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第二十一話
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温室の掃除は、予想を遥かに超える重労働となった。
二十年分の埃と、魔力によって肥大化した植物の残骸。エリアンは額にタオルを巻き、小型の鍬(くわ)を手に奮闘していた。カイルが刈り取った蔦を運び出し、ヴァレリウスがその熱い掌で邪魔な岩や朽ちた棚を軽々とどかしていく。
「陛下、そこの奥にある机も動かせますか? 足元が腐っていて危なそうです」
エリアンの声に応え、ヴァレリウスが無造作に木製の机を持ち上げた。
バリバリと小気味よい音が響き、長年隠されていた床板が姿を現す。そこには、周囲の石畳とは明らかに色の異なる、金属製の小さな蓋があった。
「……隠し引き出しでしょうか」
エリアンが膝をつき、指先で金属の輪を引っ張る。
錆びついた蝶番が軋んだ声を上げ、中から現れたのは、分厚い革装丁の古い一冊のノートだった。
表紙には、金箔で「オルテシア・ソルスティス」の名と、銀の百合を象った紋章が刻まれている。
「母の……私的な記録か。こんな場所に隠していたとはな」
ヴァレリウスがそのノートを覗き込む。
エリアンは慎重にページを捲った。紙は黄ばんでいるが、書かれたインクは今なお鮮明に生きている。そこには、かつての皇后がこの温室で育てていた植物の記録と、それらにまつわる「ある予言」が記されていた。
『竜の血は、熱き孤独なり。
されど、その熱を受け止め、大地の恵みへと還す者がいる。
銀の髪を持つ、薬草の申し子。
彼らは魔力を持たず、ただ存在することで、荒ぶる竜を安らぎの海へと誘うだろう』
エリアンの手が、その一文の上で止まった。
心臓の鼓動が、静かな温室の中で大きく跳ねる。
「……銀の髪、魔力を持たない……。これって、まるで」
「お前のことだな、エリアン」
ヴァレリウスの声が、耳元で低く響いた。
彼はエリアンの背後から腕を伸ばし、ノートの文字をなぞった。彼の高い体温が、エリアンの背中を包み込み、心地よい微熱を伝えてくる。
「ジルベル家は、古くは『銀の調律師(メディエイター)』と呼ばれる家系だったと聞く。魔力がないのではなく、周囲の魔力を完全に無効化し、安定させる性質を持つ血筋だ」
「調律師……。私はただ、魔法が使えない落ちこぼれだと思っていました」
エリアンは自分の銀色の髪を一房手に取り、まじまじと見つめた。
実家で「無能」と蔑まれ、屋根裏部屋に追いやられていた理由。
それは、魔力を尊ぶ貴族社会において、魔力を「消し去る」彼の存在が不気味に映ったからなのかもしれない。
けれど今、この火山の城において、その性質こそがヴァレリウスを救うための最強の鍵となっていた。
「……母上は、知っていたのだな。いつか、私の熱を分かち合える者が現れることを」
ヴァレリウスはそう言うと、エリアンの肩に顎を預けた。
重厚な肉体の重み。けれど、それはエリアンにとって決して負担ではなかった。むしろ、この熱い塊を支えることが、自分の天職であるかのような、確かな手応えを感じていた。
「陛下、重いですよ」
「……少しだけ、このままでいろ。お前の傍は、本当に静かだ」
ヴァレリウスは目を閉じ、エリアンが放つ、魔力を凪がせる空気の中へ深く沈んでいった。
エリアンは苦笑しながらも、ノートの続きを捲った。そこには、ヴァレリウスの父――先代の皇帝が、どれほどオルテシアを愛し、その傍らで安らぎを得ていたかが、美しい詩のような言葉で綴られていた。
「陛下のお父様も、お母様が大好きだったんですね」
「…………。ああ。……似たもの親子だ、と笑いたいのだろう」
ヴァレリウスの腕に力がこもる。
エリアンの腰を引き寄せ、密着させる。
薄いシャツ越しに伝わる、ヴァレリウスの逞しい筋肉の躍動。
エリアンは顔を赤らめたが、逃げようとはしなかった。
「笑いませんよ。……素敵だな、って思っています。私も、いつかこんな風に、誰かを救えるようになりたいです」
「……お前はもう、十分に私を救っている。自覚のない奴だ」
ヴァレリウスは吐息を漏らすように囁くと、エリアンの首筋に鼻先を寄せた。
そこから漂う、清潔な石鹸と、摘みたてのハーブが混ざった匂い。
それが、竜の王の荒ぶる魂を、赤子のように大人しくさせていく。
「ひゃっ、陛下、くすぐったいです!」
「……動くな。掃除の報酬だ」
「どんな報酬ですか、それ!」
二人のやり取りを、入口の陰でゼフィールがニヤニヤしながら眺めていた。
カイルはといえば、空気を読んで(あるいは単に恐怖で)、温室の外で必死に鉢植えを磨いている。
「ねえ、マリスさん。あの二人、もう結婚してるんだよね? なのに、なんであんなに初々しいの?」
いつの間にか隣に立っていたマリスが、眼鏡をキラリと光らせた。
「それは、お互いが『実務的な信頼』から始まっているからですわ。……陛下にとっては、初めての『甘え』。エリアン様にとっては、初めての『必要とされる喜び』。……尊い、とはこのことですわね」
マリスは深く頷き、持っていたお茶のトレイを静かに置いた。
温室の掃除はまだ半分も終わっていない。
けれど、エリアンが見つけた一冊のノートは、彼の過去という呪いを、ヴァレリウスとの未来という福音へと書き換えてしまった。
「さあ、陛下! 休憩は終わりです。奥にある池のヘドロを掻き出してください!」
「……私を掃除夫か何かだと思っているな、貴様」
「最高の掃除夫様ですよ。……あ、お礼に今夜は、ノートに載っていた『特製ハチミツ湿布』を作ってあげますから」
「…………。やる。……今すぐやるぞ」
ハチミツという言葉に釣られ、ヴァレリウスが猛然と掃除を再開する。
エリアンはその背中を見て、ふふっ、と声を上げて笑った。
不毛だと思われていた場所から、新しい命と、忘れられていた真実が溢れ出す。
二人のスローライフは、ここからさらに加速していくことになる。
二十年分の埃と、魔力によって肥大化した植物の残骸。エリアンは額にタオルを巻き、小型の鍬(くわ)を手に奮闘していた。カイルが刈り取った蔦を運び出し、ヴァレリウスがその熱い掌で邪魔な岩や朽ちた棚を軽々とどかしていく。
「陛下、そこの奥にある机も動かせますか? 足元が腐っていて危なそうです」
エリアンの声に応え、ヴァレリウスが無造作に木製の机を持ち上げた。
バリバリと小気味よい音が響き、長年隠されていた床板が姿を現す。そこには、周囲の石畳とは明らかに色の異なる、金属製の小さな蓋があった。
「……隠し引き出しでしょうか」
エリアンが膝をつき、指先で金属の輪を引っ張る。
錆びついた蝶番が軋んだ声を上げ、中から現れたのは、分厚い革装丁の古い一冊のノートだった。
表紙には、金箔で「オルテシア・ソルスティス」の名と、銀の百合を象った紋章が刻まれている。
「母の……私的な記録か。こんな場所に隠していたとはな」
ヴァレリウスがそのノートを覗き込む。
エリアンは慎重にページを捲った。紙は黄ばんでいるが、書かれたインクは今なお鮮明に生きている。そこには、かつての皇后がこの温室で育てていた植物の記録と、それらにまつわる「ある予言」が記されていた。
『竜の血は、熱き孤独なり。
されど、その熱を受け止め、大地の恵みへと還す者がいる。
銀の髪を持つ、薬草の申し子。
彼らは魔力を持たず、ただ存在することで、荒ぶる竜を安らぎの海へと誘うだろう』
エリアンの手が、その一文の上で止まった。
心臓の鼓動が、静かな温室の中で大きく跳ねる。
「……銀の髪、魔力を持たない……。これって、まるで」
「お前のことだな、エリアン」
ヴァレリウスの声が、耳元で低く響いた。
彼はエリアンの背後から腕を伸ばし、ノートの文字をなぞった。彼の高い体温が、エリアンの背中を包み込み、心地よい微熱を伝えてくる。
「ジルベル家は、古くは『銀の調律師(メディエイター)』と呼ばれる家系だったと聞く。魔力がないのではなく、周囲の魔力を完全に無効化し、安定させる性質を持つ血筋だ」
「調律師……。私はただ、魔法が使えない落ちこぼれだと思っていました」
エリアンは自分の銀色の髪を一房手に取り、まじまじと見つめた。
実家で「無能」と蔑まれ、屋根裏部屋に追いやられていた理由。
それは、魔力を尊ぶ貴族社会において、魔力を「消し去る」彼の存在が不気味に映ったからなのかもしれない。
けれど今、この火山の城において、その性質こそがヴァレリウスを救うための最強の鍵となっていた。
「……母上は、知っていたのだな。いつか、私の熱を分かち合える者が現れることを」
ヴァレリウスはそう言うと、エリアンの肩に顎を預けた。
重厚な肉体の重み。けれど、それはエリアンにとって決して負担ではなかった。むしろ、この熱い塊を支えることが、自分の天職であるかのような、確かな手応えを感じていた。
「陛下、重いですよ」
「……少しだけ、このままでいろ。お前の傍は、本当に静かだ」
ヴァレリウスは目を閉じ、エリアンが放つ、魔力を凪がせる空気の中へ深く沈んでいった。
エリアンは苦笑しながらも、ノートの続きを捲った。そこには、ヴァレリウスの父――先代の皇帝が、どれほどオルテシアを愛し、その傍らで安らぎを得ていたかが、美しい詩のような言葉で綴られていた。
「陛下のお父様も、お母様が大好きだったんですね」
「…………。ああ。……似たもの親子だ、と笑いたいのだろう」
ヴァレリウスの腕に力がこもる。
エリアンの腰を引き寄せ、密着させる。
薄いシャツ越しに伝わる、ヴァレリウスの逞しい筋肉の躍動。
エリアンは顔を赤らめたが、逃げようとはしなかった。
「笑いませんよ。……素敵だな、って思っています。私も、いつかこんな風に、誰かを救えるようになりたいです」
「……お前はもう、十分に私を救っている。自覚のない奴だ」
ヴァレリウスは吐息を漏らすように囁くと、エリアンの首筋に鼻先を寄せた。
そこから漂う、清潔な石鹸と、摘みたてのハーブが混ざった匂い。
それが、竜の王の荒ぶる魂を、赤子のように大人しくさせていく。
「ひゃっ、陛下、くすぐったいです!」
「……動くな。掃除の報酬だ」
「どんな報酬ですか、それ!」
二人のやり取りを、入口の陰でゼフィールがニヤニヤしながら眺めていた。
カイルはといえば、空気を読んで(あるいは単に恐怖で)、温室の外で必死に鉢植えを磨いている。
「ねえ、マリスさん。あの二人、もう結婚してるんだよね? なのに、なんであんなに初々しいの?」
いつの間にか隣に立っていたマリスが、眼鏡をキラリと光らせた。
「それは、お互いが『実務的な信頼』から始まっているからですわ。……陛下にとっては、初めての『甘え』。エリアン様にとっては、初めての『必要とされる喜び』。……尊い、とはこのことですわね」
マリスは深く頷き、持っていたお茶のトレイを静かに置いた。
温室の掃除はまだ半分も終わっていない。
けれど、エリアンが見つけた一冊のノートは、彼の過去という呪いを、ヴァレリウスとの未来という福音へと書き換えてしまった。
「さあ、陛下! 休憩は終わりです。奥にある池のヘドロを掻き出してください!」
「……私を掃除夫か何かだと思っているな、貴様」
「最高の掃除夫様ですよ。……あ、お礼に今夜は、ノートに載っていた『特製ハチミツ湿布』を作ってあげますから」
「…………。やる。……今すぐやるぞ」
ハチミツという言葉に釣られ、ヴァレリウスが猛然と掃除を再開する。
エリアンはその背中を見て、ふふっ、と声を上げて笑った。
不毛だと思われていた場所から、新しい命と、忘れられていた真実が溢れ出す。
二人のスローライフは、ここからさらに加速していくことになる。
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