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しおりを挟む市の往来は人でごった返していた。
飛び交う客呼びの声、雑踏の音。
これ以上ないほどの賑わいだ。
中にはいくつもの異国の言語が混じる。
「ひ、姫様。リーゼロッテ姫様、お待ちください」
ざわめきにかき消されそうな喘ぎ声がその中に混じる。
「なぁに? ニオベ、もう疲れたの? 」
自分を呼ぶ声に少女は足を止め振り返る。
頭からすっぽりと被った長いヴェールが翻り、覆われていた姿が僅かに垣間見えた。
一つに纏め右肩から胸に下げた漆黒の髪、やや灰色掛かった色の深い青い瞳。
纏った衣服はざっくりとした生地を筒袖に仕立てた異国の形で簡素なものだ。何の飾り気もなく一見質素だがすらりとした躯に無理なく添うように作られた丁寧な縫製や、染み一つない真っ白な生地は高価なもので明らかに一般の人間が着られるものではない。
デコルテから僅かに覗く首は抜けるように白く、すんなりとしていてしなやかだ。
それらをすっぽりと隠すように頭上からは長いヴェールが掛かっている。
「私なら大丈夫です。
しかしこの人込みではこれ以上距離を空けたらはぐれてしまいます! 」
「いいじゃない。
別に。
はぐれたって、どうってことないわ。
お城にはすぐに行けそうだもの」
少女は視線を行き交う人々の頭上に向ける。
その僅か向こうには巨大な塔を有したひときわ大きな建物がそびえ立っていた。
尖塔には獅子を有した楯を描いた紋章を染めつけた旗が翻る。
この国の王城だ。
「お互いがお互いを見失ってしまったら、とりあえずお城に行けば済む話じゃない? 」
少女は首を傾げた。
「そういう問題ではございません!
一国の王女様がよりによって供もつけずに異国の城下を出歩いて、何かあったらどうなさるおつもりなのですか? 」
「ん? 大丈夫なんじゃない?
言わなければ誰もわかんないわよ。
わたしの顔なんて誰も知らないもの! 」
言うと少女はヴェールの端を翻して駆け出した。
躯に纏いつく風は、十七年間一度も出たことのなかった国の物と違い湿気を含んで重苦しい。
だけど、日差しは柔らかで心地いい。
いくつかの並んだ建物の前で少女はふと足を止めた。
何時の間にか露天の並ぶ市の中を抜け、その先へと来てしまったらしい。
人々の往来が減り代わりに行き交う馬車の台数が増えた。
通りの両側には宿屋や食堂と言った看板の下がった建物が並ぶ。
その片端でリーゼロッテは周囲を見渡す。
さほど大きくはないレストランのオープンテラスに自然と目が向く。
いかにも地元の住人と思われる着飾らない人間が何人も集まり、一人の若い男を取り巻いて杯を酌み交わしていた。
「……というわけでさ、今年の麦の実りはイマイチなんで」
「それよりも峠の街道の方が先だよ。
まさかこんなに盗賊の被害が多くなるとはな」
「そんなにか? 」
「ああ、何でも二組の盗賊が張り合っているみてぇで、通る荷馬車片っ端から襲われてるって話だ。
おかげで山二つ越えた西周りのルートを回るしかなくて、荷物は少なくなるは鮮度は落ちるは、市場じゃ困り果てているよ」
「それも大事だが、ルテガテルからの関税もう少し何とかならんかね?
せっかく安くて新鮮な物を運んでもあの関税じゃな。
ルテガテルの交易品の関税さえ安くなりゃ、峠に俗が出ようと市に流通する品物には事欠かないぜ」
「いや、だからそれは…… 」
「関税より俺たちの納税だろ?
かかぁがこれでよぉ。
また食い扶持が増えるとなると…… 」
「お前んとこ、何人目だ? 」
皆がそれぞれに言いたいことを口にして聞き分けるのも厄介なほどだ。
だが、言っている内容の割に明るい笑顔で笑い声が絶えない。
「それでよぉ、ホシミ通りのカンナばあさん、どうしても医者の面倒にはならねぇって我を張っているんだよ」
「カンナばあさん、この間亡くなった孫娘の赤ん坊引き取ったんだろ? 」
「ああ、嫁ぎ先の商家で跡取りになれねぇ女はいらねぇとか言ってな。
先妻の赤ん坊がいたら後妻に入る女が寄りつかねぇとか何とか…… 」
「酷い話だねぇ、そもそもあの娘お産で死んだんだろう? 」
「その話、もう少し詳しく教えてくれ。
そのカンナばあさんってのは、ホシミ通りのどの辺りに住んでいるんだ? 」
盛り上がる男達の会話に若い男が割って入る。
リーゼロッテは皆に取り囲まれ、真摯な顔で相槌を打つその若い男の顔から目が離せなくなっていた。
鼻筋の通った整った横顔に、金色の巻き毛、抜けるような空の青の瞳。
それだけでも充分過ぎるほどに人目をひきつけるが、それ以上にひきつけた人の目を捕えて離さない雰囲気をかもし出している。
一見窶した身なりでありながら手入れの行き届いた容貌から、どこかいい家の子弟であることは簡単に読み取れた。
「姫、さま! 」
あえぎながら自分の名を呼ぶ声に振り返ると、ようやく追いついてきた侍女の顔がある。
「決めた! 」
自由気ままに歩くリーゼロッテと違い、人で溢れ返る往来で主の姿を見失わないようにしながら付いてくるのは相当重労働だったのだろう。
女は息を乱しただけでなく顔色も悪い。
そんな女の顔を少しだけ気の毒に思いながら少女は呟く。
「は?
何をですか? 」
乱れた息のまま、乳母が訊いてきた。
「わたしのお婿さん。
あの男性にするわ! 」
女にもわかるように、人々の中心に居る金髪碧眼の男をリーゼロッテは指差した。
「お嬢ちゃん、冗談言っちゃいけないよ」
側にいた男がからかうように声を掛けてきた。
「どうしたって? 」
リーゼロッテが答える前に、それを聞きつけたテラスの人だかりから声があがる。
「この嬢ちゃんが、殿下を婿さんにするってさ! 」
「そりゃ無理だ」
どっと沸きあがる嘲笑。
「お嬢ちゃん、この男を誰だと思っているんだ? 」
「知ってるわ」
リーゼロッテは視線を真直ぐに男に向けたまま言い放った。
「この国の王子様よね。
アンシャル王国現国王、オズワルド三世陛下の第三王子、ヴェルナー・ステファン殿下ですよね」
「知っているんだったら、諦めな。
高望みだってわかってるだろう? 」
「ん~ そうは思わないんだけど」
リーゼロッテは少し考えるように首を傾げたがすぐに真直ぐに戻す。
「こりゃいい、何処の貴族の嬢ちゃんだか知らないが、いい度胸だな」
もう一度周囲から笑い声が上がった。
「ね? 考えてくださらない? 」
ヴェルナーの側に歩み寄ると、リーゼロッテは臆することなく真直ぐに男を見据えて訊いた。
「弱ったな…… 」
男は小さく呟いた。
「済まぬが、俺にはもう、妻も子も居るんだが」
「そうそう! だから諦めな、嬢ちゃん」
周りの男達が囃し立てるように言う。
「わたしは別に構わないわよ」
その言葉にリーゼロッテは何でもないことのように返した。
「何言ってんだよ? 嬢ちゃん」
「それじゃ、殿下は浮気することになっちまう」
言った男を先頭に周囲を巻き込みどっと笑いが起こった。
「別に浮気じゃないわ。
身分のある男性は何人でも妻を持っていいことになっているじゃない」
当たり前のこととリーゼロッテは言い放つ。
「はあ? いいわけあるか?
何処の国の人間か知らないけどよぉ、この国じゃ普通一人の男に嫁さんは一人しか神様の許可が下りないんだよ」
周囲の人々がもう一度笑い出す。
「もちろん奥様もご一緒でいいの。
殿下がわたしの国に来て改宗してくだされば、何の問題もないもの」
少女は当たり前のように目の前の男を見据える。
「……お前」
そのやり取りをまるで他人事のように聞いていたヴェルナーは少し考えるような仕草の後口を開く。
「ひょっとして、ウルティモの者か? 」
「そうよ。ごめんなさい、名乗るのを忘れてたわね。
わたし、リーゼロッテ・エクシャーナ・マルドゥクと申します」
一歩、後に下がって空間を確保すると、少女は優雅な仕草で膝を折る。
「マルドゥクだと? 」
ヴェルナーの顔色が咄嗟に変わる。
次いで大またでリーゼロッテに歩み寄った。
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