26 / 28
二十六話
しおりを挟む
アイゼン帝国の空が、見たこともないような黄金のオーロラに覆われた。
城全体が微かな振動に包まれ、庭園の植物たちは一斉に花首を天へと向けている。フィオーレの体内に宿った「命の種」が、いよいよ現世へと芽吹こうとする兆しだった。
「……っ、あ……熱い……」
離宮の最上階、聖なる泉の間。
フィオーレは白い寝衣一枚で、大理石の床に横たわっていた。右肩の紋様は、もはや銀色を通り越して真っ白な光を放ち、彼の全身を透かしている。
ヴォルフラムは、傍らでフィオーレの汗ばんだ手を強く握りしめていた。彼の表情は、戦場で見せるものよりもずっと険しく、余裕を失っている。
「フィオーレ、しっかりしろ。俺の手を離すな」
「ヴォルフラム、様……まぶしくて、何も……っ」
不意に、泉の水面が大きく盛り上がった。
光の粒子が寄り集まり、人ならざる高貴な姿を結ぶ。それは、古の時代から聖種の血統を見守り続けてきた「精霊の王」の化身だった。
「聖種の番よ。そして、その伴侶よ」
声は直接脳内に響き、部屋の空気を震わせる。
精霊王は、光る指先をフィオーレの額に向けた。その瞬間、フィオーレの意識は、ヴォルフラムの手の感触すら消えるほどの漆黒の空間へと引き込まれた。
「フィオーレ。お前の魂は、あまりにも純粋で、脆すぎる。これまで多くの痛みと寒さに耐えてきたな」
精霊王の瞳が、フィオーレの深層心理を暴く。
ラングリスで受けた蔑み、孤独な夜、枯れかけた庭。
「今、お前の中にある命の種は、お前の生命力を糧にしている。このままこの世界で生み落とせば、お前は再び『人間』としての脆弱さに苦しむことになるだろう。……どうだ。私と共に、苦しみも寒さもない精霊の国へ来ないか。種もろとも、永遠の安らぎを与えよう」
フィオーレの心が、一瞬だけ揺らいだ。
痛みも、怖さもない世界。そこへ行けば、もう二度と「捨てられる」恐怖に怯えることはない。
「……待て。連れて行かせはしない」
空間を切り裂くように、ヴォルフラムの声が届いた。
精霊の作り出した結界の外側で、ヴォルフラムは自分の手を、目に見えるほどの魔力で包み込んでいた。彼は精霊王に向かって、一歩も退かずに剣を抜く。
「フィオーレの魂を惑わすな。そいつの苦しみも、寒さも、これからはすべて俺が半分背負う。永遠の安らぎなど必要ない。俺が欲しいのは、俺の腕の中で泣き笑いする、生身のフィオーレだ!」
ヴォルフラムは、光の障壁に無理やり手を突っ込んだ。
パチパチと火花が散り、彼の逞しい腕が魔力の干渉で赤く焼ける。けれど、ヴォルフラムは顔色一つ変えず、ただ真っ直ぐにフィオーレを見つめた。
「フィオーレ! 俺を見ろ! お前を拾ったのは俺だ。捨てるのも俺が決めることだと、最初に出会った日に言ったはずだ。……俺がお前を、一生手放さんと言っているんだ!」
その叫びが、フィオーレの意識を繋ぎ止めた。
精霊王が用意した静寂よりも、ヴォルフラムの怒声の方が、ずっとずっと温かかった。
「……ヴォルフラム、様……」
フィオーレは、差し出されたヴォルフラムの手を、全力で掴み返した。
焼けるような熱。けれど、これこそが自分が求めていた「真実」の質感だった。
「精霊王様……。私は、あの方のそばにいます。痛くても、怖くても……あの方の手が、こんなに熱いから」
フィオーレがそう告げた瞬間、精霊王は満足げに、静かな笑みを浮かべた。
「……合格だ。絆とは、欠落を補い合うこと。聖種は今、愛という真の栄養を得た」
眩い閃光が走り、フィオーレの体からあふれ出した光が、部屋の隅々にまで満ちる。
右肩の紋様が一度激しく脈打ち、そして――。
聖なる泉の中央、光の繭の中から、か細い、けれど確かな産声が響き渡った。
静寂が戻った部屋。
フィオーレは、ヴォルフラムの胸の中で激しく息を切らしていた。彼の右肩からは、あの重苦しい紋様の熱が消え、代わりに心地よい疲労感が全身を包んでいる。
「……終わったのか?」
ヴォルフラムが掠れた声で問いかける。
ヴァレリウスが震える手で、泉から「それ」を掬い上げた。
それは、人間の赤ん坊のような姿をしていながら、髪の一部が銀色に輝く、神々しい小さな命だった。
「陛下、フィオーレ様。……おめでとうございます。アイゼン帝国の、新たなる太陽の誕生です」
ヴォルフラムは、おずおずと差し出された小さな命を、自分の大きな腕で抱き上げた。
これまで剣とペンしか握ってこなかった彼の腕が、初めて震えている。
「……柔らかいな。壊れてしまいそうだ」
「ヴォルフラム様……見せてください」
フィオーレが身を起こすと、ヴォルフラムは慎重に、フィオーレの腕の中へその命を預けた。
自分と、大好きな人の血を引く、新しい命。
その温もりを感じた瞬間、フィオーレの瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
「生きてる……。私たちの、子供……」
「ああ。……フィオーレ、よく頑張った。お前は、俺の誇りだ」
ヴォルフラムは、フィオーレと赤ん坊を、自分のマントごと丸ごと抱きしめた。
精霊の試練を乗り越え、二人の絆はもはや、この世の誰にも引き裂けないものへと昇華していた。
窓の外では、黄金のオーロラがゆっくりと消え、代わりに清々しい春の朝日が差し込み始めていた。
不憫な境遇にいた少年は、今、一国の皇帝の愛に包まれ、新しい命の父となった。
城全体が微かな振動に包まれ、庭園の植物たちは一斉に花首を天へと向けている。フィオーレの体内に宿った「命の種」が、いよいよ現世へと芽吹こうとする兆しだった。
「……っ、あ……熱い……」
離宮の最上階、聖なる泉の間。
フィオーレは白い寝衣一枚で、大理石の床に横たわっていた。右肩の紋様は、もはや銀色を通り越して真っ白な光を放ち、彼の全身を透かしている。
ヴォルフラムは、傍らでフィオーレの汗ばんだ手を強く握りしめていた。彼の表情は、戦場で見せるものよりもずっと険しく、余裕を失っている。
「フィオーレ、しっかりしろ。俺の手を離すな」
「ヴォルフラム、様……まぶしくて、何も……っ」
不意に、泉の水面が大きく盛り上がった。
光の粒子が寄り集まり、人ならざる高貴な姿を結ぶ。それは、古の時代から聖種の血統を見守り続けてきた「精霊の王」の化身だった。
「聖種の番よ。そして、その伴侶よ」
声は直接脳内に響き、部屋の空気を震わせる。
精霊王は、光る指先をフィオーレの額に向けた。その瞬間、フィオーレの意識は、ヴォルフラムの手の感触すら消えるほどの漆黒の空間へと引き込まれた。
「フィオーレ。お前の魂は、あまりにも純粋で、脆すぎる。これまで多くの痛みと寒さに耐えてきたな」
精霊王の瞳が、フィオーレの深層心理を暴く。
ラングリスで受けた蔑み、孤独な夜、枯れかけた庭。
「今、お前の中にある命の種は、お前の生命力を糧にしている。このままこの世界で生み落とせば、お前は再び『人間』としての脆弱さに苦しむことになるだろう。……どうだ。私と共に、苦しみも寒さもない精霊の国へ来ないか。種もろとも、永遠の安らぎを与えよう」
フィオーレの心が、一瞬だけ揺らいだ。
痛みも、怖さもない世界。そこへ行けば、もう二度と「捨てられる」恐怖に怯えることはない。
「……待て。連れて行かせはしない」
空間を切り裂くように、ヴォルフラムの声が届いた。
精霊の作り出した結界の外側で、ヴォルフラムは自分の手を、目に見えるほどの魔力で包み込んでいた。彼は精霊王に向かって、一歩も退かずに剣を抜く。
「フィオーレの魂を惑わすな。そいつの苦しみも、寒さも、これからはすべて俺が半分背負う。永遠の安らぎなど必要ない。俺が欲しいのは、俺の腕の中で泣き笑いする、生身のフィオーレだ!」
ヴォルフラムは、光の障壁に無理やり手を突っ込んだ。
パチパチと火花が散り、彼の逞しい腕が魔力の干渉で赤く焼ける。けれど、ヴォルフラムは顔色一つ変えず、ただ真っ直ぐにフィオーレを見つめた。
「フィオーレ! 俺を見ろ! お前を拾ったのは俺だ。捨てるのも俺が決めることだと、最初に出会った日に言ったはずだ。……俺がお前を、一生手放さんと言っているんだ!」
その叫びが、フィオーレの意識を繋ぎ止めた。
精霊王が用意した静寂よりも、ヴォルフラムの怒声の方が、ずっとずっと温かかった。
「……ヴォルフラム、様……」
フィオーレは、差し出されたヴォルフラムの手を、全力で掴み返した。
焼けるような熱。けれど、これこそが自分が求めていた「真実」の質感だった。
「精霊王様……。私は、あの方のそばにいます。痛くても、怖くても……あの方の手が、こんなに熱いから」
フィオーレがそう告げた瞬間、精霊王は満足げに、静かな笑みを浮かべた。
「……合格だ。絆とは、欠落を補い合うこと。聖種は今、愛という真の栄養を得た」
眩い閃光が走り、フィオーレの体からあふれ出した光が、部屋の隅々にまで満ちる。
右肩の紋様が一度激しく脈打ち、そして――。
聖なる泉の中央、光の繭の中から、か細い、けれど確かな産声が響き渡った。
静寂が戻った部屋。
フィオーレは、ヴォルフラムの胸の中で激しく息を切らしていた。彼の右肩からは、あの重苦しい紋様の熱が消え、代わりに心地よい疲労感が全身を包んでいる。
「……終わったのか?」
ヴォルフラムが掠れた声で問いかける。
ヴァレリウスが震える手で、泉から「それ」を掬い上げた。
それは、人間の赤ん坊のような姿をしていながら、髪の一部が銀色に輝く、神々しい小さな命だった。
「陛下、フィオーレ様。……おめでとうございます。アイゼン帝国の、新たなる太陽の誕生です」
ヴォルフラムは、おずおずと差し出された小さな命を、自分の大きな腕で抱き上げた。
これまで剣とペンしか握ってこなかった彼の腕が、初めて震えている。
「……柔らかいな。壊れてしまいそうだ」
「ヴォルフラム様……見せてください」
フィオーレが身を起こすと、ヴォルフラムは慎重に、フィオーレの腕の中へその命を預けた。
自分と、大好きな人の血を引く、新しい命。
その温もりを感じた瞬間、フィオーレの瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
「生きてる……。私たちの、子供……」
「ああ。……フィオーレ、よく頑張った。お前は、俺の誇りだ」
ヴォルフラムは、フィオーレと赤ん坊を、自分のマントごと丸ごと抱きしめた。
精霊の試練を乗り越え、二人の絆はもはや、この世の誰にも引き裂けないものへと昇華していた。
窓の外では、黄金のオーロラがゆっくりと消え、代わりに清々しい春の朝日が差し込み始めていた。
不憫な境遇にいた少年は、今、一国の皇帝の愛に包まれ、新しい命の父となった。
15
あなたにおすすめの小説
身代わりの出来損ない令息ですが冷酷無比な次期公爵閣下に「離さない」と極上の愛で溶かされています~今更戻ってこいと言われてももう遅いです〜
たら昆布
BL
冷酷無比な死神公爵 × 虐げられた身代わり令息
【完結】第三王子、ただいま輸送中。理由は多分、大臣です
ナポ
BL
ラクス王子、目覚めたら馬車の中。
理由は不明、手紙一通とパン一個。
どうやら「王宮の空気を乱したため、左遷」だそうです。
そんな理由でいいのか!?
でもなぜか辺境での暮らしが思いのほか快適!
自由だし、食事は美味しいし、うるさい兄たちもいない!
……と思いきや、襲撃事件に巻き込まれたり、何かの教祖にされたり、ドタバタと騒がしい!!
【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー
AI比較企画作品
いい加減観念して結婚してください
彩根梨愛
BL
平凡なオメガが成り行きで決まった婚約解消予定のアルファに結婚を迫られる話
元々ショートショートでしたが、続編を書きましたので短編になりました。
2025/05/05時点でBL18位ありがとうございます。
作者自身驚いていますが、お楽しみ頂き光栄です。
悪役令嬢と呼ばれた侯爵家三男は、隣国皇子に愛される
木月月
BL
貴族学園に通う主人公、シリル。ある日、ローズピンクな髪が特徴的な令嬢にいきなりぶつかられ「悪役令嬢」と指を指されたが、シリルはれっきとした男。令嬢ではないため無視していたら、学園のエントランスの踊り場の階段から突き落とされる。骨折や打撲を覚悟してたシリルを抱き抱え助けたのは、隣国からの留学生で同じクラスに居る第2皇子殿下、ルシアン。シリルの家の侯爵家にホームステイしている友人でもある。シリルを突き落とした令嬢は「その人、悪役令嬢です!離れて殿下!」と叫び、ルシアンはシリルを「護るべきものだから、守った」といい始めーー
※この話は小説家になろうにも掲載しています。
悪役令息(Ω)に転生したので、破滅を避けてスローライフを目指します。だけどなぜか最強騎士団長(α)の運命の番に認定され、溺愛ルートに突入!
水凪しおん
BL
貧乏男爵家の三男リヒトには秘密があった。
それは、自分が乙女ゲームの「悪役令息」であり、現代日本から転生してきたという記憶だ。
家は没落寸前、自身の立場は断罪エンドへまっしぐら。
そんな破滅フラグを回避するため、前世の知識を活かして領地改革に奮闘するリヒトだったが、彼が生まれ持った「Ω」という性は、否応なく運命の渦へと彼を巻き込んでいく。
ある夜会で出会ったのは、氷のように冷徹で、王国最強と謳われる騎士団長のカイ。
誰もが恐れるαの彼に、なぜかリヒトは興味を持たれてしまう。
「関わってはいけない」――そう思えば思うほど、抗いがたいフェロモンと、カイの不器用な優しさがリヒトの心を揺さぶる。
これは、運命に翻弄される悪役令息が、最強騎士団長の激重な愛に包まれ、やがて国をも動かす存在へと成り上がっていく、甘くて刺激的な溺愛ラブストーリー。
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる