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第10章「奈落の告白」
194話
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カールside
騎士と獣の雄叫び。
激しく交わる剣と剣。
雪面に飛び散る血飛沫。
淡い月明かりに照らさせた戦場は、噎せ返るような血の匂いで満ちていた。
私は血塗られた剣を振りかざし、力強い雄叫びとともに全速力で馬を走らせる。
迎え撃つは相手軍の大将。
遠目から見ても分かる程の大男の頭上には、黒くて丸い二つの耳が生えている。
熊の獣人だろうか。
赤く染まった銀色の鎧を身に纏うその男は、筋骨隆々な黒い馬にまたがり、私目掛けて一直線に迫ってくる。
身を乗り出し狙うのは互いの首。
全速力ですれ違ったその瞬間、振るった刃が激しく交わった。
鈍い金属音と共に手がじんと痺れる。
巨体に似合わぬ素早い剣さばきと、人間をはるかに凌駕する腕力。
素晴らしい。
まともに受けていたら、私の腕など容易く粉砕するだろう。
大男の剣を受け流した私は素早く手綱を引き、馬の方向を修正した。
「次で決めるぞ、覇王号。」
雪上で私の愛馬に勝てる者など居ない。
雪のように白い愛馬の腹を踵で蹴ると、前足を高く上げた覇王号は私の気持ちに応えるかのように気高く嘶き、雪面を蹴だした。歩みを拒む雪をものともせず、覇王号は雪粒を舞い上げながら勇ましく駆け抜ける。
僅かに遅れたが熊の獣人も体勢を整え、再び私目掛けて突進してきた。
額にあたる冷たい風が、はやる気持ちを押さえつける。
タイミングを見極めろ…!!
先程よりも早い速度で馬同士がすれ違った瞬間、鈍い金属音が戦場に響き渡った。
血しぶきが舞い、赤く染まった雪面に一本の剣が突き刺さる。
そして、やや遅れて首のない屈強な身体が馬上からずるりと雪面へ落下した。
勝利の女神は私に微笑んだのだ。
だが女神といえど、女性という生き物は秋の空模様のように移ろいやすい。
その証拠に、覇王号が突然激しく嘶き、私を馬上から振り落とした。
背中を雪面に叩きつけられ、剣が手から飛び、一瞬息が止まる。
何事かと見上げて、私は目を見開いた。
なんと、宙を飛んでいたはずの獣人の頭が、覇王号の首に噛みついていたのだ。
思わず口角が吊り上がる。
死してなお牙をむくとは。敵ながら見事だ。
だが戦場では賞賛を贈る暇などない。どこからともなく別の獣人が飛び掛かってきたからだ。
私は雪を掴み、獣人の顔面にぶつけた。
怯んだ獣人の腹を蹴り、素早く起き上がった私はブーツの中に隠していた短剣を抜き、激しく切りつけた。
相手に攻撃の隙を与えてはならない。力だけでは押し負けてしまう。
一人倒し、二人、三人と切りつける。
移ろいやすい月明かりの下、敵の動きを正確に追うのは難しい。だが、幼い頃から戦場で培ってきた勘と経験が攻撃のタイミングを教えてくれている。加えて、ヴェステン兵は雪上戦に慣れていない。
高い戦闘力を有する獣人といえど、足を取られては堪らないだろう。
冷たい空気を吸い込むと、頭がキンと冷え、感覚が研ぎ澄まされる。
四人、五人、六人…。突進してきた獣人を背負い投げし、心臓に短剣を突き刺す。その獣人の剣を奪い、襲い掛かる獣人を切りつける。七人、八人、九人…十人。どんどん数は増え、私は複数の獣人に囲まれてしまった。
彼らは雄叫びを上げながら一斉に切りかかる。
私は助走をつけて飛び上がり、目の前に居た獣人の肩を踏み台にして攻撃を躱した。
二組が相打ちになったのを確認した私は、剣を翻し、別の獣人の顔面を叩き切った。
両手で傷口を押さえ、もがき苦しむ獣人に、すぐさまとどめを刺そうとしたその時、背後に迫る殺気を感じた。ハッとして後ろを振り返ると、そこには私を見下ろす大男が、これまた巨大な剣を上段から振り落とそうとしていた。
まるで心臓に氷水を注がれたような感覚に襲われる。
本能的な死への恐怖。だがそれが何だというのだ。
私は恐怖を薙ぎ払い、大男の重い一撃を剣で受け止めた。
辺りに鈍い金属音が響き、生まれた突風が粒雪が舞いあげる。相変わらず、惚れ惚れする腕力だ。
歯を食いしばって耐えるが、足がどんどん雪面に埋まってゆき、身体の中では筋肉や血管、神経などがブチブチと悲鳴を上げている。
私の身体と、このひびが入ってしまった剣。果たして、どちらが先にくたばるだろうか。いや。どんなに不利な戦いでも、生きている限り必ず勝算はあるはずだ。
その証拠に、私の耳にはドドンドドンッと聞き慣れた勝算の地響きが届いていた。私は目を見開く。大男の背後の遥か彼方から、尾と鬣を風に靡かせ雪を蹴散らし戦場を駆け抜ける一匹の白い奔馬が現れたのだ。
私の愛馬、覇王号!!
「うおおおおおおお!!!」
雄叫びを上げた私は最後の力を振り絞り、大男の剣を押しのけ、顔面を切りつけた。その際、ひびが入っていた剣が真っ二つに折れる。なんと屈強な。そのせいで大男に与えた傷は浅い。
忌々しそうにぐるると呻き声を上げた大男は、再び私を切りつけようと剣を豪快に振り落とす。だがそれより早く、跳躍した覇王号の蹄が大男の頭を捉えた。覇王号は勇ましく嘶き、大男の頭を地響きを立てて雪面に沈めた。
馬が飛超え後に着地する際、前足にかかる負担はおよそ2トン。
覇王号の蹄の下は、まるで大釜で煮詰めていた苺を雪上にぶちまけてしまったかのように、赤黒く染まっていた。
「旦那様ー!!」
覇王号の後を追ってきたのか、馬に乗ったブルーノとベルが周辺を敵を薙ぎ払いながら駆け寄ってきた。二人とも頬や騎士服に赤い染みが滲んでいるが、巧みな手綱さばきを見る限り彼らのものではないようだ。
次々と味方を葬っていく二人の姿に恐れをなしたのか、複数の獣人が獣に姿を変え、西の方角へ駆けて行った。
ブルーノとベルは逃げ出した獣人を後追いせず、心配顔で私の元にやってくる。
「ご無事ですか?」
そう言うブルーノに私は笑みを向けた。
「ご覧の通り無事さ。来てくれてありがとう。おかげで助かったよ。」
私の言葉に二人はほっと胸をなでおろす。
「覇王号も助けてくれてありがとう。傷は大丈夫かい?」
覇王号の首には熊の獣人にやられた噛み跡が痛々しく残っている。この傷を負いながら覇王号はブルーノ達を呼びに行ってくれていたのだろう。覇王号が居なかったら、今ごろ私は冷たい雪の上。
覇王号の白い首をそっと撫でると、覇王号は「問題ない」と言っているかのように気高く鼻を鳴らした。
流石は国士無双の覇王号だ。何とも頼もしい。
「そっちの戦況はどうだい?」
「…。」
深く俯くベルの代わりに、ブルーノが防衛戦の報告を行う。
「旦那様が敵兵を分散して下さったおかげで、領地防衛は成功です。…ですが、被害は想定をはるかに超えています。」
手綱を握る手をぐっと力を込めるベルを見て、事態の深刻さを察した。
このまま膝をついて泣き叫びたくなる気持ちをぐっと堪え、私は覇王号に飛び乗った。
「一度体制を整えよう。逃げたヴェステン兵が援軍を引き連れて戻ってくる可能性がある。その前に怪我人を救助するんだ。」
「はい!」
「だ、旦那様!あれを見てください!」
突然、ベルが鋭い声を上げた。その声にハッとし、ベルが指差す方角を見て、私は目を見開いた。
西の彼方から、逃げ出したはずの獣が数千の援軍を引き連れて戻ってきたのだ。
淡い月の下、粒雪を蹴散らしながら迫りくるヴェステン兵を見て全身が総毛立つ。これはマズイ。
「ブルーノ、ベル。今すぐこのことを皆に伝えるんだ。」
「いえ!私もここに…」
「ブルーノ。指揮を任せられるのは君しかいない。」
「旦那様…」
「ベルを連れて早く行くんだ。」
迷いに揺れるブルーノの瞳に、決意の光が帯びる。
「かしこまりました。ベル、行きましょう。」
「駄目です。旦那様を一人残していくなんて出来ません。」
「ベル。」
「旦那様にもしものことがあれば、お嬢様や坊ちゃんが悲しみます。」
「貴女にも同じことが言えますよ。」
「…。」
「貴女に任せたいことが山ほどあるんです。」
ブルーノの真摯な眼差しと言葉に唇を強く噛み締めたベルは、鞘から剣を抜き、その剣を私に差し出した。
「危なくなったら迷わず逃げてください。雪上で覇王号の足に勝てる者はいません。」
「心得た。」
ベルの剣を受け取り、しばし空席だった鞘に剣を納めた。やはり、ここに重みがあった方がしっくりくる。
「さぁ、行きなさい。」
ブルーノとベルは深く頷き、仲間の元へと馬を走らせた。
私は覇王号の向きを整え、迫りくるヴェステン兵と向き合う。そして、迫りくる敵を前にしても悠然と佇む覇王に「まだ戦えそうかい?」と尋ねた。すると、やはり。覇王号は問題ないと鼻を鳴らした。思わず口元に笑みがこぼれる。この子は仔馬の時から変わらないな。妻が生まれたばかりのこの子に覇王号と名付けた時は、彼女のネーミングセンスを疑ったが、今ではこの名前以上に相応しい名など思い浮かばない。
私は鞘から剣を抜き、構えた。
「お前となら何処へでも行けそうだよ、覇王号。」
ヴェステン兵との距離、およそ1キロメートル、800メートル、500メートル…
私は覇王号を走らせようと踵を振り上げたーーーーその時。
「第一列部隊、構え!!」
凛々しい婦人の声が、はるか後方より飛んできた。
その声に驚いた私は後ろを振り向き、ハッと息を呑む。
後方のやや南側の方角に、白い軍服を身に纏った約数万の兵が列をなしてずらりと並んでいたのだ。
一体何が起きているんだろうか。
一番前の列に並ぶ者は皆一様に雪面に片膝をついて、肩に抱えた棒のようなものの先端をヴェステン兵に向けている。
「火蓋を切れ!!」
再び、凛々しくそして若々しい声が上がった。
視界がはっきりしない月明かりの元、目を凝らすと列の後方に、白馬に跨る一人の婦人の姿が見えた。その婦人は金があしらわれた豪奢な白い軍服に身を包んでおり、一目で位が高い者であることが分かった。
婦人は腰に引っ掛けていたサーベルを天に掲げたのち、ヴェステン兵に向かって勢いよく振り落とした。
「放てーーー!!!」
婦人がそう叫んだ瞬間、耳を劈くような爆発音が響いたとともに、兵士が肩に抱えていた棒の先端から何かが一斉に発射された。それは恐ろしいほど速く、目で追うことは不可能であった。あっと思った次の瞬間には、大群で迫っていたはずのヴェステン兵の過半数が、鮮血を噴き出しながら雪上に崩れ落ちていた。
私は眼前の光景に言葉を失った。あれほど脅威だったヴェステン兵が、こんなにも簡単に倒れていくなんて。
叫び声と爆発音が行き合う戦場で半ば呆然としている私の元に、先程の凛々しい声の持ち主である婦人が馬に乗ったまま駆け寄ってきた。馬上で婦人が跳ねるたび、後頭部で無造作にくくられた豊かに波打つ赤髪が、烈火の炎の如き揺れている。
年の頃は二十そこそこだろうか。意思が強そうな切れ長のスカイグレイ色の目とくっきりとした眉。そして太陽に愛された小麦色の肌。まるで戦乙女を思わせる凛々しい雰囲気の女性だ。
「遅くなってすまない。慣れない雪道に時間がかかってしまった。」
私の前に馬を停めた婦人は凛とした声で謝罪を述べたのち、強気な笑みを浮かべ、ピシッと敬礼した。
「お初にお目にかかる。私は海軍大尉、アドリア=レシーナ=デューデン。デューデン国を代表し、貴殿らの助太刀に参った。」
婦人…いや、大尉の言葉に目を剥く。
ビアンカが一応同盟を結んでいるデューデン国へ援軍を頼みに行くという話しは聞いていたが、まさかデューデン国の大物が直々に出向いてくれるとは。
彼女の噂は国境を越え、私の耳まで度々届いていた。
アドリア=レシーナ=デューデン大尉。
海軍提督閣下の孫であり、デューデン国第二王女でもある彼女は、入隊してまもなく参加した海上戦で鬼神の如き強さを見せつけ、若干19歳で現在の地位に上り詰めた。
異例の出世の速さから最初こそは七光りだとか言われていたが、小隊の指揮を見事に勤め上げるだけでなく、単身で悪名高き海賊船に乗り込み敵を殲滅させ大将の血塗られた生首を持ち帰ったなど輝かしい功績を納めた彼女の実力を誰もが認めざるを得なかった。
そんな大尉に気付かなかったとはいえ、今の私は無礼極まりない。すぐさま覇王号の上から降り、剣を雪面に置いた私は片手を胸に当て片膝をつき、深々と頭を垂れた。
「挨拶が遅れてしまい申し訳ありません、大尉殿。私はこのシューンベルグの地を治めてるカール=アシェンーーー」
「やはり貴殿があのカール殿であったか!」
話を遮った大尉は白馬から軽やかに飛び降り、雪面に片膝をつき、私の右手を両手で握った。
「顔を上げてくれ。そんなにかしこまらなくてもよい。私は貴殿のファンなんだ。」
「ファン…?」
「そうだとも!」
ポカンとする私をグイッと力ずよく立たせた大尉は、興奮したようにイキイキと話し始めた。
「お会いできて光栄だ、カール殿。何を隠そう、私は貴殿が登場する戦記を読みながら育ったんだ!特にノルデン歴653年から654年のゾンマーの戦いは素晴らしかった。あの大胆ながらも緻密に計算された戦術は我小隊の基盤にもなっている。今回、ベック卿が持って来た援軍の件も尊敬する貴殿の為ならばと思い私が志願したのだ!なぁに、心配する必要などない。わがデューデン人は陸上最弱の魚人ではあるが、今や武器大国だ。特に、我小隊では最新の武器を取り揃えている。あの最強の戦闘力を誇るヴェステン人にだって引けを取らないさ。」
大尉の熱量に気圧されつつ、私は横目で戦上を見た。
引けを取らない、だなんて。そんな表現では生易しい。
デューデン兵の最新の武器を前に、ヴェステン兵は手も足も近寄ることさえできず、雪面に沈んでいく。
恐ろしささえ感じるほどの圧倒的な力の差だ。
慣れない火薬の匂いに、鼻先を密かに擦る。
「あの武器についてお聞きしても宜しいでしょうか。」
「勿論だとも。」
「うむ」と頷いた大尉は、デューデン兵が持っているモノと同じ武器を背中から下ろし私に見せた。
…なるほど、矢筒のように背中に背負えるようにもなっているのか。近くで見ると思っていたよりも長いな。150㎝ぐらいはあるだろうか。長細い茶色のボディに、銀の細やかな装飾が施されている。
「これはマスケット銃と呼ばれているものだ。」
「マスケット銃…。初めてお聞きしました。」
「そうであろう。捕らえた海賊の押収品としてデューデン国に入ってきたのも、半年ぐらい前でつい最近だ。」
大尉は両手でマスケット銃を構え、その銃口をヴェステン兵に向けた。
「中に詰めた火薬に火を付けこの引き金を引きと、鉛玉が発射される仕組みだ。威力は御覧の通り。」
そう言って引き金を引く仕草を見せた大尉は、私を見上げニカッと笑った。
「美しいだろう?」
「…。」
確かに美しい武器だと思う。無骨さがなく、洗練されている。
けれど、火薬のせいなのか、どうも受け入れがたい。
これが俗にいうジェネレーションギャップか?
同意せず口を閉じる私に、大尉は気を悪くした様子はない。きっと同意など最初から求めていないのだろう。
大尉はお気に入りの玩具を紹介する子供のように、スカイグレイ色の瞳を輝かせながら無邪気にしゃべり続けた。
「こやつの凄い所は射程距離だ。最高300m先まで弾を飛ばすことができる。だが残念なことに命中率が悪くてな。50mを超えてしまうと、どこに弾が当たるかは神のみぞ知る。その上、装填できる弾はたった一つで、更には準備にも時間がかかる。そんな弱点をカバーし、こやつの威力を最大限に発揮できる戦術が我小隊が現在進行形で行っている一斉射撃だ。」
誇らしげに大尉は胸を張った。その姿が娘と重なり、思わず口元が緩む。
「弾数が増えれば必然的に命中率があがる。更に小隊を三つに分けたことによって攻撃ができない時間を他の部隊がカバーすることができる、ということですか。流石ですね、大尉殿。」
「この短期間でそこまで理解した貴殿こそ流石だ。これなら話が早い。」
「…?」
マスケット銃を背負い直した大尉は、懐から何かを取り出し、それを私に差し出した。
「これは?」
「友好の証だ。受け取ってくれ。」
そう言いながらも、大尉は有無を言わせぬ勢いで、それを私の胸に押し付けた。
「マスケット銃を近距離用に改良した小銃だ。威力は劣るが、腕さえあれば脳天を貫くことだって可能さ。」
私は受け取った小銃を手の平に乗せた。色合いはマスケット銃と同じ茶色のボディに銀色の装飾。手の平より一回り大きくて、ずっしりと重い。
これが、まるで魔法のように、指先一つで人の命を奪ってしまえる武器なのか。
…そう思った刹那、手が微かに震えた。
「カール殿。私は、これらの武器をゆくゆくは自国で製造したいと思っている。」
野心に満ちたスカイグレイ色の瞳が私を貫く。
…なるほど。
彼女が援軍の件を引き受けた本当の理由はこれか。
「先程は武器大国などと大口を叩いたが、所有する武器のほとんどが輸入品だ。その理由が、わが国の圧倒的資源不足。武器製造にまわせるほど潤沢ではないがゆえに、武器の改良が長らく滞っていた。そんな折に、舞い込んできたのがベック卿が持って来た黄金のチケットさ!!」
黄金のチケット…。
誇大された表現に思わず苦笑いする。
私が援軍をお願いする代わりに差し出したのは、何の変哲もない、ただの雪山の所有権だ。
そんな私の様子に気付いた大尉は、茶目っ気たっぷりに目を細めた。
「ノルデン人は分かっていない。山や雪の下に何があるのかを。」
「一体何があるんです?」
「ここで全てを教えてしまったらつまらないだろう。ただ一つ言えることは…」
その時だ。
戦場に響いていた叫び声や銃声がぴたりと鳴り止んだ。
ハッとし、私は戦場を見て目を瞠った。
赤く染まった雪面に、約数千人のヴェステン兵が倒れている。立っているヴェステン兵は誰一人存在しない。
これが…戦争?
いや、違う。今までのと明らかに違う。
これは…
「カール殿。」
呆然とする私の背中に大尉が凛とした声がかかる。
ゆっくりと振り返ると、野心に燃えるスカイグレイ色の瞳と目が合った。
「これからノルデン帝国は大陸中が…いや。世界中が無視できない程の資源大国になるぞ。」
「…。」
「旦那様ーーー!!!」
半ば放心状態の私の元に、馬に乗ったブルーノがベルを含めた十数人ほどの騎士を引き連れて戻ってきた。
馬を停めた彼らは惨状に気付き、青ざめた表情で鮮血の海を見下ろした。そして、口々に呟く。その断片的な単語が私の耳に届いた。「惨い…」「一方的な…」「恐ろしい…」「これではまるで…」
「旦那様、これは一体…」
青ざめた表情で尋ねてきたブルーノに、私は力なく笑った。
「時代が変わったんだよ、ブルーノ。」
魔法や剣の時代から、火薬と硝煙の時代に。
「それはどういう…」
「その通りだカール殿!我々は変わりゆく世界に柔軟に対応していかなければならない!」
ブルーノの声を遮ったご機嫌な大尉は満面の笑みを浮かべ、炎のような髪を揺らした。そんな大尉の元に、東の方角から白い軍服に身を包んだデューデン兵が馬に乗ってやってきた。彼は馬から降り、大尉に耳打ちする。すると大尉はニヤリと笑った。
「カール殿、朗報だ。だった今、各戦地鎮圧に成功したという知らせが入った。各地デューデン兵は負傷兵の治療にあたっている。わが小隊も負傷兵の治療にあたろう。」
その言葉にブルーノ達から安堵の息がもれた。
デューデン兵が戦地に到着したのはつい先ほどだ。こんな短時間で西と東の兵を鎮圧してしまうなんて。
「なんとお礼を申し上げてよいやら…」
大尉に私は深く深く頭を下げた。
「頭を上げてくれ、カール殿。今は負傷兵のことだけを考えて欲しい。」
そう言って大尉は私の肩に軽く手を置いのち、傍らで大人しくしていた白馬に飛び乗った。
「あぁ、そうだ。カール殿。ノルデン人は魚介類はお好きかね?」
「え?えぇ、まぁ…」
「それは良かった。では腕によりをかけてデューデン料理を作ろう。楽しみにしててくれ。」
そう言い残した大尉は手綱を引き、待機しているデューデン兵のもとへ駆け戻った。
「私たちも皆の治療にあたろう。」
「はい、旦那様」
私は覇王号に飛び乗り、深く息を吸い込んだ。
慣れ親しん冬の寒さに硝煙と火薬の匂いが混じっている。
人間は慣れる生き物だ。
いつかきっと、この匂いに慣れてしまう日が訪れるだろう。
その時の私は、私のままでいられているだろうか。
私の中で得体の知れない不安が膨らんでいくのを感じる。
……いや。今は先のことなんかより、負傷した仲間だ。
私はブルーノ達と共に仲間の元へ駆け戻った。
あぁ、そろそろ夜明けだ。
無事に帰っておいで、子供たち。
騎士と獣の雄叫び。
激しく交わる剣と剣。
雪面に飛び散る血飛沫。
淡い月明かりに照らさせた戦場は、噎せ返るような血の匂いで満ちていた。
私は血塗られた剣を振りかざし、力強い雄叫びとともに全速力で馬を走らせる。
迎え撃つは相手軍の大将。
遠目から見ても分かる程の大男の頭上には、黒くて丸い二つの耳が生えている。
熊の獣人だろうか。
赤く染まった銀色の鎧を身に纏うその男は、筋骨隆々な黒い馬にまたがり、私目掛けて一直線に迫ってくる。
身を乗り出し狙うのは互いの首。
全速力ですれ違ったその瞬間、振るった刃が激しく交わった。
鈍い金属音と共に手がじんと痺れる。
巨体に似合わぬ素早い剣さばきと、人間をはるかに凌駕する腕力。
素晴らしい。
まともに受けていたら、私の腕など容易く粉砕するだろう。
大男の剣を受け流した私は素早く手綱を引き、馬の方向を修正した。
「次で決めるぞ、覇王号。」
雪上で私の愛馬に勝てる者など居ない。
雪のように白い愛馬の腹を踵で蹴ると、前足を高く上げた覇王号は私の気持ちに応えるかのように気高く嘶き、雪面を蹴だした。歩みを拒む雪をものともせず、覇王号は雪粒を舞い上げながら勇ましく駆け抜ける。
僅かに遅れたが熊の獣人も体勢を整え、再び私目掛けて突進してきた。
額にあたる冷たい風が、はやる気持ちを押さえつける。
タイミングを見極めろ…!!
先程よりも早い速度で馬同士がすれ違った瞬間、鈍い金属音が戦場に響き渡った。
血しぶきが舞い、赤く染まった雪面に一本の剣が突き刺さる。
そして、やや遅れて首のない屈強な身体が馬上からずるりと雪面へ落下した。
勝利の女神は私に微笑んだのだ。
だが女神といえど、女性という生き物は秋の空模様のように移ろいやすい。
その証拠に、覇王号が突然激しく嘶き、私を馬上から振り落とした。
背中を雪面に叩きつけられ、剣が手から飛び、一瞬息が止まる。
何事かと見上げて、私は目を見開いた。
なんと、宙を飛んでいたはずの獣人の頭が、覇王号の首に噛みついていたのだ。
思わず口角が吊り上がる。
死してなお牙をむくとは。敵ながら見事だ。
だが戦場では賞賛を贈る暇などない。どこからともなく別の獣人が飛び掛かってきたからだ。
私は雪を掴み、獣人の顔面にぶつけた。
怯んだ獣人の腹を蹴り、素早く起き上がった私はブーツの中に隠していた短剣を抜き、激しく切りつけた。
相手に攻撃の隙を与えてはならない。力だけでは押し負けてしまう。
一人倒し、二人、三人と切りつける。
移ろいやすい月明かりの下、敵の動きを正確に追うのは難しい。だが、幼い頃から戦場で培ってきた勘と経験が攻撃のタイミングを教えてくれている。加えて、ヴェステン兵は雪上戦に慣れていない。
高い戦闘力を有する獣人といえど、足を取られては堪らないだろう。
冷たい空気を吸い込むと、頭がキンと冷え、感覚が研ぎ澄まされる。
四人、五人、六人…。突進してきた獣人を背負い投げし、心臓に短剣を突き刺す。その獣人の剣を奪い、襲い掛かる獣人を切りつける。七人、八人、九人…十人。どんどん数は増え、私は複数の獣人に囲まれてしまった。
彼らは雄叫びを上げながら一斉に切りかかる。
私は助走をつけて飛び上がり、目の前に居た獣人の肩を踏み台にして攻撃を躱した。
二組が相打ちになったのを確認した私は、剣を翻し、別の獣人の顔面を叩き切った。
両手で傷口を押さえ、もがき苦しむ獣人に、すぐさまとどめを刺そうとしたその時、背後に迫る殺気を感じた。ハッとして後ろを振り返ると、そこには私を見下ろす大男が、これまた巨大な剣を上段から振り落とそうとしていた。
まるで心臓に氷水を注がれたような感覚に襲われる。
本能的な死への恐怖。だがそれが何だというのだ。
私は恐怖を薙ぎ払い、大男の重い一撃を剣で受け止めた。
辺りに鈍い金属音が響き、生まれた突風が粒雪が舞いあげる。相変わらず、惚れ惚れする腕力だ。
歯を食いしばって耐えるが、足がどんどん雪面に埋まってゆき、身体の中では筋肉や血管、神経などがブチブチと悲鳴を上げている。
私の身体と、このひびが入ってしまった剣。果たして、どちらが先にくたばるだろうか。いや。どんなに不利な戦いでも、生きている限り必ず勝算はあるはずだ。
その証拠に、私の耳にはドドンドドンッと聞き慣れた勝算の地響きが届いていた。私は目を見開く。大男の背後の遥か彼方から、尾と鬣を風に靡かせ雪を蹴散らし戦場を駆け抜ける一匹の白い奔馬が現れたのだ。
私の愛馬、覇王号!!
「うおおおおおおお!!!」
雄叫びを上げた私は最後の力を振り絞り、大男の剣を押しのけ、顔面を切りつけた。その際、ひびが入っていた剣が真っ二つに折れる。なんと屈強な。そのせいで大男に与えた傷は浅い。
忌々しそうにぐるると呻き声を上げた大男は、再び私を切りつけようと剣を豪快に振り落とす。だがそれより早く、跳躍した覇王号の蹄が大男の頭を捉えた。覇王号は勇ましく嘶き、大男の頭を地響きを立てて雪面に沈めた。
馬が飛超え後に着地する際、前足にかかる負担はおよそ2トン。
覇王号の蹄の下は、まるで大釜で煮詰めていた苺を雪上にぶちまけてしまったかのように、赤黒く染まっていた。
「旦那様ー!!」
覇王号の後を追ってきたのか、馬に乗ったブルーノとベルが周辺を敵を薙ぎ払いながら駆け寄ってきた。二人とも頬や騎士服に赤い染みが滲んでいるが、巧みな手綱さばきを見る限り彼らのものではないようだ。
次々と味方を葬っていく二人の姿に恐れをなしたのか、複数の獣人が獣に姿を変え、西の方角へ駆けて行った。
ブルーノとベルは逃げ出した獣人を後追いせず、心配顔で私の元にやってくる。
「ご無事ですか?」
そう言うブルーノに私は笑みを向けた。
「ご覧の通り無事さ。来てくれてありがとう。おかげで助かったよ。」
私の言葉に二人はほっと胸をなでおろす。
「覇王号も助けてくれてありがとう。傷は大丈夫かい?」
覇王号の首には熊の獣人にやられた噛み跡が痛々しく残っている。この傷を負いながら覇王号はブルーノ達を呼びに行ってくれていたのだろう。覇王号が居なかったら、今ごろ私は冷たい雪の上。
覇王号の白い首をそっと撫でると、覇王号は「問題ない」と言っているかのように気高く鼻を鳴らした。
流石は国士無双の覇王号だ。何とも頼もしい。
「そっちの戦況はどうだい?」
「…。」
深く俯くベルの代わりに、ブルーノが防衛戦の報告を行う。
「旦那様が敵兵を分散して下さったおかげで、領地防衛は成功です。…ですが、被害は想定をはるかに超えています。」
手綱を握る手をぐっと力を込めるベルを見て、事態の深刻さを察した。
このまま膝をついて泣き叫びたくなる気持ちをぐっと堪え、私は覇王号に飛び乗った。
「一度体制を整えよう。逃げたヴェステン兵が援軍を引き連れて戻ってくる可能性がある。その前に怪我人を救助するんだ。」
「はい!」
「だ、旦那様!あれを見てください!」
突然、ベルが鋭い声を上げた。その声にハッとし、ベルが指差す方角を見て、私は目を見開いた。
西の彼方から、逃げ出したはずの獣が数千の援軍を引き連れて戻ってきたのだ。
淡い月の下、粒雪を蹴散らしながら迫りくるヴェステン兵を見て全身が総毛立つ。これはマズイ。
「ブルーノ、ベル。今すぐこのことを皆に伝えるんだ。」
「いえ!私もここに…」
「ブルーノ。指揮を任せられるのは君しかいない。」
「旦那様…」
「ベルを連れて早く行くんだ。」
迷いに揺れるブルーノの瞳に、決意の光が帯びる。
「かしこまりました。ベル、行きましょう。」
「駄目です。旦那様を一人残していくなんて出来ません。」
「ベル。」
「旦那様にもしものことがあれば、お嬢様や坊ちゃんが悲しみます。」
「貴女にも同じことが言えますよ。」
「…。」
「貴女に任せたいことが山ほどあるんです。」
ブルーノの真摯な眼差しと言葉に唇を強く噛み締めたベルは、鞘から剣を抜き、その剣を私に差し出した。
「危なくなったら迷わず逃げてください。雪上で覇王号の足に勝てる者はいません。」
「心得た。」
ベルの剣を受け取り、しばし空席だった鞘に剣を納めた。やはり、ここに重みがあった方がしっくりくる。
「さぁ、行きなさい。」
ブルーノとベルは深く頷き、仲間の元へと馬を走らせた。
私は覇王号の向きを整え、迫りくるヴェステン兵と向き合う。そして、迫りくる敵を前にしても悠然と佇む覇王に「まだ戦えそうかい?」と尋ねた。すると、やはり。覇王号は問題ないと鼻を鳴らした。思わず口元に笑みがこぼれる。この子は仔馬の時から変わらないな。妻が生まれたばかりのこの子に覇王号と名付けた時は、彼女のネーミングセンスを疑ったが、今ではこの名前以上に相応しい名など思い浮かばない。
私は鞘から剣を抜き、構えた。
「お前となら何処へでも行けそうだよ、覇王号。」
ヴェステン兵との距離、およそ1キロメートル、800メートル、500メートル…
私は覇王号を走らせようと踵を振り上げたーーーーその時。
「第一列部隊、構え!!」
凛々しい婦人の声が、はるか後方より飛んできた。
その声に驚いた私は後ろを振り向き、ハッと息を呑む。
後方のやや南側の方角に、白い軍服を身に纏った約数万の兵が列をなしてずらりと並んでいたのだ。
一体何が起きているんだろうか。
一番前の列に並ぶ者は皆一様に雪面に片膝をついて、肩に抱えた棒のようなものの先端をヴェステン兵に向けている。
「火蓋を切れ!!」
再び、凛々しくそして若々しい声が上がった。
視界がはっきりしない月明かりの元、目を凝らすと列の後方に、白馬に跨る一人の婦人の姿が見えた。その婦人は金があしらわれた豪奢な白い軍服に身を包んでおり、一目で位が高い者であることが分かった。
婦人は腰に引っ掛けていたサーベルを天に掲げたのち、ヴェステン兵に向かって勢いよく振り落とした。
「放てーーー!!!」
婦人がそう叫んだ瞬間、耳を劈くような爆発音が響いたとともに、兵士が肩に抱えていた棒の先端から何かが一斉に発射された。それは恐ろしいほど速く、目で追うことは不可能であった。あっと思った次の瞬間には、大群で迫っていたはずのヴェステン兵の過半数が、鮮血を噴き出しながら雪上に崩れ落ちていた。
私は眼前の光景に言葉を失った。あれほど脅威だったヴェステン兵が、こんなにも簡単に倒れていくなんて。
叫び声と爆発音が行き合う戦場で半ば呆然としている私の元に、先程の凛々しい声の持ち主である婦人が馬に乗ったまま駆け寄ってきた。馬上で婦人が跳ねるたび、後頭部で無造作にくくられた豊かに波打つ赤髪が、烈火の炎の如き揺れている。
年の頃は二十そこそこだろうか。意思が強そうな切れ長のスカイグレイ色の目とくっきりとした眉。そして太陽に愛された小麦色の肌。まるで戦乙女を思わせる凛々しい雰囲気の女性だ。
「遅くなってすまない。慣れない雪道に時間がかかってしまった。」
私の前に馬を停めた婦人は凛とした声で謝罪を述べたのち、強気な笑みを浮かべ、ピシッと敬礼した。
「お初にお目にかかる。私は海軍大尉、アドリア=レシーナ=デューデン。デューデン国を代表し、貴殿らの助太刀に参った。」
婦人…いや、大尉の言葉に目を剥く。
ビアンカが一応同盟を結んでいるデューデン国へ援軍を頼みに行くという話しは聞いていたが、まさかデューデン国の大物が直々に出向いてくれるとは。
彼女の噂は国境を越え、私の耳まで度々届いていた。
アドリア=レシーナ=デューデン大尉。
海軍提督閣下の孫であり、デューデン国第二王女でもある彼女は、入隊してまもなく参加した海上戦で鬼神の如き強さを見せつけ、若干19歳で現在の地位に上り詰めた。
異例の出世の速さから最初こそは七光りだとか言われていたが、小隊の指揮を見事に勤め上げるだけでなく、単身で悪名高き海賊船に乗り込み敵を殲滅させ大将の血塗られた生首を持ち帰ったなど輝かしい功績を納めた彼女の実力を誰もが認めざるを得なかった。
そんな大尉に気付かなかったとはいえ、今の私は無礼極まりない。すぐさま覇王号の上から降り、剣を雪面に置いた私は片手を胸に当て片膝をつき、深々と頭を垂れた。
「挨拶が遅れてしまい申し訳ありません、大尉殿。私はこのシューンベルグの地を治めてるカール=アシェンーーー」
「やはり貴殿があのカール殿であったか!」
話を遮った大尉は白馬から軽やかに飛び降り、雪面に片膝をつき、私の右手を両手で握った。
「顔を上げてくれ。そんなにかしこまらなくてもよい。私は貴殿のファンなんだ。」
「ファン…?」
「そうだとも!」
ポカンとする私をグイッと力ずよく立たせた大尉は、興奮したようにイキイキと話し始めた。
「お会いできて光栄だ、カール殿。何を隠そう、私は貴殿が登場する戦記を読みながら育ったんだ!特にノルデン歴653年から654年のゾンマーの戦いは素晴らしかった。あの大胆ながらも緻密に計算された戦術は我小隊の基盤にもなっている。今回、ベック卿が持って来た援軍の件も尊敬する貴殿の為ならばと思い私が志願したのだ!なぁに、心配する必要などない。わがデューデン人は陸上最弱の魚人ではあるが、今や武器大国だ。特に、我小隊では最新の武器を取り揃えている。あの最強の戦闘力を誇るヴェステン人にだって引けを取らないさ。」
大尉の熱量に気圧されつつ、私は横目で戦上を見た。
引けを取らない、だなんて。そんな表現では生易しい。
デューデン兵の最新の武器を前に、ヴェステン兵は手も足も近寄ることさえできず、雪面に沈んでいく。
恐ろしささえ感じるほどの圧倒的な力の差だ。
慣れない火薬の匂いに、鼻先を密かに擦る。
「あの武器についてお聞きしても宜しいでしょうか。」
「勿論だとも。」
「うむ」と頷いた大尉は、デューデン兵が持っているモノと同じ武器を背中から下ろし私に見せた。
…なるほど、矢筒のように背中に背負えるようにもなっているのか。近くで見ると思っていたよりも長いな。150㎝ぐらいはあるだろうか。長細い茶色のボディに、銀の細やかな装飾が施されている。
「これはマスケット銃と呼ばれているものだ。」
「マスケット銃…。初めてお聞きしました。」
「そうであろう。捕らえた海賊の押収品としてデューデン国に入ってきたのも、半年ぐらい前でつい最近だ。」
大尉は両手でマスケット銃を構え、その銃口をヴェステン兵に向けた。
「中に詰めた火薬に火を付けこの引き金を引きと、鉛玉が発射される仕組みだ。威力は御覧の通り。」
そう言って引き金を引く仕草を見せた大尉は、私を見上げニカッと笑った。
「美しいだろう?」
「…。」
確かに美しい武器だと思う。無骨さがなく、洗練されている。
けれど、火薬のせいなのか、どうも受け入れがたい。
これが俗にいうジェネレーションギャップか?
同意せず口を閉じる私に、大尉は気を悪くした様子はない。きっと同意など最初から求めていないのだろう。
大尉はお気に入りの玩具を紹介する子供のように、スカイグレイ色の瞳を輝かせながら無邪気にしゃべり続けた。
「こやつの凄い所は射程距離だ。最高300m先まで弾を飛ばすことができる。だが残念なことに命中率が悪くてな。50mを超えてしまうと、どこに弾が当たるかは神のみぞ知る。その上、装填できる弾はたった一つで、更には準備にも時間がかかる。そんな弱点をカバーし、こやつの威力を最大限に発揮できる戦術が我小隊が現在進行形で行っている一斉射撃だ。」
誇らしげに大尉は胸を張った。その姿が娘と重なり、思わず口元が緩む。
「弾数が増えれば必然的に命中率があがる。更に小隊を三つに分けたことによって攻撃ができない時間を他の部隊がカバーすることができる、ということですか。流石ですね、大尉殿。」
「この短期間でそこまで理解した貴殿こそ流石だ。これなら話が早い。」
「…?」
マスケット銃を背負い直した大尉は、懐から何かを取り出し、それを私に差し出した。
「これは?」
「友好の証だ。受け取ってくれ。」
そう言いながらも、大尉は有無を言わせぬ勢いで、それを私の胸に押し付けた。
「マスケット銃を近距離用に改良した小銃だ。威力は劣るが、腕さえあれば脳天を貫くことだって可能さ。」
私は受け取った小銃を手の平に乗せた。色合いはマスケット銃と同じ茶色のボディに銀色の装飾。手の平より一回り大きくて、ずっしりと重い。
これが、まるで魔法のように、指先一つで人の命を奪ってしまえる武器なのか。
…そう思った刹那、手が微かに震えた。
「カール殿。私は、これらの武器をゆくゆくは自国で製造したいと思っている。」
野心に満ちたスカイグレイ色の瞳が私を貫く。
…なるほど。
彼女が援軍の件を引き受けた本当の理由はこれか。
「先程は武器大国などと大口を叩いたが、所有する武器のほとんどが輸入品だ。その理由が、わが国の圧倒的資源不足。武器製造にまわせるほど潤沢ではないがゆえに、武器の改良が長らく滞っていた。そんな折に、舞い込んできたのがベック卿が持って来た黄金のチケットさ!!」
黄金のチケット…。
誇大された表現に思わず苦笑いする。
私が援軍をお願いする代わりに差し出したのは、何の変哲もない、ただの雪山の所有権だ。
そんな私の様子に気付いた大尉は、茶目っ気たっぷりに目を細めた。
「ノルデン人は分かっていない。山や雪の下に何があるのかを。」
「一体何があるんです?」
「ここで全てを教えてしまったらつまらないだろう。ただ一つ言えることは…」
その時だ。
戦場に響いていた叫び声や銃声がぴたりと鳴り止んだ。
ハッとし、私は戦場を見て目を瞠った。
赤く染まった雪面に、約数千人のヴェステン兵が倒れている。立っているヴェステン兵は誰一人存在しない。
これが…戦争?
いや、違う。今までのと明らかに違う。
これは…
「カール殿。」
呆然とする私の背中に大尉が凛とした声がかかる。
ゆっくりと振り返ると、野心に燃えるスカイグレイ色の瞳と目が合った。
「これからノルデン帝国は大陸中が…いや。世界中が無視できない程の資源大国になるぞ。」
「…。」
「旦那様ーーー!!!」
半ば放心状態の私の元に、馬に乗ったブルーノがベルを含めた十数人ほどの騎士を引き連れて戻ってきた。
馬を停めた彼らは惨状に気付き、青ざめた表情で鮮血の海を見下ろした。そして、口々に呟く。その断片的な単語が私の耳に届いた。「惨い…」「一方的な…」「恐ろしい…」「これではまるで…」
「旦那様、これは一体…」
青ざめた表情で尋ねてきたブルーノに、私は力なく笑った。
「時代が変わったんだよ、ブルーノ。」
魔法や剣の時代から、火薬と硝煙の時代に。
「それはどういう…」
「その通りだカール殿!我々は変わりゆく世界に柔軟に対応していかなければならない!」
ブルーノの声を遮ったご機嫌な大尉は満面の笑みを浮かべ、炎のような髪を揺らした。そんな大尉の元に、東の方角から白い軍服に身を包んだデューデン兵が馬に乗ってやってきた。彼は馬から降り、大尉に耳打ちする。すると大尉はニヤリと笑った。
「カール殿、朗報だ。だった今、各戦地鎮圧に成功したという知らせが入った。各地デューデン兵は負傷兵の治療にあたっている。わが小隊も負傷兵の治療にあたろう。」
その言葉にブルーノ達から安堵の息がもれた。
デューデン兵が戦地に到着したのはつい先ほどだ。こんな短時間で西と東の兵を鎮圧してしまうなんて。
「なんとお礼を申し上げてよいやら…」
大尉に私は深く深く頭を下げた。
「頭を上げてくれ、カール殿。今は負傷兵のことだけを考えて欲しい。」
そう言って大尉は私の肩に軽く手を置いのち、傍らで大人しくしていた白馬に飛び乗った。
「あぁ、そうだ。カール殿。ノルデン人は魚介類はお好きかね?」
「え?えぇ、まぁ…」
「それは良かった。では腕によりをかけてデューデン料理を作ろう。楽しみにしててくれ。」
そう言い残した大尉は手綱を引き、待機しているデューデン兵のもとへ駆け戻った。
「私たちも皆の治療にあたろう。」
「はい、旦那様」
私は覇王号に飛び乗り、深く息を吸い込んだ。
慣れ親しん冬の寒さに硝煙と火薬の匂いが混じっている。
人間は慣れる生き物だ。
いつかきっと、この匂いに慣れてしまう日が訪れるだろう。
その時の私は、私のままでいられているだろうか。
私の中で得体の知れない不安が膨らんでいくのを感じる。
……いや。今は先のことなんかより、負傷した仲間だ。
私はブルーノ達と共に仲間の元へ駆け戻った。
あぁ、そろそろ夜明けだ。
無事に帰っておいで、子供たち。
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