娼館で死んだΩ、竜帝に溺愛される未来に書き換えます

めがねあざらし

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79、そして別れの前に

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庭園の奥、夕暮れの中で、シグルドは静かに待っていた。
その姿はどこか遠くを見ているようで、けれど、エリオットが近づくとすぐに振り向いた。

「来たか」
「……ええ」

エリオットは足を止め、シグルドと向き合う。
黄金の瞳が、いつも通り静かにエリオットを見つめていた。

「国から、帰還要請が届いたそうですね」
「ああ」

シグルドは穏やかに頷く。

「国が待っている。私がいつまでもここにいるわけにはいかない」

その言葉を聞いて、エリオットは小さく息を吐いた。

「……あなたは、帰るんですね」
「そうだな……いつまでもここにいるわけにもいかない」

(分かっていたことだろう?)

そんな表情をして、シグルドはわずかに微笑む。

「君はどうする?」

その問いに、エリオットは静かに答えた。

「僕は……しばらくヴェイル家にいます」
「そうか」

シグルドはそれ以上、何も言わなかった。
ただ、じっとエリオットを見つめたまま、微かな笑みを浮かべる。

「……何ですか?」
「いや」

シグルドはふっと口の端を上げ、低く囁いた。

「——迎えに行くだけだ」
「っ……!」

エリオットの心臓が跳ねた。
まるでそれが当然のことのように、シグルドは言う。

「君が来ないなら、私が迎えに行く。それだけのことだ」
「……」

どう返せばいいのか分からず、エリオットはただ俯く。
シグルドはそれ以上何も言わず……そう、思った、その瞬間。
エリオットの手首が、強く引かれた。

「あ……!」

不意にバランスを崩し、シグルドの腕の中へと引き込まれる。
胸板にぶつかる柔らかな衝撃と、温もり。

「なっ……」

そして、シグルドの 指が顎を持ち上げた。

「……!」
「君が私から逃げる気なら、今ここで決着をつけよう」

低く、囁くような声。
それと同時に——唇が重なる。
——甘い、とすら思う隙もなかった。

シグルドのキスは、迷いのない、強引なものだった。
しかし、押しつけるだけではない。
一度触れたあと、わずかに角度を変え、ゆっくりと深くなる。
執拗に、確かめるように。
逃がす気などない、という意志がそこにある。

「……っ、ん……」

エリオットは息を詰め、シグルドの胸を押そうとする。
けれど、
押せない。
指先が、服を掴むだけで、力が入らなかった。

(僕は……何をしてる……?)

考えようとする脳が、甘い痺れに支配されていく。

「……君は本当に可愛いな。いっそこのまま攫ってしまおうか」

唇が離れる間際、シグルドが低く囁く。

「どうして……?」

エリオットが動揺を隠せずに問いかけると、シグルドは微笑んだ。

「君が愛しく、名残惜しいからに決まっている」
「っ……!」

心臓が煩い。

「……君は、私のものだ」

シグルドはそう言い残し、ゆっくりと手を離す。
体が自由になると同時に、エリオットは思わず数歩、後ずさった。

「……あなたは、どこまで勝手なんですか」
「勝手なのは君も同じだ」

シグルドはまるで楽しむように言う。
身勝手なシグルド。しかしアドリアンとは違う、ぬくもり。
同じようなぬくもりをエリオットは知っている。

「次に会う時は君がどうしたいのか、はっきりさせておくといい」

そう告げると、シグルドは本当に背を向けた。
今度こそ、去っていく足音を聞きながら——
エリオットは、自分の胸を押さえた。

(なぜ、こんなにも心が揺れるんだ……?)

違う。理由なんかとっくにエリオットにも分かっている。
ただ、それを認めるのが怖いだけで。
佇むエリオットの頬を夜風が撫でた。



翌朝のこと。

「エリオット様、お届け物がございます」

侍女が控えめな声で告げた。

「……届け物?」

エリオットが怪訝に思いながらも受け取ると、それは上質な木箱に入った贈り物だった。
蓋を開けると、ふわりと甘い香りが漂う。

「これは……」

中に詰められていたのは、美しく包装された焼き菓子の数々。

(まさか……)

送り主の名を確認するまでもない。

「……シグルド」

思わず呟く。
箱の片隅には、小さな紙片が添えられていた。
簡潔な、けれどどこか彼らしい筆跡の言葉。

『君の好みだろう?』

「……なぜ、知ってるんです?」

エリオットは思わず独り言を呟いた。
確かに、自分はこの焼き菓子が好きだ。
だが、それを知っているのはごく限られた人間のはず。

(いや……ただの偶然か?)

だが、シグルドが偶然こんな的確な贈り物を選ぶとは思えない。
エリオットは、木箱の中の焼き菓子をじっと見つめる。

(まさか、彼は——)

心の奥に、小さな疑念が芽生えた。
それは、今まで気づかないふりをしていたこと。
だが、もしかすると——

「……確かめるべき、なんだろうね……」

エリオットは、ゆっくりと目を伏せた。

(……今なら、まだ王宮にいるはずだ)

考えるよりも先に、体が動いた。
焼き菓子の箱を机に置き、軽く衣服を整える。

「シグルド陛下に謁見を願いたいと、王宮に使いを出してくれるかな?」

侍女が驚き、少し慌てた様子で頭を下げる。

「かしこまりました。すぐにお伝えいたします」

エリオットはゆっくりと深呼吸をした。
昨日の庭園での言葉、そして、今朝の贈り物。
このまま何も知らないふりはできない。
自分が目を背けてきたものに、向き合う時が来た。

——あの人は、本当に"あの人"なのか?

確かめることはただ一つで、簡単なことだ。
侍女がシグルドに伝言を届けに行くのを見送りながら、エリオットは緩く手を握りしめる。
この疑問の答えを、今度こそ確かめなければならない。
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