怪談

馬骨

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実話系怪談

『親父の上京』 提供:古川青(仮名)

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うちの親父、俺が十八に差しかかる頃から二十になるまで、少し俺に対して無愛想だった時期があった。

けど、二十歳になって始めて、親父と居酒屋で酒を飲みに行った。久しぶりに話す親父は、どこか昔より小さくて、それでいて親しみやすくなっているようだった。

それから親父は、以前のようなひょうきんな姿を俺に見せてくれるようになった。

ただ、その時の居酒屋で話してくれた親父の過去が、少しだけ胸の辺りにつっかえている。



『お前も知っての通り、俺は○○県の山奥から上京してきてんだけどよ。』

顔を赤らめ、酒気を口から吐き出すようにして、へべれけ状態の親父は、ぽつりぽつりと語り始めた。

親父の実家は、某県の山奥にある小さな村であり、帰省の際はそれなりに生活に苦労するほど、人里離れた所にある。

親父はそんな田舎から上京してきた。最寄りまで、車で二時間。そこから首都圏に繋がる空港がある駅まで、更に二時間ほどひたすら電車に揺られる。

この電車というのも、『男はつらいよ』シリーズに出てくるような、対面式の椅子が並ぶ古臭い電車だ。

『朝も早かったし、冬だったからよ。乗り込んだら、外は真っ暗なわけだわ。したら少し、うつらうつらしてきてよ。終点まで二時間もあるわなって、寝ちまったんだわ。』

『親父らしいな。』

『そうだなぁ、ただ。少しして起きたらそこはなんつぅか。』

親父はここで、注がれたビールを一息に飲み干した。
空になったジョッキが乱暴に置かれる。

『ありゃ、別世界だったなぁ。』

俺は親父のこの言葉に、川端康成の『雪国』冒頭のような外側の変化を連想していた。

だが実際は、親父が乗っている車両内部が、ガラッと変わっていたらしい。

まず内装である。

その電車は基本的に、あまり印象の残らない淡白な色合いをしていた。だが、親父が起きた瞬間に目にしたものは。

床の板張りや壁一面に塗りたくられた、黄色の装飾である。

それも柔和な色ではなく、どちらかと言うと毒々しい冴え渡るような黄色。

親父が呆気にとられていると、座っている椅子も元の色ではない。

いつの間にやら張られたベロア地は、これまた毒々しい赤色に染められている。

瞳に移る大半の景色を占有する、鮮やかな黄色と、その只中にあって存在感を放つ赤色のコントラストが、親父の寝惚けた脳内を叩き起すように、眼前に飛び込んできた。

『少し考えてよ。勿論、どっかで間違えたかなとか、乗り遅れたかなとか考えたわけだ。けど、十八年住んでてあんな電車一回も見た事ねぇんだわな。直ぐに、こりゃ尋常じゃねぇぞと思ったわけだ。それによ。』

親父を襲った異変は、これに留まらなかった。

視線を対面の座椅子の背もたれに虚ろに合わせ、しばらく放心していた親父は、助けを求めるように窓の外を眺めた。

そこには、怯えたような表情の親父が写っているだけだった。その奥には暗がりが広がっており、目を凝らせども何も見えない。

トンネルか何かを走っているのか、否、それであれば壁面が見えるはずである。

どうやらその暗がりは、トンネルであったり、夜の闇といったものとは性質の異なる黒さであったようだ。

まるで、外側からクレヨンか何かで塗りつぶされたかのように、窓枠の隅から隅まで黒が居座っており、窓の外の景色が一切見えない。

いよいよ、自分の置かれている状況が分からなくなった親父は、もう一度視線を元に戻す。

すると、対面の座椅子の上方。斜め前の席辺りから。

人の頭のような丸みを帯びた、肌色の何かを見つけた。

しめた。人が乗っている。

親父は迷うことなくその場に立つ。これがどういうことなのかを問おうと、歩み寄ろうとしたのだ。

だが、親父の体はそこで止まった。

『あ…か…』

それを見つめていた親父の喉の奥から、妙な音が漏れる。

親父が見たそれは、到底人とは言えぬ何かであった。

見えていた頭頂部から額にかけてが、恐ろしく長い。本来あるべきはずの位置に、両の瞳はない。しわくちゃの顔面にあるのは、誰かに潰されたようなくぼみだけである。

そのくぼみから時折、汁のようなものが漏れている。

内装と似通った、黄色い鮮明な汁が。

それは懐から布巾を取り出すと、汁を丁寧に吹き始めた。

だが徐々に袖口に零れ落ちた汁は、地味な色合いの和服を趣味の悪い色に染めていく。

親父がこの時恐怖したのは言うまであるまい。
だが、この時点で親父は何かしらの生理的嫌悪を覚えていた。

『あれが人じゃねぇことは確かなんだよ。けどよ、別に俺お化けったって怖かねぇもん。死んだ人間が生きた人間に勝てるわけねぇからなぁ。けどよ、ありゃもっと違うもんだ。全く違う、もっと怖ぇもんだ。』

親父は直ぐに元の座席に縮こまるように座った。即座に逃げようとも考えたが、腰が抜けたように動かない。耳をすまして見れば、あれが何かガサゴソやっている音が聞こえる。汁を拭く様子を連想した。嫌だ、怖い、気持ち悪い。

様々な忌避の感情が渦巻く中で泣きそうになっていた親父は、ただ震えているだけだった。

実家の風景が頭に浮かぶ。家に帰りたい。上京なんて、しなくていい。一生あそこでもいいから。

そんなことをぐるぐると考えていると、不意に肩を叩かれ親父はその拍子に「おぉ」と間抜けな声を出して振り返った。

そこには、駅員の装いをした若い男性が佇んでいた。

『切符を拝見させて頂きます。』

胸元には、"車掌"の文字がある。呆気にとられたまま、ふと、自分以外の人間が目の前にいると気付いた親父は、

『…あ、あの、ここおかしくないですか…?』

そう恐る恐る尋ねた。無論、後ろにいるあれには極力聞こえないような小さな声で。

だが若い車掌はそれに答えず、

『切符を拝見させて頂きます。』

これを繰り返すだけである。

そのやり取りの中で幾分冷静さを取り戻した親父は、胸ポケットに入れた切符を探した。しばらく手当り次第掻き回してみたが、無い。続いてズボンの左右ポケット、ボストンバッグの中を縦横無尽に探したのだが、無い。

しばらく探した親父は観念して、

『すいません…見当たらないです…。』
と呟いた。

するとそれを聞いた車掌は突然、腰をぐいと折り曲げた。

親父の顔を覗き込むように、顔だけが正面を向いて下降してくる。

無機質な顔である。何を考えているかもわかりはしない。血の通っていないような、無感情そのものの顔である。

気圧された親父は口もきけず押し黙った。車掌はなおも、親父の顔を見つめ続けている。

すると不意に、車掌は口を開いた。

『でしたら、次の駅でお降り下さい。』

その直後、電車はスピードを落とし始めた。
これまで一駅も止まっていないのに、初めての停車である。

親父は覚悟を決めた。もうどうなってもいいから、とりあえずこの電車からは脱しなければと。

しばらくして、電車が止まった。外はなおも暗闇である。自らの荷物を大急ぎでかつぎ上げた。

車掌に案内されるまま、出口まで歩いていく。

開かれたドアの向こうは、暗闇であった。
その暗闇に親父は、躊躇なく足を踏み入れた。

『っとここで、目が覚めたわけだ。』
『え?』
『いやだからよ、夢だったんだわ。その電車も、訳わかんねぇやつもよ。』

暗闇に踏み込んだ途端、親父の瞼を朝焼けが照らした。

目を覚ますと、親父は元の電車に乗っている。数人かが乗りこんでいるが、いずれも通常の人間のようである。

外を見ると、山間から身体をのぞかせた太陽が、電車の中に光を注いでいる。

『切符を拝見させて頂きます。』

その声に、親父は再び身体を震わせた。

見ると顔なじみの車掌がこちらを見ている。

『今日上京なんだってな。寂しくなるなぁ。』

親父は向けられた暖かい言葉に笑いで返し、切符を探した。だが、無い。

おかしい、確かに胸ポケットに入れたはずなのに。

左右のポケット、ボストンバッグの中。無い。

車掌が不思議そうにこちらを覗き見ている、夢の中と違って、ここで切符を忘れたなどといえば、ここから終点までの料金を払わなければいけない。

若い親父にとって、これは手痛い出費であった。

しばらく探して、ふと思い当たることがあった。

急いで親父は手を滑らせる。ジーパンの、後ろポケットの中だ。

案の定、切符はそこにあった。夢の中でも探していない箇所である。

親父が差し出した切符を確かめた車掌は、『頑張ってね』と柔らかな言葉を残し、満足そうに先頭車両に去っていった。

親父は手のひらに乗っている切符を眺めながら、

『もし、夢の中でこれを出していれば、今頃はまだあの電車の中だったろうか…。』

そんなことを考えながら、ひたすらに揺られていた。


『なんか…訳わかんないけど怖いな。』

『そうだろ、訳わかんないけど怖ぇだろ。ただな。』

親父は俺の一息を遮るように、姿勢を正して呟いた。いつの間に、その目に宿っていた酒酔いのまどろみは消え失せている。

『俺がいちばん意味わかんねぇのはよ。あん時の車掌なんだ。長い時間見つめてたせいでよ、あいつの顔が頭にこびりついて、今でも目閉じれば鮮明に思い出せるんだわ。』

そう言って親父は、目を瞑った。俺はまんじりともせず、それを眺めている。

長いような短いような間の後、親父はゆっくりと目を開けた。

『………やっぱりよ。何度見ても、お前の顔。あの車掌にそっくりだ。』

一瞬、親父の顔に怯えたようなひきつりが浮かんで、すぐに消えた。
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