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第4話 聖女は“光”に、恐怖する
しおりを挟むその日、祈りの最中だったはずの手が、わずかに震えた。
「……?」
白亜の礼拝堂。
柔らかな光がステンドグラスを透過し、床に虹色の影を落としている。
元聖女――マリエルは、胸元に手を当て、ゆっくりと息を整えた。
(今のは……何?)
聖女としての地位を失って久しいが、それでも彼女の「感覚」は、まだ完全には鈍っていない。
祈りの最中、王都の中心――魔導院の方角から、“歪み”を感じた。
いや、歪みではない。
もっと正確に言えば――
(……整いすぎている)
魔力とは、本来、揺らぎを持つものだ。
人の感情、自然の流れ、土地の性質。
それらに影響され、常に微細な不均衡を内包している。
だが今、感じ取ったそれは。
完璧すぎた。
「……そんな、はず……」
マリエルは小さく首を振る。
王国魔導院に、そんな存在がいるはずがない。
いるとすれば、それは――
(――聖女、以上)
その思考に辿り着いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。
*
「マリエル様」
礼拝堂の扉が開き、侍女が頭を下げる。
「本日、魔導院よりご報告が」
マリエルは一瞬だけ躊躇い、それから頷いた。
「……聞かせて」
侍女が差し出した書簡に、彼女は目を落とす。
そこに記されていたのは、簡潔な報告だった。
王国魔導院にて、規格外の才能を持つ若年魔導士が確認されました。
心臓が、どくりと脈打つ。
「名前は?」
「リオン、とのことです。……そして、その母親が」
侍女は一瞬、言葉を選ぶように口を閉ざし、それから告げた。
「セレスティア・フォン・アルヴェイン」
――世界が、音を失った。
「……誰?」
声が、かすれる。
侍女は困惑したように首を傾げた。
「……かつて、王太子殿下の婚約者だった女性です。マリエル様が聖女として立たれた、その……」
それ以上は言わせなかった。
「知ってるわ」
マリエルは、即座に言い切った。
忘れるはずがない。
あの日。
自分が涙を流し、王太子が激昂し、彼女――セレスティアが、すべてを失った日を。
(……なぜ、今さら)
*
マリエルは、夜の自室で一人、窓辺に立っていた。
遠くに見える魔導院の灯りが、やけに明るく感じられる。
(セレスティア……)
あの女は、確かに優秀だった。
頭が切れて、冷静で、誰よりも“正しかった”。
だからこそ、怖かった。
(でも……私は、聖女だった)
そう。
自分は“選ばれた存在”だったのだ。
彼女が婚約者の座にいた頃から、マリエルは、ずっと比べられてきた。
知性のセレスティア。
信仰のマリエル。
――どちらが王妃にふさわしいか。
(……私は、間違っていない)
彼女は、そう言い聞かせる。
自分は国のために祈り、人々の希望となり、光として在り続けた。
たとえ、その裏で――
誰かが犠牲になっていたとしても。
(……だって)
マリエルは、ぎゅっと手を握る。
(私は、聖女だったんだから)
*
翌日。
マリエルは、王宮の一室で、元王太子と向き合っていた。
「聞いたか」
彼は、苛立ちを隠そうともせずに言った。
「セレスティアが戻ってきた。しかも……とんでもない才能を持つ息子を連れてな」
マリエルは、静かに頷いた。
「……ええ」
言葉少なに返す彼女を、元王太子はじっと見つめる。
「お前、何か知っているのか?」
「いいえ」
即答だった。
嘘ではない。
だが、真実でもない。
(知っているのは……“感覚”だけ)
あの歪み。
整いすぎた魔力。
それは、聖女の奇跡に似ていた。
だが――決定的に違う。
(……私の“祈り”は、借り物だった)
神から与えられた力。
選ばれたからこそ、使えた力。
だが、リオンという存在は。
(――自分自身が、理そのもの)
その事実に気づいた瞬間、マリエルは、はっきりと理解した。
――勝てない。
*
夜更け。
マリエルは、再び祈りを捧げていた。
だが、以前のような確信はない。
(神様……)
答えは、返ってこない。
ただ、あの“光”の感触だけが、脳裏に焼き付いて離れなかった。
(……もし、あの子が)
もし、リオンが王国に受け入れられれば。
もし、民が彼を“救い”として仰げば。
(私は……何になる?)
聖女ではない。
王太子の隣にもいない。
残るのは――
「……何も、ない」
その呟きは、祈りではなく、恐怖だった。
マリエルは、初めて知ったのだ。
本物の光を前にした時、偽物は、ただ怯えるしかないのだと。
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