まおうさまの勇者育成計画

okamiyu

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第八章:散るは忠誠、燃ゆるは誇り――約束の交差点、勇者計画の終焉

第139話:魔王軍、暗黒の胎動ーーチェス盤に立つ者たち

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神魔大戦―― 

天使と悪魔が“世界の所有権”を賭けて争った数千年の闘争は、

人間史から抹消された、もう一つの神話である。

神の側に立つ四大天使が率いる天使軍と、堕天した七十二柱の悪魔が率いる魔族との、人間界の所有権を巡る長きに渡る戦い。

明けの明星たるルキエルの活躍により、大半の悪魔は地獄へ追放され、天界が優勢となる。しかし、肝心の悪魔軍の首魁たるパイモン(モリア)を倒すには至らず、戦線は膠着状態に陥った。

やがて天界も疲弊の色を濃くし、ついに停戦協定が結ばれる。

しかし、戦争はそこで終わったわけではない。

天界と地獄が直接人間界に干渉する代わりに、人間と魔族を駒とした代理戦争の幕が切って落とされたのである。

これが、魔王と勇者という伝説の始まりであった。

天界は、熾天使ガブリエルを中心に、人間に神への信仰を広めさせ、人間界を支配下に置こうと画策する。傀儡政権による間接支配である。

さらに天界は人間側を有利にするため、ルキエルが携える原初の聖剣「プロトタイプ」のレプリカを複数製作し、選ばれし者へと授けた。その聖剣と契約した者こそが、「勇者」として覚醒するのである。

一方、悪魔たちを率いるは毛玉の魔王。 しかし彼は人間界の支配にさして興味を示していなかった。そもそも魔族は人間よりも強く、いずれ悪魔は信仰の対象となるどころか、その存在すら忘れ去られ、やがては伝説上の虚構とみなされようになった。



古来、人間の帝王が自らを「天子」と称したように、魔族の王もまだ「魔王」を名乗るようになった。

こうして人間界は、天と地獄が賭した巨大なチェス盤と化した。

毛玉の魔王は知らない。

彼が愛読してきた勇者物語に登場する「魔王」が、自分とは全く別の存在であることを。

本来、代理戦争の「黒幕」たるべき自分が、いつの間にか「表舞台の主役」に立たされていることを。

そして、それこそがモリアの仕組んだ罠であったことを。

さらに皮肉なことに、今、彼と戦おうとしている魔族側でさえ、真の魔王が戦いに身を投じたことには、まだ気づいていないのである。



九尾の狐はとある山の麓で足を止め、一枚の札を取り出して詠唱を始めた。

「オン・アビラウンケン・バザラダト・バン」

不思議なことに、山肌の岩は城壁へと変貌し、林立する木々は城を守る鎧の如くその姿を変えた。最も驚くべきは、城壁から忽然と現れた竜の頭部である。どうやらこの山全体が、彼の体の一部であるらしい。

「お帰りなさいませ、コハク様」

低くも良く響く声が、森全体に満ち渡った。

「留守を預かりご苦労なのじゃ、エンシェント・シェルガイア。これより四天王会議を開く。お主も参じるがよい」

「申し訳ございません……わしは複雑な話はよく分からぬゆえ……できればご指示だけいただければ、粉骨砕身、必ず成し遂げてみせます」

「……わかった。後ほど伝えるのじゃ」

コハクの顔に一瞬浮かんだ失望の影を、彼女は素早く切り替えた。そして、ゆったりと城内へと歩み入る。

エンシェント・シェルガイアは他の四天王に比べ、実に従順で話も聞いてくれる。しかし、どうにも思考力に難がある。地竜としてのんびりとした生活を送ってきた天性のせいか、その頭の回転は鈍い。兵士としてはその圧倒的な力は申し分ないが、四天王としては……いささか物足りない。

(勇者物語にありがちな、パワーだけが取り柄の役割……真っ先に倒され、他の天王から「あいつが我々四天王中最弱」と嘲笑われる定め……)

コハクはその現状にずっと悩み、もがいてきた。しかし、どうすることもできずにいる。



「これはこれは、ミスター・コハク。今宵、ご一緒にいかがでしょうか?」



会議室には既に一人の老紳士が座っていた。優雅に「ワイン」を嗜むのは、吸血鬼の真祖ノクターン・クロムウェル。四天王の一角である。



「わらわが熟女に見えるとでも? 焼き殺すぞ、無礼者め」



「ミスター・コハクは分かっておらぬ。女と酒は、年を経てこそ味わいが深くなる。若造どもは若い娘の血を好むが、我から見れば、大人の味の分からぬ半人前だ。『ジュース』でも飲んでおれ」ノクターンはグラスを揺らしながら、孤独の美食家のように悠然と構えている。理解されぬほど、己のセンスは卓越していると信じて疑わない。



「無駄口はよい。グロムスはどこじゃ? まさか欠席ではあるまいな?」



「来ておる。我より先に『歓楽』に浸っておる」ノクターンがテーブルの下を指さすと、そこには水色の粘体が蠢いていた。それはノクターンの「ワイン」の搾りかすの骨を溶かしている最中だ。



「分裂体での出席とは……いい身分よのう。まあよい、会議を始めよう」



コハクは三枚の写真をテーブルに広げた。



「ドクターが戻ってきたのじゃ」



「ふん、人間の男か。つまらん。あの仮面の下が悪魔の顔ならともかく、所詮は人間ごとき、我々の敵ではあるまい」ノクターンはドクターの写真を手に取り、失望を露わにする。



「わらわはそう思わぬ。奴は魔法も使える。姿を人間に偽るのは容易であろう。わらわはドッペルゲンガーを使って奴の力量を探ろうとしたが、残念ながら全て返り討ちに遭い、今やドッペルゲンガーを凌ぐ実力を持つとしか分からぬのじゃ」



「なるほど……つまり能力値のみならば、ドッペルゲンガー以上か。面白い」冷笑しながら、ノクターンは次の写真に目を向ける。「これは……天使だと?」



「ああ。しかも、飛び切り強力なはずじゃ。あの翼の数を見よ」



「十二翼?! 馬鹿な! 最高位の熾天使ですら六翼しか持たぬぞ! 何かの間違いだ!」



「ドッペルゲンガーの複製は外見も完璧じゃ。十二翼の天使と言えば、一人思い当たるではないか」



「明けの明星が帝国にいると? それこそ冗談だ! 今の若い者は知るまいが、あれは天災だ! どうしようもならぬ!」ノクターンの手が震える。真祖たる彼ですら、明星の前では塵芥に等しい。コハクもそのことを理解している。



「悩んだところで仕方あるまい。本当に明星なら、対策を講じるのも無駄じゃ。彼が帝国に協力するとは考えにくい。触らぬ神に祟りなしじゃ。わらわが最も懸念するは……こいつじゃ」



コハクは三枚目の写真を手に取った。



「何だ? ただの小娘ではないか。どこが恐ろしいというのだ?」



「この娘は……カメラに気づいておるのじゃ」



町中の監視カメラを利用し、あくまで偶然を装って撮影したはずなのに、彼女はその一機だけを最初から認識しているかのように、ポーズを取っていた。完全に見透かされていたのだ。



「悪魔じゃ……あの愛らしい皮の下には、悪魔が潜んでいる。わらわがその深淵を覗き込んだ時、その深淵もまたわらわを見返していた。あれは……危険すぎる」コハクの眉間に深い皺が寄る。ずる賢い彼女だからこそ、モリアの底知れぬ深淵に恐怖を覚える。



「そんなはずがない! 悪魔はとっくに……地獄に封じられているはずだ!」座っているのも忘れ、ノクターンは立ち上がる。現実を受け入れられない。グロムスの分裂体は相変わらず状況を理解できず、骨を溶かし続けている。



「来月、人間どもは攻め寄せる。この三人の異物は戦場の趨勢を大きく左右するじゃろう。帝国の将軍たちでさえ手を焼いておる。正面からの衝突は得策ではない」



「では、どうする?」



「暗殺じゃ」コハクは懐からもう一枚の写真を取り出した。女帝ツバキである。「あの三人に比べ、女帝を仕留めるは容易い。彼女が暗殺されれば、帝国は混乱に陥る。その時、我が魔王軍は即座に帝国を滅ぼすのじゃ。たとえあの三人が強かろうと、戦場の流れを変えることはできまい」コハクの瞳から冷たい殺気が漂う。彼女は既に、ツバキを如何に葬るか、七つの案を構想し、その中で最も成功率の高いものを推算している。



「ならぬ!」



しかし、その計画は実行される前に粉々に打ち砕かれた。



「そいつは余のものだ。勝手に殺すとは……死にたいか、狐め」



声の主は、魔族たちの王――ダークソウルである。



黒を基調とし、所々に白と緑をあしらった長髪。ハンサムで野性的な顔立ち。金色の皇帝服はフェニックスの羽で織られ、三本足のカラスが刺繍されている。



「魔王様、ステキ♡」



傍らには、過剰なばかりのバラで飾られた盛装の緑肌の美女――ベノムローズ=デライラ。四天王の一人であり、ダークソウルの妃でもある彼女は、今や最も寵愛される存在。コハクを嫌うのも、ダークソウルの寵愛が自分に向かないことへの嫉妬からだ。



「大体、余を差し置いて軍議とは何事だ? 貴様、魔王にでもなったつもりか?」



「と、とんでもございません! 魔王様がご休息中と聞き、お邪魔するのもはばかられまして……」



「余はずっとベノムローズと一緒だったぞ。言い訳が苦しいな」ベノムローズは勝ち誇ったようにコハクに舌を出した。騙されていたと、ようやくコハクは気づく。



(この……! わらわを魔王から遠ざけようとして、こんな手を……! 普段ならともかく、今この重大な時に……!)



「しかし、女帝は他の男の子を孕んでおります。高貴なる魔王様にふさわしくないかと……」



「誰がそいつを女として欲すると言った?」



「はい……?」



「そいつは余のカナリアだ。余がために籠で歌う定めの鳥よ。愛など要らぬ。所有こそ真実だ。心は奪うものではなく、砕くものだ。淫乱な狐とは違う、余は人間のような下等生物と交わる趣味はない。ベノムローズを抱く方が、よほど香りがよい」



ダークソウルはベノムローズの腰を抱き寄せ、その唇を奪う。



「魔王様、んっ♡ そんな……んっ♡」



ベノムローズはダークソウルのキスに身を委ねながら、眼角でコハクを嘲笑う。



「しかし、それでは我が軍の勝利が……!」



「やめなさい、ミスター・コハク!」



ノクターンの制止は遅かった。黒き雷撃がコハクを襲う。



「きゃああああ!」



高圧の電流が彼女の全身を駆け巡り、悲鳴を引き裂く。叫ぼうとしても声が出ない。胸の奥で何かが焼け落ちる音だけがした。

これが魔王の怒りである。

「余の勝利は当然のものだ。この戦争自体、あの気高いカナリアの心を折るためのもの。余がカナリアを手に入れるために、暗殺のような情けない真似をすると思うか? 余計な気を回すな。次は貴様ではなく、その雑種の息子に雷を落としてやる」



「お願いします……おやめください、魔王様!」



全身に走る電流と焼け焦げた痕にも構わず、コハクは必死に懇願する。



どうか、息子だけは……!



「ビッチのくせに、母親面なんて似合わないわよ。それで魔王様の気を引くつもり? きもい」ベノムローズは追い打ちをかける。



しかし、コハクは折れない。



「子は母を強くする。子を身ごもったこともないお主には、一生分からぬじゃろうな」



「売女が!」



遠回しに自分がダークソウルの子を孕めないと嘲笑われたことに激怒したベノムローズは、さらにコハクを懲らしめようとする。



「妃殿下、流石にそれ以上は度が過ぎる」



伸びた蔓を掴み止めたのは、ノクターンだった。



「なによ、あの女を庇うなんて? まさか寝たんじゃないでしょうね? 流石は淫乱狐、男にちやほやされてさぞ自慢でしょうね」



「茶番はここまでだ。余は寝室に戻る。共に来い、ベノムローズ」



「はい♡ 魔王様」



あっという間に態度を変え、コハクを見下ろすベノムローズは、ダークソウルと共に城内の奥へ消えた。



「すまぬのう……わらわらしくなくて」コハクはどうにか電流の痺れから解放され、陰陽術で傷を癒し始める。



「今回の魔王様は……この有様か。魔族の未来は、いったいどこへ向かうというのか」ノクターンは深い嘆息を漏らし、グロムスの分裂体を抱き上げた。「戻るか?」



「ああ……よその女に、わらわの子狐たちを任せてはおけぬ」

傷だらけの身体を押して、コハクは帝国へと向かった。

帝国病院の片隅で、彼女は得意の化け術を施す。瞬く間に、元の姿の面影は消え失せた。九本の尾も、妖しい耳も、その姿形すらも。小麦色の艶やかな髪は深い紫に変わり、特徴的な琥珀の瞳は静かな黒へと染め上げられた。

とある病室のドアを開けると、包帯に覆われたティアノが横たわっていた。

「……ミラージュじゃないか。今日も来てくれたのか。すまないな、いつも気を遣わせて」

コハクはその無理を押して作った笑顔を見て、胸の奥で静かに安堵の息をついた。

「とんでもないわ、陛下。あなたが無事でいらっしゃることこそが、何よりだ」
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