35 / 57
第2章
27
しおりを挟む
日が昇りきる前の薄暗い時間、部屋の中は静まり返っていた。
俺はベッドの端に座り込み、何度目になるか分からない吐き気をこらえながら、乱れた息を整えようとしていた。
ここ数日、俺の体はどんどん悲鳴を上げている。
頭痛が消えない。胃の中は空っぽのはずなのに、まるで岩を詰め込んだかのような重さがある。目の前が霞むことすらある。
だが、そんなことよりも、もっと苦しいのは……レイが俺を見ないことだ。
「気にするな」
その一言が、俺の胸を突き刺し、埋められない溝を残していく。
彼が俺を守ろうとしているのは分かる。分かっているけど、それでも、彼の態度が俺を孤独に追い込んでいるのだと感じてしまう。
昨日も同じだった。
朝食の席で、俺が勇気を振り絞って話しかけても、彼はいつも通り短く答えて、それ以上の会話はなかった。
――俺がどれだけレイに寄り添おうとしても、レイは俺を遠ざけるばかりだ。
「……このままじゃ、俺は壊れる」
ぽつりと呟くと、リリウムが小さく鳴きながら足元に寄り添ってきた。その柔らかい体に手を伸ばすが、その手の震えが自分でも分かる。
そんな時だった。廊下を通りかかった侍女の会話が、微かに耳に届いた。
「……カイル様、本当にエヴァンス家を……」
「でも、これ以上、彼を信じるのは……」
聞こえた途端、頭が真っ白になった。
気づけばドアを開け、侍女たちに向かって声を荒げていた。
「何を言って……‼」
彼女たちは驚いた顔で振り返り、震えながら深く頭を下げた。
「……申し訳ありません、カイル様。つい、口が過ぎて……」
その言葉が余計に俺を傷つけた。
「――そうか、俺のことなんか、誰も信じてないんだな……」
その場を離れ、自室に戻る。
壁に手をついて立ったまま、心の中の叫びが止まらない。
――もう、ここにいる意味なんてないじゃないか。
その思いが、次第に一つの結論に変わっていった。
「……王都に帰る」
言葉にした瞬間、自分でも驚くほど冷静になった。
ここにいる限り、俺はこの状況を変えられない。
だったら、やはり王都に帰って、直接すべてを確かめるしかない。
自分の家族のことも、噂の出どころも。
リリウムを抱き上げ、一度抱きしめてからベッドに置いた。
クローゼットに向かい荷物をまとめ始める。
荷物はたいしていらない。せいぜい王都につくまでの物があれば十分だ。
あとはあちらでどうにでも出来る。両親には迷惑をかけてしまうが……。
――どうせ誰も俺のことなんて必要としていない。
それなら、俺がここを去ったところで、何も変わらないだろう。
荷物をまとめ終えた頃には、空がうっすらと白み始めていた。
――今なら人もまだ少ないはずだ。
リリウムが足元にまとわりついて、いつも以上に鳴いている。
「リリウム……今回は一緒に行けない。ここで待っててくれ」
しゃがみ込み、その柔らかい毛を撫でながら、笑顔を作る。
でも、リリウムの瞳は何かを感じ取っているのか、不安げに揺れているようだった。
「必ず戻るから……」
戻れる場所があれば、だけどな……。何があってもリリウムは迎えに来よう。
そう思いながら最後にリリウムの額に軽くキスをして立ち上がると、リリウムは小さく鳴いて俺を見上げる。
「……行ってくるよ、リリウム」
足元にまとわりつこうとするのを振り切るようにして部屋を出た。
※
馬小屋に着くと、一頭の若い馬が静かに草を食んでいた。
「……お前に付き合ってもらうよ」
そっと馬具を取り付け、馬のたてがみを撫でながら支度を整える。こうしている間も、心の中で何度も自問自答していた。
――本当にこれでいいのか?
――フランベルクを去ることが、レイや俺のためになるのか?
だが、答えは出なかった。ただ、このままここにいても、何も変わらないという思いだけが俺を突き動かしている。
「よし、行こう」
馬のたてがみを軽く撫でて引き出す。誰かに気づかれた様子はない。俺はそっと馬に跨り、リリウムをしっかりと抱えた。
「……さよなら、フランベルク」
静かに呟いて、馬を走らせる。冷たい朝の空気が顔を打ち、眠っていた感覚が一気に目覚めるようだった。
道を進みながら、レイの顔が何度も頭をよぎる。
――お前が俺を信じてくれないなら、俺が自分の潔白を証明してやるよ。
そう思いながらも、胸の奥に重く沈む感情がある。
もしこの選択が間違いだったら?もし、俺が帰ってくる頃には、レイがもう俺を必要としていなかったら?
「……ありえそうで笑えないな……」
自嘲を含んだその声はどこか震えていた。
※
馬を走らせて数時間。
辺りはすっかりと明るく、日も高くなってきている。
もう少し馬を走らせれば、フランベルクと他領の境にある大きな街に着くはずだ。
しかしここに来て俺の体力は限界に来ていた。
足元の感覚がふらつくたび、冷や汗が背中を流れるのが分かる。
吐き気が胸の奥で渦巻き、頭が重い。
けれど、馬を止めるわけにはいかなかった。
「……少しでも遠くへ……」
手綱を握りしめながら、息苦しさを振り払うように呟く。
だが、次の瞬間、視界が揺れた。
「っ……!」
慌てて手綱を引き、馬を止める。地面に足をつけると、体の重みが急にのしかかる。
「まずいな……これじゃ……」
茂みの中へ歩を進め、周囲を見回す。人目につかない場所を探し、枝に馬を繋ぐと、小さな木陰に身を隠すように腰を下ろした。
「少しだけ、休めば……」
頭を抱えると、まぶたが重くなっていく。気づけば、体は茂みにもたれかかり、意識が遠のいていた。意識が途切れるとき、馬のいななきが聞こえた気がした──。
俺はベッドの端に座り込み、何度目になるか分からない吐き気をこらえながら、乱れた息を整えようとしていた。
ここ数日、俺の体はどんどん悲鳴を上げている。
頭痛が消えない。胃の中は空っぽのはずなのに、まるで岩を詰め込んだかのような重さがある。目の前が霞むことすらある。
だが、そんなことよりも、もっと苦しいのは……レイが俺を見ないことだ。
「気にするな」
その一言が、俺の胸を突き刺し、埋められない溝を残していく。
彼が俺を守ろうとしているのは分かる。分かっているけど、それでも、彼の態度が俺を孤独に追い込んでいるのだと感じてしまう。
昨日も同じだった。
朝食の席で、俺が勇気を振り絞って話しかけても、彼はいつも通り短く答えて、それ以上の会話はなかった。
――俺がどれだけレイに寄り添おうとしても、レイは俺を遠ざけるばかりだ。
「……このままじゃ、俺は壊れる」
ぽつりと呟くと、リリウムが小さく鳴きながら足元に寄り添ってきた。その柔らかい体に手を伸ばすが、その手の震えが自分でも分かる。
そんな時だった。廊下を通りかかった侍女の会話が、微かに耳に届いた。
「……カイル様、本当にエヴァンス家を……」
「でも、これ以上、彼を信じるのは……」
聞こえた途端、頭が真っ白になった。
気づけばドアを開け、侍女たちに向かって声を荒げていた。
「何を言って……‼」
彼女たちは驚いた顔で振り返り、震えながら深く頭を下げた。
「……申し訳ありません、カイル様。つい、口が過ぎて……」
その言葉が余計に俺を傷つけた。
「――そうか、俺のことなんか、誰も信じてないんだな……」
その場を離れ、自室に戻る。
壁に手をついて立ったまま、心の中の叫びが止まらない。
――もう、ここにいる意味なんてないじゃないか。
その思いが、次第に一つの結論に変わっていった。
「……王都に帰る」
言葉にした瞬間、自分でも驚くほど冷静になった。
ここにいる限り、俺はこの状況を変えられない。
だったら、やはり王都に帰って、直接すべてを確かめるしかない。
自分の家族のことも、噂の出どころも。
リリウムを抱き上げ、一度抱きしめてからベッドに置いた。
クローゼットに向かい荷物をまとめ始める。
荷物はたいしていらない。せいぜい王都につくまでの物があれば十分だ。
あとはあちらでどうにでも出来る。両親には迷惑をかけてしまうが……。
――どうせ誰も俺のことなんて必要としていない。
それなら、俺がここを去ったところで、何も変わらないだろう。
荷物をまとめ終えた頃には、空がうっすらと白み始めていた。
――今なら人もまだ少ないはずだ。
リリウムが足元にまとわりついて、いつも以上に鳴いている。
「リリウム……今回は一緒に行けない。ここで待っててくれ」
しゃがみ込み、その柔らかい毛を撫でながら、笑顔を作る。
でも、リリウムの瞳は何かを感じ取っているのか、不安げに揺れているようだった。
「必ず戻るから……」
戻れる場所があれば、だけどな……。何があってもリリウムは迎えに来よう。
そう思いながら最後にリリウムの額に軽くキスをして立ち上がると、リリウムは小さく鳴いて俺を見上げる。
「……行ってくるよ、リリウム」
足元にまとわりつこうとするのを振り切るようにして部屋を出た。
※
馬小屋に着くと、一頭の若い馬が静かに草を食んでいた。
「……お前に付き合ってもらうよ」
そっと馬具を取り付け、馬のたてがみを撫でながら支度を整える。こうしている間も、心の中で何度も自問自答していた。
――本当にこれでいいのか?
――フランベルクを去ることが、レイや俺のためになるのか?
だが、答えは出なかった。ただ、このままここにいても、何も変わらないという思いだけが俺を突き動かしている。
「よし、行こう」
馬のたてがみを軽く撫でて引き出す。誰かに気づかれた様子はない。俺はそっと馬に跨り、リリウムをしっかりと抱えた。
「……さよなら、フランベルク」
静かに呟いて、馬を走らせる。冷たい朝の空気が顔を打ち、眠っていた感覚が一気に目覚めるようだった。
道を進みながら、レイの顔が何度も頭をよぎる。
――お前が俺を信じてくれないなら、俺が自分の潔白を証明してやるよ。
そう思いながらも、胸の奥に重く沈む感情がある。
もしこの選択が間違いだったら?もし、俺が帰ってくる頃には、レイがもう俺を必要としていなかったら?
「……ありえそうで笑えないな……」
自嘲を含んだその声はどこか震えていた。
※
馬を走らせて数時間。
辺りはすっかりと明るく、日も高くなってきている。
もう少し馬を走らせれば、フランベルクと他領の境にある大きな街に着くはずだ。
しかしここに来て俺の体力は限界に来ていた。
足元の感覚がふらつくたび、冷や汗が背中を流れるのが分かる。
吐き気が胸の奥で渦巻き、頭が重い。
けれど、馬を止めるわけにはいかなかった。
「……少しでも遠くへ……」
手綱を握りしめながら、息苦しさを振り払うように呟く。
だが、次の瞬間、視界が揺れた。
「っ……!」
慌てて手綱を引き、馬を止める。地面に足をつけると、体の重みが急にのしかかる。
「まずいな……これじゃ……」
茂みの中へ歩を進め、周囲を見回す。人目につかない場所を探し、枝に馬を繋ぐと、小さな木陰に身を隠すように腰を下ろした。
「少しだけ、休めば……」
頭を抱えると、まぶたが重くなっていく。気づけば、体は茂みにもたれかかり、意識が遠のいていた。意識が途切れるとき、馬のいななきが聞こえた気がした──。
150
あなたにおすすめの小説
悪役側のモブになっても推しを拝みたい。【完結】
瑳来
BL
大学生でホストでオタクの如月杏樹はホストの仕事をした帰り道、自分のお客に刺されてしまう。
そして、気がついたら自分の夢中になっていたBLゲームのモブキャラになっていた!
……ま、推しを拝めるからいっか! てな感じで、ほのぼのと生きていこうと心に決めたのであった。
ウィル様のおまけにて完結致しました。
長い間お付き合い頂きありがとうございました!
異世界で孵化したので全力で推しを守ります
のぶしげ
BL
ある日、聞いていたシチュエーションCDの世界に転生してしまった主人公。推しの幼少期に出会い、魔王化へのルートを回避して健やかな成長をサポートしよう!と奮闘していく異世界転生BL 執着最強×人外美人BL
俺の異世界先は激重魔導騎士の懐の中
油淋丼
BL
少女漫画のような人生を送っていたクラスメイトがある日突然命を落とした。
背景の一部のようなモブは、卒業式の前日に事故に遭った。
魔王候補の一人として無能力のまま召喚され、魔物達に混じりこっそりと元の世界に戻る方法を探す。
魔物の脅威である魔導騎士は、不思議と初対面のようには感じなかった。
少女漫画のようなヒーローが本当に好きだったのは、モブ君だった。
異世界に転生したヒーローは、前世も含めて長年片思いをして愛が激重に変化した。
今度こそ必ず捕らえて囲って愛す事を誓います。
激重愛魔導最強転生騎士×魔王候補無能力転移モブ
公爵家の末っ子に転生しました〜出来損ないなので潔く退場しようとしたらうっかり溺愛されてしまった件について〜
上総啓
BL
公爵家の末っ子に転生したシルビオ。
体が弱く生まれて早々ぶっ倒れ、家族は見事に過保護ルートへと突き進んでしまった。
両親はめちゃくちゃ溺愛してくるし、超強い兄様はブラコンに育ち弟絶対守るマンに……。
せっかくファンタジーの世界に転生したんだから魔法も使えたり?と思ったら、我が家に代々伝わる上位氷魔法が俺にだけ使えない?
しかも俺に使える魔法は氷魔法じゃなく『神聖魔法』?というか『神聖魔法』を操れるのは神に選ばれた愛し子だけ……?
どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに?
偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも?
……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない??
―――
病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。
※別名義で連載していた作品になります。
(名義を統合しこちらに移動することになりました)
【本編完結】最強魔導騎士は、騎士団長に頭を撫でて欲しい【番外編あり】
ゆらり
BL
帝国の侵略から国境を守る、レゲムアーク皇国第一魔導騎士団の駐屯地に派遣された、新人の魔導騎士ネウクレア。
着任当日に勃発した砲撃防衛戦で、彼は敵の砲撃部隊を単独で壊滅に追いやった。
凄まじい能力を持つ彼を部下として迎え入れた騎士団長セディウスは、研究機関育ちであるネウクレアの独特な言動に戸惑いながらも、全身鎧の下に隠された……どこか歪ではあるが、純粋無垢であどけない姿に触れたことで、彼に対して強い庇護欲を抱いてしまう。
撫でて、抱きしめて、甘やかしたい。
帝国との全面戦争が迫るなか、ネウクレアへの深い想いと、皇国の守護者たる騎士としての責務の間で、セディウスは葛藤する。
独身なのに父性強めな騎士団長×不憫な生い立ちで情緒薄めな甘えたがり魔導騎士+仲が良すぎる副官コンビ。
甘いだけじゃない、骨太文体でお送りする軍記物BL小説です。番外は日常エピソード中心。ややダーク・ファンタジー寄り。
※ぼかしなし、本当の意味で全年齢向け。
★お気に入りやいいね、エールをありがとうございます! お気に召しましたらぜひポチリとお願いします。凄く励みになります!
異世界で聖男と呼ばれる僕、助けた小さな君は宰相になっていた
k-ing /きんぐ★商業5作品
BL
病院に勤めている橘湊は夜勤明けに家へ帰ると、傷ついた少年が玄関で倒れていた。
言葉も話せず、身寄りもわからない少年を一時的に保護することにした。
小さく甘えん坊な少年との穏やかな日々は、湊にとってかけがえのない時間となる。
しかし、ある日突然、少年は「ありがとう」とだけ告げて異世界へ帰ってしまう。
湊の生活は以前のような日に戻った。
一カ月後に少年は再び湊の前に現れた。
ただ、明らかに成長スピードが早い。
どうやら違う世界から来ているようで、時間軸が異なっているらしい。
弟のように可愛がっていたのに、急に成長する少年に戸惑う湊。
お互いに少しずつ気持ちに気づいた途端、少年は遊びに来なくなってしまう。
あの時、気持ちだけでも伝えれば良かった。
後悔した湊は彼が口ずさむ不思議な呪文を口にする。
気づけば少年の住む異世界に来ていた。
二つの世界を越えた、純情な淡い両片思いの恋物語。
序盤は幼い宰相との現実世界での物語、その後異世界への物語と話は続いていきます。
この俺が正ヒロインとして殿方に求愛されるわけがない!
ゆずまめ鯉
BL
五歳の頃の授業中、頭に衝撃を受けたことから、自分が、前世の妹が遊んでいた乙女ゲームの世界にいることに気づいてしまったニエル・ガルフィオン。
ニエルの外見はどこからどう見ても金髪碧眼の美少年。しかもヒロインとはくっつかないモブキャラだったので、伯爵家次男として悠々自適に暮らそうとしていた。
これなら異性にもモテると信じて疑わなかった。
ところが、正ヒロインであるイリーナと結ばれるはずのチート級メインキャラであるユージン・アイアンズが熱心に構うのは、モブで攻略対象外のニエルで……!?
ユージン・アイアンズ(19)×ニエル・ガルフィオン(19)
公爵家嫡男と伯爵家次男の同い年BLです。
【完結】悪役に転生したので、皇太子を推して生き延びる
ざっしゅ
BL
気づけば、男の婚約者がいる悪役として転生してしまったソウタ。
この小説は、主人公である皇太子ルースが、悪役たちの陰謀によって記憶を失い、最終的に復讐を遂げるという残酷な物語だった。ソウタは、自分の命を守るため、原作の悪役としての行動を改め、記憶を失ったルースを友人として大切にする。
ソウタの献身的な行動は周囲に「ルースへの深い愛」だと噂され、ルース自身もその噂に満更でもない様子を見せ始める。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる