婚約破棄された伯爵令嬢ですが、辺境で有能すぎて若き領主に求婚されました

おりあ

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 辺境リーヴェル領の東端、ユルゴート領は険しい山に囲まれ、中央平原の喧騒から隔絶された小さな領地である。雪解け水が源の清流は一帯を潤すが、流路が細く、干ばつの年には簡単に涸れてしまう。西側には深い谷を越える街道が通り、隊商や旅人が往来して商業の要所ともなるはずだが、道幅は狭く、崖崩れが頻発しているためしばしば通行不能に陥る。人口わずか五千に満たない村々は、こうした自然の脅威と対峙しながらも、長年にわたり自給自足の生活を守ってきた。しかし近年の降水量の変化で雪解け水の量が急減し、さらに貴族家同士の縄張り争いから導水路の維持管理は放置されがちになり、ついに今年は作物の枯死と物資不足の危機に直面していた。

 招待状は、そんなユルゴート領の若き領主スヴァンテ・ヘルマン伯爵から届いた。書式は簡素だが、切迫した状況を物語る文言が並んでいる。

『リーヴェル領地代理セリナ・リーヴェル殿
クロフォード領地伯アレイスター・クロフォード殿
 先代領主の死去に伴い、このたびユルゴート領を継承いたしましたスヴァンテ・ヘルマンと申します。本領地の治水および東西を結ぶ山越え街道の整備につきまして、貴殿方のお知恵を拝借できれば幸いです。
 近日中に視察いただける日時を賜ればと存じます。
 スヴァンテ・ヘルマン』

 そして訪れたのは秋晴れの昼下がり。二人は馬車を降り、領主直轄の城跡近くに広がる広場へ歩を進めた。乾いた風に煽られる草木が、どこか寂寥を帯びた音を立てている。

「ここがユルゴート領か」

 アレイスターは頷きながら周囲を見渡す。城壁の残る跡地をのぞむ小高い丘に、簡素な居館と役所が寄り添うように建っていた。
 ほどなく、若き伯爵スヴァンテが役所の門前で二人を迎えた。肩まで伸びた黒髪を風になびかせ、深緋のローブを纏った彼の表情は強張っている。

「リーヴェル領地代理殿、クロフォード領地伯殿、ようこそユルゴート領へ……状況は想像以上かと存じますが、どうぞご覧ください」

 スヴァンテは案内役を連れ、まずは北側の小川へ足を運んだ。かつては幅広く流れた清流は、幅数十センチ、指先でかろうじて掬える程度の水量しかなかった。石垣で築かれた導水路は倒木や土砂で半分埋まり、下流の水門は朽ち果てている。

「雪解け水が本来なら六月頃に最盛期を迎え、冬眠期間を除いて年中安定供給が得られたはずなのに……」

 スヴァンテは荒れた水路を見下ろし、言葉を続ける。

「先代領主が死去した後、古参貴族たちが管理責任を放棄し、改修費用も王都から打ち切られました。そのしわ寄せが村人に回り、今では農地の枯死と物資不足が深刻化しています」

 セリナは険しい水路を眺め、唇を引き結んだ。春の大雪が少なかった年はあったが、ここまで干上がるのは前代未聞だ。

「まずは土砂と倒木の除去、次に仮設の土嚢による補強を行いましょう。その間に別ルートの取水路を掘り、最低でも全体の四割は確保できるはずです」

 水路の整備を幾度となく経験している彼女は、即座に指示を出すと、アレイスターが声をかける。

「俺は山を迂回している古い小川を復活させる。そちらと合わせれば、緊急時の二重バックアップが組めるだろう」

 領主付きの技術担当者や道具方がリストをのぞき込み、うなずいた。

──午後、導水路現場。村人たちが土嚢を運び、セリナとアレイスターは小規模なショベルや鎌で倒木を切りつつ水路を掘り広げた。そこへ一台の馬車が近づき、中から白髪のトンベリ伯爵家当主が降りてきた。古参貴族の本家筋にあたり、ユルゴート領の旧支配層である。

「何を勝手に……」

 男は怒声をあげ、補強作業を制止しようとした。

「伯爵家にも事情は重々承知しています。ですが村の生活がかかっている以上、技術的支援を拒む権利はありません。王都からの指名支援対象であることもご存じのはずです」

 セリナは毅然と言い放つ。スヴァンテも固い表情で一歩前に出た。

「この領地は私が統治を継いだ以上、外部の助力を制限できるのは私だけです。それを承諾しないなら――王都に直接訴えます」

 トンベリ伯爵は歪んだ笑みを浮かべ、冷ややかに吐き捨てた。

「……認めてやろう。だがその顔で、どれだけの“恩義”を語れるか、楽しみにしているよ」

 その嫌味に満ちた一言に、周囲の空気が一瞬凍りついた。
 夕暮れが迫る頃。
 新設した仮設水路から勢いよく流れる雪解け水が、本来の導水路へと戻り始める。水面に輝く夕陽を背景に、村人たちは歓声を上げた。スヴァンテ伯爵は目を潤ませ、膝をついて両手を合わせる。

「セリナ殿、アレイスター殿……ありがとうございました。おかげで、来年も種をまけます」

 セリナは微笑みを浮かべながら、静かに言った。

「領主としての責務を果たすためには、ときに古い権威や慣習を乗り越える勇気が必要です。あなたがそれを選んだことで、この領地は再び息を吹き返しました」

 アレイスターは肩越しにスヴァンテを見つめ、そっと頷いた。

「これで年明けには農作業も再開できるだろう。来年の春には、ここにも小さな庭園でも作るか?」

 スヴァンテは笑い、満場の村人と共に歓喜の声をあげた。
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