イトムシ    〜 幼少期〜

夜束牡牛

文字の大きさ
89 / 119

指の傷3

しおりを挟む
 深山が、叩き落とされた目鏡を拾い上げ、呆然とするヌーへと差し出した。

「キイト様はイトムシです。数が少くとも、イトムシの社会で育ったのです。簡単には人馴ひとなれしませんよね」

 深山は肩をすくめて見せると、キイトが消えた屋根を見上げた。

「私の猫も怪我をすると、よくあのように高い所へ登ってしまいます。少し、そっとしておきましょう」
「……」

 菊が深山たちを見回し、しかめっ面をする。

「ほれ見ぃ、構いすぎなんだよ、お前ぇら。ガキっつうのは、繊細かつ単純な生き物なんだ。特に、昼飯前の腹が空いている時分はだなぁ――」
「五月蝿い。君は黙れ」

 菊が持論を展開する前に、深山がばっさりと切る。
 ヌーは渡された目鏡をじっと見つめていた。ワッカがそんな彼の肩を、軽く叩いてやる。

「急いで距離を縮める必要もないね、お互いゆっくりやりましょ。宮使いさん」
「血が」

 ヌーは呟き、目鏡の硝子に着く赤い血に触れた。
 深山が手元を覗き、眉を寄せる。

「指の傷が開いてしまいましたか。しかしいま、しつこくしても嫌われるだけですから。私は嫌ですよ? キイト様に嫌われるのは。しばらくはそっとしておきましょう、ね?」

 ヌーが眼鏡をぎゅっと握る。

「駄目です! いけません!」
「そうは言っても……そもそも、指の傷ですよ? イトムシが簡単に触らせてくれるはずがありません」

 深山がため息をつくと、菊も同意を示すように頷いた。しかし、ヌーは諦めずに言葉を続ける。

「傷の手当てだけの話ではありません! ……あの方は……キイト様は、人との関わりがあまりにも少ない。この三年は特に、小石丸様の要望により、外部との接触を禁止されていました。いまこちらが手を緩めては、益々人との関わり方が分からず、『払いのけ、逃げる』を繰り返してしまいます。『和解、妥協、折り合い、自己意見を通す手段』、これらをお伝えするのは、私の役目です!」

 ヌーは強くそう言い、手にしていた目鏡を掛けた。
 イチヤが腕を組み、屋根を見上げる。

「でもさぁ、あんな所どーやって登んだよ。そもそもアンタ、嫌われてるよ?」
「『大嫌い』、と言われただけです。情報は正確に伝えてください」

 そう厳しく指摘されたが、イチヤは金髪をゆらし苦笑いを返した。

「……自分、それ言ってキズつかないの?」
「まったく、傷つきません。『嫌い』と『好き』は同じ熱量なので、むしろ光栄です!」

 ヌーはキッパリと言うと、踵を返し走り出した。ワッカが慌てその背に叫ぶ。

「ちょっと! 宮使いさん、どこ行くんだい?」
「すぐ戻ります。指を治療する道具を用意しておいてください!」


○○○○○

 屋根上のキイトは、両手を腹に隠し、うずくまっていた。
 指先の傷は痛い。
 体のどこよりも神経に触る。
 戦っている最中は夢中で気づけなかったが、いまはその分、痛みが主張し、血の巡りに合わせじくじくと痛む。特に、ヌーの目鏡を払った左手が、熱を持つように痛んだ。

(あんなつもりじゃなかった、どうしよう)

 キイトは、ぎゅっと縮こまった。

 ここしばらく、沢山の人間に囲まれていた。
 イトムシとして必要とされるように、全ての言い付けをきちんと聞いた。
 止まれと言われれば止まり、進めと言われれば進む。提示された課題をこなし、御加水ごかすいを飲む。
 人間達の視線にさらされ、その視線に答えようと必死だった。
 知らず続く緊張の日常に、唐突に行われた今回の送り。
 経験と感情を処理しきれず、まとまらない考えに苦しんだ。

(……ずっと頑張って、やっと現場に出られたのに、送りに母さんはいない。悲しい生き物を辛い目に合わせるだけ、なにも上手くやれない……)

 しかし、良い事もあった。

 宮守と館士兵、そしてヌーを思い少し微笑む。それと同時に再び指が痛む。

 (っ……、ヌゥは僕が嫌だって言っているのに、指に触ろうとする。言うことばかり聞いていたから、人間のくせに、自分の方がイトムシより強いと思っているんだ。そんなの許さない!)

 いままでの我慢をぶつけ、奥歯を噛み締める。しかし、怒っているはずなのに、目鏡を払った時の、ヌーの悲しそうな顔ばかりがちらついた。

(……だけど、しょうがないから、ヌゥがここまで来たら許してやろう。かな……)

 カタン

 突然の足音に、キイトはびくりとした。
 誰かが屋根へと上って来た。

 キイトが背を向けた通り側から、誰かが、急な尾根を歩いて来る。
 下を向きじっとしていると、背後に何者かが立ち、影が落ちた。

(ヌゥ、やっぱり来てくれた! )

 キイトは思わず嬉しそうな顔で振り返り、予想外の人物に目を丸くし言葉を失った。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

グラディア(旧作)

壱元
SF
※本作は連載終了しました。 ネオン光る近未来大都市。人々にとっての第一の娯楽は安全なる剣闘:グラディアであった。 恩人の仇を討つ為、そして自らの夢を求めて一人の貧しい少年は恩人の弓を携えてグラディアのリーグで成り上がっていく。少年の行き着く先は天国か地獄か、それとも…

処理中です...