竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜

レイ

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第四話

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 翌朝、エリアンは天蓋付きの豪奢な寝台の上で目を覚ました。
 シルクのシーツは肌を滑るように柔らかく、詰め物には最高級の羽毛が使われている。しかし、エリアンにとっては実家の屋根裏で使っていた、藁を詰めた硬いマットレスの方が寝つきが良かったかもしれない。彼は大きく伸びをしてから、昨日脱ぎ捨てた実用的な麻のシャツに袖を通した。

「さて。まずは朝食……の前に、場所の確保ですね」

 エリアンは愛用の木箱を抱え、軽やかな足取りで部屋を出た。
 向かう先は、昨日見つけておいた厨房……ではなく、さらにその奥にある中庭だ。
 黒石の廊下を突き当たりまで進み、錆びついた手応えのある勝手口を押し開ける。

 そこに広がっていたのは、絶景とは程遠い光景だった。
 かつては噴水や花壇があったのであろうその場所は、一面、火山の噴煙がもたらした黒い灰に覆われている。立ち枯れた木々が骸骨のように指を突き出し、地面は乾燥してひび割れていた。

「……やりがいがありますね」

 エリアンは膝をつき、指先で黒い土を掬い上げた。
 鼻を近づけると、硫黄の混じった金属的な匂いが鼻腔を突く。普通の植物なら即座に枯れてしまうような強酸性の土壌だ。だが、エリアンの瞳は好奇心に輝いた。

「この熱気と硫黄成分。……南方の『火喰い鳥の羽草』を育てるには、これ以上ない環境ですよ」

 彼は早速、木箱から小さな折り畳み式のスコップを取り出した。
 ガリ、と硬い音を立てて灰を削る。
 黙々と作業を始めて一時間ほど経った頃、背後でパサリと羽ばたきのような音がした。

「おはよう、勤勉な花嫁君。まさか朝一番で泥遊びをしているとは思わなかったよ」

 現れたのは、側近のゼフィールだ。
 彼は今日も涼しげな顔で、手には湯気の立つカップを持っている。

「おはようございます、ゼフィール様。泥遊びではなく、開墾です。ここに私の薬草園を作ろうと思いまして」
「薬草園? この『死の灰』が積もった場所でかい? ここは竜の魔力が強すぎて、普通の作物は一晩で灰になるよ」
「普通のではないものを選べばいいだけです。それよりゼフィール様、もしよろしければ、この灰を運ぶための大八車と、水を引くための桶をいくつか貸していただけませんか?」

 エリアンは顔を上げ、屈託のない笑顔を向けた。
 ゼフィールは琥珀色の瞳を丸くし、それから可笑しそうに肩を揺らした。

「君、本当に面白いね。陛下をあんなに黙らせた翌日に、大八車をねだるなんて。いいよ、備品庫に眠っているものを使わせてあげよう。あ、ついでにこれ、朝食の代わりの差し入れだ」

 ゼフィールが差し出したのは、焼きたてのパンに厚切りのハムを挟んだものだった。
 エリアンは手についた土を叩き落とし、ありがたくそれを受け取る。

「助かります。お腹が空くと、土の配合を間違えてしまうので」
「ははっ、職人の台詞だね。……そうだ、陛下が君を呼んでいるよ。昨日の薬の『お代』を払いたいんだってさ」

 パンを頬張っていたエリアンの動きが止まった。

「お代、ですか。……あの薬草は自生していたものなので、そんなに高くはないですよ?」
「金額の問題じゃないと思うけどね。ま、行ってみなよ。陛下は今、執務室で不機嫌そうに君を待っているから」

---

 案内された執務室は、昨日の寝室ほどではないが、やはり熱気が籠もっていた。
 豪華な黒檀の机に向かい、山積みの書類を睨みつけているヴァレリウスは、エリアンが入室したことに気づくと、ペンを置いた。

「……来たか」

 その声は、昨日よりは幾分か落ち着いている。
 エリアンの目から見て、ヴァレリウスの血色は格段に良くなっていた。瞳の金の輝きも、暴走する炎ではなく、磨かれた宝石のような輝きに近い。

「気分はいかがですか、陛下。喉の痛みや、胃の不快感はありませんか?」
「……苦味だけは、今朝まで残っていたがな」

 ヴァレリウスが不器用そうに顔を逸らす。
 彼は机の引き出しから、小さな革袋を取り出し、エリアンの前に放り出した。
 チャリン、と重厚な金属音が響く。

「昨日の礼だ。取っておけ」
「これは?」
「金貨だ。ジルベル家からは、お前には一銭も持たせていないと聞いている。これからの生活に必要だろう」

 エリアンは袋の中を覗き込んだ。
 眩いばかりの金貨が詰まっている。これだけあれば、王都に一軒家が買えるかもしれない。
 しかし、エリアンは袋の紐を締め直すと、それを机の上に戻した。

「陛下、お気遣いは嬉しいのですが、これはいただけません」
「……何だと?」

 ヴァレリウスの眉が跳ね上がる。
 拒絶されるとは思ってもみなかったのだろう。

「私は薬師として当然のことをしたまでです。それに、お金よりも欲しいものがありまして」
「……言ってみろ。宝石か? それとも、あの家へ帰るための権利か?」
「いえ。あの中庭を、自由に使わせていただきたいのです。それから、必要に応じて厨房の火と水を使わせてください。あとは……そうですね、このお城の図書室にある植物図鑑の閲覧許可をいただければ、これ以上の報酬はありません」

 エリアンの要望は、ヴァレリウスにとってあまりにも拍子抜けなものだった。
 皇帝は呆気に取られたようにエリアンを見つめた。
 地位も、名誉も、贅沢も望まない。
 ただ、土をいじり、草を育てる権利を求めている。

「……お前は、本当に変わった奴だな」
「よく言われます。あ、もし可能なら、肥料にするための馬の糞もいただけると助かります。ここの土は酸性が強すぎるので」

 真顔で「馬の糞」を要求する花嫁に、ヴァレリウスはついに短く吹き出した。
 昨日までの凍てつくような緊張感が、わずかに解けていく。

「許可する。……好きにするがいい。ゼフィールに言っておく」
「ありがとうございます、陛下! では、早速作業に戻ります。お仕事、頑張ってくださいね」

 エリアンは深々とお辞儀をすると、風のように部屋を去っていった。
 残されたヴァレリウスは、自分の掌に残る、わずかな清涼感――昨日の薬の感覚――を思い出しながら、再びペンを握った。

 窓の外からは、ガリ、ガリ、と中庭を耕す規則正しい音が聞こえてくる。
 それは、この死の静寂に包まれていた城に、初めて訪れた「生活」の音だった。
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