私は貴方を許さない

白湯子

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第10章「奈落の告白」

188話

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エーミールside


数時間前。
俺は初めて皇宮の謁見室に足を踏み入れた。
想像していたような煌びやかさは無かったものの、長年使われてきたのであろう繊細な彫刻が施された調度品や、壇上に鎮座する鮮血のような両陛下の椅子が静かで厳かな雰囲気を醸し出していた。情けないことに、俺はその重圧に耐えきれず足元から崩れ落ちそうになった。

そして今。
俺はその厳かな空間の隅っこにしゃがみ込み、頭を抱えながら叫んでいた。


「ひぃぃぃ!!!足音が!!足音がどんどん近づいて来るぅぅぅ!!!」


そう、聞こえてくるのだ。謁見室の分厚い扉の向こうから、荒々しい足音と共に「居たか!?」「ここには居ないぞ!!」「上だ!!上に向かえ!!」と十中八九皇宮の主を探す叫び声や、家具や扉が壊れる音が。まるで迫りくる死のカウントダウンのように。
あまりの恐ろしさに目や鼻から液体が絶え間なく溢れ出る。こんな絶体絶命状況、正常ではいられないーーー

はずなのに。


「そんな所に蹲ってないで、隣に座ったらどうかね?なあに、取って食いはせんよ。」


脊髄を震わせるような洗練された深いバリトンの声の持ち主ーーーこのノルデン帝国の皇帝陛下は、手元にあるチェスの駒を指先で弄りながら楽し気に喉をクツクツと鳴らした。


「お、俺のような一般人が、こっここここここ皇后陛下様のお椅子なんて恐れ多くて座れませんよっ!!!」


俺は両手で顔を覆い、わっと泣き出す。
自分の国が東と西の敵国に挟み撃ちで攻め込まれているのに、どうしてこの人は平然としていられるのだろうか。
みんな、聖女が主催する怪しい集りに行ってしまい、本来この危機を救ってくれるはずの皇室騎士団さえも居ないというのに…。

理解し難いことに、首を狙われてる陛下は平然を通り越して、玉座で優雅に足を組みながらチェスを楽しんでいる…


「ユリウス君の嘘つきーーー!!陛下の傍が一番安全って言ったから残ったのにーーー!!!」


脳内で爽やかな笑みを浮かべている友人に叫ばずにはいられない。
あぁっ、あの時、ユリウス君にくっ付いていけば良かった!!
後悔先に立たず。今更、嘆いても全てが遅すぎる。


「こら。友人を嘘つき呼ばわりするのは止めんか。」
「うぅっ!!正論!!…あ!こういう時のために、脱出用の秘密の抜け道とかあるんじゃないですか!?普通ありますよね!?あると言って下さい!!」
「あるにはあるんだが。確か…テオ坊が小幼い頃にイタズラで塞いでしまったままだな。」
「ジーザス!!!」


希望の光が、一瞬で消し去った。
目の前が絶望の色に染まり、そのまま冷たい床に倒れ込むと、ドドドドド…!!とこちらに向かってくる地響きが頬に伝わった。俺はハッと身を起こした。

そして、もうすぐそこに!!!と思う間もなく、謁見室の分厚い扉が物凄い勢いで開け放たれた。


「そこを動くな!!レーベ=ブランシュネージュ=ノルデン!!!」
「二人だけだ!!もう一人は子供!!」
「総員、飛び掛かれ!!!」


その叫び声と共に、角や羽や触覚など人外の姿をした大勢の兵士が、謁見室に突入してきた。
ギラリと光る刃と相手の命を奪おうとする鬼の形相。あまりの恐ろしさに、その場から動くことができない俺の元に、一人の熊のような大男が突進してきた。その巨体に相応しい大剣を振り上げ、俺の命を狙う。

どうして、こんなことになってしまったのだろう。
自分の頭上に大剣が振り落とされる光景が、妙にゆっくりと流れる中、俺は思った。
こんな目に合うなら、大人しく自分の部屋に籠って、虫たちを愛でていれば良かった。俺が死んだら、あの子達はどうなるんだろうか。
あぁ。変な夢とか希望とか抱かず、いつも通り身の程を弁えた生活をしていたら、こんな目には…

いつものようにタラレバの思考に逃避する。

だがそんな俺の脳裏に、何故か優しく微笑みながら手を差し伸べてくれた、あの時のユリウス君の姿が過った。


「実に...つまらない。」


ふいに響いた、低くそして洗練されたバリトンの声が謁見の間を支配した。まるで、魔法でもかけられたかのように、この場に居る全員の動きがピタリと止まる。この声を前に、俺たちは絶対に逆らえない。何故か、そう思う。

突然訪れた静寂の中。
チェス盤の上で兵隊ポーン騎士ナイトに牙を剥いた音だけが静かに響いた。


「せっかく先手を譲ってやったというのに、話にならんな。」


何の感情も込められていない無機質で冷たい声を発しながら、陛下は白い駒を指先で弾く。
すると、天井の空間が突如として刀傷のよう裂かれ、その中からズルズルと闇よりも黒い謁見室を覆わんばかりの巨大な物体が姿を現した。
俺は思わず口をあんぐりと開ける。
大きすぎてすぐには分からなかった。空間を切り裂いて現れたソレは、チェスの駒である巨大な兵隊ポーンだった。


「うわぁぁぁぁぁっ!!!?」


規格外すぎる駒は、兵士達の叫び声や戸惑い、恐怖心をまとめて踏み潰してしまった。


「.........。」


再び訪れた静寂。
俺の足先には先程の大男の太い腕が横たわっている。肝心の身体はというと、巨大な兵隊ポーンの下…
俺は錆び付いた人形のように、きごちなく首を回し、陛下を見上げた。


「ユリウスが言っていたように、儂の傍が一番安全だっただろう?」


鋭い犬歯を覗かせながらニヤリと笑う陛下に、俺は高速で首を縦に振る。
ごめん!!ユリウス君!!君の言っていたことは正しかったよ!!!陛下の傍、最高!!陛下の傍、万歳!!
頭の中で「だから言ったじゃないですか。」と言って微笑んでいるユリウス君に土下座をした。


「…ほぅ…?」


戦争が落ち着くまで陛下の傍から絶対に離れないと心に誓っていると、ふいに氷柱のように冷たい陛下の声が耳を貫いた。緩んでいた緊張の糸がグッと張り詰め、喉が一気に干上がる。おそるおそる陛下の顔を伺うと、チェス盤に視線を落とした陛下の表情に冷笑が浮かんでいた。
思わずゴクリと生唾を飲み込む。
ノルデン皇帝の威光は俺の祖国、デューデン国にも轟いている。人類を超えた魔力を司る姿は、絶対的な王者の風格と威厳を漂わせ、その姿も相まって大帝国の獅子と噂されていた。
近くで見て、聞いていた噂通りの人だと思った。

ただ一点だけ除いて。

陛下の視線の先を追ってチェス盤を見てみると、黒いクイーンの駒が白いポーンの駒に包囲されている。
これは…


「愚かな選択をしたようだ。」


ポツリとそう言うと陛下は静かに駒を進めた。
その鋭い眼光と犬歯が、まるで獲物に喰らいつく寸前の狼のように見えた。











*****


《帝都外れの離宮にて》


「…あら?」
「皇后様、どうかされましたか?」


寝室の窓に手を添える皇后に、侍女は優しく語りかける。


「何だか外が騒がしかったような気が…。気のせいかしら?」


皇后は不思議そうに首を傾げた。そんな皇后の様子に侍女は一瞬だけ顔を強ばらせたが、すぐに優しい笑みを浮かべた。


「今日は月籠りの日ですからね。それできっと何時もより賑やかなのかもしれません。」
「あぁ、ふふふ…そうね。今年も無事に月籠りの日を迎えられて良かったわ。」


にこりと儚げに微笑む皇后に、侍女は心の中で安堵の息を吐いた。


「そろそろお休みになりましょう。お身体に障ります。」
「そうね、そうしましょう。」


皇后は機嫌よくベッドへと向かい、侍女はカーテンを閉めるために窓際に向かった。侍女がカーテンを閉めようとすると、ちょうど雲に隠れていた月が顔を出し始める。月明かりに照らされ、徐々にあらわとなる庭園を見て、侍女は心底安堵した。

今が夜で良かった。

夜の闇は、真っ赤に染め上げられた庭園を、皇后の目から優しく隠してくれる。

日が昇る前に、庭園を浄化しなければ。

侍女はカーテンを閉め、ベッドに腰掛けた皇后に向かって優しく微笑んだ。


「明日はきっと素敵な年明けになりますよ。」


こうして皇后の平和な夜は、今宵も静かに更けていった。












*****


カールside


「旦那様!領民全員の避難終わりました!」


いつもは侍女の服に身を包んでいる騎士服姿のベルが、馬の上に乗る私の元に駆け寄り、騎士の礼儀である片膝を地面につける姿勢をとった。


「ご苦労さま。1人で大変だっただろう。」
「いえ!途中まで坊ちゃんが手伝ってくれましたから。」
「...そうか。」


領民は南の領土に続く避難路へ誘導した。妻が療養で使っていた屋敷に居るエリザベータは、ユリウスの魔法で隠してある。ユリウスは領民の誘導を手伝ったあと聖女を止める為、殿下と共に大聖堂に乗り込んだ。
先程、悪魔のような翼で空中を滑走する東のオステン兵が皇宮に向かっていたが…まぁ、あの人なら大丈夫だろう。性格アレだが実力は帝国一だ。

各所、私兵を持った貴族が現状を耐えている。
本来ならば、その各所に応援に行くべきなのだが、西の国境付近の領土を治めていたはずのヴェーレグ辺境伯が帝国を裏切り、西のヴェステン国へと寝返ってしまった。
その結果、西側の最後の砦をこの帝都に限りなく近いシューンベルグ公爵家が担うことになったのだ。
…まぁ、あの家の軍事力は年々衰退の一途をたどっていた。辺境伯が裏切っていなくとも、結果は同じだっただろう。

私は手綱をグッと握り締める。
かつて帝国一の軍事力を誇っていヴェーレグ辺境伯の最期が、こんな情けないものになるとは…


「ベル。君も避難しなさい。」
「嫌です。」


キッパリと断られ、私は思わず苦笑いを浮かべた。


「私は侍女の前に民をお守りする騎士です。」
「...。」
「私にも守らせて下さい!」


頭を下げるベルを見て、私はどうしたものかと頭を捻る。彼女は長年、娘の傍に仕えていた侍女であり、密かに護衛をしてくれていた騎士だ。彼女に何かあれば娘は悲しむだろう。そして、彼女はまだ若い。
頭を下げたままの彼女に再び避難するよう指示を出そうとしたその時、隣の馬に乗った家令のブルーノがそっと耳打ちしてきた。


「旦那様。ベルも私達と同じように皇室騎士であった旦那様に惚れ込んで追いかけてきた者です。どうかベルの気持ちも汲んでくださいませ。」
「……。」


ブルーノの言う通り、ここに居る全員は私に惚れたと言って邸の戸を叩いた者ばかりだ。
それが未だに不思議に思う。今も昔も、私の考え方は皆が思う騎士道から逸れていたから。
だからこそ、この場ではっきりとさせておきたい。


「ベル。私はね、模範的な騎士道や名誉心を持っていないんだ。」


かつて田舎の孤児であった私は、金を求めて流れ着くように騎士団に入団した。
名誉や爵位、主君への忠誠なんてものは端からどうでもよくて、ただ生きる為に与えられた任務をただ淡々とこなしていた。


「そんな私が、どうしてここに立っていると思う?」


忠誠心を持たない私が、まるで帝国を守るかのように。


「勿論、家族を守るためです。」


手を胸に当て、顔を上げたベルは、真摯なまなこで私を貫いた。


「旦那様は、今も昔も家族の為に戦ってきました。部下である私たちのことも家族と呼び、ずっと守ってくださいました。そんな旦那様の騎士道にほれ込んで、私たちは追いかけてきたんです。」


ベルは再び頭を下げる。
ベルだけでなく、この場に居る全員が私に頭を下げた。そして


「共に守りましょう。旦那様。」


皆、口を揃えてそう言った。



「…。」


いつからだったろう。
戦いの中で失った仲間の死に、胸が張り裂けるようになったのは。
いつからだったろう。
皆で飲む酒を待ちわびるようになったのは。
いつからだっただろう。
人を守りたいと思うようになったのは。

…レオノーラ…


「…いつの間にか、私は大家族になっていたんだね。」


戦の前だというのに、思わず「はははっ」と笑ってしまった。


「皆、顔を上げてくれ。」


ゆっくりを顔を上げる彼らの顔を、私は一人一人しっかりと見た。
誰もが隠しきれない緊張を滲ませ、きゅっと唇を引き締めている。本音はこの場から逃げ出したいだろう。南に避難した家族の元に向かいたいだろう。なのに、ここに残ってくれた。己の守りたいものの為に。
私は彼らに微笑みかけた。


「すまない、ベル。君の志しを無視してしまうことろだった。私の大勢の家族を一緒に守ってくれるかい?」
「ーっ、はいっ!」


胸に手を当て、元気に返事をする彼女は、立派な騎士だった。


「旦那様!西の方角より、ヴェステン兵がこちらに向かってきています!」


小型の望遠鏡を覗き込むブルーノが大声を上げた。その声に、総員の緊張がピリッと走る。
目を凝らしブルーノの視線の先を追うと、ヴェステン国旗を掲げた大勢の兵士が馬に乗って走ってくるのが見えた。
彼らは高い戦闘力を誇る獣人だ。かつて領土拡大に力を入れていた女帝エリザベータさえも、西の国を陥落することはできなかった。

身内だけを愛し、余所者には牙を剥く難攻不落の獣人の国。

そんな彼らに、あの聖女は一体どんな言葉を囁き、この戦場に招いたのだろうか。

私はゆっくりと深呼吸をした後、手綱を引いた。
馬の咆哮が領土に響き渡る。
それが出陣の合図だ。


「さぁ、みんな!配置についてくれ!!」


私の声に、みな一斉に動いた。先程まで肩膝を地面につけていたベルも待機していた馬に軽やかに飛び乗り、手綱を引いた。


「ヴェステン人にシューンベルグ家の最高のおもてなしを見せてやろう!!!」


士気を鼓舞し、私は先頭を走り始めた。
積雪の上で、ぐんぐんと加速する冷たい冬の風。キラキラと舞い上がる雪の粒。そして、私を信じてついてくる背後の馬の足音。
まるで、昔に戻ったみたいだ。
けれど、昔と違って”貴女”は居ない。

あの時、貴女は私に言った。「死んだら許さない。」と。
何者でもなかった私に怒りながらそう言ってくれた貴女はもう居ないけれど、その言葉は今も私の中で生きている。

守ろう。あの言葉を。
守ろう。私の家族を。

守ってみせよう。
あの子たちが帰る場所を。

私が守りたいものは、あの頃から何も変わっていない。


「西の民よ!シューンベルグの地へ良くぞ参られた!!」


私は鞘から剣を引き抜き、構えた。


「大いに歓迎しよう!!」


守るべきものがある限り、私の心は決して折れない。

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