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第八章:散るは忠誠、燃ゆるは誇り――約束の交差点、勇者計画の終焉
第145話:アリストの四日目――埋葬されぬ亡骸に、夜明けの歌を
しおりを挟む戦争から三日を経て、四日目へと突入する。
山地エリアでの大損害にも関わらず、ドクターの撤退命令が早かったため、何とか大半の兵士は生還した。エンプラ将軍は雷撃により墜落、行方不明となり、空挺部隊の士気は大きく低下している。
しかし、森林エリアに囚われた戦車部隊と比べれば、彼らはある意味“幸運”と言えるかもしれない。なんせ、四天王の二人に挟まれ、この迷い森から抜け出せずに彷徨っているのだから。
「本陣へ連絡。こちら、陸軍第74装甲師団。応答せよ、応答せよ……」
軽戦車の中で警戒しながら、アリストは本陣への連絡を試みる。しかし昨日の夜から、一切の応答がない。
「ちくしょう……どうなってやがる。大将はどうした」
「電波が途切れる前に、アンデッド大群の襲来が聞こえた気がします。本陣ももしかしたら……」
隣の兵士が絶望的な現実を告げる。援軍は、おそらく来ない。
今、アリストの戦車には五人の部下がいる。それはアリストが命がけで救った者たちだ。他の大半は――
今も、昨日の光景が蘇る。
*
三日目の朝。 戦車部隊は予想通り砂漠エリアを突破し、森林エリアへと進軍した。
「森ごと燃やしちゃダメかねえ」
アリストは蔦を剣で切り払いながら、ぼやく。
「将軍、この森は湿気が高く、火は広がりにくいです。それによく雨も降ります。やっても無駄だと思います」
「しゃあねえな」
様々な方向から蔦が襲いかかるが、戦車の厚い装甲の前では無力だ。強力な除草剤で、森の中に一本の道を切り開くこともできた。
森の奥へと進むにつれ、危険は彼らにどんどん近づいてくる。その証拠に、空気の中に漂う甘い花の香りが次第に濃くなっている。アリストは忘れもしない――ベノムローズの花の香りだ。
「よぉ! 久しぶりじゃねえか。相変わらず香水のセンスは最悪だぜ。俺が今まで寝た女の中でも、一番趣味が悪い。反吐が出る」
「あたしの香りを、下等な人間風情が理解できるわけがないわ。自らの哺乳類の悪臭を隠すために、我々植物の香りを利用するなんて……嫌らしい」
大地が呻く。
ざくりと割れた地面から、太い枝と蔦が絡み合いながら這い出てくる。根は蛇のように蠢き、枝は互いに絡みつき、紡がれ、やがてそれは優雅な曲線を描く〈繭〉となる。
その中心で、つぼみが膨らむ。
薄緑の萼が少しずつ開き、深紅の花弁がほころび始める。そして、満開の瞬間――
花芯から、女性の姿が浮かび上がった。
肌は新緑の葉を思わせる淡い緑。髪は深い森の影のような濃緑で、無造作に垂れながらも、微かに揺れるたびに光を纏う。その全身を覆うのは、生きたバラの衣裳だ。
赤とピンクの花弁が重なり合い、胸元で大きなローズ・クロージェを形作り、腰から伸びた蔦はスカートのように広がり、無数の小さな蕾が縁を飾る。腕には刺のように尖がった細い枝が巻き付き、それが指先まで伸びて鋭い爪のように輝いている。
彼女がまばたきするたび、長い睫毛から金色の花粉がちらりと散る。それは、美しさと危険が同居する、まさに自然そのものの顕現であった。
「おおぉ、一人でお出ましとは肝が据わってるな。今までの分、決着つけてやるぜ」
アリストは装填済みの散弾銃をベノムローズに向け、引き金にかけようとしたその時――
「ぎゃあああっ!」
背後から、戦車部隊の悲鳴が響く。
敵襲? だが戦車には装甲があるはずだ。一体どうやって――アリストの疑問は、すぐに答えを得た。
戦車部隊がいる地面から青い粘液が湧き出し、車体の隙間や通風口から侵入。中の兵士たちを襲い始めたのだ。スライムだ。それも、ただのスライムではない。
「四天王の一人、グロムスだと……!? なぜこいつがこんな場所に!」
「よそ見するなんて、随分余裕ね」
気を取られたアリストを待つほど、ベノムローズは寛容ではない。光の粒子が彼女の手のひらに集中し――
「太陽光成(シャインビーム)!」
高エネルギーの光線が放たれる。
アリストは間一髪で回避した。だが鉄の義腕の表面がわずかに溶けている。ギリギリだったのだ。
しかし、その直線上にいた部下たちはそうはいかなかった。光線を直撃され、装甲は溶け、中の兵士たちも光熱により蒸発した――遺体すら残さずに。
「よく焼けるわね。あたしは動物のタンパク質が焦げる臭いが大嫌いなの。アンモニアと硫化水素の臭さったら……そのままきれいに消えてくれるとありがたいわ」
ベノムローズは表情ひとつ変えず、さらに光を溜め始める。
(植物の光合成を利用して光を集め、撃つ技か……とんでもないものを隠し持っていた! 今までこんな技を使ったことがなかったはずだ。花粉や胞子が効かないと悟ったからか……)
しかし、そんな分析よりまずいことがある。密集しているのは危険だ。分散しなければ。
「フォーメーション変更! パターンCだ! 速く!」
アリストの命令で、戦車たちは素早く散開を始める。しかし、約五分の一の戦車が動かない。
「α3、α8、β1、β5、β11、γ4! なぜ動かない!? 敵の攻撃をそのまま食らいたいのか!?」
「悪い……将軍……俺たち、動かないんじゃない……動けないんだ……」
「なに!?」
軽戦車を操縦しながら、アリストは気づいた。動けない戦車の履帯に、青い粘体が絡みついているのだ。
「グロムスめ……!!」
植物による妨害への対策は施してあったが、スライムのような弾力性と粘性を持つ物体への耐性までは考慮していなかった。
「戦車を捨てて逃げろ! 俺が回収しに行く!」
「将軍……もう遅いよ。今、戦車の中は……もうスライムの巣窟だ。俺たちの脱出は……もう不可能だ。最後……俺たちは帝国の軍人として死にたい。将軍の隊で働けて……よかった……」
「バカ! 早まるな!」
連続する銃声の後、通信は途絶えた。彼らは帝国の軍人として、尊厳ある死を選んだ。アリストは今回も、また多くの部下を失った。
その後、生存を最優先として、アリストと生き残った部隊は森の中を逃げ惑った。夜が訪れ、植物の活動は明らかに低下した。光合成ができないため、省エネルギーモードに入ったのかもしれない。スライムも死んだ兵士たちの遺体を貪り喰っており、戦友たちの犠牲によって、生き残った者たちに一時の猶予が与えられた。
だが、必死の逃避行の末、全員が散り散りになってしまった。アリストは無線で連絡を試みるが、応答がない。皆、戦車を捨てたのか? その方がまだ希望はあるが……最悪の場合――
アリストはその可能性を、できる限り考えないようにした。
そして、今に至る。
*
「現状確認だ。今、俺たちは六人だ」
アリストは冷静に状況を整理し始める。
「散弾銃2、拳銃3、ライフル2、ナイフは人数分、剣1。弾は……朝、撃ちすぎたか。食料は圧縮ビスケット一袋と水筒二つ。ロープは誰か持っているか?」
「はい、自分が持っています」
α1部隊の伍長がバッグからロープを取り出した。
「おお、さすが伍長、サバイバル心得てるな」
アリストは元気に振る舞おうとしているが、その場にいる他の五人には分かっていた――彼がどれだけ無力感に苛まれているかを。この絶望的な状況から脱するためには、彼が絶望してはならないのだ。
「そして人数確認……少尉1、軍曹1、伍長1、新兵2……そして、無能な将軍1か。やべえな」
「おやめください、将軍! 今回はあなただけのせいじゃありません! 我々を救ってくださったのは、あなたではありませんか!」
少尉はアリストの自己卑下に耐えきれず、声を荒げる。
「いや……俺は大将に、兵士たちを家に帰すって約束した。だけど帰すどころか……その遺体すら国に帰すことができなかった。俺は無力だ。大将だったら……もっとできたはずだ」
「将軍殿、たとえそうだとしても、あの方がこの戦場にいるということは、他の戦場のフォローができないということです。我々は助かるかもしれませんが、他の者はどうなりますか? 今、我々の将軍は将軍殿ですぞ!」
軍曹は冷静に状況を述べることで、アリストを立ち直らせようとした。
「言えてる……厳しいな、軍曹。だから女にもてないんだぞ」
「将軍殿のようなプレイボーイではありません。自分は男女の付き合いは文通から始めて――」
「おい、軍曹の男女談義が長いぞ! 誰か止めてやれ!」
「童貞は女を神聖化しすぎるからね。軍曹の元カノも、『あの人重い』って言ってたよ」
「童……貞ちゃうわ! ちょっと伍長、なんで俺の彼女のことそこまで知ってるん!?」
「二股されてたんだよ。彼女、色んな男といい関係してたから。あれ? 知らなかったのか?」
「おい、軍曹死んでるぞ! 誰か、衛生兵!」
「いるわけないだろ! そんなのがいたら、さっき俺の怪我を治してくれよ!」
騒がしい雑談を見守りながら、アリストの顔にもついに笑顔が戻った。昔も、陸軍の仲間たちと囲んで談笑し、無礼講で騒いだものだ。今はもう、その中のいくつかは永遠に戻らないが……せめて、残された者たちだけは守りたい。
彼は強く、そう心に誓った。
*
目的地は決まった――川を辿り、海岸を目指すこと。 これは森で迷った時の対処法として、作戦前から定められていたことだ。そして海岸には待機する帝国海軍がいる。他の生き残った兵士たちも、きっと同じように向かっているはず。途中で合流できれば、それが最も理想的だが……
夜の森の気温は低い。サイボーグであるアリストはともかく、生身の他の五人は寒さに震える。さらに雨が降り始めた。天蓋のない軽戦車には雨を凌ぐものは何もない。傘など当然あるはずもない。五人は互いに身を寄せ合って暖を取ろうとするが、冷たい雨はわずかな体温さえも奪っていく。
「熱い……熱い!」
最初に耐えられなくなった者が現れた。少尉だ。
「やばい……低体温症だ! 伍長! 少尉の服を脱がせないように! それにこれ……大した効果はないだろうが!」アリストは自分の軍服を脱ぎ、伍長に渡した。
低体温症――凍死する前に、心臓の血液が体の末端に流れ、逆に「熱い」と錯覚させる。その時に服を脱げば、さらに体温を失い凍死する。
「ちくしょう……雨宿りできる洞窟なんてないのか」
残念ながら、この森林エリアにはそのようなものはない。しかし幸い、森の雨は来るのも早ければ去るのも早い。雨は次第に細くなり、ようやく止んだ。
「助かった……少尉、すぐに火を起こして……」
アリストが振り返ると――伍長と軍曹は、どうしようもないというように首を横に振っていた。少尉の命も雨と共に、この世から去ってしまったのだ。
今、四人の傍らに横たわるのは、もはや先ほどの彼ではなく、ただの冷たい遺体でしかない。
「少尉の服と装備を残して……遺体を川に流してくれ」
残酷かもしれないが、今物資が足りない現状では、彼の装備も生き延びるために必要だ。そして、今の彼らに遺体を帝国へ連れ帰る余裕もない。
「この川は海へと流れる……そして南の帝国海へも行くだろう。祖国の海に還れるよう、少尉」
アリストたちは軍礼を捧げ、少尉との最後の別れをした。
だが、死神は少尉だけでは満足しなかった。
「高熱だ……このままではまずいぞ」
先の雨で、伍長が高熱を出した。当然、この臨時小隊に薬品などない。
伍長はもう意識をほとんど失っているが、体の寒さによる痙攣が、まだ彼が生きている証だった。しかしそれも長くは続かない。
「少尉の服をかぶせろ! 速度を上げて海岸にたどり着けば、薬はある!」
だが、伍長はそこまで生き延びられるだろうか。
そんな時、近くの茂みに動きがあった。全員が武器を手に取り、臨戦態勢に入る。しかし……アリスト以外は、もはや体力がない。
そして、そこから現れたのは――
帝国の軍人たちだった。
向こうも数人の小隊で、ここを通りかかったらしい。全員がほっとした。
「味方か……ちょっと薬があるか聞いてくる」
「やめろ!」
ただアリストだけが、異様なものを感じた。だが、遅かった。
“味方”の兵士は、近づいてきた新兵の一人を掴み、その首を噛み砕いた。
「ちくしょう……ベノムローズの胞子に寄生されたか! 全員、銃で撃て! 頭を狙え!」
ベノムローズの胞子は人間に寄生し、宿主を吸い尽くして傀儡とする。その傀儡は他の生き物を殺し、新たな遺体に胞子を寄生させる……たちの悪い生物だ。傀儡の見分け方は頭上の芽のようなものだが、この光もない夜の森では、それを見分けるのは困難だ。
銃弾が、かつての戦友の頭を貫く。糸の切れた人形のように、彼らの動きは停止した。
また守れなかった……
一瞬の判断の遅れが、もう一人の仲間を失わせた。しかし、彼らに残された道は、前進することしかなかった。
伍長はもう白眼をむいている。呼吸も次第に弱くなり……もはやこれ以上は。
その時、先ほどと同じ茂みから音がした。まだ胞子兵か? だが、もし本当の味方ならどうする? 伍長が助かるかもしれない。アリストにはまだ決断が迫られていた。
撃つしかない……撃たなければ、また間に合わないかもしれない
そう命令しようとしたその時――
「O'er boundless skies, where eagles fly」
(広き空 果てしなき空)
「Our banner stands eternal, proud and high」
(帝国の旗 永久に輝く)
「From snow-capped peaks to oceans wide and grand」
(雪原越え 山脈越えて)
「Our people's voices echo through the land」
(我が民の歌声 響き渡る)
軍曹が歌い始めた。それは帝国の国歌であり、帝国軍人なら誰もが歌えるものだ。
(そうか……胞子兵はそれを歌えない!)
「Forever shine, O glorious Empire」
(永久に栄えよ 我が祖国)
「Will of steel and golden dreams we hold」
(鋼の意志と 黄金の夢)
「March as one, our spirits never tire」
(進め我ら 一つになって)
「In history's book, our story shall be told」
(歴史に刻む 我が帝国の光)
向こうからも、同じ国歌の次の節が返ってきた。味方だ!
二つの小隊は歌いながら合流した。今、ここに祖国への愛が、彼らを再び一つにした。
そして、伍長も一命を取り留めた。
こうして、暗い闇の中に歌声が広がっていく。
「Our guardians stand at borders far and near」
(戦士らは 国境守りて)
「For justice, peace, and all we hold so dear」
(家族のため 正義のために)
「Though dawn may break with winds that gently blow」
(夜明けの風 頬を撫でても)
「Our steadfast oath like fiery embers glow」
(揺るぎない誓い 心に燃ゆ)
「Forever shine, O glorious Empire」
(永久に栄えよ 我が祖国)
「Will of steel and golden dreams we hold」
(鋼の意志と 黄金の夢)
「March as one, our spirits never tire」
(進め我ら 一つになって)
「In history's book, our story shall be told」
(歴史に刻む 我が帝国の光)
「The path ahead our ancestors have shown」
(未来へと 続くこの道)
「With wisdom sown from seeds that they have grown」
(先祖の知恵 受け継ぎつつ)
「A future bright we'll build with our own hands」
(新しき日 築き上げん)
「Upon this noble, blessed and sacred land」
(誇り高き 我が大地にて)
「Forever shine, O glorious Empire」
(永久に栄えよ 我が祖国)
「Will of steel and golden dreams we hold」
(鋼の意志と 黄金の夢)
「March as one, our spirits never tire」
(進め我ら 一つになって)
「In history's book, our story shall be told」
(歴史に刻む 我が帝国の光)
その歌声を聞き、他の散り散りになった小隊たちも、同じ歌を歌いながら歌声のもとに集まってくる。もちろん、それを歌えないものは全て胞子兵と見なす。銃声が響く中、歌声は絶えることなく、むしろ次第に大きくなっていった。
祖国への信念が、彼らにこの暗い森を抜ける道と勇気を与えた。誇り高き帝国軍人たちは――まだ負けていなかった。
夜が明け、歌声は最高潮に達する。
「帝国に勝利を!」
今は撤退しかないが、それは彼らが勝利を諦めたわけではなかった。
アリスト側、戦争四日目、終了。
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