罪悪と愛情

暦海

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貴方のいない世界で

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「……うん、これで足りるよね」


 その日の宵の頃。
 スーパーを出た辺りで、改めてマイバッグの中を確認する。ジャガイモと人参、玉ねぎと鶏肉、そしてカレー粉。他のはまだ冷蔵庫にあったはずだから大丈夫。想太そうたの大好きな卵もまだ十分に――

 ……卵、か。あの人も、好きだったな。美味しかったな、あの人の作るオムライス。もちろん、どれも美味しかったけど……それでも、あのオムライスはとりわけ強く印象に残っていて。


 ……うん、今なら分かる。彼は、私のことを愛してくれていた。それでも、私の想いに応えてくれなかった理由――それが、他ならぬ私のためだったということが。

 もし、私達が交際――更には、結婚を経て生涯を共にするとする。もし、そうなれば……私が生涯、罪の意識に苛まれることになる――大方、そのように考えたのでしょう? 貴方にとって、私はご両親の敵――この上もなく憎むべき相手のはずなのに……全く、お人好しにもほどがあるというもので。

 
 そして、そう思えば彼が君島きみしまさんとお付き合いした理由も少しは分かった気もして。尤も、彼女に魅力がないなんて言うつもりはないけど……でも、彼が彼女に好意――少なくとも、そういう類の好意を寄せていたとは思えない。……まあ、私の希望的観測と言われるかもしれないし、希望そうでないと言えば嘘になるかもしれない。

 ……それでも、私なりにそれなりの根拠はあるつもりで。これでも、私は彼を誰よりも近くでずっと見てきたつもりだから。……きっと、彼女と付き合ったのも私のため――私に未練を、そして負い目を感じさせないようにしてくれたんじゃないかな。


 でも、だとすると……結局、一つの矛盾が残ったままで。それは、いつからか変わった彼の行動。何度も部屋に来てくれて、料理も作ってくれて、デートの誘いにも応じてくれて……いつも、優しくしてくれて。まあ、優しかったのは以前もだけど……それでも、以前にもましていっそう。
 そして、それらはどれも君島さんを――別の女性ひとを恋人にしたその選択とは大いに矛盾する行動。気を持たせるだけ持たせて、最終的に私の想いには応えず別の女性ひとと――誠実な彼と人柄とは、まさしく対極と言えよう行動で。

 ならば、どうしてそんな行動を? 私の気持ちに応える気が……いや、応えることができなかったのに、どうして――それについて、私なりに一つの結論を出した。

 一緒にいたかったから……じゃないかな? ダメだとは思っていても……それでも、どうしても私と一緒にいたかったから。……まあ、私自身がそうであってほしいというのもあるけど……でも、今となってはそれが一番しっくりくるのも事実で。ダメだと思っているのに、距離を取らなきゃと思っているのに……それでも、私といたい気持ちが抑えきれなかった――それが、この矛盾を説明するのに最も適した回答ものだと思うから。



「…………あ」


 ふと、声が洩れる。遥か彼方に、何とも綺麗な満月が浮かんでいたから。……まあ、さっきからずっとあったんだろうけど。ただ、私が気づいてなかっただけで。


 ……うん、分かってる。私は、とても恵まれてる。理解のある優しい夫に、私にすごく懐いてくれる可愛い息子。経済面でも特に不自由はなく、裕福とは言わないまでも恐らくは一般的な水準よりも高めで、長めの連休があれば旅行に行ったり、誰かの誕生日などの特別な日には少し豪勢にお祝いもしたり。もちろん、大変なこともあるけど……それでも、客観的に判断すれば幸せな部類であることは間違いなく。


 ……なのに、どうしてだろう。幸せという言葉が、私から最も縁遠い言葉もののように思えてしまうのは。いくら恵まれていても、そんな私が言ってはいけない言葉ことだと分かっていても――あの日から、幸せなんて感じたことはほんの一瞬たりともなかった。もう、二度と逢えなくなったあの日から。


 ……ねえ、先輩。私は、どうすればいいの? 貴方のいない世界で、私は――


「…………え」

 刹那、思考が――いや、呼吸が止まる。卒然、背中を未だ嘗て覚えのない痛みが貫いたから。


「……絶対、許さない。貴女のせいで、真織まおりが……」


 朦朧とした意識の中、微かに鼓膜を揺らす声。誰の声かなんて、もはや認識できないけど……それでも、それが誰だかなんて疑う余地は微塵もなくて。……そう言えば、しばらく会ってなかったなぁ。きっと、すっごく綺麗になってるんだろうなぁ。……でも、もう見れないかな。なんか、視界も……それに、意識も随分と霞んできちゃってるし。

 それでも、どうにか痛みをこらえ振り返る。見えなくても、それでもせめてちゃんと伝えたいから。そして、どうにか声を絞り出しゆっくりと言葉を紡ぐ。


「……ごめんね、それから……ありがと、結菜ゆなちゃん」






【――今朝のニュースです。昨夜20時頃、〇〇市〇〇区の住宅街で女性が何者かに刃物で刺され死亡するという事件が発生しました。遺体の身元は〇〇市〇〇区のマンションに住む20代の女性、吉川よしかわ蒔乃まきのさんと判明し――】







 
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