特別な人

鏡由良

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恋しい人

恋しい人 第145話

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「葵、そろそろ許してくれないか? 怒ってる葵も可愛いけど、やっぱり声が聴きたい……」
 浴槽にお湯を張って温まっていた僕を後ろからぎゅっと抱きしめてくる虎君は肩に、背中にキスを落としながら本当にごめんと謝ってくる。
 疲労困憊の僕は大人しく虎君に身を任せながらも、告げられる謝罪の言葉に無言を貫き、重い瞼と必死に戦っていた。
「なぁ葵。頼むから許してくれよ……」
 ちゅっちゅっとキスを落としてくる虎君は何度目かの懇願を零し、「葵に嫌われたら生きていけない」と頼りない声を漏らす。
 その声にはあまりにも覇気がなくて、本気で落ち込んでいるとすぐにわかる。でも、そんな虎君を可哀想だと思う反面、やっぱりまだ羞恥と怒りで心がぐちゃぐちゃだから僕はどうしても『もう怒ってないよ』と言ってあげられなかった。
(僕、何回も『ヤダ』って言ったもん……。『止めて』って、言ったもん……)
 指を動かす事すら億劫になる程の疲労感は僕の抵抗の激しさを物語っていて、虎君ならすぐにあれが『本気』だったと気づいたはず。
 けど、僕が泣いて縋って行為の中断を求めたのに虎君は行為を止めるどころか嫌がる僕を無視して続行した。
 そのせいで僕は大好きな人の前であり得ない失態を見せることになってしまって、思い出しただけでも今すぐ消えて居なくなってしまいたいと絶望がぶり返した。
(確かにエッチしたいって誘ったのは僕だけど、でも、あんなの、あんなの聞いてないっ)
 自我のない赤ちゃんでもない限りあの失態の後平然と顔を突き合わせることなんてできるわけがない。相手が心から大好きな人ならなおさら。
 本当に、身体を自由に動かすことができるのなら今すぐ一人になりたいぐらい今虎君と一緒に居たくない。
 でも、激しい疲労感のせいで僕は一人で立つこともままならなくて、願いとは裏腹にまだ虎君の腕の中にいる。
 考えれば考えるだけ恥ずかしくて情けなくて死にたくなってしまうから、できることなら思考を放棄してただぼーっとしていたい……。
「葵……。なんでも良いから声、聞かせて……。頼むから……」
 シャワーから水がしたたり落ちたのか、バスルームに小さく響く水の音。ぎゅっと抱きしめてくる虎君の声は、消え入りそうなほど小さくなっていた。
 止むことのないキスの雨を浴びながら、いい加減虎君が可哀想になってくる。止めてくれなかったことは確かに腹立たしいけど、そもそもエッチしたいと強請ったのは僕自身だったから。
 ぼんやりとした知識で全部分かった気になっていた僕とは違い、虎君は最初から全部分かっていたからエッチに乗り気じゃなかったのかもしれない。僕が恥ずかしさのあまり泣く羽目になるってことも、全部理解してたのかもしれない。
 だから、たとえ僕が泣いても一度火が付いた欲は止められないと分かっていたから、今はまだエッチしたくなかったのかもしれない……。
 僕はそこまで考えを巡らせて、気づく。もしこのまま僕が怒り続けていたら、虎君はもう二度とエッチしたいと思ってくれないかもしれない。と。
(そんなの、絶対ヤダ……)
 確かに愛し合うための準備は恥ずかしい。できることなら二度としたくないぐらい、恥ずかしい。
 でも、恥ずかしいと思う以上に、僕は虎君と愛し合いたい。虎君に心も体も愛されたい……。
 それ僕にとって何よりも優先すべき感情だった。
「と、らくん」
「! よかった……。口、聞いてくれた……」
 漸く応えることができたものの、疲労感のうまく喋れない。虎君は僕の声にギューッと抱きしめる腕に力を込めてきて、震える声で「何?」と続きを促してくれた。
「ごめ、ね……」
「葵は何も悪くないよ。葵が本気で嫌がってるのに止めなかった俺が悪いんだから」
 無理強いして本当にごめん。愛し合いたい自分の欲を優先して葵を傷つけて本当に悪かった。
 そう言葉を続ける虎君は、「もう二度と葵が嫌がることはしないから」なんて言ってくる。
 やっぱり次からエッチしないつもりだったんだと悲しくなる僕。自業自得だって分かってるけど、ショックを受けてしまうのはどうしようもない。
「や……。そんなこと、言わないで……」
「葵?」
「もうしないなんて言わないで……。もう怒ってないから……、恥ずかしかっただけだから……」
 鉛のように重い身体を何とか動かし、僕は振り返ると虎君に抱き着く。
 『虎君とエッチしたい』と、そう訴えてぎゅっとしがみつけば、密着していた身体から伝わる虎君の興奮。硬くなった虎君の下肢を感じ、またドキドキしてきちゃった……。
「葵、頼むから俺を甘やかさないで……。俺は自分の欲に負けて葵をレイプしそうになったんだよ……?」
「そんな酷い事、されてない……。……そりゃ、トイレに行かせてくれなかったのは、酷いと思ったけど……」
「本当にごめん。……あの時は葵の全部が欲しくて、葵の全部が見たくて頭がいっぱいだった」
 虎君は僕を抱き締め、葵のことが好き過ぎて理性がぶっ壊れてた……なんて言ってくる。
 僕は虎君の腕の中、凄く恥ずかしかったんだからと怒っていた理由を伝えた。大好きな人にあんなところ見られたくなかったんだからね。と。
「凄く恥ずかしかったし、凄く情けなかったし、凄く、凄く怖かったんだから……」
「ん……。怖がらせてごめんな? でも、安全なセックスのためにはどうしてもしておかないと―――」
「それは分かってるよ。でも僕、トイレに行きたいってちゃんと言ったよね?」
 それなのにバスルームから出してくれなかったのは虎君で、大好きな人にあんなところを見られて『汚い』って嫌われたらどうしようって怖くて堪らなかった僕の気持ちを少しは考えてくれた?
 虎君にぎゅっとしがみついた僕は、無理矢理させたのは虎君だから『汚い』って思ってても絶対言わないで。ってお願いした。もし虎君の口からその言葉を聞いたら、僕は立ち直れないと思うから。
 すると虎君は僕をぎゅっと抱きしめ、そういう意味の『怖い』だったのか。と笑った。
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