零式艦上マルチロール機

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開発

零式多用途攻撃機

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1939年8月15日に初飛行を果たした改九八式多攻は、その後の試験も難なく突破していった。
航続距離はやはり泣き所であったが、総力戦航空機としては申し分ない性能である。
統合航空本部長の東条はこの機体が飛ぶ姿を見て、思わずつぶやいた。
「美しい…この機体は間違いなく傑作機だ」
もはやこの機体の制式採用を阻むものは存在しなかった。
5か月後の1940年1月12日。
ついに本機は零式多用途攻撃機として制式採用されたのである。


零式多用途攻撃機
最高速度:時速595㎞
武装:20㎜機銃4挺(翼内)
翼面荷重:168㎏/㎡
プロペラ:直径3.42mが4枚
搭乗数:1人
搭載能力:250㎏爆弾1発(急降下)/800㎏航空魚雷1本/60㎏爆弾6発
航続距離:時速400㎞で740海里(増槽装備時980海里)
全長:9.92m
全幅:12.80m(折り畳み時6.22m)


試作機から速度は少し低下したが、概ね高性能を叩き出している。
また、旋回性能については若干であるが改善され戦闘機としての能力は向上したと言っても良かった。
脚周りも格段に強化され、少し乱暴に扱っても壊れない性質は先代の九八式多攻と変わらなかった。
九八式多攻から零式多攻への生産ラインの移管はかなりすぐに行われた。
九八式多攻はこれまでに延べ3512機が生産され、およそ102機が戦闘で失われた。
3500機以上と言うと多い様に感じるかもだが、これはいわば海軍の艦載機や陸軍の戦闘機、軽爆撃機などを合わせた数値と同義であり、決して多いことは無かった。
ともかく、残存している3410機の九八式多攻は零式多攻が大量生産の移るまでの繋ぎとして各飛行場に留め置かれることになる。
旧型と言えど、決して型落ちと言うことは無かったのだ。
零式多攻が配備された場合、九八式多攻は満州地域の防衛に駆り出されることになっていた。
満州地域と言うと、仮想敵は専らソビエト極東方面軍である。


零式多攻が制式採用された頃、まるで見届けたように東条は統合航空本部の職から離れた。
彼には陸軍大臣と言う仕事が待っている。
「君達とこうして仕事が出来、それに加えてあのような機体を生み出せたことを誇りに思う」
東条は退任の挨拶で目に涙を浮かべながら語った。
東条は最後に会に出席していた者たち全員と固い握手をしながら統合航空本部を去っていった。
後任の統合航空本部長には陸海のバランスをとって井上成美海軍中将が就任することが内定している。
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