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第20話『魔香と弱さと僕の在り方』
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魔香──。
そう呼ばれる、特定の性フェロモンを増幅・誘導する香気。
この世界でオメガを標的に使われる、最も厄介な“魔法薬”のひとつ。
それが倉庫跡から微量検出された、と聞いたのは昨夜のことだった。
本当は、どこかで「嫌な予感」がしていたのかもしれない。
次の日。
現場の記録整理のため、一人で残っていた僕は、壁に染みついた匂いの痕跡にふと触れた。
思えば迂闊だったのかもしれない。
自分がオメガということも忘れていたのだと思う。
次の瞬間──
頭の奥が、ぐわんと揺れた。
(……っ、これ……?)
眩暈と急激な熱の上昇。
あの夜に似ている。でも、もっと弱くて、もっと刺すような違和感。
しゃがみこんだ僕に、誰かが走ってきた音がした。
「レン!」
駆け寄ってきたのは──ロナルドさんだった。
彼はすぐさま膝をつき、僕の肩を支える。
「大丈夫か?」
「あ……だいじょ……ぶ、です。その、なんか魔香が……」
「ああ、そうか……大丈夫だ。薄い。しかしおかしいな……ちゃんと処理したはずなのだが」
ロナルドさんが、僕の背中を支えてくれている。
手のひらの温度が、芯から冷えそうな身体を包んでくれるようだった。
どれだけの時間が経ったか、よく覚えていない。
でも、気がついたときには、頭の痛みは消えていた。
「よく耐えたな」
その言葉だけで、僕はもう一度、自分の体がここにあることを確認した。
……でも。
僕は悟ってしまった。
(僕は……何かのきっかけ一つでこうなる存在なんだ)
攻撃される側。狙われる側。
いつか誰かの足手まといになるかもしれない、弱さを抱えたままの自分。
せっかく認められた自信を削ぐには十分だった。
※
その夜。
食堂の片隅で、コップの水をいじっていると、テオさんが隣に座った。
「回復したか?」
「はい……もう、大丈夫です」
静かな間。
その後、彼はぽつりと、当たり前のように言った。
「オメガにとって、魔香は脅威だ。だが、それが無力さに直結するわけではない」
僕は顔を上げる。
どうやらテオさんにはお見通しのようだった。
「……でも僕、足を引っ張ることになるかもしれなくて……このままだと、誰かに守ってもらわなければ生きていけない存在になってしまうような気がして」
気づけば、心の中の言葉が、ぽろぽろとこぼれていた。
「それが……嫌、なんです。僕、そういうつもりでここにいるわけじゃなくて。誰かに守られるために、この砦に来たわけじゃないから……」
苦しくなるほどに、言葉が止まらなかった。
テオさんはしばらく黙っていた。
けれど──その後で、静かに頷いた。
「分かるよ。私もそうだった」
その一言に、息が詰まりそうになる。
「私は、番もいないまま、ここに来た。昔は……番候補だとか、血統だとか、そんな話ばかりだった」
語られる過去には、どこか澱のような重さがあった。
「“オメガのくせに剣を取るな”、“発情したら任務はどうする”、“番を探しに来たのか?”──そう言われた」
感情の揺れは見せず、ただ事実として語られるその言葉は、逆に重かった。
「けれど、団長は違った」
団長──イーサンさんの顔が、浮かんだ。
「私の能力も、判断も、失敗も、すべてオメガではなくテオとして見てくれた。番でなくても、支えがなくても、副官として立てることを信じてくれた」
ゆっくりと、テオさんが僕の頭を撫でた。
「君は、誰かに選ばれることが目的の存在じゃない。いや、オメガそのものがそうあらねばならないのだ。自分の足で、自分の道を選んでいい。君の能力が、君の意思を支えるなら──それだけで、十分に価値がある」
言葉が、まっすぐに胸に落ちていく。
「……そう、なんでしょうか」
「そうだよ。君はこの砦で、自分の立場を自分で作り始めている。誰かに守られるためだけの存在ではないよ、レン」
彼の目は真剣だった。
だから、僕は初めて、うまく言葉にできない感情を、少しだけ言語化できた気がした。
誰かに選ばれるだけじゃなくて。
“この世界でどう生きていくか”を、ちゃんと自分で決めたい。
テオさんが去ったあとも、僕はしばらく、水の揺れるコップを眺めていた。
その中に映った自分は──ほんの少し、強くなった気がした。
———————
投稿は毎日21:30です。
リアクションやコメントいただけると嬉しいです♪
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そう呼ばれる、特定の性フェロモンを増幅・誘導する香気。
この世界でオメガを標的に使われる、最も厄介な“魔法薬”のひとつ。
それが倉庫跡から微量検出された、と聞いたのは昨夜のことだった。
本当は、どこかで「嫌な予感」がしていたのかもしれない。
次の日。
現場の記録整理のため、一人で残っていた僕は、壁に染みついた匂いの痕跡にふと触れた。
思えば迂闊だったのかもしれない。
自分がオメガということも忘れていたのだと思う。
次の瞬間──
頭の奥が、ぐわんと揺れた。
(……っ、これ……?)
眩暈と急激な熱の上昇。
あの夜に似ている。でも、もっと弱くて、もっと刺すような違和感。
しゃがみこんだ僕に、誰かが走ってきた音がした。
「レン!」
駆け寄ってきたのは──ロナルドさんだった。
彼はすぐさま膝をつき、僕の肩を支える。
「大丈夫か?」
「あ……だいじょ……ぶ、です。その、なんか魔香が……」
「ああ、そうか……大丈夫だ。薄い。しかしおかしいな……ちゃんと処理したはずなのだが」
ロナルドさんが、僕の背中を支えてくれている。
手のひらの温度が、芯から冷えそうな身体を包んでくれるようだった。
どれだけの時間が経ったか、よく覚えていない。
でも、気がついたときには、頭の痛みは消えていた。
「よく耐えたな」
その言葉だけで、僕はもう一度、自分の体がここにあることを確認した。
……でも。
僕は悟ってしまった。
(僕は……何かのきっかけ一つでこうなる存在なんだ)
攻撃される側。狙われる側。
いつか誰かの足手まといになるかもしれない、弱さを抱えたままの自分。
せっかく認められた自信を削ぐには十分だった。
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その夜。
食堂の片隅で、コップの水をいじっていると、テオさんが隣に座った。
「回復したか?」
「はい……もう、大丈夫です」
静かな間。
その後、彼はぽつりと、当たり前のように言った。
「オメガにとって、魔香は脅威だ。だが、それが無力さに直結するわけではない」
僕は顔を上げる。
どうやらテオさんにはお見通しのようだった。
「……でも僕、足を引っ張ることになるかもしれなくて……このままだと、誰かに守ってもらわなければ生きていけない存在になってしまうような気がして」
気づけば、心の中の言葉が、ぽろぽろとこぼれていた。
「それが……嫌、なんです。僕、そういうつもりでここにいるわけじゃなくて。誰かに守られるために、この砦に来たわけじゃないから……」
苦しくなるほどに、言葉が止まらなかった。
テオさんはしばらく黙っていた。
けれど──その後で、静かに頷いた。
「分かるよ。私もそうだった」
その一言に、息が詰まりそうになる。
「私は、番もいないまま、ここに来た。昔は……番候補だとか、血統だとか、そんな話ばかりだった」
語られる過去には、どこか澱のような重さがあった。
「“オメガのくせに剣を取るな”、“発情したら任務はどうする”、“番を探しに来たのか?”──そう言われた」
感情の揺れは見せず、ただ事実として語られるその言葉は、逆に重かった。
「けれど、団長は違った」
団長──イーサンさんの顔が、浮かんだ。
「私の能力も、判断も、失敗も、すべてオメガではなくテオとして見てくれた。番でなくても、支えがなくても、副官として立てることを信じてくれた」
ゆっくりと、テオさんが僕の頭を撫でた。
「君は、誰かに選ばれることが目的の存在じゃない。いや、オメガそのものがそうあらねばならないのだ。自分の足で、自分の道を選んでいい。君の能力が、君の意思を支えるなら──それだけで、十分に価値がある」
言葉が、まっすぐに胸に落ちていく。
「……そう、なんでしょうか」
「そうだよ。君はこの砦で、自分の立場を自分で作り始めている。誰かに守られるためだけの存在ではないよ、レン」
彼の目は真剣だった。
だから、僕は初めて、うまく言葉にできない感情を、少しだけ言語化できた気がした。
誰かに選ばれるだけじゃなくて。
“この世界でどう生きていくか”を、ちゃんと自分で決めたい。
テオさんが去ったあとも、僕はしばらく、水の揺れるコップを眺めていた。
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