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二十五話
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アイゼン帝国の春は、一歩ごとに色彩を増していく。
城の南側に位置する、日当たりの良い小さな丘。そこはかつて、放置された荒れ地だった場所だが、今はヴォルフラムの命によって、帝国最高の石工と職人たちが集結していた。
「――そこだ。角はすべて丸く削れ。一ミリのささくれも残してはならん」
ヴォルフラムの厳しい声が響く。彼は自らも袖を捲り上げ、フィオーレのために特注した「子供用の小さな東屋」の支柱を点検していた。
フィオーレは、その様子を少し離れた切り株に座って眺めていた。膝の上には、テレーゼが焼いてくれた温かいスコーンの皿が置かれている。
「ヴォルフラム様、あまり根を詰めないでください。職人さんたちが緊張して、かえって手が止まってしまいますよ」
「これは俺の、そしてお前の子供が遊ぶ場所だ。万全を期すのは当然だろう」
ヴォルフラムは額の汗を手の甲で拭うと、フィオーレの元へ歩み寄った。
彼の金の瞳が、フィオーレの平坦だったお腹を、慈しむように見つめる。そこには、銀色の紋様が脈動するたびに育まれる、確かな命の灯火があった。
「フィオーレ、お前が植えたいと言っていた花は、どこに配置する?」
「ええと、東屋の周りに香りの良いハーブを。それから、子供が転んでも痛くないように、背の低いクローバーを絨毯みたいに敷き詰めたいんです。……ヴォルフラム様、手伝ってくれますか?」
「ああ。土を耕すのは俺の役目だ。お前はただ、そこに座って指示を出してくれればいい」
ヴォルフラムは当然のようにフィオーレの手を取り、その指先にそっと唇を寄せた。
作業中の職人たちが「また始まった」と言わんばかりに微笑ましく目を逸らす。フィオーレは顔を赤らめながらも、その大きな掌に自分の手を委ねた。
穏やかな時間が流れる中、丘のふもとからヴァレリウスが、一冊の古びた羊皮紙を持って駆け寄ってきた。
「陛下、フィオーレ様! ラングリス王国の王立図書館から、没収した機密文書の解読が終わりました!」
ヴァレリウスの興奮した声に、二人は顔を見合わせた。
ラウルが地下牢に送られた後、ヴォルフラムはラングリスの腐敗した体制を一掃するため、多くの資料をアイゼンへと運び込ませていた。
「『聖種の真実』についての記述です。……フィオーレ様。貴方が、あちらでなぜ『無能』だと言われていたのか、その全ての理由が判明しました」
ヴァレリウスが広げた羊皮紙には、ラングリス王家に伝わる「聖種覚醒の儀」の詳細が記されていた。
そこには、冷酷なまでに効率を重視する文言が並んでいた。
『聖種は王の野心の熱に反応するものである。ゆえに、幼き種には、他者を踏みにじるための冷徹な教育と、強大な軍事力を望む欲望を植え付けねばならぬ。愛や慈しみなどは、種を枯らす毒でしかない』
「……っ、そんな……」
フィオーレは言葉を失った。
ラングリスの王族たちは、聖種を「戦争の道具」や「富を奪うための手段」だと信じ込んでいたのだ。だからこそ、幼いフィオーレに過酷な孤独を与え、心を凍らせることで力を引き出そうとした。
「つまり、あいつらは根本的に間違っていたということか」
ヴォルフラムの声が、怒りで低く沈む。
ヴァレリウスは深く頷いた。
「左様でございます。この文書の続きには、ラングリスが隠蔽していた『真実』が書かれていました。――『聖種の本質は、共鳴と慈愛にある。番(つがい)との間に真実の愛がなければ、種は決してその殻を破ることはない』と。ラングリスの先代たちは、その事実に気づきながら、自分たちの支配欲を正当化するために、真実を捻じ曲げ、隠していたのです」
フィオーレは、自分の右肩を抱きしめた。
ラウルたちは、フィオーレが「力を持たない」から捨てたのではない。
彼ら自身の心が、冷たく、乾き切っていたから。フィオーレの中にあった美しい種は、その毒のような視線に耐えかねて、深い眠りについていただけだったのだ。
「……私は、出来損ないじゃなかった。ただ、ずっと寒かっただけなんですね」
フィオーレの瞳から、一粒の涙が零れ落ちた。
それは悲しみの涙ではなく、長年自分を縛り付けていた「呪い」が解けた瞬間の、清らかな雫だった。
ヴォルフラムは無言でフィオーレを抱き寄せ、その細い背中を大きな手で包み込んだ。
「そうだ、フィオーレ。お前を『偽物』だと断じたのは、本物を見抜く目を持たぬ愚か者たちだけだ。……お前が俺の元へ来たのは、偶然ではない。お前の魂が、本物の愛という『土壌』を求めて、俺を呼び寄せたのだ」
ヴォルフラムは、フィオーレの銀髪を愛おしげに撫で、そのこめかみに深く唇を押し当てた。
彼の胸の鼓動が、フィオーレの背中に力強く響く。
不器用で、冷徹だと言われていた男の、誰よりも熱く純粋な情熱。それが、フィオーレの内の種を呼び覚ました。
「ヴォルフラム様……。私、この子には、そんな冷たい言葉を一つも聞かせたくありません。この庭に咲く花みたいに、ただ温かな光だけを見て育ってほしい」
「ああ。約束する。この国のすべての光が、お前たちのために注ぐように、俺がこの手ですべての影を払ってみせよう」
ヴォルフラムは立ち上がると、再び東屋の建設現場へと視線を戻した。
その瞳には、一国の皇帝としての威厳以上に、家族を守り抜こうとする強固な決意が宿っていた。
「ヴァレリウス。その資料は、今すぐ広場に公示しろ。ラングリスが隠していた真実を世界に知らしめ、フィオーレがいかに尊い存在であるかを、誰にも疑わせないようにしろ」
「はっ! 喜んで取り掛かります!」
ヴァレリウスが去った後、丘の上には再び、穏やかな春の風が吹き抜けた。
フィオーレは、ヴォルフラムのシャツの袖をぎゅっと握りしめた。
「ねぇ、ヴォルフラム様。私、この子が生まれたら、一番に貴方に抱っこしてほしいです。貴方のその、少しだけ硬くて、とっても温かい腕の中に」
「……当たり前だ。俺以外の誰にも、その瞬間は譲らん」
ヴォルフラムは、少し照れたように視線を逸らしたが、握り返した手の力は驚くほど優しく、そして頼もしかった。
丘の上で、新しい命のための庭が形作られていく。
それは、過去の絶望をすべて塗り替える、世界で一番温かな「ゆりかご」だった。
フィオーレは、お腹の中に宿る小さな鼓動を感じながら、初めて「生まれてきてよかった」と、心からそう思った。
城の南側に位置する、日当たりの良い小さな丘。そこはかつて、放置された荒れ地だった場所だが、今はヴォルフラムの命によって、帝国最高の石工と職人たちが集結していた。
「――そこだ。角はすべて丸く削れ。一ミリのささくれも残してはならん」
ヴォルフラムの厳しい声が響く。彼は自らも袖を捲り上げ、フィオーレのために特注した「子供用の小さな東屋」の支柱を点検していた。
フィオーレは、その様子を少し離れた切り株に座って眺めていた。膝の上には、テレーゼが焼いてくれた温かいスコーンの皿が置かれている。
「ヴォルフラム様、あまり根を詰めないでください。職人さんたちが緊張して、かえって手が止まってしまいますよ」
「これは俺の、そしてお前の子供が遊ぶ場所だ。万全を期すのは当然だろう」
ヴォルフラムは額の汗を手の甲で拭うと、フィオーレの元へ歩み寄った。
彼の金の瞳が、フィオーレの平坦だったお腹を、慈しむように見つめる。そこには、銀色の紋様が脈動するたびに育まれる、確かな命の灯火があった。
「フィオーレ、お前が植えたいと言っていた花は、どこに配置する?」
「ええと、東屋の周りに香りの良いハーブを。それから、子供が転んでも痛くないように、背の低いクローバーを絨毯みたいに敷き詰めたいんです。……ヴォルフラム様、手伝ってくれますか?」
「ああ。土を耕すのは俺の役目だ。お前はただ、そこに座って指示を出してくれればいい」
ヴォルフラムは当然のようにフィオーレの手を取り、その指先にそっと唇を寄せた。
作業中の職人たちが「また始まった」と言わんばかりに微笑ましく目を逸らす。フィオーレは顔を赤らめながらも、その大きな掌に自分の手を委ねた。
穏やかな時間が流れる中、丘のふもとからヴァレリウスが、一冊の古びた羊皮紙を持って駆け寄ってきた。
「陛下、フィオーレ様! ラングリス王国の王立図書館から、没収した機密文書の解読が終わりました!」
ヴァレリウスの興奮した声に、二人は顔を見合わせた。
ラウルが地下牢に送られた後、ヴォルフラムはラングリスの腐敗した体制を一掃するため、多くの資料をアイゼンへと運び込ませていた。
「『聖種の真実』についての記述です。……フィオーレ様。貴方が、あちらでなぜ『無能』だと言われていたのか、その全ての理由が判明しました」
ヴァレリウスが広げた羊皮紙には、ラングリス王家に伝わる「聖種覚醒の儀」の詳細が記されていた。
そこには、冷酷なまでに効率を重視する文言が並んでいた。
『聖種は王の野心の熱に反応するものである。ゆえに、幼き種には、他者を踏みにじるための冷徹な教育と、強大な軍事力を望む欲望を植え付けねばならぬ。愛や慈しみなどは、種を枯らす毒でしかない』
「……っ、そんな……」
フィオーレは言葉を失った。
ラングリスの王族たちは、聖種を「戦争の道具」や「富を奪うための手段」だと信じ込んでいたのだ。だからこそ、幼いフィオーレに過酷な孤独を与え、心を凍らせることで力を引き出そうとした。
「つまり、あいつらは根本的に間違っていたということか」
ヴォルフラムの声が、怒りで低く沈む。
ヴァレリウスは深く頷いた。
「左様でございます。この文書の続きには、ラングリスが隠蔽していた『真実』が書かれていました。――『聖種の本質は、共鳴と慈愛にある。番(つがい)との間に真実の愛がなければ、種は決してその殻を破ることはない』と。ラングリスの先代たちは、その事実に気づきながら、自分たちの支配欲を正当化するために、真実を捻じ曲げ、隠していたのです」
フィオーレは、自分の右肩を抱きしめた。
ラウルたちは、フィオーレが「力を持たない」から捨てたのではない。
彼ら自身の心が、冷たく、乾き切っていたから。フィオーレの中にあった美しい種は、その毒のような視線に耐えかねて、深い眠りについていただけだったのだ。
「……私は、出来損ないじゃなかった。ただ、ずっと寒かっただけなんですね」
フィオーレの瞳から、一粒の涙が零れ落ちた。
それは悲しみの涙ではなく、長年自分を縛り付けていた「呪い」が解けた瞬間の、清らかな雫だった。
ヴォルフラムは無言でフィオーレを抱き寄せ、その細い背中を大きな手で包み込んだ。
「そうだ、フィオーレ。お前を『偽物』だと断じたのは、本物を見抜く目を持たぬ愚か者たちだけだ。……お前が俺の元へ来たのは、偶然ではない。お前の魂が、本物の愛という『土壌』を求めて、俺を呼び寄せたのだ」
ヴォルフラムは、フィオーレの銀髪を愛おしげに撫で、そのこめかみに深く唇を押し当てた。
彼の胸の鼓動が、フィオーレの背中に力強く響く。
不器用で、冷徹だと言われていた男の、誰よりも熱く純粋な情熱。それが、フィオーレの内の種を呼び覚ました。
「ヴォルフラム様……。私、この子には、そんな冷たい言葉を一つも聞かせたくありません。この庭に咲く花みたいに、ただ温かな光だけを見て育ってほしい」
「ああ。約束する。この国のすべての光が、お前たちのために注ぐように、俺がこの手ですべての影を払ってみせよう」
ヴォルフラムは立ち上がると、再び東屋の建設現場へと視線を戻した。
その瞳には、一国の皇帝としての威厳以上に、家族を守り抜こうとする強固な決意が宿っていた。
「ヴァレリウス。その資料は、今すぐ広場に公示しろ。ラングリスが隠していた真実を世界に知らしめ、フィオーレがいかに尊い存在であるかを、誰にも疑わせないようにしろ」
「はっ! 喜んで取り掛かります!」
ヴァレリウスが去った後、丘の上には再び、穏やかな春の風が吹き抜けた。
フィオーレは、ヴォルフラムのシャツの袖をぎゅっと握りしめた。
「ねぇ、ヴォルフラム様。私、この子が生まれたら、一番に貴方に抱っこしてほしいです。貴方のその、少しだけ硬くて、とっても温かい腕の中に」
「……当たり前だ。俺以外の誰にも、その瞬間は譲らん」
ヴォルフラムは、少し照れたように視線を逸らしたが、握り返した手の力は驚くほど優しく、そして頼もしかった。
丘の上で、新しい命のための庭が形作られていく。
それは、過去の絶望をすべて塗り替える、世界で一番温かな「ゆりかご」だった。
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