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第七章:椿は鋼に咲く、忠誠の銃声とともに――女帝と三将軍のプロトコル
第136話:模擬戦開戦――平等と友情、割れるのはどちらか
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公平会と平等会の模擬戦が、今日ついに始まる。
全校を舞台にした、全生徒参加の一大イベント。
人数的には平等会が有利だが、公平会の方が全体的なメンバーの質は高い。
くじ引きの結果、平等会は東エリア
――旧校舎、食堂、校舎の半分を陣地とする。
一方、公平会は西エリア
――体育館、プール、残りの半分の校舎を陣地とした。
勝敗は、一日の終了時に占領した陣地面積の大きさで決まる。
ただし、大将が“撃ち取られた”場合、即座に敗北が決定する。
東軍の大将は言うまでもなく、平等会会長を名乗るガブリエル。
西軍の大将は、この戦いを見越していたかのように転校してきた全知の悪魔、モリア。
使用できる武器はペンキ弾や規定に沿ったもののみ。
殺傷力の高いものは禁止。重傷を負わせたり、死に至らしめることはご法度だ。
ペンキが頭部や胸部など要害部分に付着した者は、即退場となる。
審判は、かつて帝国を偉大ならしめた貪狼将軍、ドクター――
のはずだったが…。
「え? エンプラがまたやらかした? 今すぐ行くから、あの子に『覚悟をだけ先にしておいて』と伝えなさい。」
貪狼の名を継いだエンプラのトラブルの後処理と再教育のため、彼は来られなかった。代わりに審判を務めることになったのは…。
「皆さん、怪我だけはなさらないでくださいね」
元皇帝、ティアノ・ブラッドムーン。ツバキに無理を言ってこの役を引き受けたのだ。
「だめよ、模擬戦とはいえ戦場なんだから、危ないでしょう」
ツバキは強く反対したが、ティアノは譲らなかった。
「僕が行かなければ、代わりにツバキが行くんでしょう? 今日は病院で検査の日じゃないか」
ツバキのお腹の赤ちゃんは安定しているものの、月に一度の検査は欠かせない。調整してようやく取れた休み。今日を逃せば、来月まで検査ができなくなってしまう。
「僕もこの子の父親だ。情けないところばかり見せられないよ」
「わかったわ。あなた、気を付けてね」
二人は口づけを交わし、それぞれの道へと向かった。
一方、平等会の本営では――
ガブリエルが士気高揚の演説をしていた。
「神を信じる同志たちよ! 残念な知らせと、喜ばしい知らせが一つずつある!
残念なことに、我が同志リディア・エクイノクスは我らの理想を裏切り、悪魔に魂を売った! 彼女はもはや同志ではない。撃つべき敵だ! 戦場で見かけたら容赦するな――天誅を下せ!」
沸き立つような叫び声。「殺せ! 殺せ! 裏切り者に死を!」 合わせたわけでもないのに、声は一つに聞こえた。
「しかし、神は我々を見捨ててはいなかった! 新たなる同志、ミリアム・エクスコミュニカが我らに加わってくれた! 彼女がいれば、裏切り者リディアの欠落を補うに足るだろう! さあ、温かい歓迎の挨拶を!」
雷鳴のような歓声が、ガブリエルの合図とともに会場を爆発させた。
しかし、当のミリアムはその熱気に全く染まっていない。悲しげな表情を浮かべたまま、隅に座り込んでいた。拍手の渦の中で、ミリアムはまるで水槽の外からこの世界を眺めているようだった。自分だけが違う場所に立っている──そんな感覚が体の芯に張り付いて離れない。
「先輩、帰ろーデース」
彼女の影から、ベリアルの声がした。どうやらこっそり付いて来たらしい。
「何しに来ました? 大切な姉さんを裏切るつもりですか?」
「ベルが悪かったデース…。あの時、ベルがわがままをしなければ、先輩はガブリエルに会うことなんてなかった。もしベルが姉さんのように話せたら、ガブリエルに言い負かされることもなかったデース…」
その声には悔しさのほか、泣き声を押し殺したような響きがこもっていた。
「あなたは悪くないです。今までが馴れ合いすぎていたのが間違いでした。今はただ…お互い、元の立場に戻っただけ。なんでもないことですよ」
(…なんでもないこと。なのに、どうして、あの時アスモデウスが泣いていた顔が頭から離れないの)
ミリアム自身、思っていたほど割り切れてはいないらしい。
一方、公平会の陣営では、また別の光景が広がっていた。
モリアから指示を受けた能力の高い面々は、その意図をすぐに理解し、作業に取り掛かる。
リディアは平等会を脱退したが、公平会の思想に同意したわけではない。故に今回は戦闘には参加せず、医療班として自身の信念を貫く。
しかし、一人だけ違った。部屋の隅で静かに涙を流す悪魔がいた。アスモデウスである。
「うぐっ…うぐっ…ミリリン…」泣きすぎて声が枯れているのに、それでも彼女は名前を呼び続けた。
ガムテープで不器用に補修した、彼女とミリアムの写真を大切に抱え、あの日からずっと泣いていた。
「涙は女の武器よ。でも、ここまで流し続けると、武器の価値が下がっちゃうわ」
背後からモリアがアスモデウスの頭を抱え、優しく撫で上げた。
「モリリン…! モリリンは全知の力を持っているんでしょ!? なら、仲直りする方法を教えて! お願い、一生のお願いだから!」
モリアの手を掴み、荒波の中の唯一の浮き藁のように、アスモデウスは必死だった。
「私と縁を切れば、あの子と元に戻れるわ。元々、彼女は私を妬んで、あなたに当たり散らしていただけのようなものよ。私から離れさえすれば、すべて元通り。大丈夫、たとえそうなっても、私は恨みなんかしないわ」
「モリリン、バカ! 何でも知っているなら、モリリンを失うことが、ミリリンを失うのと同じくらい辛いってわかっているでしょ! どちらか一人しか選べないなんて…あたし、そんなの嫌!」
モリアの手をさらに強く握り、逃げられないように強く縛り付ける。
「ごめんなさい、意地悪な答え方をしてしまったわ。大丈夫、あなたはただまっすぐに、あの子と向き合えばいい。あとは全部、私に任せて」
モリアの指が触れた瞬間、写真は破れる前の時間へと戻った。
ガムテープも傷も跡形もなく、最初から壊れていなかったかのように。
*
ン――――――――!!
防空警報が合図となり、帝国大学付属高校は一瞬にして戦場と化した。
校舎のざわめきは消え、全員の足が戦場の音に変わった。
数の上で優位に立つ平等軍は、その勢いを利用し、積極的な侵攻を開始する。
「兵力ではこちらが有利です。分散してその優位性を損なうべきではありません。確実に陣地を落としていきましょう」
指揮官は言うまでもなくミリアム。百年前、王国の民を率いて帝国の侵略を撃退した彼女が、今や帝国の生徒を指揮するとは、何とも皮肉なものだ。
平等軍は兵力の半分を分遣し、まずプールを攻撃目標とした。当然の選択である。プールには隠れる場所がほとんどなく、三つの陣地の中で最も防御が難しい。
しかしミリアムは油断しない。必要十分以上の人員をプール攻撃に投入した。
しかし、そこには誰一人として敵の姿はなかった。静まり返ったプールは、まさに「空城」の計。ただ、プールの水はいつもより不自然に青く光っていた。
(兵力が少ないから、防御困難なプールはあっさり放棄したのか?)
「探せ! 敵の待ち伏せがあるかもしれない」
この広く開けた場所で大軍が待ち伏せするはずはないが、念には念を入れ、万全を期したいミリアム。
(水がおかしい…こんなに青かったか?)
プールの水の不自然さに気づき、彼女は少しだけ水をすくい上げた。
(これは…?!)
水ではない。青いペンキだ。これはまさか――
「同志ミリアム! ジャンプ台に敵を発見! 元公平会会長のアレックスだと思います。ただちに捕縛にかかります!」
「やめなさい! 今すぐそこから離れろ!」
しかし、その命令は遅すぎた。
20メートルの高さを誇るジャンプ台。ふんどし一丁のアレックスは横木に立ち、迫り来る平等軍の兵士たちに微塵も恐れる様子を見せない。
「そのまま撃てばいいんじゃないですか? なぜわざわざ捕まえようと?」
「分からないのか? 元とはいえ公平会の会長だ。囮として使えるのよ。単に敵戦力を1減らすだけなら、ここまでの仕掛けは割に合わない」
「ははっ! やはり会長の予想通りだ! 卑しい神の僕どもは甘い蜜に群がるハチと同じよ! だが、このアレックスは数の暴力などには屈しない! 我が魂の帰る場所は、広き海にあるのだ!」
そう叫ぶと、彼は横木の上で大きく跳躍した。
「バカ! 止まれ! 下に逃げ場はないぞ!」
横木のバランスが崩れ始め、そこにいる平等軍の兵士たちは激しい揺れに抗う術もない。
「笑止千万! 群れなければ何もできないお前たちに、このアレックスが逃げると思うか! これは我らが会長に勝利を捧げるための、潔きジャンプだ!!」
彼は最大級のジャンプを披露し、プールへと飛び込んだ。
横木のバランスは完全に崩れ、平等軍の生徒たちは次々と落下する。パニックに陥った兵士たちは、必死に隣の者に掴まり、結果としてさらに多くの兵士が落下の渦に巻き込まれた。しかし、これでもまだ序章に過ぎない。
(大丈夫…水と違ってペンキは粘度が高い。簡単に大きな波は立たないはず!)
しかし、アレックスの落下に続く、次々と投げ込まれる「人間爆弾」は、プールに見事な大波を発生させた。
(あのふんどし…! 呪文が書いてあった。モリアの仕業だ!)
そう、ただ落下しただけでは、ペンキのプールに沈むだけだ。しかし、モリアが水魔法でこのペンキに「水の性質」を付与していたら?
結果は見ての通り――大波の発生だ。魔法がかけられた分、波はさらに荒々しい。
ミリアムは旗を素早く回転させ、迫り来るペンキの波を防ぎきった。しかし、他の兵士たちにはそれができなかった。全身を青く染め上げた彼らは、見事に退場となった。
青く染まった生徒たちが、次々と退場ゲートへ運ばれていく。
この一戦で、平等軍はプールを制圧した。しかし、代償は大きすぎた。ミリアムを除く、投入兵力の実に五分の一しか生き残れなかったのである。
(これはまずい……)
ミリアムの当初の計画は、数の優位を活かしてプールを制圧し、そのまま防衛ラインを固めて次のエリアへ進むことだった。しかし、生き残った兵力では……。
(ここは……捨てるしかない)
公平会が奪還に来れば、この人数でプールを守り切るのは不可能だ。兵を残しても無駄死にさせるだけなら、いっそここは捨てるべきだ。食堂と旧校舎はどちらも防御に適している。少人数で守りを固められる。全軍で食事を取って体力を回復した後、体育館を攻めればいい。
そう、平等軍にはもう一つ有利な点があった。食堂を押さえていることだ。食料が豊富に蓄えられている。人数が多い分、補給の重要性は大きい。一日限りの模擬戦とはいえ、この差は決して小さくない。
(ひとまず食堂で兵を休め、軍を再編成しよう)
「ここを放棄するなんて!? あれだけの犠牲を払って手に入れた戦果じゃないか!」
しかしミリアムの決定は、平等軍の反感を買ってしまった。
「今の兵力ではここを守り切れません。だからこそ──」
「最初にここを攻めろと言ったのはあんただろうが!それでこの結果だぞ?今日来たばかりの分際で何が指揮だ!うっぜえ」
「では、平等会らしく投票をしましょう。食堂に戻りたい人は手を挙げて」
挙がった手は──ミリアム以外、誰もいなかった。
「というわけだ。同志ミリアム、我々はここを守る。ご随意にランチをお取りください」
「でも、それでは──」
「これが皆の決定よ。同志なら従うべきじゃない?それとも、あなたも公平会連中と同じ個人英雄主義を貫くおつもり?同志がヴェインに報告するわよ」
ミリアムは何も言えなかった。今回の彼女の判断が大失敗を招いた。もはや彼女の言葉に耳を貸す者はいない。実質クビされたのも当然。
*
「もしもし、同志ミリアム!我々は現在、食堂と旧校舎の両方から同時攻撃を受けています!至急、支援をお願いします!」
悪い知らせは、つい悪いタイミングで舞い込むものだ。
平等軍が動けば、公平軍も動くのは当然のこと。数の劣勢を逆手に取り、少数精鋭の遊撃部隊を編成したのだ。彼らは戦場を縦横に駆け巡り、平等軍の秩序を混乱に陥れる。
*
「さあ、平等軍の連中に、彼らが大好きな『平等』を授けてやろうじゃないか──射撃、よーし!」
遊撃部隊の主力は、帝大付属高校の射撃部員たちである。
将来、軍での栄達を約束されたエリートたちが、平等などという理念を心底支持するわけがない。
校舎の窓から掩体えんたいを探り、巧みに平等軍を狙い撃つ。そして、平等軍が接近しようものなら、素早く撤退する。
「等しく」退場へと導く──これが公平軍による、彼らへの皮肉な「平等」の贈り物であった。
*
「落ち着いて!外に飛び出すな!防御に集中しろ!すぐに向かって指揮を取る!」
しかし、両方から同時に攻められている今、ミリアムは一方を選ばなければならない。そう簡単に陣地が落ちるはずはないが、悠長に構えている時間的余裕もない。
合理的に考えれば、辺ぴな旧校舎より、食料が豊富な食堂の方が戦略的価値が高い。だが──。
「相手の指揮官は分かっているのか?」
「はい!旧校舎側は公平軍会長のモリア、食堂側は……アスモデウスです」
その名前を聞いた瞬間、ミリアムは食堂へ向かおうとした足を止めた。
食堂にアスモデウスがいる。どんな顔をして会えばいいのか──ミリアムにはまだ分からなかった。昨日絶交を言い渡したばかり。次に会う時は敵として、と言ったのは自分自身だ。
「先輩、店長に会いに行くデース。そして仲直りするのデース」
影から聞こえるベリアルの声が、ミリアムの心を揺さぶる。戦略的にも食堂に行くのが正しい。だけど──。
(アスモデウスの泣いている顔を見たら……私の決意は、果たして保てるだろうか?)
不安がよぎるミリアムは、結局、旧校舎へと足を向けた。
*
「やー、楽な仕事やわ~」
ヘッドフォンを外し、先ほどまでミリアムと連絡を取っていた平等軍の通信係は、周囲を確認すると、懐から小さな小切手を取り出し、満足げに眺めた。
「いやー、モリアさん太っ腹すぎるわ~。これで今年の演劇部も安泰やわ」
彼女は演劇部の部長であり、平等会と公平会の二重スパイを務めていた。表向きは両方にいい顔をする機会主義者──だが、モリアはガブリエルよりも、人間の「欲」をよく知っていた。
「マネ♪マネ♪マネ♪」
金は人を動かす最強の駆動力だ。
食堂にアスモデウスがいるという偽情報を流すくらい、彼女にとっては朝飯前の仕事なのである。
*
「これ、本当に大丈夫なのか? ルール違反にならないよな?」
野球部部長は、奇妙な装置を手に取り、難色を示した。
「大丈夫、大丈夫! 変な成分は入ってないからね。安全第一の《学習用催涙ガス》だよ。検査もパスしてるし、吸いすぎない限りは全然安全。お母さんも安心、今なら3本買うと1本おまけしちゃう!」
そう自慢げに発明品を紹介するのは、食堂攻略の真の指揮官・科学部部長。
貪狼将軍ドクターの熱狂的ファンで、彼に倣って白衣と仮面を装着し、自称「ドクターZ」。モリアはドクターの直筆サインを餌に、彼を完璧に手懐けていた。
「分かりますか、この筆跡に滲む叡智と狂気……モリア様と出会えて本当によかったぁ~ぐへへへ……」
「なんだか気持ち悪いな……。これを中に投げ込めばいいんだろ?」
「ええ、私の発明は完璧です! そっちこそ、人に当てないでくださいよ。死人が出ちゃいますから!」
野球部部長は帽子を深く被り、自信に満ちた笑みを浮かべる。
「誰に向かって言ってるんだ? 俺が投げる球がそんなヘマをするわけないだろ!」
言葉より速い一球が食堂の窓ガラスを粉々に破り、壁に見事にめり込んだ。そして、装置は催涙ガスを噴射し始める。
「次っ! こうして学校の窓ガラスを全部割りたかったんだよな~、野球部に入って一度はやってみたかったぜ!」
「いやいや、普通はバットで割るもんじゃないのか!?」
野球部といえば足も速い。中にいる平等軍が状況を理解する前に、窓ガラスは次々と破られ、ガスはあっという間に食堂内に充満していった。
「な、なにこれ……目が……!」
「涙で何も見えない! 窓を開けろ!」
「バカ! 窓は全部割れてるんだ! 外に出るぞ!」
ガスに燻られ、苦しむ平等軍の兵士たちは我先にと外へ脱出しようとする。
しかし、そこで待ち構えていたのは──。
「平等軍の団体様、ご案内いたします!!」
射撃部による容赦ない狙撃の嵐。出口が限定されているため、狙いはより容易い。
「さて、今日の昼ご飯は……学園定食のAランチにしますか?」
昼食の雑談を交わすような余裕すら見せながら、射撃部は冷静に標的を仕留めていく。
こうして、あっけなく食堂は陥落した。
*
旧校舎
戦略的価値は低いが、校内で最も防御に適した難関――
しかし、
「……陥落、している」
公平軍の旗がはためく。ここもまた、見事に公平軍の手中に落ちていた。
ミリアムは無駄足を運ばせてしまった。しかし、それ以上に彼女の心を動揺させたのは、
「ミリリン、来てくれたんだね」
そこに立っていたのは、アスモデウスだった。
「アスモデウス……様?」
模擬戦、午後の――
後半戦、いま、幕が上がる。
果たして、勝利の行方は?
そして、アスモデウスとミリアムの関係の行く末は?
次回へ続く!
全校を舞台にした、全生徒参加の一大イベント。
人数的には平等会が有利だが、公平会の方が全体的なメンバーの質は高い。
くじ引きの結果、平等会は東エリア
――旧校舎、食堂、校舎の半分を陣地とする。
一方、公平会は西エリア
――体育館、プール、残りの半分の校舎を陣地とした。
勝敗は、一日の終了時に占領した陣地面積の大きさで決まる。
ただし、大将が“撃ち取られた”場合、即座に敗北が決定する。
東軍の大将は言うまでもなく、平等会会長を名乗るガブリエル。
西軍の大将は、この戦いを見越していたかのように転校してきた全知の悪魔、モリア。
使用できる武器はペンキ弾や規定に沿ったもののみ。
殺傷力の高いものは禁止。重傷を負わせたり、死に至らしめることはご法度だ。
ペンキが頭部や胸部など要害部分に付着した者は、即退場となる。
審判は、かつて帝国を偉大ならしめた貪狼将軍、ドクター――
のはずだったが…。
「え? エンプラがまたやらかした? 今すぐ行くから、あの子に『覚悟をだけ先にしておいて』と伝えなさい。」
貪狼の名を継いだエンプラのトラブルの後処理と再教育のため、彼は来られなかった。代わりに審判を務めることになったのは…。
「皆さん、怪我だけはなさらないでくださいね」
元皇帝、ティアノ・ブラッドムーン。ツバキに無理を言ってこの役を引き受けたのだ。
「だめよ、模擬戦とはいえ戦場なんだから、危ないでしょう」
ツバキは強く反対したが、ティアノは譲らなかった。
「僕が行かなければ、代わりにツバキが行くんでしょう? 今日は病院で検査の日じゃないか」
ツバキのお腹の赤ちゃんは安定しているものの、月に一度の検査は欠かせない。調整してようやく取れた休み。今日を逃せば、来月まで検査ができなくなってしまう。
「僕もこの子の父親だ。情けないところばかり見せられないよ」
「わかったわ。あなた、気を付けてね」
二人は口づけを交わし、それぞれの道へと向かった。
一方、平等会の本営では――
ガブリエルが士気高揚の演説をしていた。
「神を信じる同志たちよ! 残念な知らせと、喜ばしい知らせが一つずつある!
残念なことに、我が同志リディア・エクイノクスは我らの理想を裏切り、悪魔に魂を売った! 彼女はもはや同志ではない。撃つべき敵だ! 戦場で見かけたら容赦するな――天誅を下せ!」
沸き立つような叫び声。「殺せ! 殺せ! 裏切り者に死を!」 合わせたわけでもないのに、声は一つに聞こえた。
「しかし、神は我々を見捨ててはいなかった! 新たなる同志、ミリアム・エクスコミュニカが我らに加わってくれた! 彼女がいれば、裏切り者リディアの欠落を補うに足るだろう! さあ、温かい歓迎の挨拶を!」
雷鳴のような歓声が、ガブリエルの合図とともに会場を爆発させた。
しかし、当のミリアムはその熱気に全く染まっていない。悲しげな表情を浮かべたまま、隅に座り込んでいた。拍手の渦の中で、ミリアムはまるで水槽の外からこの世界を眺めているようだった。自分だけが違う場所に立っている──そんな感覚が体の芯に張り付いて離れない。
「先輩、帰ろーデース」
彼女の影から、ベリアルの声がした。どうやらこっそり付いて来たらしい。
「何しに来ました? 大切な姉さんを裏切るつもりですか?」
「ベルが悪かったデース…。あの時、ベルがわがままをしなければ、先輩はガブリエルに会うことなんてなかった。もしベルが姉さんのように話せたら、ガブリエルに言い負かされることもなかったデース…」
その声には悔しさのほか、泣き声を押し殺したような響きがこもっていた。
「あなたは悪くないです。今までが馴れ合いすぎていたのが間違いでした。今はただ…お互い、元の立場に戻っただけ。なんでもないことですよ」
(…なんでもないこと。なのに、どうして、あの時アスモデウスが泣いていた顔が頭から離れないの)
ミリアム自身、思っていたほど割り切れてはいないらしい。
一方、公平会の陣営では、また別の光景が広がっていた。
モリアから指示を受けた能力の高い面々は、その意図をすぐに理解し、作業に取り掛かる。
リディアは平等会を脱退したが、公平会の思想に同意したわけではない。故に今回は戦闘には参加せず、医療班として自身の信念を貫く。
しかし、一人だけ違った。部屋の隅で静かに涙を流す悪魔がいた。アスモデウスである。
「うぐっ…うぐっ…ミリリン…」泣きすぎて声が枯れているのに、それでも彼女は名前を呼び続けた。
ガムテープで不器用に補修した、彼女とミリアムの写真を大切に抱え、あの日からずっと泣いていた。
「涙は女の武器よ。でも、ここまで流し続けると、武器の価値が下がっちゃうわ」
背後からモリアがアスモデウスの頭を抱え、優しく撫で上げた。
「モリリン…! モリリンは全知の力を持っているんでしょ!? なら、仲直りする方法を教えて! お願い、一生のお願いだから!」
モリアの手を掴み、荒波の中の唯一の浮き藁のように、アスモデウスは必死だった。
「私と縁を切れば、あの子と元に戻れるわ。元々、彼女は私を妬んで、あなたに当たり散らしていただけのようなものよ。私から離れさえすれば、すべて元通り。大丈夫、たとえそうなっても、私は恨みなんかしないわ」
「モリリン、バカ! 何でも知っているなら、モリリンを失うことが、ミリリンを失うのと同じくらい辛いってわかっているでしょ! どちらか一人しか選べないなんて…あたし、そんなの嫌!」
モリアの手をさらに強く握り、逃げられないように強く縛り付ける。
「ごめんなさい、意地悪な答え方をしてしまったわ。大丈夫、あなたはただまっすぐに、あの子と向き合えばいい。あとは全部、私に任せて」
モリアの指が触れた瞬間、写真は破れる前の時間へと戻った。
ガムテープも傷も跡形もなく、最初から壊れていなかったかのように。
*
ン――――――――!!
防空警報が合図となり、帝国大学付属高校は一瞬にして戦場と化した。
校舎のざわめきは消え、全員の足が戦場の音に変わった。
数の上で優位に立つ平等軍は、その勢いを利用し、積極的な侵攻を開始する。
「兵力ではこちらが有利です。分散してその優位性を損なうべきではありません。確実に陣地を落としていきましょう」
指揮官は言うまでもなくミリアム。百年前、王国の民を率いて帝国の侵略を撃退した彼女が、今や帝国の生徒を指揮するとは、何とも皮肉なものだ。
平等軍は兵力の半分を分遣し、まずプールを攻撃目標とした。当然の選択である。プールには隠れる場所がほとんどなく、三つの陣地の中で最も防御が難しい。
しかしミリアムは油断しない。必要十分以上の人員をプール攻撃に投入した。
しかし、そこには誰一人として敵の姿はなかった。静まり返ったプールは、まさに「空城」の計。ただ、プールの水はいつもより不自然に青く光っていた。
(兵力が少ないから、防御困難なプールはあっさり放棄したのか?)
「探せ! 敵の待ち伏せがあるかもしれない」
この広く開けた場所で大軍が待ち伏せするはずはないが、念には念を入れ、万全を期したいミリアム。
(水がおかしい…こんなに青かったか?)
プールの水の不自然さに気づき、彼女は少しだけ水をすくい上げた。
(これは…?!)
水ではない。青いペンキだ。これはまさか――
「同志ミリアム! ジャンプ台に敵を発見! 元公平会会長のアレックスだと思います。ただちに捕縛にかかります!」
「やめなさい! 今すぐそこから離れろ!」
しかし、その命令は遅すぎた。
20メートルの高さを誇るジャンプ台。ふんどし一丁のアレックスは横木に立ち、迫り来る平等軍の兵士たちに微塵も恐れる様子を見せない。
「そのまま撃てばいいんじゃないですか? なぜわざわざ捕まえようと?」
「分からないのか? 元とはいえ公平会の会長だ。囮として使えるのよ。単に敵戦力を1減らすだけなら、ここまでの仕掛けは割に合わない」
「ははっ! やはり会長の予想通りだ! 卑しい神の僕どもは甘い蜜に群がるハチと同じよ! だが、このアレックスは数の暴力などには屈しない! 我が魂の帰る場所は、広き海にあるのだ!」
そう叫ぶと、彼は横木の上で大きく跳躍した。
「バカ! 止まれ! 下に逃げ場はないぞ!」
横木のバランスが崩れ始め、そこにいる平等軍の兵士たちは激しい揺れに抗う術もない。
「笑止千万! 群れなければ何もできないお前たちに、このアレックスが逃げると思うか! これは我らが会長に勝利を捧げるための、潔きジャンプだ!!」
彼は最大級のジャンプを披露し、プールへと飛び込んだ。
横木のバランスは完全に崩れ、平等軍の生徒たちは次々と落下する。パニックに陥った兵士たちは、必死に隣の者に掴まり、結果としてさらに多くの兵士が落下の渦に巻き込まれた。しかし、これでもまだ序章に過ぎない。
(大丈夫…水と違ってペンキは粘度が高い。簡単に大きな波は立たないはず!)
しかし、アレックスの落下に続く、次々と投げ込まれる「人間爆弾」は、プールに見事な大波を発生させた。
(あのふんどし…! 呪文が書いてあった。モリアの仕業だ!)
そう、ただ落下しただけでは、ペンキのプールに沈むだけだ。しかし、モリアが水魔法でこのペンキに「水の性質」を付与していたら?
結果は見ての通り――大波の発生だ。魔法がかけられた分、波はさらに荒々しい。
ミリアムは旗を素早く回転させ、迫り来るペンキの波を防ぎきった。しかし、他の兵士たちにはそれができなかった。全身を青く染め上げた彼らは、見事に退場となった。
青く染まった生徒たちが、次々と退場ゲートへ運ばれていく。
この一戦で、平等軍はプールを制圧した。しかし、代償は大きすぎた。ミリアムを除く、投入兵力の実に五分の一しか生き残れなかったのである。
(これはまずい……)
ミリアムの当初の計画は、数の優位を活かしてプールを制圧し、そのまま防衛ラインを固めて次のエリアへ進むことだった。しかし、生き残った兵力では……。
(ここは……捨てるしかない)
公平会が奪還に来れば、この人数でプールを守り切るのは不可能だ。兵を残しても無駄死にさせるだけなら、いっそここは捨てるべきだ。食堂と旧校舎はどちらも防御に適している。少人数で守りを固められる。全軍で食事を取って体力を回復した後、体育館を攻めればいい。
そう、平等軍にはもう一つ有利な点があった。食堂を押さえていることだ。食料が豊富に蓄えられている。人数が多い分、補給の重要性は大きい。一日限りの模擬戦とはいえ、この差は決して小さくない。
(ひとまず食堂で兵を休め、軍を再編成しよう)
「ここを放棄するなんて!? あれだけの犠牲を払って手に入れた戦果じゃないか!」
しかしミリアムの決定は、平等軍の反感を買ってしまった。
「今の兵力ではここを守り切れません。だからこそ──」
「最初にここを攻めろと言ったのはあんただろうが!それでこの結果だぞ?今日来たばかりの分際で何が指揮だ!うっぜえ」
「では、平等会らしく投票をしましょう。食堂に戻りたい人は手を挙げて」
挙がった手は──ミリアム以外、誰もいなかった。
「というわけだ。同志ミリアム、我々はここを守る。ご随意にランチをお取りください」
「でも、それでは──」
「これが皆の決定よ。同志なら従うべきじゃない?それとも、あなたも公平会連中と同じ個人英雄主義を貫くおつもり?同志がヴェインに報告するわよ」
ミリアムは何も言えなかった。今回の彼女の判断が大失敗を招いた。もはや彼女の言葉に耳を貸す者はいない。実質クビされたのも当然。
*
「もしもし、同志ミリアム!我々は現在、食堂と旧校舎の両方から同時攻撃を受けています!至急、支援をお願いします!」
悪い知らせは、つい悪いタイミングで舞い込むものだ。
平等軍が動けば、公平軍も動くのは当然のこと。数の劣勢を逆手に取り、少数精鋭の遊撃部隊を編成したのだ。彼らは戦場を縦横に駆け巡り、平等軍の秩序を混乱に陥れる。
*
「さあ、平等軍の連中に、彼らが大好きな『平等』を授けてやろうじゃないか──射撃、よーし!」
遊撃部隊の主力は、帝大付属高校の射撃部員たちである。
将来、軍での栄達を約束されたエリートたちが、平等などという理念を心底支持するわけがない。
校舎の窓から掩体えんたいを探り、巧みに平等軍を狙い撃つ。そして、平等軍が接近しようものなら、素早く撤退する。
「等しく」退場へと導く──これが公平軍による、彼らへの皮肉な「平等」の贈り物であった。
*
「落ち着いて!外に飛び出すな!防御に集中しろ!すぐに向かって指揮を取る!」
しかし、両方から同時に攻められている今、ミリアムは一方を選ばなければならない。そう簡単に陣地が落ちるはずはないが、悠長に構えている時間的余裕もない。
合理的に考えれば、辺ぴな旧校舎より、食料が豊富な食堂の方が戦略的価値が高い。だが──。
「相手の指揮官は分かっているのか?」
「はい!旧校舎側は公平軍会長のモリア、食堂側は……アスモデウスです」
その名前を聞いた瞬間、ミリアムは食堂へ向かおうとした足を止めた。
食堂にアスモデウスがいる。どんな顔をして会えばいいのか──ミリアムにはまだ分からなかった。昨日絶交を言い渡したばかり。次に会う時は敵として、と言ったのは自分自身だ。
「先輩、店長に会いに行くデース。そして仲直りするのデース」
影から聞こえるベリアルの声が、ミリアムの心を揺さぶる。戦略的にも食堂に行くのが正しい。だけど──。
(アスモデウスの泣いている顔を見たら……私の決意は、果たして保てるだろうか?)
不安がよぎるミリアムは、結局、旧校舎へと足を向けた。
*
「やー、楽な仕事やわ~」
ヘッドフォンを外し、先ほどまでミリアムと連絡を取っていた平等軍の通信係は、周囲を確認すると、懐から小さな小切手を取り出し、満足げに眺めた。
「いやー、モリアさん太っ腹すぎるわ~。これで今年の演劇部も安泰やわ」
彼女は演劇部の部長であり、平等会と公平会の二重スパイを務めていた。表向きは両方にいい顔をする機会主義者──だが、モリアはガブリエルよりも、人間の「欲」をよく知っていた。
「マネ♪マネ♪マネ♪」
金は人を動かす最強の駆動力だ。
食堂にアスモデウスがいるという偽情報を流すくらい、彼女にとっては朝飯前の仕事なのである。
*
「これ、本当に大丈夫なのか? ルール違反にならないよな?」
野球部部長は、奇妙な装置を手に取り、難色を示した。
「大丈夫、大丈夫! 変な成分は入ってないからね。安全第一の《学習用催涙ガス》だよ。検査もパスしてるし、吸いすぎない限りは全然安全。お母さんも安心、今なら3本買うと1本おまけしちゃう!」
そう自慢げに発明品を紹介するのは、食堂攻略の真の指揮官・科学部部長。
貪狼将軍ドクターの熱狂的ファンで、彼に倣って白衣と仮面を装着し、自称「ドクターZ」。モリアはドクターの直筆サインを餌に、彼を完璧に手懐けていた。
「分かりますか、この筆跡に滲む叡智と狂気……モリア様と出会えて本当によかったぁ~ぐへへへ……」
「なんだか気持ち悪いな……。これを中に投げ込めばいいんだろ?」
「ええ、私の発明は完璧です! そっちこそ、人に当てないでくださいよ。死人が出ちゃいますから!」
野球部部長は帽子を深く被り、自信に満ちた笑みを浮かべる。
「誰に向かって言ってるんだ? 俺が投げる球がそんなヘマをするわけないだろ!」
言葉より速い一球が食堂の窓ガラスを粉々に破り、壁に見事にめり込んだ。そして、装置は催涙ガスを噴射し始める。
「次っ! こうして学校の窓ガラスを全部割りたかったんだよな~、野球部に入って一度はやってみたかったぜ!」
「いやいや、普通はバットで割るもんじゃないのか!?」
野球部といえば足も速い。中にいる平等軍が状況を理解する前に、窓ガラスは次々と破られ、ガスはあっという間に食堂内に充満していった。
「な、なにこれ……目が……!」
「涙で何も見えない! 窓を開けろ!」
「バカ! 窓は全部割れてるんだ! 外に出るぞ!」
ガスに燻られ、苦しむ平等軍の兵士たちは我先にと外へ脱出しようとする。
しかし、そこで待ち構えていたのは──。
「平等軍の団体様、ご案内いたします!!」
射撃部による容赦ない狙撃の嵐。出口が限定されているため、狙いはより容易い。
「さて、今日の昼ご飯は……学園定食のAランチにしますか?」
昼食の雑談を交わすような余裕すら見せながら、射撃部は冷静に標的を仕留めていく。
こうして、あっけなく食堂は陥落した。
*
旧校舎
戦略的価値は低いが、校内で最も防御に適した難関――
しかし、
「……陥落、している」
公平軍の旗がはためく。ここもまた、見事に公平軍の手中に落ちていた。
ミリアムは無駄足を運ばせてしまった。しかし、それ以上に彼女の心を動揺させたのは、
「ミリリン、来てくれたんだね」
そこに立っていたのは、アスモデウスだった。
「アスモデウス……様?」
模擬戦、午後の――
後半戦、いま、幕が上がる。
果たして、勝利の行方は?
そして、アスモデウスとミリアムの関係の行く末は?
次回へ続く!
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