零式艦上マルチロール機

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開発

九九式双発多用途攻撃機

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件の双発機体についてである。
開発自体は統合航空本部が発足してからすぐ、つまり九八式多攻と同時期には始まっていた。
エンジンは量産性を重視して九八式多攻と同じ火星エンジンを装備し、それを2基搭載した。
開発方針としては重爆の性質を残しつつ、雷撃能力とある程度の戦闘能力を付与する形である。
そのため、急降下爆撃能力については早々に放棄され順当に九六式陸上攻撃機や九七式重爆撃機の合成小型後継機とされた。
開発が遅れた理由は、翼内燃料タンクに取り付けるためのゴム膜の調達に手間取ったからである。
総力戦航空機はその性格上、長い期間にわたって使われ続ける。
確かに、今ならそこまで神経質にならなくてもいいかもしれないが数年後になって”大損害を出した”となれば元も子もない。
今のうちに潰せる芽は潰しておくべきだ。
また、要求されていた戦闘機としての能力を付与するという難題にも開発陣は直面することになる。
そもそも、なぜ戦闘機としての能力が必要なのかと言うと爆撃隊を長距離に渡って護衛できる戦闘機が今の日本に存在しなかったからである。
中国戦線での渡洋爆撃で見られるように、もはや戦闘機無用論は灰燼と帰し護衛の戦闘機が必ず必要であった。
だが、九八式多攻は単発機としてはかなり航続距離は長い方だが、やはり爆撃隊を護衛する力は無かった。
護衛戦闘機を早急に製造する必要がある。
そこで双発総力戦航空機に戦闘機としての能力を付与しようと考えたのだ。
これがかなりの曲者で、要求を満たせる機体を製造できたのは空技廠だけだった。


九九式双発多用途攻撃機
最高速度:時速594㎞(爆装無)
武装:20㎜機銃4挺(機首)、12.7㎜旋回機銃1挺
翼面荷重:150㎏/㎡
プロペラ:直径3.42mが3枚
搭乗数:3人
搭載能力:800㎏航空魚雷1本/500㎏爆弾1発/250㎏爆弾3発
航続距離:時速410㎞で2000海里
全長:12.68m
全幅:17.02m


中翼の機体で、構造はやはり九八式多攻より複雑化してしまったが、それでも爆撃から雷撃、そして戦闘を行える機体であるのには変わりない。
この機体は1939年の4月に試験に合格し、その勢いで量産体制に入った。
これにより九七式重爆撃機や九六式陸上攻撃機の生産ラインは全て九九式双多攻に切り替わることになる。
ただ、双発と言うこともあり生産数は伸び悩み、月産100機をひとまずの目標とされたがやはり単発で高性能な九八式多攻の方が優先されがちで、また機体構造が複雑であったのも関係し、5月の月産機数は56機であった。
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