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24、静かなる懐柔~アドリアン2~
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エリオットが執務室へ向かったのは、夕暮れの頃だった。
公爵家の中での影響力を少しずつ拡げる中、次に動くべきは 「アドリアンを懐柔すること」 だった。
ヴェロニクの支配を崩すためには、アドリアンの「無関心」を変えなければならない。
エリオットは、軽く扉をノックした。
「旦那様、お時間をいただけますか?」
「入れ」
低く響く声が返ってきた。
執務室に入ると、アドリアンはデスクに座り、書類に目を通していた。
彼は視線を上げることなく、淡々とペンを走らせている。
「……どうかしたのかい?」
エリオットは、静かに微笑んだ。
「まずは、お礼を申し上げます」
「お礼?」
アドリアンがようやく顔を上げ、少しだけ首を傾げた。
「僕をこの公爵家の一員として受け入れてくださったことに、です」
「当然のことだろう。君はヴェイル侯爵家の令息であり、私の妻なのだから」
さらりと言われ、エリオットは内心で苦笑した。
(……それを言うなら、ヴェロニクの存在はどうなるんだろうね……旦那様)
とはいえ、ここで矛盾を指摘するのは得策ではない。
今のアドリアンにとってヴェロニクは 「公爵家を支える有能な存在」 であり、それを正面から否定するのは逆効果だ。
「座るといい。君は身体が弱いのだから」
アドリアンは自分の前にある椅子を視線で指した。
エリオットは一礼すると、椅子へと腰かけて、アドリアンと向かい合った。
「旦那様、ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「……何だい?」
「公爵家の決定は、すべて旦那様の意志によるもの……それで間違いありませんか?」
アドリアンが微かに目を細める。
「まあ、そうだね」
「では、最近の決定のいくつかは、旦那様のご意向通りだったでしょうか?」
エリオットは、あくまで穏やかに尋ねる。
だが、その言葉には観察の色が滲んでいた。
「例えば、使用人の待遇について――旦那様は“問題ない”と仰っていましたね。でも、実際には、一部の待遇が変更されていたようです」
「……そのあたりは、ヴェロニクが判断したのだろう」
(そのあなたの態度が彼を横柄にさせていると、気付かないのだからね……僕はそのせいで散々な目にあったのだけど)
「そうですね。でも、公爵家の主は旦那様です。旦那様の知らない間に、誰かが決定を下すというのは、果たして適切なのでしょうか?」
アドリアンの指が、ペンを握る力を僅かに強めた。
「……私が、細かいところまで指示していないだけだ」
「なるほど」
エリオットは微笑みながら、静かに言葉を続ける。
「でも、それが続けば、公爵家は“旦那様ではなく、別の誰かが実権を握る”と見られてしまうかもしれません」
アドリアンの眉がわずかに動く。
「……何が言いたいんだい?」
「“信頼”と“依存”は、似て非なるものです」
エリオットは、視線をまっすぐに向けた。
「旦那様は、ヴェロニク様を信頼されていますよね?」
「……当然だ」
「ならばこそ、“彼があなたの知らないところで決定を下している”状況を正すべきではありませんか?」
アドリアンは、数秒沈黙した。
(……考え始めたな)
エリオットは、焦らず、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「これは、ヴェロニク様を否定する話ではありません。むしろ、有能な彼だからこそ、適切な管理が必要なのではないでしょうか?」
アドリアンが、視線を伏せた。
「……ヴェロニクは、有能だ。公爵家を支える存在として、彼の働きには何の問題もない」
「ええ。だからこそ――」
エリオットは、ゆっくりと微笑む。
「彼が公爵家の主であるかのように振る舞うのは、問題ではありませんか?」
アドリアンが、ふっと息を吐く。
「……つまり、君は私にヴェロニクを排除しろと言うのか?」
「いいえ、そうではありません」
エリオットは、即座に首を振る。
「ヴェロニク様を“守るため”に、彼の行動を正すべきだと言いたいのです」
アドリアンが、一瞬驚いた顔をした。
「どういう意味だい?」
「このままでは、ヴェロニク様が公爵家を乗っ取ろうとしていると外部に見られてしまう可能性があります。僕はそれが怖いのです」
「……」
「閣下がヴェロニク様を信じていることは、僕も理解しています。しかし、周囲はそうは思わないかもしれません」
アドリアンの指が、デスクを軽く叩く。
「それは……」
「もしヴェロニク様が公爵家の主であると見なされれば、閣下の立場が揺らぐだけでなく、ヴェロニク様自身にも危険が及ぶでしょう」
エリオットは、少しだけ身体を前に乗り出した。
「それを防ぐためにも、“公爵家の主はあくまで閣下である”と明確に示す必要があります」
アドリアンは沈黙する。
(……押し時だな)
エリオットは、最後の一言を付け加えた。
「これは、公爵家のためであり、ヴェロニク様のためでもあります。旦那様は、それをどうお考えになりますか?」
長い沈黙が流れた。
やがて、アドリアンは、ゆっくりと息を吐く。
「……確かに、一度見直す必要があるのかもしれないな」
「ご理解いただけて嬉しいです」
エリオットは、静かに微笑んだ。
(これで、アドリアンの意識は変わる)
ヴェロニクを「切り捨てる」のではなく、「管理する」方向へと動かせればいい。
エリオットは、淡い満足感を覚えながら、静かに席を立った。
「では、僕はそろそろ失礼します。お邪魔しました」
そう言って、執務室を後にする。
――そして、扉が閉じられた後。
アドリアンは、しばらく無言でデスクを見つめていた。
(……エリオット、君は一体……)
ゆっくりと背中を椅子へと預ける。
そして、使用人を呼ぶためにハンドベルを鳴らす。
ほどなくして、メイドが扉を静かに開けた。
「お呼びでしょうか、旦那様」
「ああ。ヴェロニクを呼んでくれ」
それが、この家に変化をもたらす、最初の一歩だった。
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次の更新→2/16 PM0:30頃
☆感想いただけると嬉しいです☆
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公爵家の中での影響力を少しずつ拡げる中、次に動くべきは 「アドリアンを懐柔すること」 だった。
ヴェロニクの支配を崩すためには、アドリアンの「無関心」を変えなければならない。
エリオットは、軽く扉をノックした。
「旦那様、お時間をいただけますか?」
「入れ」
低く響く声が返ってきた。
執務室に入ると、アドリアンはデスクに座り、書類に目を通していた。
彼は視線を上げることなく、淡々とペンを走らせている。
「……どうかしたのかい?」
エリオットは、静かに微笑んだ。
「まずは、お礼を申し上げます」
「お礼?」
アドリアンがようやく顔を上げ、少しだけ首を傾げた。
「僕をこの公爵家の一員として受け入れてくださったことに、です」
「当然のことだろう。君はヴェイル侯爵家の令息であり、私の妻なのだから」
さらりと言われ、エリオットは内心で苦笑した。
(……それを言うなら、ヴェロニクの存在はどうなるんだろうね……旦那様)
とはいえ、ここで矛盾を指摘するのは得策ではない。
今のアドリアンにとってヴェロニクは 「公爵家を支える有能な存在」 であり、それを正面から否定するのは逆効果だ。
「座るといい。君は身体が弱いのだから」
アドリアンは自分の前にある椅子を視線で指した。
エリオットは一礼すると、椅子へと腰かけて、アドリアンと向かい合った。
「旦那様、ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「……何だい?」
「公爵家の決定は、すべて旦那様の意志によるもの……それで間違いありませんか?」
アドリアンが微かに目を細める。
「まあ、そうだね」
「では、最近の決定のいくつかは、旦那様のご意向通りだったでしょうか?」
エリオットは、あくまで穏やかに尋ねる。
だが、その言葉には観察の色が滲んでいた。
「例えば、使用人の待遇について――旦那様は“問題ない”と仰っていましたね。でも、実際には、一部の待遇が変更されていたようです」
「……そのあたりは、ヴェロニクが判断したのだろう」
(そのあなたの態度が彼を横柄にさせていると、気付かないのだからね……僕はそのせいで散々な目にあったのだけど)
「そうですね。でも、公爵家の主は旦那様です。旦那様の知らない間に、誰かが決定を下すというのは、果たして適切なのでしょうか?」
アドリアンの指が、ペンを握る力を僅かに強めた。
「……私が、細かいところまで指示していないだけだ」
「なるほど」
エリオットは微笑みながら、静かに言葉を続ける。
「でも、それが続けば、公爵家は“旦那様ではなく、別の誰かが実権を握る”と見られてしまうかもしれません」
アドリアンの眉がわずかに動く。
「……何が言いたいんだい?」
「“信頼”と“依存”は、似て非なるものです」
エリオットは、視線をまっすぐに向けた。
「旦那様は、ヴェロニク様を信頼されていますよね?」
「……当然だ」
「ならばこそ、“彼があなたの知らないところで決定を下している”状況を正すべきではありませんか?」
アドリアンは、数秒沈黙した。
(……考え始めたな)
エリオットは、焦らず、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「これは、ヴェロニク様を否定する話ではありません。むしろ、有能な彼だからこそ、適切な管理が必要なのではないでしょうか?」
アドリアンが、視線を伏せた。
「……ヴェロニクは、有能だ。公爵家を支える存在として、彼の働きには何の問題もない」
「ええ。だからこそ――」
エリオットは、ゆっくりと微笑む。
「彼が公爵家の主であるかのように振る舞うのは、問題ではありませんか?」
アドリアンが、ふっと息を吐く。
「……つまり、君は私にヴェロニクを排除しろと言うのか?」
「いいえ、そうではありません」
エリオットは、即座に首を振る。
「ヴェロニク様を“守るため”に、彼の行動を正すべきだと言いたいのです」
アドリアンが、一瞬驚いた顔をした。
「どういう意味だい?」
「このままでは、ヴェロニク様が公爵家を乗っ取ろうとしていると外部に見られてしまう可能性があります。僕はそれが怖いのです」
「……」
「閣下がヴェロニク様を信じていることは、僕も理解しています。しかし、周囲はそうは思わないかもしれません」
アドリアンの指が、デスクを軽く叩く。
「それは……」
「もしヴェロニク様が公爵家の主であると見なされれば、閣下の立場が揺らぐだけでなく、ヴェロニク様自身にも危険が及ぶでしょう」
エリオットは、少しだけ身体を前に乗り出した。
「それを防ぐためにも、“公爵家の主はあくまで閣下である”と明確に示す必要があります」
アドリアンは沈黙する。
(……押し時だな)
エリオットは、最後の一言を付け加えた。
「これは、公爵家のためであり、ヴェロニク様のためでもあります。旦那様は、それをどうお考えになりますか?」
長い沈黙が流れた。
やがて、アドリアンは、ゆっくりと息を吐く。
「……確かに、一度見直す必要があるのかもしれないな」
「ご理解いただけて嬉しいです」
エリオットは、静かに微笑んだ。
(これで、アドリアンの意識は変わる)
ヴェロニクを「切り捨てる」のではなく、「管理する」方向へと動かせればいい。
エリオットは、淡い満足感を覚えながら、静かに席を立った。
「では、僕はそろそろ失礼します。お邪魔しました」
そう言って、執務室を後にする。
――そして、扉が閉じられた後。
アドリアンは、しばらく無言でデスクを見つめていた。
(……エリオット、君は一体……)
ゆっくりと背中を椅子へと預ける。
そして、使用人を呼ぶためにハンドベルを鳴らす。
ほどなくして、メイドが扉を静かに開けた。
「お呼びでしょうか、旦那様」
「ああ。ヴェロニクを呼んでくれ」
それが、この家に変化をもたらす、最初の一歩だった。
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