娼館で死んだΩですが、竜帝の溺愛皇妃やってます

めがねあざらし

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11、焦れる胸の内

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エリオットは、静まり返った私室の椅子に座ったまま、手元に置かれた茶器へ視線を落としていた。

(……少し、熱すぎた)

今朝、シグルドが残していった言葉と、あの温もりが、まだ身体に残っている。

(“上書き”……)

それは誓いだった。所有ではなく、気遣いと守りと、そして——想い。 
けれど同じ場所に重ねられた、もう一つの唇の記憶が、まだ消えてくれなかった。

(ノルド……)

そう名乗った男の、灰色の瞳。覚えがあるようで、ない。 
けれど、あの時確かに、何かが心の奥で零れだした気がする。
——まるで、忘れていたものが、いきなり心に触れたような感覚。

「……っ」

手を握りしめ、額を軽く叩いた。だが、記憶は戻らない。 むしろ輪郭を曖昧にしたまま、焦燥だけを煽る。

(……どうして、あんなに……)

戸惑いと、微かな恐怖。そして、それを凌駕する“懐かしさ”。 
名前も知らないはずの男に、あんな感情を抱くなんて。

(陛下に言えなかった……)

なぜだろうと考える。 何もしていない。やましいことなど、何一つない。
 けれど、告げれば——あの優しい眼差しが曇る気がして、怖いと咄嗟に思ってしまった。

「……僕は、卑怯だな」

思わずこぼれた言葉に、自嘲した。 今も、胸の奥がずっとざわついている。
シグルドに話すべきなのだろうが、何処から何をどう話していいかも迷う。
そもそもの話、記憶が追い付いておらず戸惑いばかりが溢れているせいもある。
けれどやはり心を占めているのはくだらない自己防衛の意識かもしれない。
窓の外に目をやると、朝の光はすでに高く昇っていた。 衛兵の交代の声が、遠くからかすかに届く。
そのとき、扉の向こうから控えめなノックが響いた。

「エリオット様、よろしいでしょうか?」

リディアの声だった。

「どうぞ」

返事をすると、扉が開かれ、彼女が慎重に部屋へと入ってくる。 その後ろには、メラニーの姿もあった。

「お加減、いかがですか?」
「……うん、大丈夫。昨夜は少し眠れなかったけど、今はもう」

メラニーは頷き、そっと盆を差し出す。そこには、茶菓子と、薬草を煎じた穏やかな香りの湯。

「身体を冷やされていたようでしたので、少しでも楽になればと」
「ありがとう。……本当に、気が利くね、君は」

そう言うと、メラニーは珍しく照れたように視線を逸らした。

「今日の予定は、午後に少しだけです。財務卿からの報告に目を通すことになっています」
「ロイ・セレスト卿、か……」

名を口にした瞬間、何かが脳裏をかすめた。 政治の中心にいる彼。守旧派の中心にいると噂されるその存在。

(……もしかして)

クラウス侯爵が脱獄し、トラヴィスの内部にまでその影が迫ってきている可能性は高い。
 ノルドと名乗る男が、皇妃の私室にまでやって来た夜。
エリオットの背中に、じわりと冷たいものが這い登ってきた。

(何かが、動いてる……間違いなく)

確信はない。だが、あまりにも偶然が重なりすぎている。 これから、自分の立場が、ただの“皇妃”で済まされなくなるかもしれない。 この国で生きることが、命を賭けた駆け引きになりかねない。

「……メラニー、午後の予定は、少しだけ変更してもいい?」
「はい。どのように変更いたしますか?」

エリオットは少し考えてから、静かに言った。

「城下に出たい。視察という形ではなくて……僕の目で見たいことがある」

メラニーは目を細めたあと、ゆっくりと頷いた。

「わかりました。手配いたします」

エリオットは小さく笑って頷きながら、自らの手の甲をそっと見下ろした。 そこには、薄れてきたはずの印が、まだほんのりと赤みを帯びていた。

——何が真実で、何が嘘なのか。

それを見極めるために、自分はここにいる。

(……迷っている暇なんて、ないんだ)

静かに、けれど確かに。 エリオットの視線が、前を向いた。



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