まおうさまの勇者育成計画

okamiyu

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第七章:椿は鋼に咲く、忠誠の銃声とともに――女帝と三将軍のプロトコル

第129話:濁流の下に潜むもの

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地下ダンジョンの構造は、ただ長く狭い暗闇の洞窟だけではなかった。

湿った風が肌にまとわりつき、ひと息吸うだけで肺の奥まで冷気が突き刺さる。岩壁から滴る水音が、やけに大きく反響して、耳にまとわりつく。鼻腔には錆びた鉄と土の匂いが混ざり合い、じっとりと喉を焼いた。

その先には、深さ150メートルものU字型地下水道が待ち構えている。

黒々とした水面は光を吸い込み、まるで底なしの闇に続いているかのようだ。指先を浸すだけで骨まで凍えるような冷たさが走り、長時間の潜水がただの「前進」ではなく「試練」であることを突きつけてくる。

「……ここを抜けるのか」

低く呟くだけで、湿気に満ちた空気が声を押しつぶし、すぐに吸い込まれて消えていった。

まずは体を元の毛玉状態に戻す。人間の体では地下水の冷たさに耐えられない。この分厚い毛と脂肪層が、最高の防寒対策になる。そして何より、小さな体は酸素の消費量も少なくて済むのだ。

「エンプラ、酸素マスクをくれ」

「はいであります! おお、毛玉Ver.のドクターであります。普段の憎たらしい顔も、なんだか愛らしく感じるであります」

エンプラは腰から酸素チューブを取り出し、酸素マスクに接続した。通常なら酸素ボンベと潜水服が必須だが、酸素を体内で製造できるエンプラなら、酸欠を気にせず行動できる。そして何より重要なのは、水深150メートルでの100%酸素は人間にとって即死の毒だということ。だが魔王である私は毒耐性があるため、なんともない。

「ねえ、僕の気のせい? この三人の中、マスターだけ装備が必要で、僕とそこのロボは何もなしで深層に行けるじゃないか。もぐもぐ。」

ルーは潜水準備をする私を退屈そうに見ながら言った。

いま口になにが食べでいなかったか?音からするとフライドポテトだね。

「じゃあ、私がここに行かなければ、君はここへ来るのか?」

「行くわけないじゃん。ここは湿っぽくて、石と水しかないつまらない場所だよ」

「だろうね。そしてエンプラ君、君一人でこの繊細な任務を任せられると思うか?」

「大丈夫であります! 吾輩はもう将軍ですから、このくらい──」

「じゃあ、ゲートの修理はできるかね?」

「……無理であります、でも破壊ならできるであります。」

「破壊してどうする…」

このダンジョンからレアアースを運び出すには、中のアンドロイドが毎回この苦行を繰り返すわけにはいかない。全ては空間ゲートを通じて外に運び出すのだ。

では、なぜ人間がそのゲートを使わないのか?

このゲートの原理は、一度物質を分解し、外のゲートで再構成するというもの。分解された人間が再構成されても、果たして元通りに生きていられるだろうか?

故に、無機物のみが使用を許可されているのだ。

私が空間魔法で直接移動する手もあるが、どんな魔物が待ち構えているか分からない状況での不用意なワープは危険すぎる。

結果として、偵察を兼ねてこのクソ面倒くさい道をもう一度歩く羽目になるとは……

地下水道に入り、私はエンプラに抱えられて先頭を進む。道を知らないルーは、後ろについてくるだけだ。そして、ここの水は冷たい。氷点に近い水温が、じわりと体温を奪っていく。魔力を持たない自然の水が、ここまで扱いづらいものか──ウンディーネと仲良くしておけばよかったと、いまさら後悔する。

しかし、低水温などまだ序の口に過ぎなかった。潜れば潜るほど、水圧も膨大に増していく。自然の水圧は物理攻撃に等しく、私は体の外に薄い水膜を張って圧力を調整している。だが、この膜はあくまで調整用で、防御機能はない。万一破られれば、150メートルの水圧が一気に襲いかかり、肺は潰れ、血管は破裂するだろう。

唯一の救いは、この水域に生き物が一切いないことだ。魔物の心配がないため、暗い水道の中でもエンプラに探照灯の使用を許可した。複雑な迷路というわけではないので、さすがのエンプラも迷うはずがないだろう。

――それが慢心だったと、私はすぐに知ることになる。

水底に到達したとき、水が異様に濁っているのに気付いた。これは川底をかき乱した泥砂だ。おかしい、エンプラの推進機がここまで泥を巻き上げるのか?

「灯りを消せ!魔物がいる!」危険を感知した私は、酸素マスクから伸びたチューブを通じてエンプラに指示を出した――だが、もう遅かった。泥砂は水を濁し、我々は完全に方向感覚を失ってしまった。

漆黒の水底。ふわり、と足底の泥が動いた。

それは水流ではなく、もっと巨大な、ゆったりとした何かの気配だった。次の瞬間、眼前の闇そのものが蠢く。河床の泥砂が、ゆるやかな丘のように盛り上がる。無数の小気泡が吐き出され、長年堆積したヘドロの瘴気が解放される中、巨大な影の輪郭が浮かび上がった。

泥の滝が巨体を伝い落ち、そこに現れたのは、鈍く光る二つの曇り玉のような眼球。泥のヴェールが完全に剥がれ落ち、その全貌が明らかになる。

皮膚は岩のようにゴツゴツとし、六本の太い触鬚が禍々しく水中を揺らす。巨口がゆっくりと開くと、不気味な朱色の口内に無数の針のような牙が並び、逃げ場のない死の罠を見せつける。

地震大鯰だ。 そんな大食いの肉食魚が、藻一つないこの川にいるはずがない──やばい、こんな状況は想定外だ。時間を止めなければ。

まるで私の思考を読んだように、濁った水の中に確かな震動が伝わってくる。

地震だ。

その揺れは、私をエンプラの手から容易く離れさせるには十分だった。酸素マスクが外れ、一瞬で私は酸欠に陥る。

「おのれ鯰め、この私を狙うとは……勇者希望か? しかし、君では不十分だ」

意識が失われる直前、私は時を止めた。



時が止まった。 ここは水の中、静止しているからといって酸素があるわけではない。おまけにこの惨状――泥まみれの水底に光もない。まさかこんな所で追い詰められるとは……怠けたのは私かもね。

「マスター、生きているか?」

この停止された世界で、私以外に動ける者があと一人いた。全身を光に包まれたルーは、いつも以上に神々しく輝いている。

「僕が助けてあげようか?」

意地悪そうにこちらを見下ろす少年の申し出に、私はすがりつこうとはしなかった。

冗談じゃない。鯰ごときに明けの明星の力を使わせるなんて、魔王の名が廃る。

先ほどの地震の波動から、中心座標は把握済みだ。よし、三枚おろしにしてくれる。

「ふん~、マスターって本当に回りくどいのがお好きね。じゃあ、せめてこれくらいは」

ルーはそう言うと、私に唇を重ね、酸素を分け与えてくれた。これだけあれば十分すぎる――いや、むしろ多すぎるだろう。

時間停止を解除し、空間魔法で鯰の真上に瞬間移動。そして再び時間停止。

(水道の向こうの座標を知らないのは残念だが、君の体を使ってここから脱出の手助けをしてもらうか)

重力魔法で此奴の重力を消した。さて、体積だけ大きい魚はどうなる?

答えは急浮上だ。なにせ今こいつの体の密度は水より小さい。

そして時間が動き出す。重力を失ったナマズは自分を制御できず、水面へ向かって弾丸のように突き上がった。この時だけは、障害物のないただ深いだけの水路であることに感謝する。

泡と泥を巻き上げ、濁流をかき乱しながら、暗黒の水道を貫くその様は、水底から放たれた巨大な矢だった。

圧力に押し潰されていた闇が、一気に解き放たれ、轟音と震動が胸の奥に響き渡る。

あっという間に鯰は水面に浮上した。私もようやく空気を吸うことができた。しかし、私と違って鯰にはもう先ほどの元気はない。

「なにをしたのだ?」

エンプラを抱えて同じく水上に飛び出たルーは、動かない鯰を不思議そうに見た。

「減圧症だ」

深い水域にいると、血液中に大量の窒素やガスが溶け込む。浮上する際にそれをゆっくり体外に排出しないと、血液は泡立つシャンパンのようになり、血管や関節、神経に詰まって死に至る。

私の張った水の膜が減圧室の役割を果たしていたから、私は無事でいられた。しかしこいつはそうはいかなかった。

だが、妙な話だ。 今回の採掘場に現れた未知の魔物といい、生態系が存在しないはずの地下水道に、豊かな水域にしか生息しない地震大鯰が存在するとは明らかに異常だ。まるで人為的に放たれたかのようだ。もしかしたら──

私は遠くに微かに光る採掘場の灯りを見つめ、思わず背筋が冷たくなった。

これは、我々をわざわざ呼び寄せて始末するための罠かもしれない。
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