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78、帰るべき場所
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馬車の車輪が石畳を踏みしめる音が、静かな夕暮れの街に響いていた。
エリオットは窓の外を見つめながら、ヴェイル家の門が近づくのを感じる。
(本当に……戻ってきてしまったな)
やり取りはあれど、遠ざかっていた実家。
かつて自ら望んで出たこの家に、再び足を踏み入れることになるとは思わなかった。
門が開かれ、馬車が止まる。
扉が開かれるより早く、邸の中から ヴェイル侯爵 がゆったりと歩み出てきた。
「……ふん」
侯爵は腕を組み、じろりとエリオットを見下ろす。
その表情は厳しい……が、どこか呆れと安堵が混ざったようにも見えた。
「あんな礼儀知らずな若造など捨てて、すぐに戻ってくるべきだったんだ。馬鹿者め」
その言葉に、エリオットの胸がちくりと痛む。
「……そうかもしれません」
素直に認めると、侯爵は大きくため息をついた。
「まったく……愛人を見た瞬間に帰ってくるべきだったな」
「……それは、まあ……」
エリオットは苦笑する。
侯爵は 「本当にお前というやつは……」 と、もう一度ため息をついた。
しかし、次に放たれた言葉は意外なものだった。
「だが、戻る場所があることを忘れるな」
「……え?」
「私はお前をあれの父との約束通り嫁がせたが、もう無理に出て行かせるつもりはない。家業を手伝うも、何かやりたいことを探すも好きにしていい。まずは少し休め」
その低く穏やかな声に、エリオットは思わず息を呑む。
(父は……許してくれたんだろうか)
もちろん、公爵家のことを簡単に「全てを水に流す」などということはないだろう。
けれど、こうして迎えてくれる。
それだけで十分だった。
「……ありがとうございます」
深く頭を下げると、侯爵は 「言うな」 とばかりに手を振った。
「まあ、まずは屋敷に入れ。気が張って疲れただろう」
「ええ……」
エリオットは邸の扉をくぐる。
懐かしい空気が、身体を包み込むようだった。
(僕は……本当に帰ってきたんだ)
しみじみと実感しながら、エリオットは静かに足を踏み入れた——。
※
ヴェイル家に戻って数日。
エリオットは、驚くほど穏やかな日々を過ごしていた。
朝は少し遅めに起き、屋敷の書庫で適当に本を読み、昼食を取り、午後は庭を散策する。
夜になればゆっくりと紅茶を楽しみ、静かに眠る。
ただそれだけの生活。
(……こんなに、何もない日々が久しぶりだ)
公爵家にいた頃は、常に何かしらの役割を担い、しがらみに縛られていた。
それに比べれば、今は驚くほど自由だ。
「これが……普通の暮らし、か」
エリオットはカップを傾け、ほっと息を吐いた。
久々に飲むヴェイル家の紅茶は、懐かしい味がした。
——そんなある日のこと。
「いやぁ、エリオットさん、ご無沙汰してますねぇ?」
気楽な声音とともに、 レオン が扉の向こうに立っていた。
「……レオン?」
思わぬ来訪者に、エリオットは目を瞬いた。
ここ数日、特に王宮関係者とは接触がなかったため、少し驚いたのだ。
「どうしたんですか?」
レオンは気楽な態度のまま、肩をすくめた。
「まぁ、一応、我が皇帝陛下からの正式な使いでして」
そう言って懐から書状を取り出すと、それをエリオットの手の中に収める。
見れば、封蝋には王宮の紋章ではなく——見覚えのある、もう一つの紋章が刻まれていた。
「……皇帝陛下」
手紙に記された内容を目で追いながら、エリオットはわずかに眉を寄せる。
「帰還要請、ですか」
シグルドからの便りには、自身が国に帰ることが簡単に書いてあった。
(……そうか。もう、陛下は国に帰るのか)
分かっていたことだ。
彼は異国の皇帝であり、いつまでもこの国に留まり続けるわけにはいかない。
それでも随分と滞在していた方だろう。
(当然のことなのに……なぜ、こんなにも胸が締め付けられる?)
「で、もうひとつ」
レオンがいたずらっぽく笑うと、懐から もう一通 の封書を取り出した。
「こっちは ラブレターですね」
「……は?」
エリオットは警戒するようにそれを受け取る。
「誰から?」
「言わなくても分かるでしょう?」
レオンが目を細めくすくすと笑う。
「いやぁ、陛下から直々の逢瀬の誘いなんて、羨ましい限りですねぇ?」
「……あなた、本当にふざけてますよね」
呆れたように言いながら、エリオットは封を切る。
そこには、簡潔な言葉が並んでいた。
——東の庭園で待つ。シグルド
それだけだった。
(……待つ、か)
エリオットは静かに書状を閉じた。
「さて、行くんですか?行かないんですか?」
レオンが面白そうに尋ねる。
エリオットは一度目を閉じ、息を整えた。
「……護衛は、あなたでいいですね?」
「ええ、それが自分の仕事ですから」
にっこりと笑うレオンを見て、エリオットは仕方なく立ち上がる。
(結局、行かないという選択肢は僕にない……自分に呆れるな)
苦笑を一つ、落す。
——そして、エリオットはシグルドの元へ向かった。
エリオットは窓の外を見つめながら、ヴェイル家の門が近づくのを感じる。
(本当に……戻ってきてしまったな)
やり取りはあれど、遠ざかっていた実家。
かつて自ら望んで出たこの家に、再び足を踏み入れることになるとは思わなかった。
門が開かれ、馬車が止まる。
扉が開かれるより早く、邸の中から ヴェイル侯爵 がゆったりと歩み出てきた。
「……ふん」
侯爵は腕を組み、じろりとエリオットを見下ろす。
その表情は厳しい……が、どこか呆れと安堵が混ざったようにも見えた。
「あんな礼儀知らずな若造など捨てて、すぐに戻ってくるべきだったんだ。馬鹿者め」
その言葉に、エリオットの胸がちくりと痛む。
「……そうかもしれません」
素直に認めると、侯爵は大きくため息をついた。
「まったく……愛人を見た瞬間に帰ってくるべきだったな」
「……それは、まあ……」
エリオットは苦笑する。
侯爵は 「本当にお前というやつは……」 と、もう一度ため息をついた。
しかし、次に放たれた言葉は意外なものだった。
「だが、戻る場所があることを忘れるな」
「……え?」
「私はお前をあれの父との約束通り嫁がせたが、もう無理に出て行かせるつもりはない。家業を手伝うも、何かやりたいことを探すも好きにしていい。まずは少し休め」
その低く穏やかな声に、エリオットは思わず息を呑む。
(父は……許してくれたんだろうか)
もちろん、公爵家のことを簡単に「全てを水に流す」などということはないだろう。
けれど、こうして迎えてくれる。
それだけで十分だった。
「……ありがとうございます」
深く頭を下げると、侯爵は 「言うな」 とばかりに手を振った。
「まあ、まずは屋敷に入れ。気が張って疲れただろう」
「ええ……」
エリオットは邸の扉をくぐる。
懐かしい空気が、身体を包み込むようだった。
(僕は……本当に帰ってきたんだ)
しみじみと実感しながら、エリオットは静かに足を踏み入れた——。
※
ヴェイル家に戻って数日。
エリオットは、驚くほど穏やかな日々を過ごしていた。
朝は少し遅めに起き、屋敷の書庫で適当に本を読み、昼食を取り、午後は庭を散策する。
夜になればゆっくりと紅茶を楽しみ、静かに眠る。
ただそれだけの生活。
(……こんなに、何もない日々が久しぶりだ)
公爵家にいた頃は、常に何かしらの役割を担い、しがらみに縛られていた。
それに比べれば、今は驚くほど自由だ。
「これが……普通の暮らし、か」
エリオットはカップを傾け、ほっと息を吐いた。
久々に飲むヴェイル家の紅茶は、懐かしい味がした。
——そんなある日のこと。
「いやぁ、エリオットさん、ご無沙汰してますねぇ?」
気楽な声音とともに、 レオン が扉の向こうに立っていた。
「……レオン?」
思わぬ来訪者に、エリオットは目を瞬いた。
ここ数日、特に王宮関係者とは接触がなかったため、少し驚いたのだ。
「どうしたんですか?」
レオンは気楽な態度のまま、肩をすくめた。
「まぁ、一応、我が皇帝陛下からの正式な使いでして」
そう言って懐から書状を取り出すと、それをエリオットの手の中に収める。
見れば、封蝋には王宮の紋章ではなく——見覚えのある、もう一つの紋章が刻まれていた。
「……皇帝陛下」
手紙に記された内容を目で追いながら、エリオットはわずかに眉を寄せる。
「帰還要請、ですか」
シグルドからの便りには、自身が国に帰ることが簡単に書いてあった。
(……そうか。もう、陛下は国に帰るのか)
分かっていたことだ。
彼は異国の皇帝であり、いつまでもこの国に留まり続けるわけにはいかない。
それでも随分と滞在していた方だろう。
(当然のことなのに……なぜ、こんなにも胸が締め付けられる?)
「で、もうひとつ」
レオンがいたずらっぽく笑うと、懐から もう一通 の封書を取り出した。
「こっちは ラブレターですね」
「……は?」
エリオットは警戒するようにそれを受け取る。
「誰から?」
「言わなくても分かるでしょう?」
レオンが目を細めくすくすと笑う。
「いやぁ、陛下から直々の逢瀬の誘いなんて、羨ましい限りですねぇ?」
「……あなた、本当にふざけてますよね」
呆れたように言いながら、エリオットは封を切る。
そこには、簡潔な言葉が並んでいた。
——東の庭園で待つ。シグルド
それだけだった。
(……待つ、か)
エリオットは静かに書状を閉じた。
「さて、行くんですか?行かないんですか?」
レオンが面白そうに尋ねる。
エリオットは一度目を閉じ、息を整えた。
「……護衛は、あなたでいいですね?」
「ええ、それが自分の仕事ですから」
にっこりと笑うレオンを見て、エリオットは仕方なく立ち上がる。
(結局、行かないという選択肢は僕にない……自分に呆れるな)
苦笑を一つ、落す。
——そして、エリオットはシグルドの元へ向かった。
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