恋した君は、嘘のキミ──それでも、好きにならずにいられなかった──

めがねあざらし

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第16話:重なる面影

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キャンパスの中庭を抜ける風は、もう夏の匂いをまとい始めていた。
昨夜の記憶がまだ頭の隅にこびりついていて、どれだけノートに視線を落としても、レオンの「好きかも」という声が耳の奥で小さく反響している。

(……困る、って言えなかった)

困ると口にすれば、何かが終わってしまう気がして。
かといって、素直に受け止められるほど強くもない。
あの店の照明の下で、自分だけが立ち止まったまま、時間からはぐれたような感覚をまだ引きずっていた。

そんな状態で受けた午後のゼミは、当然ながら頭に入らなかった。
プリントをめくる指先もぎこちない。教授が「次回の発表者は――」と告げた瞬間、俺の名前が読み上げられたのに、妙に遠くから聞こえた。

(発表……俺? 来週……? いや、無理だろ……)

血の気が引く感覚だけはやけに鮮明だった。

教室を出て、プリントを抱えたまま廊下を歩いていると、不意に横から声がかかる。

「おい、陸」

振り向けば、桐嶋奏真が立っていた。
眼鏡の奥の視線は、いつもの冷めた色じゃなかった。

「次のゼミ発表、お前だろ」
「……ああ、まあ」
「準備、どうしてる?」

思わず足を止める。
声の調子が、いつものからかい半分のそれじゃない。
ただ淡々と、本当に状況を確認するみたいな響きだった。

「……全然。まだ、手つかずで」
「だろうと思った」

即答されて、むっとする。けれど、その口調に皮肉はなかった。
奏真はため息ひとつ、俺の手からプリントを抜き取って目を走らせる。

「テーマは悪くない。資料の並べ方さえ整理すれば、形にはなる」
「……そんな簡単に言うなよ」
「簡単にするためにアドバイスしてんだろ」

そう言って、プリントの余白にさらさらとメモを書き込む。
参照すべき文献名、章立ての並び順、発表スライドで強調すべきキーワード。
そのペン先の迷いのなさに、見ているだけで焦りが増す。

「お前、こういうの……得意なんだな」
「まあ、慣れてるから」
「なんでそんなに」
「俺のゼミ担当も厳しいから、鍛えられただけ」

言いながら肩をすくめる仕草は、普段の皮肉屋の顔に近い。
けれど――説明の内容は的確で、妙に説得力があった。

「人前で話すときは、全部を読もうとするな。三割くらいは聞き手に任せろ」
「……三割?」
「そう。間を取るだけで、勝手に相手が埋めてくれる。……君は特に早口だから」
「お、お前な……」

反論しかけて、喉に引っかかった。
口調はやわらかいのに、的を射すぎていて返せない。

プリントを返される。余白に走るメモの字は几帳面で、俺のノートの雑な殴り書きとは比べものにならない。

「これ、参考にしろ」
「……ありがと」
「礼はいらない。ゼミで一緒に恥かくのは嫌だからな」

最後だけはやっぱり皮肉っぽい。
だけど、口調の温度は、今までよりずっと穏やかだった。

ふと、思わず言葉が漏れる。

「なんか……意外だな」
「何が」
「お前が真面目に、ちゃんと助けてくれるとか」

俺の声に、奏真が一瞬だけ目を細める。
それから、ふっと笑った。

挑発でもなく、皮肉でもなく。
ただ自然に、柔らかく。

その笑顔が――一瞬、昨夜のレオンに重なった。
胸の奥で、鼓動が妙な速さで鳴り出す。
喉が詰まり、視線が揺れる。

(……なんだよ、これ)

慌てて顔を逸らしたけれど、耳の奥にはまだ低い声が残っていた。
「好きかも」と囁いた声と、重なって。

「……どうかした?」
「べ、別に……!」

答える声が上ずる。
奏真は怪訝そうに眉を寄せたけれど、それ以上追及はせず、プリントを抱えて歩き出した。

残された俺は、教室の壁に寄りかかりながら、熱の残る頬を隠すように手で覆った。

(なんだよ……こんなやつだったか?)

混乱は収まらず、むしろ増していくばかりだった。

――そして、胸の奥で鳴り続ける音は、止まりそうになかった。
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