娼館で死んだΩ、竜帝に溺愛される未来に書き換えます

めがねあざらし

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50、逃げる先

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夕陽が、ゆっくりと地平線へと沈みかけていた。
長く伸びる影が、公爵邸の玄関前に落ちている。

(……どこかへ、行かないと……)

エリオットは荒い息を整えながら、屋敷の前で足を止めた。
けれど、どこへ向かえばいいのか分からない。
馬車を用意する? いや、それでは目立ちすぎる。
徒歩で出ればいい? だが、どこへ?
このまま侯爵家へ? それとも……。

(……落ち着け)

鼓動が速く、うまく考えがまとまらない。
冷たい夜風に当たれば、少しは冷静になれるかもしれない——そう思った時だった。
——ひゅう、と風が吹き抜ける。
庭園の方から、かすかに花の香りが漂ってくる。
エリオットは、そのまま足を向けた。



バラ園は、公爵邸の奥に広がる静かな空間だった。
昼間は使用人たちが手入れをしているが、今は誰の姿もない。
エリオットはふらりと足を踏み入れる。
赤や白、ピンクのバラが夕暮れの中で揺れていた。

(……ここなら、少しの間だけ……)

ゆっくりと歩みを進め、噴水の縁に腰を下ろす。
手を水面にかざすと、ひんやりとした感触が心地よかった。
喉の奥がひりつく。
先ほどまでの出来事が、まるで悪い夢のようだった。

(どうして、こんなことに……いや、下手に近づいた自分のせいでもあるか……)

一線を引いていたとはいえ、自分の対応も悪かったのだと思える。
変に近づくべきではなかったのだろう。
アドリアンの執着。
シグルドの言葉。
ヴェロニクの焦燥。
すべてが絡み合い、逃げ場を失わせる。

(このまま、公爵家に居続けていいのか……?)

このままでは、アドリアンは何度でもエリオットを追い詰めるだろう。
次は「偶然の中断」などないかもしれない。
方法の1つとしてアドリアンに貞操くらいくれてやってもいいのかもしれない。
ヴェロニクもそれを知れば焦りは加速していくだろう。
こちらが注意さえしていればそのうち自滅してくれる可能性も高い。
何せ今の状態でも、この有様だ。
好きでもない男との性行為なんて嫌というほど味わった。
番にならなければ、それでいい。
少なくとも、そう思っていたのだ。“あの人”に会うまでは。
あの時、最後の時でさえ汚い自分に心苦しさを感じた。
だからこそ、今回は綺麗でいたい──と思ってしまうのだ。
これが無駄な感傷とわかっていても。
その時。
——カツン。
足音が、バラ園の入口から響いた。
エリオットは、ぎくりと肩を震わせる。

「……珍しいですね」

優雅な声が、ひどく冷ややかに響いた。
「こんな時間に、ここにいらっしゃるなんて」
バラの影から現れたのは——ヴェロニク・クレイヴンだった。

「こんな時間に、ここにいらっしゃるなんて」

ヴェロニク・クレイヴンの声が、静かなバラ園に響いた。
エリオットはわずかに目を細めながら、振り向く。
ヴェロニクはいつものように優雅な微笑を浮かべていた。
けれど、その目の奥には 探るような光 が宿っている。

(僕を追ってきたか……何を企んでいる?)

エリオットは静かに息を吐き、何でもないように答えた。

「……少し、気を落ち着かせたくてね」
「それはそれは」

ヴェロニクは、ゆっくりと歩み寄る。
バラの甘い香りに紛れるように、 彼の声には妙な含み があった。

「公爵閣下のお側から、あのような姿で飛び出してこられたのですもの」

エリオットは表情を崩さず、ゆっくりと視線を向けた。

「何か、言いたいことでも?」
「いえいえ。ただ、何があったのか 気になってしまって 」

ヴェロニクの唇が、ゆるく歪む。
その目が、じっとエリオットの首元を見つめていた。

(まるで、何か痕が残っていないか確かめるような視線だな)

エリオットは わざとゆっくりと立ち上がった 。

「ご心配なく。少し言葉を交わしただけです」
「それは、随分と 熱い会話 だったようですわね?」

ヴェロニクの微笑が深まる。
しかし、その目には 明らかに焦燥 が滲んでいた。

(……焦っている)

エリオットは、そんなヴェロニクを冷静に観察する。
焦りを隠そうとしているが、 無意識に拳を握り締めているのが見えた 。

(つまり、僕がまだ公爵家にいることが 不都合なんだな)

エリオットは にっこりと微笑んで 、わざとヴェロニクに近づいた。

「まあ、そうですね……。ところで、狩猟大会のことですが……あなたは、僕がここにいることが そんなに気に入らないのですか? 」
「……そんなこと、は……」

(浅はかだな。そこで知らない顔をしなければ、君は認めているようなものだろうに……アドリアンとのことがそんなにショックだったか)

「でも……随分と動揺しているように見えますが?」

ヴェロニクの 指先がピクリと震えた 。

あの襲撃。
そして、狙撃。
全ては、ヴェロニクが エリオットを排除するため に仕組んだものだったのだろう。
だが、それが 失敗した ことが気に入らないのだ。
そしてアドリアンとのことも。
ヴェロニクの微笑が 少し強張る 。

「……公爵夫人がどこにいようと、私には関係のないことですよ」
「そう? それなら、僕のことは放っておいてくれませんか?仮に旦那様が真実夫になったとしても──僕はあなたが弁えている限り、公爵家から追い出すような真似はしませんよ。誰かさんと違ってね。愛人1人くらい、問題もない」

ヴェロニクの眉がピクリと動く。

「……相変わらず、よく回る口をお持ちですね」
「さて?あなたほどではありませんよ」

(どうする? もう少し 揺さぶってみるか? )

そう考えた時——
パタパタ……!
急ぎ足の使用人が、バラ園の入口に現れた。

「奥様、こんなところに!大変です! 公爵閣下が、お呼びです!」

(……?)

「なんでも、王宮からの急報が届いたとかで……!」

エリオットの眉が、わずかに動いた。

(王宮からの急報?)

そして、それを聞いた ヴェロニクの顔色が僅かに変わる 。
エリオットは、ちらりとヴェロニクを一瞥し、静かに口を開いた。

「……そうですか。では、すぐに向かいましょう」

そう言い残し、使用人とともにバラ園を後にする。
背後で、ヴェロニクが 小さく舌打ちする音 が聞こえた——。


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