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指の傷3
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深山が、叩き落とされた目鏡を拾い上げ、呆然とするヌーへと差し出した。
「キイト様はイトムシです。数が少くとも、イトムシの社会で育ったのです。簡単には人馴れしませんよね」
深山は肩をすくめて見せると、キイトが消えた屋根を見上げた。
「私の猫も怪我をすると、よくあのように高い所へ登ってしまいます。少し、そっとしておきましょう」
「……」
菊が深山たちを見回し、しかめっ面をする。
「ほれ見ぃ、構いすぎなんだよ、お前ぇら。ガキっつうのは、繊細かつ単純な生き物なんだ。特に、昼飯前の腹が空いている時分はだなぁ――」
「五月蝿い。君は黙れ」
菊が持論を展開する前に、深山がばっさりと切る。
ヌーは渡された目鏡をじっと見つめていた。ワッカがそんな彼の肩を、軽く叩いてやる。
「急いで距離を縮める必要もないね、お互いゆっくりやりましょ。宮使いさん」
「血が」
ヌーは呟き、目鏡の硝子に着く赤い血に触れた。
深山が手元を覗き、眉を寄せる。
「指の傷が開いてしまいましたか。しかしいま、しつこくしても嫌われるだけですから。私は嫌ですよ? キイト様に嫌われるのは。しばらくはそっとしておきましょう、ね?」
ヌーが眼鏡をぎゅっと握る。
「駄目です! いけません!」
「そうは言っても……そもそも、指の傷ですよ? イトムシが簡単に触らせてくれるはずがありません」
深山がため息をつくと、菊も同意を示すように頷いた。しかし、ヌーは諦めずに言葉を続ける。
「傷の手当てだけの話ではありません! ……あの方は……キイト様は、人との関わりがあまりにも少ない。この三年は特に、小石丸様の要望により、外部との接触を禁止されていました。いまこちらが手を緩めては、益々人との関わり方が分からず、『払いのけ、逃げる』を繰り返してしまいます。『和解、妥協、折り合い、自己意見を通す手段』、これらをお伝えするのは、私の役目です!」
ヌーは強くそう言い、手にしていた目鏡を掛けた。
イチヤが腕を組み、屋根を見上げる。
「でもさぁ、あんな所どーやって登んだよ。そもそもアンタ、嫌われてるよ?」
「『大嫌い』、と言われただけです。情報は正確に伝えてください」
そう厳しく指摘されたが、イチヤは金髪をゆらし苦笑いを返した。
「……自分、それ言ってキズつかないの?」
「まったく、傷つきません。『嫌い』と『好き』は同じ熱量なので、むしろ光栄です!」
ヌーはキッパリと言うと、踵を返し走り出した。ワッカが慌てその背に叫ぶ。
「ちょっと! 宮使いさん、どこ行くんだい?」
「すぐ戻ります。指を治療する道具を用意しておいてください!」
○○○○○
屋根上のキイトは、両手を腹に隠し、うずくまっていた。
指先の傷は痛い。
体のどこよりも神経に触る。
戦っている最中は夢中で気づけなかったが、いまはその分、痛みが主張し、血の巡りに合わせじくじくと痛む。特に、ヌーの目鏡を払った左手が、熱を持つように痛んだ。
(あんなつもりじゃなかった、どうしよう)
キイトは、ぎゅっと縮こまった。
ここしばらく、沢山の人間に囲まれていた。
イトムシとして必要とされるように、全ての言い付けをきちんと聞いた。
止まれと言われれば止まり、進めと言われれば進む。提示された課題をこなし、御加水を飲む。
人間達の視線に晒され、その視線に答えようと必死だった。
知らず続く緊張の日常に、唐突に行われた今回の送り。
経験と感情を処理しきれず、まとまらない考えに苦しんだ。
(……ずっと頑張って、やっと現場に出られたのに、送りに母さんはいない。悲しい生き物を辛い目に合わせるだけ、なにも上手くやれない……)
しかし、良い事もあった。
宮守と館士兵、そしてヌーを思い少し微笑む。それと同時に再び指が痛む。
(っ……、ヌゥは僕が嫌だって言っているのに、指に触ろうとする。言うことばかり聞いていたから、人間のくせに、自分の方がイトムシより強いと思っているんだ。そんなの許さない!)
いままでの我慢をぶつけ、奥歯を噛み締める。しかし、怒っているはずなのに、目鏡を払った時の、ヌーの悲しそうな顔ばかりがちらついた。
(……だけど、しょうがないから、ヌゥがここまで来たら許してやろう。かな……)
カタン
突然の足音に、キイトはびくりとした。
誰かが屋根へと上って来た。
キイトが背を向けた通り側から、誰かが、急な尾根を歩いて来る。
下を向きじっとしていると、背後に何者かが立ち、影が落ちた。
(ヌゥ、やっぱり来てくれた! )
キイトは思わず嬉しそうな顔で振り返り、予想外の人物に目を丸くし言葉を失った。
「キイト様はイトムシです。数が少くとも、イトムシの社会で育ったのです。簡単には人馴れしませんよね」
深山は肩をすくめて見せると、キイトが消えた屋根を見上げた。
「私の猫も怪我をすると、よくあのように高い所へ登ってしまいます。少し、そっとしておきましょう」
「……」
菊が深山たちを見回し、しかめっ面をする。
「ほれ見ぃ、構いすぎなんだよ、お前ぇら。ガキっつうのは、繊細かつ単純な生き物なんだ。特に、昼飯前の腹が空いている時分はだなぁ――」
「五月蝿い。君は黙れ」
菊が持論を展開する前に、深山がばっさりと切る。
ヌーは渡された目鏡をじっと見つめていた。ワッカがそんな彼の肩を、軽く叩いてやる。
「急いで距離を縮める必要もないね、お互いゆっくりやりましょ。宮使いさん」
「血が」
ヌーは呟き、目鏡の硝子に着く赤い血に触れた。
深山が手元を覗き、眉を寄せる。
「指の傷が開いてしまいましたか。しかしいま、しつこくしても嫌われるだけですから。私は嫌ですよ? キイト様に嫌われるのは。しばらくはそっとしておきましょう、ね?」
ヌーが眼鏡をぎゅっと握る。
「駄目です! いけません!」
「そうは言っても……そもそも、指の傷ですよ? イトムシが簡単に触らせてくれるはずがありません」
深山がため息をつくと、菊も同意を示すように頷いた。しかし、ヌーは諦めずに言葉を続ける。
「傷の手当てだけの話ではありません! ……あの方は……キイト様は、人との関わりがあまりにも少ない。この三年は特に、小石丸様の要望により、外部との接触を禁止されていました。いまこちらが手を緩めては、益々人との関わり方が分からず、『払いのけ、逃げる』を繰り返してしまいます。『和解、妥協、折り合い、自己意見を通す手段』、これらをお伝えするのは、私の役目です!」
ヌーは強くそう言い、手にしていた目鏡を掛けた。
イチヤが腕を組み、屋根を見上げる。
「でもさぁ、あんな所どーやって登んだよ。そもそもアンタ、嫌われてるよ?」
「『大嫌い』、と言われただけです。情報は正確に伝えてください」
そう厳しく指摘されたが、イチヤは金髪をゆらし苦笑いを返した。
「……自分、それ言ってキズつかないの?」
「まったく、傷つきません。『嫌い』と『好き』は同じ熱量なので、むしろ光栄です!」
ヌーはキッパリと言うと、踵を返し走り出した。ワッカが慌てその背に叫ぶ。
「ちょっと! 宮使いさん、どこ行くんだい?」
「すぐ戻ります。指を治療する道具を用意しておいてください!」
○○○○○
屋根上のキイトは、両手を腹に隠し、うずくまっていた。
指先の傷は痛い。
体のどこよりも神経に触る。
戦っている最中は夢中で気づけなかったが、いまはその分、痛みが主張し、血の巡りに合わせじくじくと痛む。特に、ヌーの目鏡を払った左手が、熱を持つように痛んだ。
(あんなつもりじゃなかった、どうしよう)
キイトは、ぎゅっと縮こまった。
ここしばらく、沢山の人間に囲まれていた。
イトムシとして必要とされるように、全ての言い付けをきちんと聞いた。
止まれと言われれば止まり、進めと言われれば進む。提示された課題をこなし、御加水を飲む。
人間達の視線に晒され、その視線に答えようと必死だった。
知らず続く緊張の日常に、唐突に行われた今回の送り。
経験と感情を処理しきれず、まとまらない考えに苦しんだ。
(……ずっと頑張って、やっと現場に出られたのに、送りに母さんはいない。悲しい生き物を辛い目に合わせるだけ、なにも上手くやれない……)
しかし、良い事もあった。
宮守と館士兵、そしてヌーを思い少し微笑む。それと同時に再び指が痛む。
(っ……、ヌゥは僕が嫌だって言っているのに、指に触ろうとする。言うことばかり聞いていたから、人間のくせに、自分の方がイトムシより強いと思っているんだ。そんなの許さない!)
いままでの我慢をぶつけ、奥歯を噛み締める。しかし、怒っているはずなのに、目鏡を払った時の、ヌーの悲しそうな顔ばかりがちらついた。
(……だけど、しょうがないから、ヌゥがここまで来たら許してやろう。かな……)
カタン
突然の足音に、キイトはびくりとした。
誰かが屋根へと上って来た。
キイトが背を向けた通り側から、誰かが、急な尾根を歩いて来る。
下を向きじっとしていると、背後に何者かが立ち、影が落ちた。
(ヌゥ、やっぱり来てくれた! )
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