お客様はヤの付くご職業・裏

古亜

文字の大きさ
5 / 15

5

しおりを挟む
お風呂から上がって部屋に戻ると、いつの間にか布団が用意されていた。時計を見るともう12時近くなっていて、疲れが一気に押し寄せてくる。
けれどどうにもすぐに寝る気にはなれず、私は再びソファーに腰を下ろした。
思わず漏れてきたため息は重い。
目に入ってくる見慣れない光景から目を逸らそうと、私は目を閉じた。



どれくらい時間が経ったんだろう。
部屋の明かりは付けっぱなしだからよくわからないけれど、もしかしてもう朝になったのかな。
薄目を開けて、また閉じた。
眠気はまだ強くて、何かを考える間もなくすぐに眠ることができる気がした。実際に意識は薄れてきて、頭が空っぽになる。
その時だった。膝の裏と腰に圧迫感を感じて私は目を開ける。

「春斗さん……」

すぐ近くに春斗さんの顔があった。お風呂に入ったあとなのか、微かに石鹸の臭いがして髪もまだ湿っていた。

「起こしてまったな。あかんやろ?ちゃんと布団で寝な」

そう言って春斗さんは私をゆっくりと布団の上に腰を下ろした。
春斗さんは私の頭を優しく撫でて、髪の先にそっと口付ける。
霞みがかっていた頭の中がそれで少しずつ晴れてきて、私は身体を震わせながら飛び起きた。
春斗さんと距離を取るようにジリジリと後ろに下がって、布団の端まで移動する。

「そんなに身構えんでも何もせん。言うたやろ。嫌がることはせぇへんって」

困ったように微笑んだ春斗さんは私の目を見つめながら手招きをする。

「……楓?」

ほんの少し低い声と、ゆらりと揺れて底光りする瞳。
優しさのすぐ後ろにあるのは、有無を言わせぬ強制力だった。今従わないと。春斗さんが優しいうちに。
私は布団の上であぐらをかいている春斗さんの方へゆっくりと近づいた。

「ええ子やな」

春斗さんの黒い瞳が細められて、自分の膝の間を示してそこに座るように促した。少しの躊躇いはあったものの、言われた通りにしないとという思いが勝って私は大人しくそこで正座して、春斗さんと向き合った。
嬉しそうに笑いながら、春斗さんはそっと私の髪に触れる。
もう体は震えていなかった。

「ほんま可愛えなぁ。俺は幸せもんやわ」

部屋の中はただ静かで、互いの呼吸音だけでもうるさいくらいだ。
まるで繊細なガラス細工を扱うみたいに春斗さんは私に触れている。それだけ春斗さんは私を大切にしようとしてくれているんだとわかって、私は少しだけ肩の力を抜いた。
こうして大人しくしていればいい。そうしていれば怖くないんだと自分に言い聞かせる。

「結婚しような、楓」

もう決まっているかのように春斗さんは私の手を握る。
その手は温かくて、少し痛いくらいだった。

「……どうして、私なんですか」

私の視線はずるずると落ちていって、春斗さんの顔を見ることはできていない。
どうして私なのか。この人になぜ、ここまでさせてしまったのか。

「好きになったからや。楓だけは俺と対等なとこにおってほしいから、俺だけのもんにしたい。逆に俺も、楓だけのもんになる」

春斗さんは私の顎の下に手を添えて、ゆっくりと私の顔を持ち上げる。

「あの日、楓が俺を助けた日は、俺が人間になれたんや。楓の前でなら、俺は条野の息子でも一条会の会長でもなんでもないただの条野春斗になれる……いや、なりたいんや」

いつの間にか春斗さんの瞳は暗く澄んで、私を映していた。
この人の言葉に嘘はない。
私を思ってくれているというのも、痛いくらいに伝わってきた。きっとずっと大事にしてくれるんだろう。
でも、本当にこれでいいのかな。
思い出すのは昌治さんのことばかり。春斗さんに察せられないように記憶の底に沈めるけど、すぐにまた鮮明に浮かび上がってくる。

「……慣れるまではゆっくりでええ。俺のもんになってくれれば、それで」

春斗さんの目は全てを見透かしているみたいだった。そして春斗さん以外の事は忘れろと言うかのように、髪を撫でられて指先が唇を軽く抑える。

「大好きや、楓」

感情も理性も何もかも飲み込んでしまいそうな黒い瞳に囚われて、もう逃げられないんだとはっきりと自覚した。
しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

旦那様の愛が重い

おきょう
恋愛
マリーナの旦那様は愛情表現がはげしい。 毎朝毎晩「愛してる」と耳元でささやき、隣にいれば腰を抱き寄せてくる。 他人は大切にされていて羨ましいと言うけれど、マリーナには怖いばかり。 甘いばかりの言葉も、優しい視線も、どうにも嘘くさいと思ってしまう。 本心の分からない人の心を、一体どうやって信じればいいのだろう。

気付いたら最悪の方向に転がり落ちていた。

下菊みこと
恋愛
失敗したお話。ヤンデレ。 私の好きな人には好きな人がいる。それでもよかったけれど、結婚すると聞いてこれで全部終わりだと思っていた。けれど相変わらず彼は私を呼び出す。そして、結婚式について相談してくる。一体どうして? 小説家になろう様でも投稿しています。

3回目巻き戻り令嬢ですが、今回はなんだか様子がおかしい

エヌ
恋愛
婚約破棄されて、断罪されて、処刑される。を繰り返して人生3回目。 だけどこの3回目、なんだか様子がおかしい 一部残酷な表現がございますので苦手な方はご注意下さい。

【完結】無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない

ベル
恋愛
旦那様とは政略結婚。 公爵家の次期当主であった旦那様と、領地の経営が悪化し、没落寸前の伯爵令嬢だった私。 旦那様と結婚したおかげで私の家は安定し、今では昔よりも裕福な暮らしができるようになりました。 そんな私は旦那様に感謝しています。 無口で何を考えているか分かりにくい方ですが、とてもお優しい方なのです。 そんな二人の日常を書いてみました。 お読みいただき本当にありがとうございますm(_ _)m 無事完結しました!

隣人の幼馴染にご飯を作るのは今日で終わり

鳥花風星
恋愛
高校二年生のひよりは、隣の家に住む幼馴染の高校三年生の蒼に片思いをしていた。蒼の両親が海外出張でいないため、ひよりは蒼のために毎日ご飯を作りに来ている。 でも、蒼とひよりにはもう一人、みさ姉という大学生の幼馴染がいた。蒼が好きなのはみさ姉だと思い、身を引くためにひよりはもうご飯を作りにこないと伝えるが……。

じゃない方の私が何故かヤンデレ騎士団長に囚われたのですが

カレイ
恋愛
 天使な妹。それに纏わりつく金魚のフンがこの私。  両親も妹にしか関心がなく兄からも無視される毎日だけれど、私は別に自分を慕ってくれる妹がいればそれで良かった。  でもある時、私に嫉妬する兄や婚約者に嵌められて、婚約破棄された上、実家を追い出されてしまう。しかしそのことを聞きつけた騎士団長が何故か私の前に現れた。 「ずっと好きでした、もう我慢しません!あぁ、貴方の匂いだけで私は……」  そうして、何故か最強騎士団長に囚われました。

お隣さんはヤのつくご職業

古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。 残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。 元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。 ……え、ちゃんとしたもん食え? ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!! ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ 建築基準法と物理法則なんて知りません 登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。 2020/5/26 完結

ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない

斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。 襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……! この人本当に旦那さま? って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!

処理中です...