一の有名人で、いつも人の輪の中心にいて、明るく溌剌としていて、僕にとっては違う世界の住人だった。
将来の夢は? と聞かれれば、オリンピックに出てメダルを取ること、と冗談抜きに答えていた彼女は去年、競技中の怪我で選手生命が絶たれた。
決まっていたスポーツ推薦も取り消され、誰よりも早く自分の将来を決めていたはずの彼女は一般入試でこの高校に入り、皮肉なことに普通科の中でも進学か就職か決めかねている生徒が集まるC組に在籍している。
当時の彼女の取り巻きたちは一人もこの高校には来ていない。……というか同じ中学出身者とはなるべく距離を取りたくてあえて伊勢からは遠いこの学校を選んだんだろう。中三の夏以降の彼女の落ち込みようはすさまじく、誰もが同情しつつも掛ける言葉が見つからずに遠巻きに見ているような状態だった。
中学時代は話す間柄ではなかったとはいえ、昔からの知り合いである僕が高校でまたクラスメイトになったと知った時の彼女のめっちゃ嫌そうな顔はなかなか印象深かった。それが今では普通に話す間柄になっているのだから世の中わからんものである。
話すようになってから知った情報だが、大倉さんはうちの弱小陸上部から、アドバイザーとかコーチ的な役割のマネージャーとして熱心に勧誘されたらしいが、そういうのを一切断って、今は帰宅部らしい。
「ほなな」
「おー、またな」
教室の入り口で別れてそれぞれの席に向かう。教室内の席順は、まだ席替えをしていないので名簿順であり、出席番号六番の大倉さんは窓際の一番後ろの席で、二十番の僕は真ん中の列の真ん中だ。
自分の席から大倉さんを見ると、彼女はいつものように頬杖をついてつまらなそうに窓の外を眺めていた。
【作者コメント】
ようやくヒロイン再登場。通学時に佑樹が聴いているのはイーグルスの1972年発表のデビュー曲『Take It Easy』意味は、気楽に行こうぜとか気ままにのんびりとかそんな感じ。曲の疾走感がバイクにぴったりでめっちゃ好き。
ちなみに作者の実家は度会町にあり、祐樹の通学ルートはまんま高校時代の通学ルートだったりします。高校名はさすがにちょっと変えてますがそれ以外は概ねリアル準拠です。
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