零式艦上マルチロール機

ypaaaaaaa

文字の大きさ
9 / 27
開発

火星二一型

しおりを挟む
1939年6月時点で日本軍の生産する機種は主に九八式多攻、九九式艦偵、九九式双多攻の3機種に集中されていた。
ただし九九式艦偵に関してはそこまでの生産数を必要としないため、実情は九八式多攻と九九式双多攻の2機種が集中生産されていた。
これらが搭載するエンジンは全て火星一二型エンジンである。
1500馬力を誇る大容量エンジンだが、その進化系の開発がついに完了したのである。
それが火星二一型である。
この型は最大出力1700馬力を発揮するエンジンであった。
だが、高高度性能で限界が見え始めておりまた火星エンジン自体も完成されてきており、発展の余地が無くなってきていた。
そこで統合航空本部は火星エンジンを18気筒化したエンジンの開発を命令。
スーパーチャージャーの搭載も厳命されており、三菱は火星エンジンのさらなる発展と新型エンジンの開発と言う重荷を背負わされた。
だが、機体開発がなされていない分火の車と言うほどでもなかった。
ともかく、火星二一型が制式採用されたため九八式多攻のエンジンを換装して…と言うわけには行かなかった。
確かに九九式双多攻はそれで事足りた。
だが、中島は九八式多攻の改良機をすでに開発していたのである。
九八式多攻では馬力の関係上行えなかったことが、今回ではできるようになったこともあったのである。


改九八式多用途攻撃機
最高速度:時速598㎞
武装:20㎜機銃4挺(翼内)
翼面荷重:170㎏/㎡
プロペラ:直径3.42mが4枚
搭乗数:1人
搭載能力:250㎏爆弾1発(急降下)/800㎏航空魚雷1本/60㎏爆弾6発
航続距離:時速400㎞で720海里(増槽装備時960海里)
全長:9.92m
全幅:12.80m(折り畳み時6.22m)


特筆すべきはやはり何とってもその最高速度であろう。
この機体は時速598㎞を発揮可能となっていたのである。
これを実現するために機体規模を若干縮小、機体後部に掛けて縛り込みを少しきつくさせた。
そのしわ寄せが旋回性能の悪化につながっていたが、やはり時速598㎞と言うのは魅力的であった。
また、主翼の強化も行われ本格的な折り畳み翼を採用できた。
これにより、空母艦上の艦載機数は増加するに違いなく攻撃力の強化に繋がる。
加えて、部品もかなり角ばった素材の割合を増やし量産面も向上させた。
まだまだ下請けの機械化が進んでいない日本にとってこれは大変喜ばしいことであった。
当たり前のことだが、丸みを帯びた素材より角ばった素材の方が生産は楽なのである。
本機は1939年8月15日に初飛行を果たし、そこから各種試験が取りおこなわれることになる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

勇者の如く倒れよ ~ ドイツZ計画 巨大戦艦たちの宴

もろこし
歴史・時代
とある豪華客船の氷山事故をきっかけにして、第一次世界大戦前にレーダーとソナーが開発された世界のお話です。 潜水艦や航空機の脅威が激減したため、列強各国は超弩級戦艦の建造に走ります。史実では実現しなかったドイツのZ計画で生み出された巨艦たちの戦いと行く末をご覧ください。

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

秀頼に迫られた選択〜トヨトミ・プリンスの究極生存戦略〜

中野八郎
歴史・時代
​慶長十六年、二条城。 老獪な家康との会見に臨んだ豊臣秀頼は、時代の風が冷たく、そして残酷に吹き抜けるのを感じていた。 ​誰もが「豊臣の落日」を避けられぬ宿命と予感する中、若き当主だけは、滅びへと続く血塗られた轍(わだち)を拒絶する「別の道」を模索し始める。 ​母・淀殿の執念、徳川の冷徹な圧迫、そして家臣たちの焦燥。 逃れられぬ包囲網の中で、秀頼が選ぶのは誇り高き死か、それとも――。 ​守るべき命のため、繋ぐべき未来のため。 一人の青年が「理」を武器に、底知れぬ激動の時代へと足を踏み出す。

徳川慶勝、黒船を討つ

克全
歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 尾張徳川家(尾張藩)の第14代・第17代当主の徳川慶勝が、美濃高須藩主・松平義建の次男・秀之助ではなく、夭折した長男・源之助が継いでおり、彼が攘夷派の名君となっていた場合の仮想戦記を書いてみました。夭折した兄弟が活躍します。尾張徳川家15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬、特に会津藩主・松平容保と会津藩士にリベンジしてもらいます。 もしかしたら、消去するかもしれません。

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

【架空戦記】炎立つ真珠湾

糸冬
歴史・時代
一九四一年十二月八日。 日本海軍による真珠湾攻撃は成功裡に終わった。 さらなる戦果を求めて第二次攻撃を求める声に対し、南雲忠一司令は、歴史を覆す決断を下す。 「吉と出れば天啓、凶と出れば悪魔のささやき」と内心で呟きつつ……。

処理中です...