3 / 33
- 3 -
しおりを挟む広いボールルームの中は無数の蝋燭の炎に照らしだされていた。
中央に足を踏み出すと、集まった人々の熱気が肌を包む。
それだけのことで、リーゼロッテの足は竦んだ。
こういう正式な夜会でどう振舞えばいいのかは、子供の頃からつけられた家庭教師のミス・スワンに徹底的に叩き込まれた。ダンスのステップもお辞儀の仕方も完璧だとは思う。
だけど、これだけ沢山の人々の視線に晒されるのには慣れていない。
特に無数の男性の視線には。
産まれてこの方ずっと後宮で育ち、異性といえば父親しか知らないリーゼロッテにとって、その視線が自分一人に注がれるのははじめての経験だ。
思わず震えだしそうになった手を、付き添ってくれていたミス・スワンがそっと握り締めてくれる。
「あ…… 」
「大丈夫ですよ。
レッスンの時と同じように堂々と振舞ってください。
姫様の所作は完璧ですから」
その優しい声は、とても安心できた。
「ええ、ミス・スワン」
その言葉に背を押されるように、リーゼロッテは背筋を伸ばすと軽く息を吸い込んだ。
正面の王座までホールの中央に開けられた空間を真直ぐに見据え、ゆっくりと歩き出す。
「遠くからわざわざご足労願って、申し訳なかったな。ウルティモの姫よ」
王座の前に進み出て膝を折るといかにも人のよさそうな国王が声を掛けてきた。
「いいえ、オズワルド陛下。
お呼び立て下さらなければわたくしが国を出ることなどなかったと思います。
ですから感謝しておりますわ」
リーゼロッテは笑みを浮かべる。
「そう言ってもらえると、こちらとしても気が楽になる。
エクシャーナ皇帝の申し出どおり、余の息子達の誰でも連れて行って構わぬぞ。
なんなら二人でも…… 」
言いながら国王は王座の隣に控えていた数人の若い男に視線を向ける。
「上から、ウルリヒ、ヴィクトール、ヴェルナー、グザヴィエ、サカリアスだ。もう一人おるが、それはまだ幼すぎるでな、遠慮させてもらった。
皆、余の自慢の息子達だ」
国王は名を呼びながらそれぞれの顔を見据えた後、目を細める。
「今宵は、そなたの歓迎の夜会だ。
楽しむがよい! 」
合図のような一声で会場内に楽器の音色が流れ出す。
「お心遣い、感謝いたしますわ」
リーゼロッテはもう一度膝を折ると、国王の前を辞す。
次いでその隣に並んだ王子達の前に足を運んだ。
「踊っていただけます? ヴェルナー殿下」
軽快で華やかでありながら、どこか荘厳さが入り混じるワルツの調べを耳にリーゼロッテは男に手を差し出した。
「この国の作法は存じていますわ。
確か、主賓と主催者のダンスが始まらないと皆さん踊れないのですよね」
確認するように言うと、ヴェルナーが小さく息を吐き前へ進み出る。
「この場合は、俺じゃなくて兄上が先なんだけどな」
少し戸惑ったように口にしながらもリーゼロッテの差し出した手を取ってくれた。
そして軽やかな足取りでホールの中央へ引き出してくれる。
はじめのうち、気遣うように確かめるように慎重だった男のステップは次第に大胆になって行く。
次に踏み出す方向に自然と空間が作られ取られた手でそっとその空間に誘われる。次々と躯を収めるべく場所にすんなりと移動できなんだかとても心地いい。
普段レッスンでミス・スワンを相手に踊るのとは全く違う。
「ダンスは何処で? 」
その流れに酔いしれていると、耳もとでヴェルナーの声がした。
「え? どこか変? 」
「失礼、そうじゃなくて。君の国ではワルツの習慣はないだろう?
その割には上手いと思って」
「家庭教師のミス・スワンから」
「君の家庭教師はダンスまで教えるのか? 」
男は意外とでもいいたそうにリーゼロッテの顔を見下ろしてきた。
「ええ、ダンスも礼儀作法も一通り。
お父様が何処の国に出しても恥ずかしくないようにって、間違いのない作法を身につけられるように異国のきちんとした方を手配して下さったから。
ミス・スワンは確かこの国の出身のはずよ」
いくらダンスの途中とはいえあまりに間近から男に顔見つめられ、リーゼロッテはさすがに恥ずかしくて視線を背けた。
その視界にいきなり華やかな集団が飛び込んできた。
髪を高く結い上げ、鮮やかな色のドレスを纏った少女達が数人、一人の若い男を取り囲んでいる。
ヴェルナーと同じ金色の巻き毛を長く伸ばし首筋の辺りで軽く纏め、纏った衣裳も取り囲んだ少女に負けないほどに華やかな男は、先ほど国王に紹介された二番目の王子ヴィクトールだ。
ひきつけられた視線のまま暫くいると、男はこちらの様子に気がついたかのように取り巻いた少女達を後に残して歩み寄ってくる。
「ヴェルナー、そろそろ次いいかな? 」
ステップを踏むヴェルナーの肩に軽く手を置いてその動きを止めさせた。
「ああ…… 」
軽く握っていたリーゼロッテの手をそのままに、ヴィクトールに差し出して預ける。
「じゃ、姫君また」
いかにも、義務は果たしたといわんばかりに、それ以上は何の未練もないといった様子で当り障りのない言葉をリーゼロッテにかけ、ヴェルナーは背を向ける。ダンスを続ける人々の間を縫うと、その向こうに引き上げてしまった。
「君、ヴェルナーに顔を見た早々結婚を申し込んだんだって? 」
ステップを踏み始めると、その整った顔をリーゼロッテに向けると訊いてくる。
「どうして、それ? 」
リーゼロッテは僅かに顔を赤らめる。
まさか早速話題にされているとは思わなかった。
「駄目だったでしょ? 」
おかしそうに男は笑みを浮かべている。
「一応、お断りされたわ。
でも、諦めるつもりはないわよ」
先ほどのヴェルナーとはまるで違う優雅なエスコートに少し戸惑いながらリーゼロッテはダンスを続ける。
身長のせいか、あるいは腰に回された男の手の力が強いせいか、ヴェルナーの時よりパートナーの顔との距離が近いような気がする。
「あのさ、僕にしない?
僕なら正真正銘独身だし、今なら婚約者も彼女もいないよ? 」
異常なほど近いその距離感にどきどきしていると、不意に寄せられた耳元で囁かれた。
「嬉しいけど、ご遠慮します。
ヴィクトール様、ご自分の後宮を持ったら妾妃の数、片手で済みそうにないもの」
男の顔を真直ぐに見詰めてリーゼロッテはやんわりと微笑んだ。
次いで相手との距離を取るように少しだけ男の肩に沿えた自分の腕に力を込める。
男の柔らかな表情も、声も人をひきつけて止まないものがある。
おまけにこの容姿に、この口調。
きっと男女問わずに誰もが放っておかないだろう。
だけど、何かが違う気がする。
この柔らかな笑顔が自分に向けられているのに、何故か全くときめかない。
その違和感がリーゼロッテの胸の奥に引っかかる。
「そっか、残念。
言っとくけど、ヴェルナーは手ごわいよ。
僕達兄弟の中で一番頭が固いからね」
「……だからいいんじゃない」
リーゼロッテは呟いた。
「ま、じゃ、気が変わったらいつでも言って」
丁度楽曲が終わったところを潮にヴィクトールは重ねていたリーゼロッテの手を次の誰かの手に引き渡す。
「随分辛辣だね」
新しく始まったワルツにあわせリードしてくれながら、男が笑みをこぼす。
「えっと…… 」
その笑顔を目にリーゼロッテは記憶を手繰り寄せた。
「長男のウルリヒだよ」
「ごめんなさい! その、わた…… 」
「構わないよ。一度に六人も紹介されたら混乱しても仕方がないし。
何より君は既にヴェルナーしか見ていなかったしね」
ヴェルナーやヴィクトールよりやや年上の男はやんわりと笑いかけた。
「ね? ウルリヒ様も、ヴィクトール様の代わりにって仰るの? 」
「いや。残念ながら私も妻帯者だ。
正直ウルティモの帝位は魅力だけどね。
自国の王位を弟に譲っても欲しいくらいの。
皇帝の一人娘である君の婿におさまれば、自然と帝位が転がり込むだろう?
それなら父王も次男に王位を譲るのを納得するよ」
「何か勘違いなさっていない? 」
ステップを踏みながらリーゼロッテは男の顔を覗きこむ。
「あのね。お父様の欲しがっているのは、わたしの旦那様で、次期皇帝の父親なの」
「それって、どういう? 」
男が不思議そうに眉根を寄せた。
「言葉どおりよ。
お父様はわたしの子供に帝位を継がせるおつもりなの」
「それはいくら何でも不可能じゃないのか?
孫の成長を待つなんて気の長い話…… 」
「う、ん。そうでもないのよね。
お父様まだ三十台だし」
視線を宙に泳がせてリーゼロッテは呟いた。
0
あなたにおすすめの小説
結婚式をボイコットした王女
椿森
恋愛
請われて隣国の王太子の元に嫁ぐこととなった、王女のナルシア。
しかし、婚姻の儀の直前に王太子が不貞とも言える行動をしたためにボイコットすることにした。もちろん、婚約は解消させていただきます。
※初投稿のため生暖か目で見てくださると幸いです※
1/9:一応、本編完結です。今後、このお話に至るまでを書いていこうと思います。
1/17:王太子の名前を修正しました!申し訳ございませんでした···( ´ཫ`)
愚かな側妃と言われたので、我慢することをやめます
天宮有
恋愛
私アリザは平民から側妃となり、国王ルグドに利用されていた。
王妃のシェムを愛しているルグドは、私を酷使する。
影で城の人達から「愚かな側妃」と蔑まれていることを知り、全てがどうでもよくなっていた。
私は我慢することをやめてルグドを助けず、愚かな側妃として生きます。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
【3月中ーー完結!!】
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。
二十年の裏切りの果て、その事実だけを抱え、離縁状を置いて家を出た。
そこで待っていたのは、凍てつく絶望――。
けれど同時に、それは残酷な運命の扉がひらく瞬間でもあった。
夫は愛人と共に好きに生きればいい。
今さら「本当に愛していたのは君だ」と縋られても、
死の淵を彷徨った私には、裏切ったあなたを許す力など残っていない。
「でも、子供たちの心だけは、
必ず取り戻す」
妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。
過去を悔い、歪な愛でもいいと手を伸ばした彼女が辿り着いた先。
それは、「歪で、完全な幸福」か、それとも――。
これは、"石"に翻弄された者たちの、狂おしい物語。
初夜に大暴言を吐かれた伯爵夫人は、微笑みと共に我が道を行く ―旦那様、今更擦り寄られても困ります―
望月 或
恋愛
「お前の噂を聞いたぞ。毎夜町に出て男を求め、毎回違う男と朝までふしだらな行為に明け暮れているそうだな? その上糸目を付けず服や装飾品を買い漁り、多大な借金を背負っているとか……。そんな醜悪な女が俺の妻だとは非常に不愉快極まりない! 今後俺に話し掛けるな! 俺に一切関与するな! 同じ空気を吸ってるだけでとんでもなく不快だ……!!」
【王命】で決められた婚姻をし、ハイド・ランジニカ伯爵とオリービア・フレイグラント子爵令嬢の初夜は、彼のその暴言で始まった。
そして、それに返したオリービアの一言は、
「あらあら、まぁ」
の六文字だった。
屋敷に住まわせている、ハイドの愛人と噂されるユーカリや、その取巻きの使用人達の嫌がらせも何のその、オリービアは微笑みを絶やさず自分の道を突き進んでいく。
ユーカリだけを信じ心酔していたハイドだったが、オリービアが屋敷に来てから徐々に変化が表れ始めて……
※作者独自の世界観満載です。違和感を感じたら、「あぁ、こういう世界なんだな」と思って頂けたら有難いです……。
公爵令嬢は結婚式当日に死んだ
白雲八鈴
恋愛
今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。
「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」
突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。
婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。
そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。
その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……
生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。
婚約者とその番という女性に
『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』
そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。
*タグ注意
*不快であれば閉じてください。
「お幸せに」と微笑んだ悪役令嬢は、二度と戻らなかった。
パリパリかぷちーの
恋愛
王太子から婚約破棄を告げられたその日、
クラリーチェ=ヴァレンティナは微笑んでこう言った。
「どうか、お幸せに」──そして姿を消した。
完璧すぎる令嬢。誰にも本心を明かさなかった彼女が、
“何も持たずに”去ったその先にあったものとは。
これは誰かのために生きることをやめ、
「私自身の幸せ」を選びなおした、
ひとりの元・悪役令嬢の再生と静かな愛の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる