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32、交錯する感情~アドリアン1~
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「——エリオット」
静かにその名を呼ぶと、扉の向こうからエリオットが振り向いた。
「……旦那様?」
夜の帳が下りた公爵家の一室。
エリオットは、軽く手紙類に目を通していたが、アドリアンの様子にふと手を止めた。
「こんな時間に……どうしました?」
「聞きたいことがあってね」
アドリアンは、わずかに低い声で言った。
「皇帝陛下と、君は一体、どういう関係だ?」
エリオットは一瞬だけ動きを止めた。
「……何のことです?」
「言葉の通りだよ」
アドリアンの声には、明らかに 苛立ち が滲んでいた。
「貴族たちの間で、君と皇帝陛下の関係が話題になっているんだ」
エリオットは、静かに息を吐いた。
その態度に、アドリアンは無性に苛立ちを覚える。
(……この余裕は何だ?)
噂を聞いて動揺しているのは、むしろ自分の方だというのか。
「何か問題があったのでしょうか?」
「……何?」
エリオットは、いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべた。
「旦那様、私たちは“本当の夫婦”ではありません」
「……!」
アドリアンの胸に、何かが突き刺さるような感覚が走る。
「私は公爵家の繁栄に力添えができればと思っております」
「…………」
その答えは、あまりにも完璧だった。
「ですから、皇帝陛下が私に関心を持たれたとして、それが公爵家にとって有益であるならば——私は、それを否定する理由はありません」
アドリアンは、無意識に拳を握っていた。
(……つまり、あの男に気に入られても構わないと?)
冷静に考えれば、エリオットの言うことは正しい。
貴族として考えれば、むしろ公爵家にとって「利益」となる話だ。
だが——
(私が、気に食わないだけなのか……?)
「……君は、それでいいのかい?」
「旦那様は、問題だとお考えですか?」
エリオットの目は、静かだった。
そこには「何の問題が?」と言わんばかりの落ち着きがある。
(エリオットは、本気でそう思っているのか?……私の妻であるのにか?)
アドリアンは何かを言いかけたが、言葉が出てこなかった。
エリオットは、ただ公爵夫人としての立場を全うしているだけなのだ。
そして、今回も——
「……私は、公爵夫人としての役割を果たしているだけです」
淡々とした口調のまま、エリオットは扇を閉じた。
「貴族社会において、公爵家が皇帝陛下と良好な関係を築くことが重要なのは当然のこと。旦那様も、それを理解されているでしょう?」
「……」
アドリアンの奥歯が、ギリ、と鳴った。
(……そうだ、それは分かっている)
だが、それでも 「エリオットをあの男に取られる」 という考えを受け入れることができない。
「もし、皇帝陛下が本気で君を求めたら——」
その言葉を言いかけた瞬間、エリオットがふっと微笑んだ。
「どうなさったのですか、今日は。旦那様がまるで嫉妬しているみたいですよ」
「……!」
アドリアンの瞳が鋭く光る。
「……私が?」
「ええ。まるで、皇帝陛下が私に関心を持たれるのが、お気に召さないように見えます」
その一言が、無性に神経を逆撫でした。
「確かに私は立場上は旦那様の妻ですが……ご承知の通り私たちは形式上の夫婦です。私は旦那様の番でもありません。そのように思われるのが不思議で」
「……!」
その言葉に、アドリアンの胸の奥が鈍く疼いた。
(……そうだ。エリオットは私の番ではない。それは最初から分かっていたはずだ)
だが、なぜその事実を改めて突きつけられた瞬間、これほどまでに不快感が広がるのだろうか。
ヴェロニクを見出したのは自分で、番にも選んだ。
その上でエリオットを迎えたのだ。
そしてエリオットの言ってきた、形式上の夫婦、にも合意した。
しかし、どうにも収まらないこの苛立ち。
(私は……どうしたい?)
「……そうだな……君の言う通りだ」
アドリアンは低く言い残し、踵を返した。
しかし、扉に手をかけた瞬間——
「……旦那様」
静かな声が、背後から聞こえた。
「旦那様がどのようにお考えであろうと、私は公爵夫人です」
「……」
「それをお忘れなきように」
アドリアンは、振り返らなかった。
(それを忘れられたら、どれだけ楽か)
だが、その答えは、まだ自分の中で出せるものではなかった。
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次の更新→2/20 PM0:30頃
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静かにその名を呼ぶと、扉の向こうからエリオットが振り向いた。
「……旦那様?」
夜の帳が下りた公爵家の一室。
エリオットは、軽く手紙類に目を通していたが、アドリアンの様子にふと手を止めた。
「こんな時間に……どうしました?」
「聞きたいことがあってね」
アドリアンは、わずかに低い声で言った。
「皇帝陛下と、君は一体、どういう関係だ?」
エリオットは一瞬だけ動きを止めた。
「……何のことです?」
「言葉の通りだよ」
アドリアンの声には、明らかに 苛立ち が滲んでいた。
「貴族たちの間で、君と皇帝陛下の関係が話題になっているんだ」
エリオットは、静かに息を吐いた。
その態度に、アドリアンは無性に苛立ちを覚える。
(……この余裕は何だ?)
噂を聞いて動揺しているのは、むしろ自分の方だというのか。
「何か問題があったのでしょうか?」
「……何?」
エリオットは、いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべた。
「旦那様、私たちは“本当の夫婦”ではありません」
「……!」
アドリアンの胸に、何かが突き刺さるような感覚が走る。
「私は公爵家の繁栄に力添えができればと思っております」
「…………」
その答えは、あまりにも完璧だった。
「ですから、皇帝陛下が私に関心を持たれたとして、それが公爵家にとって有益であるならば——私は、それを否定する理由はありません」
アドリアンは、無意識に拳を握っていた。
(……つまり、あの男に気に入られても構わないと?)
冷静に考えれば、エリオットの言うことは正しい。
貴族として考えれば、むしろ公爵家にとって「利益」となる話だ。
だが——
(私が、気に食わないだけなのか……?)
「……君は、それでいいのかい?」
「旦那様は、問題だとお考えですか?」
エリオットの目は、静かだった。
そこには「何の問題が?」と言わんばかりの落ち着きがある。
(エリオットは、本気でそう思っているのか?……私の妻であるのにか?)
アドリアンは何かを言いかけたが、言葉が出てこなかった。
エリオットは、ただ公爵夫人としての立場を全うしているだけなのだ。
そして、今回も——
「……私は、公爵夫人としての役割を果たしているだけです」
淡々とした口調のまま、エリオットは扇を閉じた。
「貴族社会において、公爵家が皇帝陛下と良好な関係を築くことが重要なのは当然のこと。旦那様も、それを理解されているでしょう?」
「……」
アドリアンの奥歯が、ギリ、と鳴った。
(……そうだ、それは分かっている)
だが、それでも 「エリオットをあの男に取られる」 という考えを受け入れることができない。
「もし、皇帝陛下が本気で君を求めたら——」
その言葉を言いかけた瞬間、エリオットがふっと微笑んだ。
「どうなさったのですか、今日は。旦那様がまるで嫉妬しているみたいですよ」
「……!」
アドリアンの瞳が鋭く光る。
「……私が?」
「ええ。まるで、皇帝陛下が私に関心を持たれるのが、お気に召さないように見えます」
その一言が、無性に神経を逆撫でした。
「確かに私は立場上は旦那様の妻ですが……ご承知の通り私たちは形式上の夫婦です。私は旦那様の番でもありません。そのように思われるのが不思議で」
「……!」
その言葉に、アドリアンの胸の奥が鈍く疼いた。
(……そうだ。エリオットは私の番ではない。それは最初から分かっていたはずだ)
だが、なぜその事実を改めて突きつけられた瞬間、これほどまでに不快感が広がるのだろうか。
ヴェロニクを見出したのは自分で、番にも選んだ。
その上でエリオットを迎えたのだ。
そしてエリオットの言ってきた、形式上の夫婦、にも合意した。
しかし、どうにも収まらないこの苛立ち。
(私は……どうしたい?)
「……そうだな……君の言う通りだ」
アドリアンは低く言い残し、踵を返した。
しかし、扉に手をかけた瞬間——
「……旦那様」
静かな声が、背後から聞こえた。
「旦那様がどのようにお考えであろうと、私は公爵夫人です」
「……」
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アドリアンは、振り返らなかった。
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